71. 召喚


 大通りの人混みを抜けてから、ケイたちはスズカに跨った。


 このがっしりとした体格の黒毛の雌馬は、どこぞのサスケと違い二人乗りの加重も苦にしない。ダカカッダカカッと激しく蹄の音を鳴り響かせ、きつい勾配の坂道も一気に駆け上がる。


 岩山の頂上――領主の居城へと続く道は閑散としていた。呼び出されでもしなければ一般庶民には縁のない場所なので当然だ。お蔭で通行人に気を遣う必要もなく、速やかに城門まで辿り着く。


「止まれ、何者だ!」


 が、そこでケイたちを出迎えたのは門衛たちの槍だった。単騎で突っ込んできた異邦人を警戒しているらしい。領主に呼び出された旨を伝えても彼らはまだ半信半疑の様子だったが、ケイの名は伝え聞いていたらしく、ウルヴァーンの身分証を出すと、途端に態度が軟化する。


「これは失礼した」

「話は聞いている、こっちに来てくれ」


 兵士に促され、城門の内側へと招き入れられる二人。


「サンクス、マイ身分証……」


 小さく呟きながら、ケイは胸元に身分証を仕舞い直す。今後、情勢がどう転ぶか不明なウルヴァーンではあるが、やはり身分証の効果は絶大だ。


 これはこれで悪くないな、とケイは思った。


 遠く離れているのでウルヴァーンからは干渉されにくく、そして他所の街では、公都の民なので無下には扱われない。いいとこ取りをしている気分だ。願わくばこれからも上手く利用していきたい。


 兵士に連れられ、アイリーンと共になだらかな石畳のスロープを歩く。


 ユーリア城は規模としては至って小さい。下から見上げるとかなり狭苦しく見えた。岩山の天辺に築かれた土台、そこにこじんまりと石造りの館や見張りの塔が建ち並ぶ様は、【DEMONDAL】のゲーム内の『要塞村』ウルヴァーンを彷彿とさせる。


 が、ひとたび城門を抜けると、そんな印象は見事に塗り替えられた。


 城内の石畳や建造物には、それぞれ白系統の石材が配され、現役の軍事施設とは思えないような清潔感ある佇まい。まるで観光名所にでも足を踏み入れたかのようだった。中庭には丁寧にも木が植えられ、木陰には小洒落たベンチまで置かれている。


 ユーリア城には仰々しい城壁がない。唯一、城門付近は分厚い壁に護られているが、あとは腰の高さほどの壁――いや、塀があるだけで、閉塞感とは無縁だった。地平線の彼方に雪を頂いた山脈が見えるほかは、視界を遮るものは何もない。


 お陰で中庭からは眼下の景色を一望できた。


 活気に満ちたユーリアの街並み、蒼い煌めきを湛えたシュナペイア湖、豆粒ほどにも見える船乗りや旅人、商人、巡礼者たちの姿――そして、それら全てを包み込むように風にそよぐ緑の草原。


 崖下から吹き上げる涼風が、夏の日差しの熱を吹き散らしていく。あまりの爽やかさと心地よさに、思わず足を止めて風景を満喫してしまいそうだ。


 ただし、足元には気を払う必要がある。一歩でも塀の外へと踏み出せば、そこはもう断崖絶壁だ。城をぐるりと取り囲む塀は、防衛用というより兵士のための安全柵も兼ねているのだろう。


 この崖こそが天然の『城壁』、まさに難攻不落の要塞だ。領主の城ともなれば対魔術防御もしっかりと施されているはず。攻城兵器も届きにくい高さ故、航空戦力でもなければ、ちょっとやそっとのことでは陥落しなさそうだ。


 ゲーム内では飛行型モンスターを飼い馴らし、騎獣として運用することも可能だったが、『こちら』の世界にそんな命知らずがいるかは謎だ。火薬(地球のそれとは違い火の精霊の影響で長時間に亘り高温で燃え続けるもの)を利用した熱気球や飛行船は存在するかもしれない。


「すごい高さだな」


 ひょい、と壁から身を乗り出して下を覗いたアイリーンが、ぴぅっと冷やかすように口笛を吹いた。


「おいおい、気をつけてくれよ。領主様の客人が落っこちるなんて冗談じゃねえ。おれの責任になっちまう」


 それを見咎めた案内役の年かさの兵士が、白髪混じりの眉をクイッと吊り上げる。


をやるならせめて帰りにしてくれ、そしたら別のヤツを案内につけてやる」

「はははっ。落ちたヤツはいるのか?」

「いたさ。昔、度胸試しで足を滑らせた阿呆がな」


 笑いながらケイの質問に、ふんすっと鼻で溜息をついて老兵士。


「どうなった?」

「おれが兵士になったばかりの頃の話だ。初めて見た死体がそいつだったよ」


 しばらくソーセージを食う気がしなかった、と老兵士は語る。曰く色々と飛び散っていたらしい。城の北側の岩肌には、いまだ血痕がこびりついているそうだ。


 そんな話をするうちに、城門の反対側、領主の館に辿り着いた。ここからは湖の中心の小島と水の大精霊の神殿がよく見える。館には、奇妙なドーム状の建造物が隣接しており、老兵士によると水の精霊を祀る礼拝堂とのこと。


 館に入ってからはケイもアイリーンも護身用の短剣を預かられた。当然の処置なので粛々と従う。ケイが肌身離さず携帯している"竜鱗通し"も同様だ。弦を張らず、矢もなければ凶器たりえないとは思うのだが、武器を持たせたまま領主の前に連れて行くわけにもいくまい。一時的な措置とはいえ、唯一無二の相棒を手放すのは不安で仕方がなかったが、こればかりはどうしようもないとケイも諦めた。


 エントランスホール。漆喰で塗り固められた白い壁、ふんだんに使われた大理石。床には赤色の絨毯が敷かれ、まさしく貴族の館といった風情だ。窓には透明なガラスが嵌まり、頭上にはクリスタルのシャンデリアが輝く。領主の血族か、階段の踊り場の壁には着飾った貴人たちの肖像画が飾られ、ケイたちは興味深く絵画の中の服装や装飾品を観察していた。


 そのまま待たされることしばし。


 階上からドタドタと足音がしたかと思うと、ホランドが顔を覗かせる。


「やあ、やあ、ケイにアイリーン。良かったよ来てくれて」


 二人の姿を認め、あからさまにホッとした様子を見せるホランド。小間使いの少年の話によれば、今まで彼が領主の応対をしていたはずだ。確かにその心労はひとしおだろうが――バトンタッチされる側としては堪ったものではない。


「来ることは来たが、その、領主様に会うのか? 俺たちは」


 畏れ多くて気後れしているような声を出しながら、ホランドにだけ見えるよう表情で不満を訴えるケイ。周りには召使や役人といった関係者、騎士階級と思しき帯剣した者がちらほら見かけられたので、不満げな様子を気取られないよう気を遣う。


「いやいや、突然で大変申し訳なく思う」


 少しばかり苦い顔をしたホランドが、トタトタと階段を下りてくる。歩調に合わせて太鼓腹が揺れる揺れる。


「ワリィけど礼儀作法プロトコルとか全然ダメだぜ。貴族のなんて知らねえぞ」


 ポニーテールの先をいじりながらアイリーン。あまり気が進まないときの癖だ。


「大丈夫、細かいことを気になさる方ではないから……」


 気にしないんだ、本当に……とどこか諦め口調でホランドは言った。彼もまた被害者の一人、というわけだ。


「……まあ、光栄なことだと思うさ。それで、何を話せばいいんだ?」


 ふぅ、と溜息をついて、アイリーンが建設的な話題に切り替える。


「主に【深部】のことだ。私も聞いた限りのことは話したんだが、何というか領主様は『現場主義』でね……チェカー・チェカーや巨大化した森は、私が実際に目にしたわけではないから」

「へえ。じゃあオレたちが見てきたものをそのまま語ればいいわけ?」

「その通り。特に武勇伝を好まれる方さ」

「そういうのなら俺たちよりもホアキンの方が向いてるだろうに」


 彼なら貴族慣れしているし、何より現場にいたのに、とケイが口を挟むと、ホランドはもっともらしく頷き、お手上げのポーズを取った。


「もちろん探しているとも。ただ、夕方に備えて午睡シエスタしてるのか、姿が見当たらないんだ……今回に限って行きつけの宿には泊まってないみたいだし、ただでさえユーリアは旅芸人が多い街だから……」


 ああ~……と納得の声を上げるケイにアイリーン。吟遊詩人は酒場の賑わう夕方から夜にかけてが稼ぎ時だ。今頃は休憩を取っていてもおかしくない。


「ホランド、客人の用意はいいか? 閣下がお待ちだ」


 と、階上から癖毛の栗色の髪の男がひょっこりと顔を出す。歳は二十代後半か、気位が高そうな顔立ちで瞳は薄い緑色だ。僅かに覗き見える肩までの服装から、一目で上流階級と看て取れる。それなりに鍛えているようなので騎士かもしれない。


「畏まりました、すぐに参ります」


 愛想の良い商人の顔をしたホランドが、笑みを浮かべて一礼する。なんとなくケイもつられて会釈したが、隣のアイリーンは腕組みを解いただけだ。


 よくよく考えれば、貴人相手に会釈だけというのは中途半端でかえって失礼になるのではないか? などと不安を覚えるケイ。しかし、栗毛の騎士(っぽい男)はこちらを一瞥して「ふむ」と声を上げただけで、そのまま顔を引っ込めた。気分を害した様子はない。


 栗毛騎士の代わりに現れた従士に連れられ、階上へ。一応ホランドもついてくるようだ、彼には間を取り持って欲しいと切に願う。ケイたちはこれまで何度か『お偉いさんらしき人』――具体的にはウルヴァーンの銀髪キノコなど――に会ったことはあるが、こういった形で正式に謁見するのは初めてだ。


 階段を一歩上がるごとに、ケイは柄にもなく自分が緊張していくのを自覚した。戦場と違ってアドレナリンで誤魔化せない分、むかむかと胸焼けが続くような感覚。


 歩きながら、ホランドが簡単に補足する。領主の名は『データス=メルコール=ユーリア=リックモンド』。長くて一度では憶えられないが、ケイたちが直接その名を呼ぶ機会はないだろう。細かい礼儀作法を気にする人物ではないので、常識的な範囲で敬意を持って接すれば問題はない。部屋に入ったらとりあえず跪くこと。あとは相手の指示通りに受け答えすればいい――


 階段を上がって日当たりの良い広間を抜け、板張りフローリングの大部屋へと通される。咲き乱れる花々の模様を描く、踏むのが躊躇われるような豪奢なカーペットが敷かれ、その上には長大なダイニングテーブルが無造作に鎮座していた。どうやらここは領主一族の食堂らしい。さり気なく、テーブルの脚に施されている蔦や人の顔の装飾も恐ろしく精緻だ。自分が仕留めた大熊の毛皮とこのテーブル、どちらが高く付くだろう、などとケイは詮無きことを考えた。


 それからいくつかの部屋を抜け、ようやく領主の居室まで辿り着く。ちょうど建物を部屋伝いにぐるりと一周した形だ。この手の貴族の館には廊下がほとんどなく、大部屋が連結された構造を取ることが多い。そしてどの部屋にも使用人なり役人なりが詰めているため、万が一にも怪しい人物は奥まで辿り着けないという寸法だ。


 そして領主にお目にかかる前に、ダメ押しのボディチェックがあった。ケイは従士が、アイリーンはメイドが数人がかりで、凶器を持ち込んでいないか入念に検査する。そうしてようやく、謁見の間へと通された。


 湖とユーリアの街が見渡せる、特等席とでも呼ぶべき眺めの一室。


 窓際のソファには小太りの中年オヤジが腰掛けている。いわゆる洋梨型の肥満、体型に比して小顔なため、その姿はひどくアンバランスに映った。短く濃い黒髭にぎょろりとした大きな瞳が印象的な人物だ。隣には先ほどの栗毛騎士が護衛として控えている。ホランドがすぐさま跪いたので、ケイとアイリーンも倣って畏まった。


 この男こそが、ユーリアの領主『データス』なのだろう。第一印象として、あまり気が合いそうなタイプではないな、とケイは思った。


「やっと来たか。お前が『公国一の狩人』、ケイとやらだな」


 顎髭を撫でながら、興味深げにデータス。とりあえずその足元に視線を落とし、目を合わせないようにしていたケイは、どう答えたものかわからず、軽く頭を下げ肯定するに留めた。


「そして、そちらが『正義の魔女』か……ほほう……」


 一転、データスはアイリーンに目をやり、さらにもしゃもしゃと顎髭を撫でる。


「よい、三人とも楽にせよ」


 データスが鷹揚に手を振ると、ホランドがすくっと立ち上がった。一拍遅れてケイとアイリーンも続く。アイリーンの顔を真正面から捉えたデータスが、「おお……!」と感嘆の声を上げた。


「アイリーン、といったか。サティナでの一件は聞いておる。噂に違わぬ美貌よな」

「……恐縮です」


 にこりともしない鉄面皮で、アイリーン。お前に褒められても嬉しくねえ、という心の声が聞こえた気がした。


「雪原の民の出であったな。美人の唇から紡がれれば、独特の訛りも存外美しく響こうというものよ。そうは思わんかフェルナンド?」

「はっ……仰る通りかと」


 いきなり水を向けられた栗毛騎士フェルナンドが、困惑混じりに首肯する。腹芸は苦手と見え、「どうでもいい」という本音が透けて見えるようだ。しかしそれを気にする風もなく、うむうむ、と満足げに頷いたデータスはアイリーンに向き直り、



「どうだ、アイリーンよ。吾輩の愛人にならんか? 悪いようにはせんぞ」



 爆弾を投じた。



「はっ?」

「はァ?」

「は……?」


 それぞれ、呆気に取られるホランド、思わず素の声が出るアイリーン、聞き間違いかと耳を疑うケイだ。驚愕する三人をよそに、データスはソファから身を乗り出して話を続ける。


「身分の関係上、夫人にするわけにはいかんが、吾輩ならばお前に何不自由なく過ごさせてやれる。旅暮らしよりもこの館の方がよほど居心地が良かろう。お前が望むならば宝石でも魔術書でも、好きなものを取らせようではないか」


 欲望の光を隠しもせず、ぎらぎらとした目でデータス。その口上は止まらない。


「お前は美しい。そのような流浪の身で、襤褸を身に纏っているようではあまりに勿体ない。もっと美しく着飾り、豊かに過ごす権利がお前にはある。……心配せずとも、仮に身ごもっても捨てるような真似はせぬぞ。流石に後継ぎの候補にするわけにはいかんが、男ならば騎士程度には取り立てられるし、女ならば婚姻を世話しよう。どうだ? 悪い話ではなかろう?」


 ぽかんと口を開けて絶句していたアイリーンは、類まれなる精神力により、辛うじて引き攣った愛想笑いを浮かべることに成功した。


「既に夫を持つ身ですので、そういったお話は……」

「なんと、結婚しておったのか」


 データスは大げさに驚いてみせる。ここに来て冗談ではないらしいと察したケイは、顔が険しい。


「それならば、一晩だけでもどうだ? 報酬は弾むぞ?」


 それでもなお諦めずに食い下がるデータス。ぐへへへ、という擬音がぴったりな笑顔だ。ケイの顔がさらに険しくなった。


「いえ、夫に悪いので流石に……」


 ちらちらケイの方を伺いながらアイリーンはじりじりと後退る。


「ふはは、なぁに、夫には秘密にすればよかろう。『晩餐会に招待された』とでも言えばよい。もちろん、それが嘘にならぬよう、もてなしはしようぞ」


 ソファから腰を浮かせかけて手をワキワキとさせるデータスだが、この発言に一同は「ん?」と首を傾げた。


「いや、秘密と言っても……」


 何言ってんだこいつと言わんばかりにケイとホランドを交互に見やるアイリーン。ホランドも困惑を隠せない様子で、ケイと顔を見合わせる。


「……どうした?」


 何やら妙な雰囲気を漂わせる三人に流石のデータスも違和感を覚えたか、訝しむようにこちらを見てきたので、ケイは無礼を承知で不機嫌なまま答えた。



「俺の妻だ」



 今度はデータスが絶句した。



「……おい、どういうことだホランド、聞いとらんぞ!」

「ええっ、申し上げておりませんでしたか?!」


 データスに噛みつかれ、驚愕するホランド。


「たわけが! 知っておったら誰がこんな真似をするか! お前から伝え聞いたのは、『隊商に『大熊殺し』と『正義の魔女』がいること』、『その二人が【深部アビス】に踏み込んだこと』、この二点だけだ! 噂に名高い英雄二人がよりにもよって結婚しているなどと、一言も聞いとらんわ!!」

「……閣下の仰る通りだ、ホランド。私も聞いた覚えはない」


 口角泡を飛ばし怒鳴るデータス、その隣のフェルナンドも呆れたような顔で告げる。しばし目を閉じてホランドは考え込み、やがて頭を抱えた。


「……言われてみれば、確かにお伝えしておりませんでした。大変申し訳ありません! 私どもにはあまりにも当然の事実でしたが故……」


 瞬速で土下座をキメるホランド。しかしデータスの怒りは収まらない。


「何が『夫には秘密に』だ、たわけが!! 当の夫を前にしてこの物言い、ただの大間抜けではないか!! どうしてくれる!!」


 下手を打ったことをよほど恥じているらしく、データスは顔を紅潮させて座ったまま地団駄を踏む。そしてぎりぎりと歯ぎしりしたかと思うと、シッシッとホランドを追い払うように手を振った。


「ええい、もう良い! 下がれ、二度と顔を見せるでないわ!!」

「ああ、それでしたら、私めもサティナの本部に移る予定ですので、今回の謁見が最後になりますかと……」

「なにィ!? 行商をやめるのか?!」


 控えめなホランドの申告に、一瞬、虚をつかれたように目を見開いたデータスは再び顔を真っ赤にして、


「馬鹿者!! そんな大事なことをなぜもっと早く言わん、別れの品の一つも用意できんではないか!!」


 よくわからないキレ方をしたデータスが、そのままソファ脇のテーブルから呼び鈴を手に取りチリンチリンと鳴らす。すぐさま隣の部屋から飛んできた召使に何やら耳打ちするデータス。頷いて一礼した召使は、またぞろ疾風のように退室していった。


「全く、ホランド、お前というやつは。そんな気の抜けた性分でよくもまぁ隊商の長が務まるものだな!」

「ははっ、これはお手厳しい……」


 腕組みをしてフンッと鼻を鳴らすデータスに、平伏したままのホランドは苦笑い。


「思えば長い付き合いだったな……ああもうよい、楽にせよ」


 そして一人、しみじみとし始める。二転三転する場の空気に、ケイとアイリーンは顔を見合わせて肩を竦めた。


「そうだ……それに、ケイといったか」


 何ともきまり悪そうに、データスがケイに向き直る。


「その……良い妻を持ったな。羨ましいわ」

「それは……ありがとうございます」


 どう答えればいいんだコレ、と思いながらもケイは頷いた。


「仮に、仮にの話だが……もし妻を一晩貸せと言ったら、どうする?」


 が、話はまだ終わっていない。ソファにゆったりと座り直したデータスが下卑た笑みで尋ねてくる。データスの斜め後ろで、フェルナンドが小さく肩を竦めるのをケイは見逃さなかった。まだ諦めてないのかこのオヤジ、と呆れ半分にちらりとホランドの様子を窺うと、彼も同様にあからさまな呆れを覗かせていたので、これは深刻な事態ではないと判断する。


「もちろん、連れて帰る」


 ぶっきらぼうに、ケイは答えた。


「ほほう。吾輩が城門を閉じよと命じてもか?」


 帰り道を塞ぐというわけだ。しかしケイは動じなかった。


「別に構わない。幸いこの城は、飛び降りる場所には事欠かないからな。……妻と一緒に飛んで帰るさ」


 胸の奥、力の源からフッと何かが抜き取られる感覚。


 ふわりと、窓の隙間から不自然な風が吹き込んだ。不敵に笑うケイの背後、データスは、羽衣を纏った乙女の姿を幻視する――


「……なんと、魔術師か」


 さしもの領主もこれには驚き、目を見開いた。傍らのフェルナンドが反射的に剣の柄に手を置いたが、危険は少ないと判断したのか、ゆっくりと直立の姿勢に戻る。


「おいホランド、聞いとらんぞ」

「私めも驚いております」


 眉を吊り上げるデータス、ホランドも本当にびっくりしたような顔をしている。


 はて、とケイは首を傾げたが、よくよく考えてみれば、ホランドの前でケイが魔術の技能を披露したのはこれが初めてだ。精霊語エスペラントを含む魔術の知識については察していたかもしれないが、風の精霊シーヴと契約していることまでは知らなかったのだろう。


「吾輩は魔術には疎いので何とも言えんが……まさか風の精霊か? その若さで元素の大精霊と契約し、なおかつ崖から飛び降りても平気なほどの術を行使できるとは、俄には信じがたいが……」


 目を細め、顎髭を撫でながら唸るデータスに、ケイは内心ドキッとした。実のところ虚勢を張っているのだ。崖からの紐なしバンジージャンプは、手持ちの宝石と魔除けの護符タリスマンを全て触媒に捧げてもなお、今のケイの魔力で成立するか怪しい大技。やってみろと言われればかなり厳しい。


「……しかし、ふははっ、信じがたいがそれでこその『英雄』か。まさに、お前のような『例外』が、そう呼ばれるのであろうな……」


 が、勝手に納得したデータスは、お手上げのポーズを取って疲れたようにソファに身を預ける。


「……普通ならば、お前のように有望な魔術師は放っておかんのだが。どうだ? 吾輩の下で働いてみぬか?」

「残念だが、遠慮する」

「であろうなぁ」


 ダメ元の勧誘をすげなく断るケイ。データスは失望する風もなく溜息をついた。彼としてはむしろ、ケイが喜び勇んで承諾した場合の方が困るのではなかろうか。


「閣下、正義の魔女も魔術師として勧誘すれば穏便に済んだのでは?」


 と、フェルナンドが横から口を挟む。


「……しまった、その手があったか! 雇ってからお手つきにすれば……!」


 今更のように悔しがり始めるデータス。もはや怒る気力すら湧かないケイは、アイリーンと顔を見合わせて苦笑するほかなかった。



          †††



 その後、申し訳程度に【深部】での出来事を話してから、ケイたちは解放された。


 ホランドは記念と称して高級葡萄酒の小樽を、ケイたちは情報料として金一封をそれぞれ与えられた(大した額ではなかった)。英雄たちのこれからの更なる活躍を祈る、などと、ありがたくも投げやりな言葉とともに送り出される。


「あれはあれで、悪い御方じゃないんだ」


 坂道を下りながら、ホランドが呟くように言った。


「好色であけすけなところがあるのが玉に瑕だが……気位が高い貴族よりも、よほど親しみがあって、付き合いやすい」

「……まあ、わからないでもないぜ」


 頭の後ろで手を組んだアイリーンが、溜息混じりに首肯する。


「ユーリアの街は栄えてるしな。少なくとも領主としては有能なんだろうな、とはオレも思ってたさ」

「街は良くも悪くも、領主の鏡というからね……」

「その結果が交易と色街、か。金が取り柄のスケベオヤジなのは確かだな」


 スズカの手綱を引きながらフンッと鼻を鳴らすケイ。いつになく毒のある口ぶりに、思わず二人が苦笑した。


「……しかし、それにしてもケイが魔術師だとは知らなかったよ……」

「言ってなかったか?」

「聞いてないよ。全く本当にお伽噺の世界さ、"大熊グランドゥルス"を弓矢の一撃で仕留める魔術師だなんて滅茶苦茶だ!」


 途中から、ホランドの言葉は悲鳴のようだった。


「そうは言っても、アイリーンだって白兵戦に強い魔術師だぞ。弓矢が得意な魔術師がいても不思議じゃない」

「いや、君、そういう問題じゃなくてね……」

「それに俺の魔術技能は、アイリーンに比べれば大したことはない」


 実は大見得を切ったんだ、とケイは肩を竦めてみせる。


「……それじゃあ、さっきの飛び降りるってのは……?」

「強がりみたいなもんだ」


 あっけらかんとケイがそう明かすと、ホランドは「オーララー」と高原の民風ア・ラ・フランセに天を仰いだ。


「領主様が変な気を起こさなくてよかったよ……」

「まあ、一応、切り札も用意していたがな。もし本気で手を出してくるようだったら、俺もそれなりに脅すつもりだったさ」

「へえ、どうするつもりだったんだ、ケイ?」


 スズカのたてがみを撫でていたアイリーンが、興味深げに尋ねてくる。


「簡単だ。『突風を起こして、ユーリアの街の道端のゴミを全部湖に放り込んでやる』と言うつもりだった」


 ニヤリと笑って、ケイ。それは現状、ケイの魔力と手持ちの触媒によって行使可能な術の中でも、最も現実味があるものだった。


 そしてユーリアは、はるか昔、シュナペイア湖を汚しすぎたせいで水の大精霊の怒りを買い、街の大部分を沈められた過去を持つ――


 弾かれたように、ホランドが眼下を見やった。


 宿場や色街が密集する、猥雑としたユーリアの街並みを――


「……本当に、領主様が変な気を起こさなくてよかった……」


 思わず、額の冷や汗を拭うホランド。同時に、あの場でケイがそれを口走らなくてよかった、とも思う。データスは貴族としては驚異的なまでに寛容な領主だが、街に危害を加える者には容赦しない。そしてケイに『それ』が可能であると知れば、全力で然るべき処置を講じただろう。


「万が一の奥の手、さ。俺だって、今の発言がどれだけ危険リスキーかはわかってるつもりだ」


 ホランドがあまりにビビっているので、ケイはおどけたように付け足す。限定的とは言え、街を滅ぼす力を持っているのだ。暗殺されるのは御免だった。


 本当に万が一のときは、『一度だけ助けてもらえる指輪』を使ってオズを呼び出すという手もあるわけだが――


 と、そんな話をしながら歩いていると、坂道の下に新たな人影。


 見れば、コーンウェル商会の小間使いと、話題の吟遊詩人ことホアキンが、えっちらほっちらと坂道を上がってくるところだった。


「やあ、皆さんお揃いで」


 こちらに気づいたホアキンが手を振ってくる。


「ホアキンもお呼ばれか?」


 クイッ、と背後の城を親指で示しながらアイリーン。ホアキンが苦笑して頷いた。


「ええ、随分と寝坊してしまったようで……皆さんはもうお帰りなんですね。どうでしたか? ユーリアの領主様との謁見は」

「うーん……」


 ニコニコと朗らかに笑うホアキンを前に、一同は顔を見合わせる。


「……まあ、なんというか、ホアキンは男で良かったな。美女だったらどうなったことかわからないぞ」


 渋い顔でケイがコメントすると、一瞬きょとんとしてから破顔するホアキン。


「ええ、ええ、そうでしょうね。データス様は女好きで有名ですし……ああ、成る程、そういうことですか」


 アイリーンとケイを交互に見やり、何かを察したホアキンが面白可笑しそうに目尻を下げる。


「ぜひ今度、何が起きたのか教えてください。残念ながら今は急いでますので……」

「ああ、早ければ明日にでも教えるぜ」


 手をひらひらとさせるアイリーン。ホアキンは微笑んで一礼してから、急ぎ足で坂道を登っていった。




 その後ホランドとも別れ、ケイたちは宿屋"GoldenGoose"亭に帰還する。思ったより早く帰ってこれたとは言っても、日は既に傾きかけていた。今頃はホアキンが一曲披露しているのだろうか。自分たちの武勇伝を聞かされたとき、あの領主はどんな顔をするかな、と考えると可笑しかった。


「あ~疲れた……」


 部屋に入るなり、アイリーンがベッドにダイブする。手土産の金一封の革袋をサイドテーブルに放り投げ、ケイもアイリーンの隣にどさりと倒れ込んだ。


「全くだ……しかし無事帰ってこれてよかった」


 アイリーンの頬を、そっと指の背で撫でながら、ケイ。


「ホントだぜ。いやもう、子供がうんたらとか言い出したときは……ゾッとした。あ~もう思い出したくもない!」


 頭を抱えてジタバタと悶えるアイリーン。確かにアレはキツかったろうな、とケイも心の底から同情した。


「俺もたまげたよ。一発ぶん殴ってやろうかと思ったくらいだ」

「ハハッ。ケイ、あんときスゲェ顔してたもんな」

「……そうか?」


 ぺたりと自分の頬に手を当てて目を瞬かせるケイに、アイリーンはニヤリと楽しげに口の端を吊り上げる。


「そうとも。隣でホランドの旦那がヒヤヒヤしてたぜ」

「ほう。そいつは悪いことをしたな」


 悪びれる風もなく真面目腐って言うケイに、アイリーンはくすくすと笑った。


「しかしホランドの旦那が、シーヴを知らなかったのは傑作だったな」

「思えば、意識的に見せたことはなかった。知らないのも当然か……」


 ホランドとはそれなりの付き合いになるが、お互いにまだまだ知らない部分も多いということだ。例えば、ホランドの娘エッダは肌の色からして明らかに養女だが、その辺の事情も詳しく聞いたことはない。


「サティナについて落ち着いたら、旦那とも親睦を深めないとなー」

「魔道具の件がある。否が応でもそうなるだろうさ」

「そうだな。…………リリーは元気かな」


 ぽつりと、アイリーンが心配そうに呟いた。


 リリー。サティナで麻薬密売組織に誘拐され、アイリーンに助け出された少女。別れ際まで寂しそうだったのが、強く印象に残っている。信じていた人に裏切られて、心に深い傷を負っていた風もあった。今頃はどうしているのだろう――「きっと元気さ」とは、無責任に口に出すことが、ケイにはできなかった。


「…………」


 無言で、アイリーンが手を伸ばし、おもむろにケイの右腕を抱きかかえた。


 少しだけ目を細めて、アイリーンがこちらを見てくる。


 ケイはその目が好きだ。こちらを探るような目。今、アイリーンは何を考えているのだろうと、ケイはそれを知りたくて堪らなくなる。


 しばし二人で見つめ合ってみた。でも、結局、何もわからない。


 わからなかったので、ケイはアイリーンの額に口付けた。


 口元をほころばせたアイリーンが、ずりずりとベッドの上に這い、少しだけケイよりも高く目線を置いて、張り合うように額にキスしてくる。


 すかさずケイも上へ、アイリーンも負けじとさらに上へ――終いには二人してベッドの枕元に頭をぶつけ、下らないのに可笑しくて笑ってしまう。


 アイリーンがケイにのしかかってきたり、仕返しでケイがアイリーンをひっくり返したり、決して広くはないベッドの上でしばし、小犬のようにじゃれ合った。


 不意に、二人の手が絡まる。指が絡まる。握り締める。


 少しだけ、汗ばんでいるように感じた。鼓動も感じる。にぎにぎと、相手を確かめるように変わる力加減も。その全てが愛おしい。


 動きを止めて、二人に視線がぶつかった。また、お互いを探るような。


「……今、なに考えてるかわかる?」


 身体を投げ出したアイリーンは、どこか挑発的だ。


 ケイは答えない。その代わり、しっかりと口付けた。


 熱を感じる、鼻息がくすぐったい。


 水気のある音を立てて唇が離れると、彼女はいたずらっぽく笑う。



「……正解」



 今度は、わかった。



 それが嬉しくて笑う。



 二人は再び、ひとつになった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る