75. 誘惑
翌日。
呑んだくれ、折り重なるようにベッドで爆睡していたケイたちは、昼の鐘が鳴る頃にようやく起き出した。
本当はもっと寝ていたかったのだが、鐘の音と喉の渇き、空腹、昼飯前の仕込みの良い匂い等々に、寝床から引きずり出された形だ。
「頭いたい……」
「ケイは酒に弱いなー」
「俺は弱くない、お前が強すぎるんだ……」
昨夜はとことん呑み明かした。酒場が閉まってからも部屋に戻りグダグダと呑み続けた結果、床には空になった酒瓶がいくつも転がっている。おかげで気分転換にはなったが、ちょっと度が過ぎたようで、【身体強化】の紋章をもってしてもアルコールの分解が追いつかなかったらしい。
しかし、ケイと同じか、むしろそれ以上に呑んでいたアイリーンはケロッとした様子なのだから、個人差というものは大きい。やはり遺伝子レベルの酒呑みは違うな、とケイは思った。このまま調子が出ないようなら、急ぐ用事もなし、このままゴロゴロしていたいという欲求に駆られる。
それでも、早めの昼食を食べて、水をガブガブ飲んでいると頭痛も治まり、出かけてもいいか、という前向きな気分になってきた。
「今日はどうする?」
食後、酒場兼食堂の席でケイが話を振ると、「ふーむ」と唸りながらアイリーンは考え込んだ。
「……ぼちぼち『アレ』を作ろうかな」
「『アレ』?」
「前にケイと話してたやつ。
周囲に聞かれないよう、声を潜めてアイリーン。まだ頭の回りがイマイチなケイは、一拍置いてから、それが魔力鍛錬用の魔道具のことだと察した。
アイリーンが契約する精霊"黄昏の乙女"ケルスティンは、物理的な干渉力が極端に低い代わりに、魔力の消費も少ない。そしてそれを応用して、ほんの僅かに影を操るような魔道具を作れば、安全に魔力を鍛えられるようになる。
本来、この世界の魔術師は、魔力の鍛錬に細心の注意を払わなければならない。魔力が枯渇すれば、待ち受けているのは確実な死だ。修行中に己の限界を見誤り、枯死する魔術師見習いも少なくないという。
魔術師の育成に力を入れている公国は、安全な修行法を喉から手が出るほど欲しているはずだ。そこで万が一にも、アイリーンとケルスティンの有用性が露見すれば――おそらく死ぬほど面倒なことになる。少なくとも、平穏無事に暮らすことなどできないだろう。『庇護』の名目で監禁されるのがオチだ。
「まあ、普通の魔道具のついでに作れるようなもんだ。バレなきゃ問題ない」
アイリーンはそう言って手をひらひらさせる。そんなリスクを冒してでも、ケイが魔力を鍛えるメリットは大きい。ケイが触媒なしでも魔術を――"風の乙女"シーヴの術を行使できるようになれば、いざというときの立ち回りの幅も広がるし、矢避けの護符や風を呼び込む帆など、有用な魔道具が作成可能になる。
ケイとしても、矢避けの護符は最優先で作りたいところだ。特に、アイリーンとイグナーツ盗賊団の一件を共有した現状、町中で矢が飛んできても自動的に弾き返せるくらいにはなっておきたい。
「材料は?」
「コーンウェル商会に行って、たかろ――仕入れよう。そのあと、モンタンの旦那に木工細工を依頼するかな?」
道具の本体を作ってもらいたい、とアイリーン。
「そうしよう。あとリリーにも、何かお土産を持っていこうか」
「それは
うむうむ、と腕組みしてアイリーンが頷く。そろそろ秋だが、市場でブドウでも買っていこうか。いやせっかくだしお菓子でもいいんじゃないか? そんなことを話しながら、二日酔いでイマイチ冴えない脳みそを冷やすように、グイッとコップの水をあおってからケイは席を立った。
†††
コーンウェル商会でホランドに相談し、『魔道具の試作と研究のため』と称して研究費や水晶などの材料を融通してもらった。
「一応、契約書にもサインしてもらいたいんだけど」
資金とともに、申し訳なさそうにホランドが差し出した羊皮紙には、ずらずらと大仰な文言で契約内容が書かれていた。一応、二人でしっかりと熟読したが、取り立てて問題はないようだった。
要は『資金援助するから良い物できたらウチに売ってくれよ! 絶対だぞ!』と書かれていただけだ。もちろんアイリーンも否やはないし、研究費をふんだくって逃げるつもりもない。その『研究費』でコーンウェル商会の高級菓子を買い求めると、ホランドも苦笑していたが。
「影絵の試作品ができたら、ホアキンの旦那にも連絡しないとなぁ。格安で売る代わりに、宣伝してもらえるよう頼んであるんだよ」
「ああ、そんな話を聞いたね。ウチとしても問題はないよ。商会の名も一緒に添えてもらえるなら……」
「そういえばホアキンは、まだサティナにいるのか?」
ケイはふと、ホランドに尋ねた。サティナに着いて隊商と別れたきり、彼の姿を見ていない。
「しばらくサティナに滞在する、と言っていたよ。冬前にはキテネに旅立つらしいから、用事があるなら今のうちかな。なんなら、彼の定宿を教えておこうか?」
「よろしく頼む」
試作品とはまた別件で、『
ちなみに昨夜、アイリーンがメモ用紙に【追跡】の術をかけて、メモの送り主を特定しようとしたが、メモを『受け取った』時点で所有権がケイに移ってしまったらしく、不発に終わった。
「試作品は、まあこれだけモノがあれば二、三日でできると思うぜ」
「ほう! 思ったよりも早いね。期待しているよ」
ホクホク笑顔のホランドと握手してから、二人は商会を出た。
次に、その足で職人街へ向かう。
ちょうど昼飯時になってしまったので少し遠慮したが、「一緒に食べればいいんじゃね?」とアイリーンが開き直り、屋台で串焼きやパンなどを買い込んでリリーの家を訪ねた。
「おねえちゃん、いらっしゃい!」
出迎えたリリーは大喜びだ。大量の手土産とともに現れたケイたちにモンタンとキスカは恐縮していたが、そのまま一緒に昼食を摂る流れになった。
「おねえちゃん、これおいしいね!」
「こっちの串焼きもなかなかイケるぜ」
歳の離れた姉妹のように和気あいあいとした二人に、周りも和む。ウサギ肉の串焼きにチーズを挟んだそば粉のクレープ、胡桃を練り込んだ柔らかいパン。イチジクやブドウなど季節の果物にも舌鼓を打ち、キスカが淹れてくれたミントティーを頂く。優雅な昼食となった。
「そして今日はなんと、デザートもあるぞ!」
「わぁすごーい! かわいい!」
そして食事の後、アイリーンが商会で買ってきたお菓子の箱を取り出す。煮詰めた砂糖や蜂蜜を、固く泡立てた卵白と一緒に固め、ナッツ類を練り込んで作られたヌガーだ。花や薬草のエキスで薄いピンクや緑に着色され、一口大にカットされている高級品。腕のいい職人であり、大商人とも付き合いのあるモンタンはその価値を知っているらしく、箱から現れた色とりどりのヌガーに目を剥いたが、アイリーンがぱちんとウィンクして何も言わせなかった。
「おいひー!」
「あっ、ホント。これイケるな! ナッツが香ばしくていい感じ……あ、キスカもモンタンも、遠慮せずに食べてくれよな!」
「あ、はい……ありがとうございます」
「本当にいいんですか? あら、おいしい」
おっかなびっくりといった風のモンタン、甘いものに目尻が下がり、ほわほわと頬を緩めるキスカ。
「……それでモンタン、実は依頼があるんだ。木工職人として」
そのままリリーがアイリーンと手遊びを始めたので、ケイはヌガーを頂きつつ、小声でアイリーンの代わりに話を切り出した。
「ケイさんの依頼でしたら、喜んで」
モンタンは生真面目に、居住まいを正す。
「ああ、いや、そこまで大した仕事じゃないんだ。アイリーンが魔道具を作ろうとしてるから、その試作品の部品で、いくつかこういったものが欲しい」
大まかな設計図的なものは、予め用意しておいた。『
「……これくらいでしたら、明日の夕方には仕上げられます」
「流石だ。いくら払えばいい?」
「そんな、お代なんていただけませんよ!」
とんでもない、とプルプル首を振るモンタン。想定されていた反応だが、これに関しては、アイリーンと方針を決めてある。
「そういうわけにはいかない。これから長い付き合いになるし、仕事上でもきちんとした良い関係を築いていきたいんだ」
個人的な付き合いと、ビジネス上の付き合いは分けて考えるべきだ。これは互いのためでもある。ここでなあなあで済ませると、今は良いかもしれないが、後々こじれる可能性も否定できない。金が絡む問題は厄介だ、今後も円満な交流を続けたいからこそ、きっちりと精算しておく。
「それに、製作費を出すのはコーンウェル商会だからな……」
わかるか? とケイはおどけて片眉を上げてみせた。要は、自分たちの懐は痛まないのだから遠慮なく取っておけ、というわけだ。
「そういうことでしたら……」
モンタンは苦笑して「ありがとうございます」と頭を下げた。そして簡単な見積もりを終え、前金を払っておく。
「では早速、取り掛かります」
「頼んだ。それと……話は変わるが、リリーの調子は?」
「おかげさまで、昨日は久々にぐっすり眠れたようです」
肩の荷が降りたような、ようやく人心地ついたような。
そんな穏やかな顔で、モンタンが愛娘を見やる。
アイリーンがリリーに、手を使った簡単なゲームを教えていた。お互いに、両手の指を一本ずつ立てた状態でスタートし、交互に相手の片方の手を攻撃する。自分の攻撃した指の本数分、相手の指を立たせ、指が五本以上立つことになったらその手は脱落。そして両手が脱落したら負け、というゲームだ。
また、自分の手同士をぶつけて指の本数を合算・分離させることもできる。右手四本、左手一本の状態から、右手に三、左手に二といった具合に。片手が脱落しても、同じ仕組みで片手を復活させられるので、なかなか終わらない。小さな子には、算数の勉強にもなるので良い手遊びだな、とケイは思った。
かくいうケイも子供の頃やったことがあるが、ゲームの名前がわからない。どうやらアイリーンも知らないらしく、リリーに尋ねられて返答に窮していた。
それにしても、この世界にはやはり娯楽が少ない。一応、チェスのようなボードゲームはあるし、ゲームの設定そのままなら、高級品だがトランプに似た札遊びも存在するはず。今度コーンウェル商会で、そういった手合を探してみてもいいかもしれない、とケイが考えていたところで、
「……ん? リリー、どうした?」
アイリーンと遊んでいたリリーに、異変が起きた。
「うん……」
そわそわと、急に落ち着きがなくなったリリーが、手遊びに集中できなくなっている。やおら服のポケットに手を入れたかと思うと、小さな包み紙を取り出した。
――蜂蜜飴。
黄金色のそれを一個、つまんで、口に含んだ。
さっき果物と、ヌガーまで食べたのに、さらに飴を? とケイは違和感を抱く。
「……リリー、甘い物を食べ過ぎたら体に良くないぞ~?」
これは流石によろしくない、と思ったのか、アイリーンがリリーを抱きかかえて優しくたしなめた。
だが……リリーの表情は、暗い。
とてもじゃないが、これは、お菓子を楽しむ子供のする顔じゃない。
「……ねえ、おねえちゃん、わたしおかしいのかな」
ぽつりと、アイリーンを見上げて、不安そうにリリーが尋ねた。
「……
動悸を抑えるように、リリーが服の胸のあたりを掴む。
「でもね、これじゃないの。本当は、別のじゃないとダメで、ずっと苦しいの」
「……どういうこと?」
「あのとき、変な男の子に、アメ玉をもらったんだけど。それを食べたら、夢を見てるみたいにふわふわってして、ぐるぐる目が回るみたいで、とっても変な感じだったんだけど、またあれが食べたくて、でも、はちみつアメじゃなくって……」
リリーの説明は要領を得ない。自分でも何をどう言えばいいのかよくわからないらしく、静かにすすり泣いている。
「また、またあのアメが、食べたいって思っちゃうの……! おかしい、よね? こんなの。おねえちゃん、やっぱりわたし、へんなびょうきなのかな? おかしいのかな……?」
アイリーンの胸で、リリーは涙を流す。ぽろっ、とその口から、食べかけの蜂蜜飴が落ちて、ころころと床に転がった。
「…………」
アイリーンが、青ざめた顔で、ケイを見やった。
その目が、「嘘だと言ってくれ」と語りかけてくる。
――リリーを誘拐したのは、
『依存症……』
アイリーンのすがるような視線を受け止めきれなくて、手で顔を覆ったケイは、日本語で小さく呻いた。
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