76. 依存


 昼下がりのサティナの街は、人々の活気で満ちている。


 腹をすかせて屋台を物色する隊商の護衛戦士、市場で買い物をする子連れの女、せわしなく走り回る小間使い。客引きに精を出す商店の見習いがいたかと思えば、大道芸人の一座が何やら街の官吏と揉めていたりする。


 賑やかで平和な雑踏。


 だがケイとアイリーンは、その中を重い足取りで歩く。


 泣きじゃくるリリーをなだめて、一緒に遊んで、モンタンたちと少しばかり話してから、ケイたちはモンタン宅を辞去した。


 宿屋に戻るには早すぎる時間。


 さりとて昼食は摂ったばかりで、他にすることもなく。


 ふらふらと誘われるように、大通りに面した見知らぬ酒場へ、二人が足を踏み入れたのは自然な流れだった。


 酒場とはいえ昼間から酔い潰れる者はそうおらず――皆無とは言い切れない――至って落ち着いた雰囲気の店だった。ちょうど空いていた店の奥の席に陣取る。


「エールを。二人分な」


 生ぬるいエールよりぶどう酒の方が美味いが、そういう気分らしい。どっかと椅子に腰を下ろしたアイリーンが、注文さえ億劫と言った様子で給仕の娘に告げる。親指でピィンと、大銅貨を弾いて渡しながら。


 ケイも異存はない。胸の内の苦い想いを、もっと即物的な苦味で洗い流してしまいたい、というアイリーンの気持ちはよく理解できたからだ。


「…………」


 席についたはいいが、二人とも黙り込んだままだった。ケイはぼんやりと酒場の客たちを眺め、アイリーンはリリーとのやりとりを反芻するように、独りで手遊びしている。 


「どうぞ」


 トン、トンッと二人の前に、エールがなみなみと注がれたジョッキが置かれた。乾杯をするまでもなく、無言で口に含む。


 苦いし、不味かった。


 ……だが、悪くはなかった。


 と、そのとき、店の片隅で小さな歓声が上がる。


 羽根帽子をかぶり、琴を手にしたひょうきんな男が皆に一礼していた。どうやら吟遊詩人がやってきたようだ。店の外であらかじめ宣伝していたらしく、歌を目当てにドヤドヤと新たな客も入ってくる。


 初めて見る顔だが、そこそこ人気の歌い手なのかもしれない。


 そして見た目を裏切らぬ陽気な声で、彼は朗々と歌い出す。またぞろ正義の魔女か、それとも大熊狩りの話か? などと斜に構えて聴いていたが、どうやら新しいネタのようだ。



 遠く離れた異国の街の、領主の娘の物語。見目麗しい彼女は、邪悪な魔法使いに目をつけられ求婚される。そしてそれを拒絶したがゆえに、娘は体をゆっくりと獣に変えていく、おぞましい呪いを受けてしまう。



 だが、そんな娘にも救いの手は差し伸べられた。さすらい善なる魔法使いが助力を申し出たのだ。呪いを解くには、大元を断つしかない。かくして善なる魔法使いは、邪悪なる魔法使いに一騎打ちを挑んだ。



 凄まじい戦いだった。強大な神秘の力が火花を散らし、魔術の秘奥の激しい応酬が繰り広げられる。邪悪な魔法使いは絶大な魔力を誇ったが、しかし、さすらいの善なる魔法使いは一枚上手だった。なんと彼は、二体の精霊を使役し別系統の魔術を操る、類稀なる才能の持ち主だったのだ。



 かくして邪悪な魔法使いは討ち果たされた。だが、時すでに遅し。呪いは娘の体に深く根付き、決して解かれることはなかった。



 見目麗しいながらも獣の耳を生やしてしまった娘は、街の住民たちに恐れられ、そのまま故郷を追われてしまう。それに善なる魔法使いも同道し、かくして二人のさすらいの旅が始まった。



 二人は安住の地を見つけられるのだろうか。わからない、精霊だけがその行先を知っている――と物語は締めくくられる。



「アニメかよ……」


 ぱちぱちと拍手して、歌い手の技量そのものには賛辞を送りながら、アイリーンがボソッと呟いた。


「正統派のバトルもの、ってノリだったな」

「ああ。獣の耳が生えちゃうとか日本人の十八番だろ?」

「知らん。そういう趣味はないし」


 からかうような視線をくれるアイリーンに、ケイは小さく肩をすくめた。


 だが、どうだろう。ふと想像してみる、例えばアイリーンに猫耳が生えたら?


「…………」


 いけるじゃん……と思ったケイは、少しだけ元気が出た。すぐにエールをあおって苦みばしった表情を取り戻したが、一瞬鼻の下を伸ばしたのをアイリーンは見逃さなかったらしい。ジョッキを置いて、何やらニヤニヤした笑みを浮かべていた。


「……それにしても、デュアル・メイジの概念が出てきたのは面白いな」

「んんー? ……ま、そうだな。『こっち』でも発想はあったみたいだ」


 あからさまな話題転換だったが、アイリーンはこれみよがしに眉をクイッとさせるのみで、話に乗ってきた。


 基本、魔術師と契約精霊は、一人と一体でセットと考えられている。ケイにとってのシーヴ、アイリーンにとってのケルスティンのように。


 だが、類稀なる幸運が重なって、複数の精霊と契約できてしまう者もいる。精霊に出会う幸運と、精霊の要求する契約条件をその場で満たせる幸運。どちらも非常にハードルが高い。デュアル・メイジはその中でも最も『あり得る』例で、二体の精霊と契約する魔術師のことを言う。


「ゲームでも滅多にいなかったからな」

「ああ。『こっち』にいるなら一度お目にかかりたいもんだぜ」


 相当なラッキーパーソンだろ、とアイリーンは言ってから、ふと思い出したように笑う。


「そういや、『妖精の母ちゃんフェアリーズ・マム』なんてのがいたな」

「ああ、いたいた。懐かしい」


 アイリーンの言葉に、ケイは微笑みながら目を細めた。


『妖精の母ちゃん』とは、【DEMONDAL】の名物プレイヤーのひとりだ。妖精が好きすぎて、契約条件のあめ玉や砂糖菓子を手に妖精の生息域を徘徊、ついには五体もの妖精と契約を結ぶことに成功した執念の魔術師。恰幅のいい女性のアバターが嬉々として妖精を連れ回している姿が笑いを誘い、こんなあだ名がついた。


 ちなみに、同じタイプの精霊と複数同時に契約するメリットは薄い。一つの術に対し全ての精霊が反応して発動させようと試みるため、効果も倍増するが消費も倍増、あっという間に魔力が尽きてしまうためだ。


「でも妖精って便利だよなぁ。できるならオレも契約したい」


 幻惑や眠りの術は、魔道具づくりでも応用が効くだろう。


「そうだな。消費魔力も――」


 少なくてコスパがいいし、と言おうとして、ケイは口をつぐんだ。風の、気配を感じる。きっと声に出して言ったら何か良くないことが起きる。


「――まあ、いつどこで妖精を見つけるともわからないし、持っていてもいいかもな。あめ玉の一つや二つ」


 アイリーンはハハッと笑いながらそう言ったが、あめ玉という言葉から連想してしまったのかもしれない。顔を曇らせた。


「…………」


 またぞろ、沈黙が降りてくる。


 そして、休憩していた吟遊詩人が再び歌い始めた。今度は、サティナ定番の正義の魔女の歌だった。ホアキンに何度も聴かされていい加減飽きていたし、それ以上に居心地が悪く感じられたので、二人はどちらからともなく、席を立った。




 ぶらぶらと用事もなく歩く。


 雑踏を抜け、いつしか城壁が見えてきた。そういえば、町の外に出るときはいつもサスケやスズカが一緒で、徒歩で出たことはほとんどない。


「行ってみようか」

「そだな」


 なんとはなしに、ケイはアイリーンを郊外の散歩に誘った。衛兵に挨拶して顔を憶えてもらってから、二人は草原に出た。


 爽やかだ。午後の風が心地よい。ぼちぼち肌寒い季節がやってくる。


 みずみずしい草原の緑は見慣れていたが、いつも騎乗から眺めていたので、視点の高さが新鮮に感じられた。


「……なぁ。リリーのあれ、どう思う」


 歩きながら。見晴らしのいい、誰もいない原っぱで、アイリーンがとうとう口を開いた。


「依存症、か」

「……あれ、本当に依存症なのかな」

「……と、言うと?」


 他に何があるのか。ケイが怪訝な顔をすると、アイリーンは「オレも詳しくはないんだけどさ」と前置きし、 


「リリー、たった一回しか経験してないんだろ? それも注射とかじゃなくて、経口摂取で。……そんなに一発で、依存症になるものなのかな」


 もっと何度もやらないと、酷い依存性は出ないんじゃなかったっけ? と。


「……わからない。だがここは地球じゃない。俺たちの知らない、依存性が異常に高いヤクがあってもおかしくはない」

「まあ、そうだけどさ」


 そうであってはほしくない、と言わんばかりに、アイリーンは辛そうな顔をしていた。ケイも同感だ。


「そう、だな……。トラウマとか、そういうので蜂蜜飴が『精神安定剤』として、条件付けされてしまったのかもしれない。……という、考え方もできる」

「だと良いけど……いや、良くないけどさ」


 ハァ、とアイリーンは短く溜息をついた。


「……どっちにせよ、リリーが苦しんでることには変わりないんだ」


 そう、それが事実だった。


 ケイは無言で瞑目することで、同意を示す。


 ピピー、ピピピ……と可愛らしく鳴いて、鳥が飛んでいく。夏の残り香を追い求めるように、蝶々が舞い飛んでいた。


「オレたち、どうすりゃいいんだろうな」


 手近な木立に踏み入って、大きな石の上に腰掛けるアイリーン。


 その真向かいの切り株に座り、ケイはおもむろに、胸元のポケットを探った。


「……リリーの問題を解決する方法は、ある」

「えっ? 何が?」

「これだよ」


 すっ、と指で摘んで見せた。




 赤銅色の――何の変哲もない指輪を。




「オズのくれた指輪だ。コレに願えば、おそらく一発で解決する」




 オズ。


 北の大地、魔の森に住まう賢者。


 天界より降臨せし悪魔デーモンが一柱。絶大なる力を持つ異次元の存在。忘却と追憶を司る者――


「依存症だろうが、トラウマだろうが、オズの手にかかれば、一瞬で……」


 治るはず。記憶をいじれば簡単だろう。


 だが――


「でも、……それは、ケイ」


 アイリーンが困惑している。いや、言うまでもない。


「わかっている。たしかにリリーは苦しんでるが……『死ぬほど』じゃない」


 そういうことだろ、と目で問う。


 リリーは、幼いながらに苦しんでいる。


 だがその苦しみのせいで、明日にでも命を落としてしまうわけではないし、現状は五体満足に暮らしていけている。


 深い同情には値するが、それでも、生きているのだ。


 それに対し、この指輪の力は絶大すぎる。


 たとえ体が引き千切れて、ハイポーションでも治せないような致命傷を負ったとしても、指輪に願ってオズを喚べば一発で回復してくれるはず。


 そう――ケイとしても、こう表現したくはないが、あまりにも『もったいない』のだ。リリーのトラウマ『ごとき』に使うには。


 なにせ、この指輪で願いを叶えてもらえるのは、たったの一度きりなのだから。


「…………」


 それがわかっているからこそ、アイリーンは険しい顔で唇を噛んだ。


「……ケイは、どう思う」

「……もちろん、治してあげたいさ。だが、今ここで指輪を使ったら、いつか絶対に後悔する日が来ると思う」


 ケイが本音で語ると、アイリーンは俯いた。


 そして、押し殺すような声で、「……オレもそう思う」と言った。いくらリリーが可愛そうでも、重要度の判断を間違えてはならない、とケイ同様の結論に至ったらしい。


 仮にここでリリーのトラウマを癒やしたとしよう。そしてある日、もっと重大で取り返しのつかない事件が起きたとしよう。


 ケイとアイリーンは絶対に後悔する。


 あのとき指輪を使うべきではなかった、と。


 だが……


 手の中で指輪を転がしながら、ケイは思う。


 この指輪の、後悔しない使い方など、あるのだろうか?


 これから生きていく上で、何か大きな事件や事故があるたびに、ケイたちは自問自答しなければならないのだ。ここで使うべきか? と。


 なまじ選択肢があるだけに、いつまでもいつまでも、分水嶺に立たされ続ける。




 この指輪は、確かに、凄まじい可能性を秘めている。



 だが分不相応な力には、それに相応しい重みが伴うのだと、ケイは初めて、実感を伴って理解した。



 これから生きていく上で――悩み続けなければならない。


 いつ、この指輪を使うのかを。


 赤銅色に輝く指輪から、オズの笑い声が響いてくる気がした。



「まさに、悪魔の指輪だな……」



 穏やかな、しかしどこか肌寒くすら感じられる空気の中で。



 二人は、いつまでも黙り込むことしかできなかった。






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