82. 野掛
それから数日、ケイたちは平穏な日々を過ごしていた。
木工職人のモンタンと魔道具の構造について話し合ったり、リリーに
「――それで、例のご令嬢の件はいったい何だったんです?」
打ち合わせ時、当然というべきか、ホアキンは興味津々で尋ねてきた。
「彼女は……そうだな、俺たちと同郷というべきか」
かいつまんで事情を話す。実はイリスも『同じ場所』から来た人物で、向こうがケイを知っていて、思わず声をかけてきた、と。ケイもイリスのことは知っていたが、直接ご尊顔を拝してはおらず、急に話しかけられてもわからなかった――
嘘は言っていない。イリスの
ホアキンは「ほ~そうですか~~」と完全には納得していないことを匂わせつつも、それ以上突っ込んではこなかった。
「まあ、歌にして広げようとは思いませんよ。そこはご安心を。……酒の肴くらいにはするかもしれませんが」
「程々に頼むよ」
「心得てますよ」
そう言ってホアキンは笑っていた。いずれにせよ、イリスたちと付き合いが続くなら、遅かれ早かれ噂にはなるだろう。その程度なら実害はない、とケイも笑って許すことにした。
それからサスケとスズカのブラッシングをして、コーンウェル商会のホランドと家購入の進捗状況を聞いて。
イリスから連絡が来たのは、そんな折だった。
屋敷からの使いの者に了承の旨を伝え、さらに数日後。
ケイたちは、サティナ郊外の草原にいた。
†††
「コウから事情を聞いたわ」
白馬を並足で駆けさせながら、揺れる馬上でイリスが言う。
「正直、まだ実感が湧かないのよね……もちろん、あなたたちを疑ってるわけじゃないんだけど……」
ぽつぽつと、素の口調で語るイリス。ここでは猫をかぶる必要もない。周囲にはサスケとスズカを駆り並走するケイたち以外、付き従う者もいないからだ。これがイリスの狙いだったのだろう。
ちなみに、ピクニックに同行した使用人たちは、木立のそばにテントを張って、お茶の用意をしている。その横にはデッキチェアに座り、何やら書き物をするコウの姿もあった。今日は乗馬の気分ではない――とのことだが、おそらくは、使用人を自分の方に引きつけておき、イリスを自由にさせる腹積もりだろう。
鷹の目を凌駕するケイの視力は、ちらちらとこちらを窺い見るメイドの目の動きを、事細かに捉えていた。
「はぁ……」
馬の脚を止めて、ぼんやりと地平線を眺めながらイリスはため息を一つ。草原の風に黒髪がたなびく。
今日はドレスではなく乗馬服姿だ。キュッとウエストが絞られたジャケットに、ぴったりとしたズボン。首元には白いスカーフを巻き、少し大きめのトップハットをかぶって獣耳を隠している。
相変わらず、様になっていた。儚げな表情、憂いを帯びた視線も相まって、白馬にまたがる姿は一枚の絵画のようですらある。タイトルをつけるなら、『物思いに耽る騎乗の麗人』、あるいは『元の世界に帰れない衝撃を噛み締める異世界人』といったところか。
いい感じに服装がキマっているイリスに対し、ケイたちは、ほぼいつもどおりの格好だ。草原に出るということもあって、ケイは革鎧を装備しマントを羽織った狩人スタイル。アイリーンはいつもの村娘風の装いで、ベルトに護身用のダガーを差している。
(……お粗末だなぁ)
イリスと並ぶと格差が酷い。貴族並に遇されているイリスと同程度とは言わないまでも、見苦しくない程度に服飾品を揃えた方がいいかもしれないな、とケイは考えた。今後とも、イリスたちとの関係が続くならなおさらだ。
「ねえ、二人は納得してるの? 得体の知れない自称『
不意に振り返ったイリスが、問う。
「……納得、か」
難しいな、とケイは空を見上げた。
「……オズは、凄まじい力を持っていた。まさに『上位者』ってやつだった」
アイリーンがぽつりと呟くようにして答える。
「リアルタイムで思考を読むわ、記憶を読み取って魔力に変換するわ。挙句の果てには虚空からオレん家の冷蔵庫と、キンキンに冷えたコーラを出してきやがった。魔力で作り上げたんだぜ?
呆れたように肩をすくめてみせるアイリーン。
「だが……それでいて、紳士的な態度だった。格下のはずのオレたちに対しても、な。サービス精神と好奇心、共に旺盛な異世界の隠遁者――それがオレの印象だ。悪意のある存在だったら、オレたちは生きて帰ってこれなかっただろうし、わざわざ嘘を吹き込む理由も必要もない、とオレは思う。はっきりした証拠なんてのは示せねえけど、オレから言えるのはそれだけだよ。フツーにいいヤツだった」
「……随分と肩を持つのね」
「まあー、ぶっちゃけさ。仮に悪意を隠してたとしても、オレたちにはどうしようもないワケよ」
なあ? とアイリーンに同意を求められたので、ケイも重々しく頷く。
「だな。彼我の力量差がでかすぎて、対話できただけでも奇跡と言えるぐらいだ。……とはいえ、俺たちもオズの話をただ鵜呑みにしてるわけじゃない。なんだかんだで、彼の話には説得力があった」
曰く、世界を渡るには膨大な魔力が必要である。
曰く、魂を失った肉体は衰弱死する。
曰く、こちらと向こうの世界では、時間の流れが違う可能性がある。
「まず、世界を渡るのに凄まじい魔力が必要、というのは疑うまでもないだろう。ワープ航法みたいなものだろうし」
オズは『世界を渡るには、大陸全土を耕すくらいの魔力がいる』と言っていた。オズの力があれば世界渡りも可能かもしれないが、ケイたちではそれに見合う対価を差し出せない。たとえ国中のあらゆるものをかき集めても、触媒として捧げるには足りないのではなかろうか。
そして、仮に対価を出せたとしても――
「『魂を失った肉体は衰弱死する』。これも、わからんではない。そんな気はするって程度の考えだが」
そもそも地球では、魂の存在を知覚することも、証明することもできなかった。その上で、理屈を抜きにして、直感的に理解しやすい話ではある。
「最後に、時間の流れについては――奇しくも、俺たちの出会いで完全に証明されてしまった」
ケイの言葉に、イリスは「……そうね」と首肯する。
ケイたちがこの世界に転移してから、おおよそ四ヶ月が経つ。
それに対し、イリスたちがこの世界に来たのは、二ヶ月半ほど前らしい。
そして【DEMONDAL】内で『ケイ』と『アンドレイ』が失踪したのは、イリスたちが転移する一週間ほど前のことだそうだ。
つまり、地球で一週間経つ間に、こちらの世界では一ヶ月半が経過していた。
「オズは理論的なヤツだった。そして彼の話が本当なら、色々と辻褄が合う。彼の話に納得したか、と聞かれれば……納得した、と言わざるを得ないな、俺は……」
ため息まじりの言葉は、ざぁっと吹き寄せる草原の風に紛れて消えていった。
波打つ草原の彼方に、舞い踊る"風の乙女"の姿を幻視したケイは、ふともう一つの『根拠』と呼べるものに思い当たる。
「それと、精霊だ。俺とアイリーンの契約精霊がオズにも友好的だった。この世界に来てから、精霊には何かと……助けられてる、からな」
ちょっと悔しそうに、ケイは言った。
「だから、精霊の振る舞いから、オズも信用できると判断したわけだ」
「……なるほど、ね」
「ただ、それを第三者から聞いてもしっくりこない、ってのはわかるぜ。オレたちだって、オズのアホみたいな力を見て、ある意味、諦めがついたわけだし」
俯くイリスに、アイリーンがフォローを入れる。
「いや、いいのよ。わかってるの。今から荷造りして、北の大地に出向いて、魔の森とやらに分け入って、オズに会って――そんなこと、やる気にもなれないもの。納得できないなりに納得するしかないわよ」
だってゲームの世界に転移すること自体、理不尽で突拍子がないことなんですもの、とイリスは言う。
その点は、ケイたちも納得しきれていない。
オズはこの転移について、時の大精霊『カムイ』の仕業だろうと睨んでいたが、そもそもなぜ膨大な力を消費してまで、カムイがケイたちをこの世界に呼んだのかは謎のままなのだ。
ただ、カムイを呼んでも出てこないので、確かめようがない。
納得できないなりに、納得するしかない――。
「はぁ。まあ、考えても仕方ないから、そのうち気持ちを整理していくわ」
話を聞いてもらえただけでもモヤモヤがマシになった、とイリスは無理に笑う。
「この世界で生きていく、か……。そうだ、ちょっと相談があるんだけど」
ぽん、と手を叩くイリス。
「その、アイリーンに」
「えっ、オレ?」
突然の指名にアイリーンが驚く。
無理もない。ケイだってイリスとは浅い付き合いしかなかったのに、アイリーンはそれに輪をかけて、交流がなかったのだ。ケイはまだ、イリスたちPK三人組と幾度となく交戦したことがあるが、『アンドレイ』は――ケイの知る限りでは、一度も戦ったことがないはず。
困惑するケイたちに、イリスは言いにくそうに、
「その……女同士のことで……」
「……あ~」
ケイはなんとなく察した。自分は席を外した方がよさそうだ、と。
「じゃあ、俺はコウと話してるよ」
「オーライ」
馬首を巡らすケイに、アイリーンが頷く。
「それじゃ、お悩み相談コーナーといくか――」
そんなアイリーンの声を背中に聞き流しながら、ケイはコウと使用人たちの元へ戻っていった。
†††
「で? 相談ってなんだ?」
使用人たちに怪しまれないように、トコトコと馬を駆けさせながら、アイリーンは口火を切る。
「突然ごめんなさいね。相談、っていうか、ちょっと聞きたいことがあって」
イリスは、もじもじとしてから、
「……その、あなた、ケイとはどういう関係?」
「は?」
どういう意図の質問だそれは、とアイリーンはまず不審に思った。
「不躾でごめんなさい。ただの興味本位ではあるけど、教えてくれると助かるわ」
イリスは存外に真剣な顔だ。
「ええと……まあ、恋人……だけど」
アイリーンはぽりぽりと頬を掻く。改めて答えると恥ずかしい。なぜだろうか。相手が同郷の人間だからか。
「そっか……そうよね。そっかー」
はぁ……とため息をつくイリス。
「それが、何か関係があるのか?」
「うーん、身の振り方を考えてるのよ……この世界に骨を埋める覚悟を決めた先達として、あなたの、
「なるほど……?」
わかったような、わからないような。
「そういうそっちは、
「
イリスの顔は、どことなくげっそりしていた。
「あたしに見合い話が来てる、ってのは聞いたでしょ? 箸にも棒にもかからない木っ端貴族とか、金持ちだけど獣耳趣味の変態オヤジとか、そういうのがわんさか来てるのよ……」
「……おおう」
自分ではまずありえない境遇に、アイリーンは口の端を引きつらせた。
「はっきり言って、断りたいわ。体のいい厄介払いだろうし。でも理由もなく断り続けるのも難しくって」
「お姫様扱いしてもらってるんだろ? それなら、ある程度の
「やー、お姫様扱いって言っても、領主がコウの顔を立ててるだけだから。あたしなんてオマケよ、世話してる方からすればむしろ邪魔でしかないはず。家もコネも金も特殊技能もないお姫様なんて、ただの金食い虫でしかないし」
そして当然、そんな金食い虫を迎え入れるとなれば、身体が目当てとしか考えられないわけで。
「そういう意味で、あたし今、ものすっごくコウにお世話になってるのよ。正直、コウは全然……その……タイプと違う人だったんだけど、頼りになるし、もし求められたら応えなきゃな、くらいには考えてたの。でもね!?」
話しながら、徐々にヒートアップしていく。
「
「そ~だな~」
馬の足並みに揃えて、乗馬服越しにたゆんたゆんと揺れる双丘。それを半目で眺めつつアイリーンは相槌を打った。
「さすが
ぐっと拳を握りながらイリス。アイリーンは「お、おう……そうなんだ……」と気圧されながらも、ひたすら相槌を打つ。
「だから、その、あなたはどうしてるのかな~って思って~」
きゃぴ☆、とウィンクするイリスだが、本音は少し違う。
――もしケイがフリーなら、ケイにアタックするのもアリだと思っていたのだ。
なぜなら、けっこう好みだから。『公国一の狩人』として、ウルヴァーンの名誉市民に認定されたことも聞いていたし、今のようなお姫様暮らしは無理でも、そこそこ食ってはいけるだろうという打算もあった。
まあ、アイリーンとの距離感を見るに、まずフリーではなかろうとは思っていたが……。
「そういう悩みだと、オレはあんま参考にならないな……」
一方、アイリーンはイリスの胸の内など知るよしもなく、申し訳無さそうに首を振る。
「いいのよ……むしろありがとう。ぶっちゃけただけでも、だいぶん気持ちが楽になったから……」
「そっか……ちょっとでも役に立ったなら幸いだよ……」
「ホント、どうしたもんかしら。あなたやコウと違って、あたしは投石くらいしか能がないし、かといって今更狩人として生きていくわけにもいかないし……」
ぬがー、と顔を手で覆うイリス。
そんな彼女を見ながら、アイリーンも頭の片隅で考えていた。
――自身の契約精霊、"黄昏の乙女"ケルスティンの力を込めた魔力トレーニング用の魔道具のことを。
同郷なだけあって、先進的な魔術・魔道具にも理解があるし、身内に引き込めるならばこれほど安心できる人材もいないだろう。
ただ、リスクがあるとすれば、情報の漏洩。
あの『安全な』魔力トレーニング用の魔道具は、安易に世に出すことができないものだ。誰でも魔術師になれる、あるいは一端の魔道具使いに変えてしまうオーパーツは、社会の仕組みを崩壊させる危険性を秘めている。
――
愛想よく話を聞くアイリーンの青い瞳に、いつしか値踏みするような光が宿っていたのも、無理からぬことだった。イリスには同情するが、一番大事なのは、他ならぬケイと自分の安全なのだから――
「それでね!? 酷いのよ、この間来たお見合いとか! 上から目線で『呪われてはいるが愛人にしてやらんこともない』みたいな言い草でね――」
「ええ~それは酷すぎるだろ――」
「しかも一緒に送られてきた肖像画、実物よりマシに描かれてるはずなのに、ブサイクとかいうレベルじゃないクリーチャーで――」
「呪われてるのはどっちだって話だよな――」
いつしかお悩み相談コーナーは、ただの愚痴へと変わりつつあった。
爽やかな草原で、馬の背に揺られる乙女たち。
笑顔の裏に複雑な想いを渦巻かせつつも、会話は楽しげに弾む。そうして二人は親睦を深めていくのだった……
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