74. 告白


「で、どういうことなんだコレは」


 その夜。


 モンタンたちと別れて、ケイとアイリーンはまっすぐ宿屋に戻った。そして食事もそこそこに部屋へ引っ込み、ランプの明かりの下、額を合わせてテーブルを覗き込んでいた。


 件のメモ用紙。


「『きみは死神日本人か?』、と来たか」


 ケイに意味を教えてもらったアイリーンが、小指の先で唇を撫でながら呟く。


 ――"死神日本人ジャップザリーパー"、弓使いのケイ。


 VRMMO【DEMONDAL】において、広く知られていたケイのあだ名だ。"竜鱗通し"を手に入れる前から馬上弓を得意としていたケイは、数多のプレイヤーを正確無比な騎射で葬り去ってきた。


 ケイと敵対し、交戦した者たちの死亡率はあまりにも高い。いつしか『死神』と呼ばれ恐れられるようになり、そこに『日本人』が付け足され、フォーラムなどで話題となった結果、すっかり定着してしまったのだ。


 ――それはさておき。


 このメモ用紙一枚からは、いくつか重要な情報が読み取れる。


「少なくとも、ゲーム内のケイをよく知る人物ってことだな」

「ああ。その上、日本語ができる……」


 顔を見合わせた二人は、「うーむ」と唸りながら、再びメモに目を落とす。


 メモの主。モンタン曰く、『ケイさんのような黒髪黒目で、草原の民のような顔つきの男でした。中肉中背で、身なりはあまり良くなかったです』とのこと。


 草原の民のような顔つき――ケイは思わず、自分の頬をぺたりと撫でた。その男は、十中八九、日本人だろう。ケイがウルヴァーンを目指して旅立ったと聞いて、ひどく落胆していたそうだが、「自分はしばらくサティナに滞在する予定だ」と言い残して去っていったらしい。それ以来、姿を現していないそうだ。


「……他にも、いたんだな。『こっち』に来てたヤツが」


 嘆息混じりにアイリーンは言う。しかしその口ぶりには実感がこもっておらず、どこか半信半疑といった様子だ。確かにメモは実在するのだが、それでも信じられない心境――ケイも気持ちはよく分かる。


「俺たちが来てるんだから、他にいてもおかしくはない。ただ、【DEMONDAL】に俺以外の日本人プレイヤーがいるなんて聞いたこともなかったんだが……アイリーンはどうだ?」

「知らねえな。知ってたら一度は声かけてるよ」


 ケイが問うと、アイリーンはお手上げのポーズを取った。元々ケイとアイリーンが知り合ったのは、NINJA好きで日本かぶれなアンドレイアイリーンが、『日本人だから』という理由だけでケイに話しかけてきたのがきっかけだ。


【DEMONDAL】は北欧産オンラインゲーム。サーバーはヨーロッパに位置し、プレイヤーの多くは欧米人だ。アジア系はともかく、生粋のアジア人のプレイヤーはほとんどいない。


 ケイを知っていて、日本語の読み書きができるような人物なら、ケイかアイリーンのどちらかの交友関係にはひっかかりそうなものだが――


「ソロ専みたいな、ほとんど他と交流がないヤツだったのかもな」

「もしくは、趣味で日本語やってたとか……。別言語を母語に持つ日系人の可能性も否定できないぜ」

「なるほど、それならわからないな」


 実際のところ、ケイも好き好んで、自分が日本人であることをアピールしていたわけではない。しかし後天的な英語話者ゆえ、他プレイヤーと会話に支障をきたすこともあり、「どこ出身?」「日本だよ」みたいな会話の流れで、国籍が周知されたという事情がある。


 要は、言葉のせいで看破された。


 だが仮に、バイリンガルの日系人であれば、そんな事態にはならなかったはず。何食わぬ顔で欧米人に混ざって、そのままプレイしていたのかもしれない。だとすれば手紙の主を特定するのは困難だ。


「それにしても、不思議なのは、なぜ俺を探しているかってことだ。どうやって俺が――『ケイ』が、『こちら』にいることを知ったんだ? その男は」

「そりゃあ、『タアフ村から来た』って話だったし、村の誰かからケイの話を聞いたんじゃね? オレたちみたいにタアフ村の近くに転移したのかも。それだったらケイの外見はゲームと同じだし、弓使いで、かつ風の精霊と契約してる。……そんなヤツそうそういねーだろ、察しがついてもおかしくはない」

「……確かにな」


 言われてみれば、自分はキャラが濃い上にゲームと全く変わらない。これがアンドレイから劇的な変化を遂げたアイリーンであれば、特定されることはなかっただろうが。


「……いずれにせよ、気の毒ではあるな」


 メモから視線を剥がし、ケイは窓の外、夜空を見上げた。


 満天の星空。星々の配置は、地球のそれとは全く違う。『ここ』が別の世界なのだ、と否応なしに思い知らされる。


 ケイたちは、それこそ『死ぬほど』苦労して、遥々北の大地くんだりまで赴き、この転移の真相を知った。VRゲームを通して魂を引っこ抜かれ、ゲームそっくりの世界に受肉。元の世界の魂を失った肉体は、今頃活動を停止している――という衝撃の事実を。


 このメモ用紙を渡してきた人物は、以前のケイたちと同様、突然の転移で右も左もわからない状況だろう。


「会いたいような、会いたくないような、複雑な気分だな」


 はぁ、と溜息をついたアイリーンが、やおら立ち上がってベッドに身を投げた。スプリングもない安物、ギシッと床と木材が軋む音。


「会ったら十中八九、説明することになるだろうしなぁ……」


 元の世界のあなたの肉体はもう死んでますよ、などと、どんな顔をして告げればよいのか……ケイたちには少々荷が重い。


「…………」


 そんな二人の心境を物語るかのように、沈黙の帳が降りてくる。同じゲームのプレイヤーのよしみで、情報交換や多少の手助けはやぶさかではなかったが……。


「……ところで、さ。ケイ」


 しばらくして、アイリーンが口を開いた。


「うん?」

「モンタンの旦那が、このメモの話を切り出したとき、ケイってばなんかすっごい険しい顔してたじゃん? あれ、なんかあったのか?」


 ベッドに寝転がり、肘をついたリラックスモードでアイリーンが尋ねてくる。


 澄んだ青い瞳が、まっすぐにケイを捉えた。


 心臓が跳ねる音を、聞いた気がした。


「……ああ」


 この期に及んで、ケイはアイリーンに隠し事をするつもりはない。正直に、全てを話そうと腹をくくる。


「実は、『こっち』に転移して、盗賊と戦ったときのことなんだが――」


 ケイは極力私情を排除して、淡々と語った。盗賊全員を殺したつもりが、二人取り逃がしていたこと。即座に報復を恐れたこと。そしてそれを誰にも告げることなく、逃げ出そうと決めたこと。


 それは、ケイがずっと一人で抱え込んでいた罪だ。


 アイリーンは体を起こし、ベッドに座り直して真剣な顔で聞いていた。ケイは、今にも彼女の表情が冷たいものに変わるのではないかと恐れていたが、アイリーンは真摯な態度のまま、咎めたり、失望したりすることなく、黙ってケイの告解に耳を傾けていた。


「なるほど……」


 アイリーンは瞑目する。時折、ケイの様子がおかしかった理由が、腑に落ちた。


 薄々、察しては、いたのだ。ケイが何か秘密を抱えており、そのせいで度々良心の呵責に苦しんでいたことを。


 あの夜――『こちら』に転移した直後の夜。盗賊たちの奇襲により、アイリーンは毒矢を受けて生死の境を彷徨った。無意識のうち、右胸の傷跡に触れる。ポーションによる治癒は激痛が伴うが、幸いなことに、アイリーンは何も憶えていない。


 そう、笑ってしまうくらい憶えていないのだ、あの夜のことは。目を覚ましたら全てが終わっていて、ただベッドに寝かされていた。


「……ケイ」

「……うん」

「話してくれてありがとう。なんでケイが悩んでたのか、ようやくわかったぜ」


 ケイの緊張を解きほぐすように、アイリーンは柔らかく微笑んだ。ケイの取った選択は確かに、最善のものではなかったかもしれない。だが自分たちの身の安全を最優先に考えるなら、致し方のないことだった。


 アイリーンは何も知らずに寝込んでいただけだ。それに関して口を挟むことはできないし、何よりアイリーン自身も救われている。そしてケイは決して冷血漢ではなく、罪悪感に苦しんでいたことも知っている。


 責めることが、できようか。


「オレもさ、色々経験を積んだから、自分の身を守るのが『この世界』でどんなに難しいことなのか、よくわかってるつもりだ」


 朗々と語りだすアイリーンに、ケイが意図をはかりかねたように、目をぱちぱちと瞬いている。


「ケイがこのことを黙ってたのも、タアフ村の連中にバレたら何をされるかわからなかったのと、オレにいらん心配をかけたくなかったからだろ?」


 わかってるんだぜ、と言わんばかりに眉をクイッと上げてみせると、ケイはバツが悪そうに視線をそらした。


 当時、盗賊を逃したことをタアフ村の面々に打ち明けていたら、ケイたちがその責任を負わされていたかもしれない。『盗賊が報復に来たら人身御供に差し出そう』『こいつらのせいで賊に目をつけられる、殺してしまえ』――等々、嫌な想像はいくらでもできる。


 実際、タアフ村の住民たちは比較的良心的な人々だったが、それでも何が起こるかわからないのが世の中だ。それに、アイリーンは毒矢から回復した直後で、体調も優れず足手まといだった。自己保身とリスク回避という点で、ケイの判断は正しかったのだ。


 そして当時のケイは、アイリーンに対して少々だった。もちろん、バツが悪くて言いたくなかったこともあるだろうが、アイリーンに余計な心労をかけたくない、という気持ちがあったのは確かなはず。


「ケイ。あんまり自分のことは責めないでくれ」


 アイリーンは立ち上がり、ケイの両肩に手を載せた。覗き込む。その黒い瞳を。


「そもそも、一番悪いのは盗賊の連中なんだ。そこは間違えちゃいけない」

「いや、しかし……」

「わかってる、だからといって黙ってたのも、褒められた行為じゃない」


 しゅん、と小さくなるケイ。まるで頭から水をかけられた熊みたいだ。愛おしくて思わず笑いそうになるのを、ぐっと堪える。


「……でも、タアフの村は今でも無事っぽいし、オレたちも元気に生きてる。結果オーライじゃねえか。オレだって命を救われたんだ、ケイを責めるつもりはないし、そもそも責められないよ」

「……そういうもんか」

「過程は大事だが結果はもっと大事ってことさ。第一報復とかそんなの関係なく、タアフ村の近くに盗賊が十人もいたんだぜ? どちらにせよタアフ村が襲われてたかもしれないし、ケイはそれを未然に防いだのかもしれない。仮定ifの話をしてちゃあキリがない。……それに、」


 ケイの手を握って言い聞かせるように話しながら、アイリーンは言葉を続けた。


「オレは今、ちょっと嬉しいんだ」


 は? とケイが呆気に取られたような顔をする。


「嬉しい? なんでだ?」


 ――決まってる。


「ケイが打ち明けてくれたからだよ」


 今まで隠していたことを、なんのためらいもなく。


 アイリーンが尋ねたら、腹をくくった顔で、正直に話してくれた。


 それが、嬉しかったのだ。


 昔と今では、二人の関係も変わった。それは、ごまかしやウソで成り立つものではない。そりゃあ人間だから、腹には一つや二つ、隠し事くらいはあるかもしれないが。それでも、一緒に生きていくと決めた。楽しいことも、苦しいことも。一緒に分かち合って、支え合っていく。


 そんな関係だと、アイリーンは思っていたし、ケイにもそう思って欲しかった。


 そして、ケイもそう思ってくれているのが、よくわかった。


 ケイの覚悟は、しっかりとアイリーンに伝わっていたのだ――


「おんぶにだっこのお姫様プリンセスはゴメンだ。そうだろ?」


 グッ、とケイの手を強く握って、アイリーンがニヤリと笑いかけると。


「……ああ」


 ケイは、一瞬苦笑して、次に晴れやかな笑顔に変わって、力強く頷いた。


「よっし。じゃあこの話は終わり!」


 バンッ、とケイの背中を叩いて、アイリーンはその手を引っ張った。


「ケイ! 呑みに行くぞ! 小腹も減った!」

「ええっ。いや、構わないが、さっき食べたばかりじゃないか?」

「いいんだよ! ケイだって、なんださっきのメシは! ちまちまオヤツみたいなもんしか食ってなかっただろ! 食い直せ!」


 きっと、諸々の心配事や罪悪感で食欲がなかったのだろう、とアイリーンは思っていた。それでは体によろしくない。


「いや、うーん、確かに……ええい、まあ行くか!」

「呑み明かそう! サティナ再訪祝だ!」

「それはもう昨日やっただろ!」

「細かいことはいいんだよ!!」


 開き直った様子で笑うケイとアイリーンは、手を取り合って、部屋を出ていく。


 つけっぱなしだったランプの火は、窓から吹き込んだ風が消していった。



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