70. 水流


 翌朝。


 ぷかぷかと羊雲の浮かぶ、気持ちの良い天気だった。


 日の出とともに起き出した二人は、まずは柔軟体操をこなして身支度を整える。


 元々身体が柔らかく身軽アピールをしているアイリーンはともかく、ケイまで180度の大開脚でべったりと地面に張り付いているのは異様な光景だ。付き合いの長い隊商の面々はもう慣れっこだが、ヴァーク村の住民はケイを見るたびにぎょっとしている。


 ちなみに、先日からエッダも真似をして、一緒に体操をするようになった。


 まだ幼い彼女ではあるが、馬車に乗りっぱなしの生活ゆえか身体が固く、ケイたちのようには開脚できない。「ふぎいぃ~……!」と顔を真っ赤にして唸りながら挑戦している。無茶をしすぎないよう、その道のプロフェッショナルであるアイリーンがそれとなく見守っていた。


 体操のあとは、村長屋敷でエリドアから朝食を振る舞われる。堅焼きのパンと、川魚の身が入ったスープだ。


「そういえば昨日、聞きそびれたことがあるんだが……」


 朝食の席で、水を飲みながらエリドアが尋ねてきた。


「なんだ?」

「【深部アビス】のことだ。森の生態系が変わっていくのはわかったが、侵食された地域の川はどうなるんだ?」


 エリドアの問いに、ケイとアイリーンは顔を見合わせた。


「……どうなんだろ。ケイは?」

「わからん……」


 ゲーム内の記憶を辿ってみても、そう言われてみれば、【深部】には大規模な川がなかった。また、元からあった河川が侵食された例もないはず。


(そうだな、【深部】といえば森という先入観があったが、地脈に応じて境界線が変化するなら、海や川も【深部】になり得るわけか……)


 考えたこともなかった、とケイは顎を撫でる。おそらく【DEMONDAL】の場合、ゲームデザイナーがコスト削減のため、海や川ごとの特異な生態系の実装を避けたのだろう。あるいは単に面倒くさかったのか――いずれにせよ、ゲーム内にはそもそも存在すらしなかった。


「川や海の【深部】については聞いたことがないな、オレたちも」


 アイリーンが肩を竦める。


「うぅむ……だが、いくつか推測できることはある。森の変化は『アビスの先駆け』を始めとした特殊な植物を起点にしている。だが今のところ、ここらの【深部】には水生植物は存在しない……はずだ」


 つまり、陸地ほど劇的な変化はないはず、とケイは見解を示す。


「じゃあ、川からある日突然、化け物が出てくるなんてことは……?」

「「それはないと思う」」


 ケイとアイリーンが異口同音に答えると、エリドアはあからさまにホッとした様子を見せた。


「そうか、それは良かった。……村の近くにも川があるんだ。アリア川の分流で、小さくてもそれなりに魚が採れるし、水も飲める。この川が使い物にならなくなったら死活問題だったよ」


 スープの具の魚肉をスプーンで転がしながら、エリドア。ちなみにアリア川とは、村の北部ウルヴァーンの方から流れてくる大河だ。隊商が行き交う街道もアリア川に沿うようにして敷かれている。


「アリア川の分流ということは、【深部】は下流にあたるわけか?」

「そうだな、そうなる」

「そうか。それなら影響は微々たるものだろう。下流の魚が巨大化することくらいはあるかもしれないが……」


 ケイがそう言うと、「魚がでかくなるぶんには、歓迎だな」とエリドアは笑った。話によれば、子供が泳いで遊べる程度の小川らしく、いくら魚が巨大化しても限度があるとのことだった。仮に化け物レベルまで育ったところで、川が浅すぎて遡上してこれないだろう。


 そのまま和やかに談笑しながら朝食を終えたケイたちは、出立の準備をする。


 準備と言っても、荷物はほとんどホランドの荷馬車に載せてもらっているので、サスケやスズカの身繕いをしたり、装備を整えたり等々、楽なものだ。特に荷物から解放されて身軽になったサスケは嬉しそうにしている。


「最近はサスケとスズカも仲が良いな~」

「そうだなぁ」


 並んでまぐさや野菜を食べるサスケとスズカ。かれこれ三ヶ月以上一緒に過ごしているわけだが、ケイとアイリーンのように仲が良い。


「サティナに定住するなら、サスケたちが一緒に暮らせるような家が必要だな」

「ああ。でも探すのに苦労しそうだぜ」


 サスケたちにブラッシングしてあげながら、ケイとアイリーンは難しい顔をする。


 人口密集地帯のサティナでは、普通の空き家でさえなかなか見つからないだろう。馬小屋付きとなるとどれほどの難易度になるか――最悪の場合、城壁の外に衛星のように点在する町や村に住むことになるかもしれない。


 しかし、閉鎖的な村社会に異邦人の二人が飛び込むのは、それなりの勇気を要する。その点、サティナは都会で、知り合い――コーンウェル商会の関係者や職人のモンタン一家など――も多いので、気が楽なのだが。


(お前を手放すという選択肢はないしな)


 サスケのたてがみを撫でて上げながら、ケイは思う。苦楽を共にした仲、ということもあるが、魔の森の賢者ことオズの話によると、サスケは不老の存在らしい。できれば一緒に末永く過ごしたいものだ。


「ま、その辺はサティナについてから考えようぜ」


 アイリーンが楽観的な風を装ってそう言った。そうだな、とケイも頷く。一応ホランドにも相談はしているのだが、彼の立場でははっきりしたことは言えないらしく、サティナに着いたら商会の御曹司ユーリ少年に相談してみたらどうか、とそれとなくアドバイスを貰っている。サティナの誘拐事件を解決した関係で、有力者と顔つなぎができていたのは僥倖だった。アイリーンに感謝するしかない。


 商会のツテがあれば、空き家と言わずとも貸家くらいは見つかるかもしれない。あるいはサスケとスズカを商会で預かってもらって、しばらく適当な貸家で過ごし、金を稼いでから改めて家を探すと言う手も――などと考えていたケイだが、キリがないので思考を打ち切った。


 アイリーンの言う通り、サティナに着いてからでいい。どのみち詳しいリサーチが必要なのだ――今は旅を楽しもう。


 そうこうしているうちに出立の時間となった。隊商の馬車がぞろぞろと動き始める。


「困ったことがあったら、手紙を送ってくれ。基本的に、俺たちはサティナに滞在しているはずだから」

「わかった。そのときはお願いするよ……そんな機会なんて、ないことを祈るが」


 相変わらず、眉をハの字にして困ったような顔をするエリドア。彼と固く握手を交わしてから、ケイたちも馬上の人となった。村人総出で、(主に戦力的な意味で)惜しまれながらの出発だ。


「しかし、ケイたちと一緒にいると退屈しないね」


 御者台、手綱を握るホランドがしみじみと言う。


「私もかれこれ数十年、行商を続けてるけど、"大熊グランドゥルス"なんてお伽噺でしか聞いたことがなかったし、ましてや【深部】なんて……」

「ね。お兄ちゃんたちの周りだけお伽噺みたい」


 ホランドの隣に腰掛けたエッダが、うんうんと頷いている。


「……俺たちのせいじゃないぞ」


 まるで自分たちが騒動を巻き起こしているような言い方だったので、心外だという顔をするケイ。


「ええ、ええ、本当に。まさに歩く伝承ですね」


 が、それをよそに荷台からひょっこりと顔を出したホアキンが、琴を抱えたまま恍惚とした表情を見せる。


「ぼく自身、【深部】の入口まで踏み込むことができましたし、チェカー・チェカーなんて化け物にも襲われて、無事生還するという貴重な体験ができました。稀代の英雄の二人の戦う姿を直に目にできましたし、もう、吟遊詩人冥利に尽きますよ……!」


 白い歯を見せてニッコリと笑ったホアキンは、「次の町でも期待してますよ!」などと抜かした。


「行く先々でトラブルに巻き込まれてたまるかよ!」


 アイリーンが冗談半分に怒ってみせる。ホアキンは素知らぬ顔、エッダとホランドもけらけらと笑っている。ケイも苦笑するしかなかった。



 隊商は進む。



 ヴァーク村に【深部】が迫っていたこともあり、護衛戦士たちと連携して警戒していたが、森から怪物が飛び出てくるなどということもなく、平和な旅路が続く。


 南下するにつれ、少しずつ鬱蒼とした森の緑が引いていった。代わりに広がるのは見晴らしの良い、青々とした平原だ。地形から起伏が消え、馬車の足も速くなる。


 畑仕事に精を出す、村とも呼べないような小さな集落や、思い出したようにぽつぽつと点在する木立が、後方へゆっくり流れていく。


 ケイたちも一度は通った道だ。


 そう言えばこの辺りはこんな風だったな、と感慨深く思い出す。


 そして数時間後、昼前に隊商は湖畔の街ユーリアに到着しつつあった。


 城壁のない、交易の中継地点として栄える街、ユーリア。隣接するシュナペイア湖の真ん中には小さな島があり、水の大精霊を祀る神殿が建てられていることから、精霊の信仰者が巡礼の旅に訪れる。


「相変わらず、綺麗な湖だな」


 視界に遠く、青く揺れる湖面を眺めながら、ケイは感嘆の声を漏らす。大規模な街と隣接しているとは思えないような、澄んだ湖だ。


 上流に大都市を擁する、モルラ川やアリア川といった大河とも運河で接続されているのに、ゴミの一つも見当たらないのは驚嘆に値する。


「汚したら、水の大精霊がブチ切れるんだっけ」

「そうですね。二百年ほど前に、汚されていく湖に精霊が怒り狂い、ユーリアの元になった街が半分は沈んだと伝えられています」


 アイリーンの呟きに、ホアキンがしたり顔で答えた。


「それ以来、ユーリアの住民も、川の上流に住む人々も、川を汚さないよう細心の注意を払っているんですよ。水の大精霊様は基本的に湖に眠ると言われていますが、怒れば川を遡ってでもやってくるでしょうからね」


 ウルヴァーンやサティナといった大都市で、神経質なまでに下水道が整備され、浄水施設まで存在する理由がこれだ。結果として、現代人でも耐えられるレベルの生活環境が維持されているので、ケイとアイリーンからすれば水の大精霊さまさまだった。


「……そういえば、それで思い出したが、前にウルヴァーンに滞在していたとき、慰霊祭と称してアリア川に灯篭ランタン流しをやってたな。下流の湖でランタンがゴミになったら水の精霊が怒るんじゃないか、と心配したんだが、みな『ユーリアの住民が死ぬ気で回収するから問題ない』と笑ってたよ」


 まるでいやがらせじゃないか、とケイは苦笑して付け加えた。


「まさしく、いやがらせですよ」


 が、ホアキンが真顔で答える。珍しく、どことなく冷たい声に、ケイも冷水を浴びせられたように真顔になった。


「……と言うと?」

「その慰霊祭は、十年前の戦役――草原の民の反乱で亡くなった人々を弔うためのものです。実は当時、ユーリアの領主は、ウルヴァーンへの援軍を拒否したんですよ」


 街道の先、ユーリアの街並みを眺めながら、ホアキンは続ける。


「結果として、ウルヴァーンは大きな被害を出しながらも、自力で反乱を鎮圧したわけですが、ユーリアの領主は防衛に徹して最後まで動きませんでした。ユーリアには城壁がないため、草原の民の襲撃に備えた、というのが表向きの理由ですが――」


 一度言葉を切り、ホアキンは囁くようにして、


「――実際は何らかの裏取引があり、反乱軍を見逃す代わりに、ユーリアには手を出させないよう約定を結んだ、とまことしやかに語られています」


 事実、ユーリアには小規模な襲撃しかなく、ほとんど被害が出ていないのだという。


「…………」


 ケイとアイリーンは沈黙した。思い出すのは、慰霊祭で目にした光景だ。


 老いも若いも、大勢の人々が、戦没者を弔うために灯籠ランタンを川に流していた。暗い水面に浮かぶ光は、まさしく膨大な数だった。その光が――戦役で犠牲になった人の数だけ――毎年毎年、川を下ってユーリアに押し寄せるのだ。


 これだけの人が死んだのだ、と。


 そう言わんばかりに。


「成る程、な……」


 ケイは呻いた。あのときはただ『美しい』とだけ思った光景。そこに秘められた意味を知って、ぞくりと背筋が寒くなる思いだった。アイリーンも同感らしく、引きつったような笑みを浮かべている。


「とはいえ、あのランタン流しは純粋に戦没者を弔うために始まったものですし、多くの人は『それで迷惑がかかっても構わないだろう』と思っているだけですよ」


 ホアキンはそう言って、小さく肩を竦めた。


 と、そんな話をするうちに、とうとうユーリアに到着する。


 ホランド曰く、前回と同様、隊商はユーリアに丸一日滞在するとのことだ。出発は明日の昼頃になるらしい。


「さて、俺たちはどうしたものかな」

「どうしよっかね」


 サスケたちの手綱を引いて歩きながら、ケイたちは大通りを歩く。


 ホアキンの話を聞いて強張っていた心も、陽気に騒ぐ船乗りたちや大道芸人、商談を進める商人を眺めるうちに、ほぐれてくるようだった。まだ明るいのに街角で客を引く娼婦、せわしなく行き交う商人の小間使い、巡礼者と思しき旅装の一団。


 まさに『雑踏』と呼ぶにふさわしい光景だ。


 そして前回の滞在時に泊まった宿屋"GoldenGoose"亭の看板を目にしたケイたちは、吸い込まれるようにしてそちらへと歩いていった。


 そこそこ高いが、馬小屋があり、清潔で風呂もある宿屋だ。サスケとスズカを預け、部屋を取る。


「うーん、どうする? とりあえずメシか?」

「そうだな、あと風呂にも入りたいな~」


 食堂の椅子に座って「う~ん」と伸びをするアイリーン。ケイも空腹だったので昼食を注文しつつ、風呂を沸かしてもらうように頼む。風呂の準備には時間がかかるので、これでちょうど良い。


 "GoldenGoose"亭の名物料理らしい湖の魚のムニエルに、じっくりと煮込まれた濃い味のポトフ、ソーセージの盛り合わせ、柔らかい白パンなどをモリモリと食べる。美味しいものを食べると口数が減ってしまうのはケイもアイリーンも一緒だ。


 食後、満腹になってジュースのような葡萄酒をちびちびやっていると、風呂の用意ができたとのことでいそいそと入りにいく。


 ケチらずにお湯を二人分頼んだので、同じ風呂に交代で入る必要はない。風呂は宿に隣接した小屋にあり、小さなスペースに個人用の浴槽をはめ込んだようなもので、それぞれ小さなドアと壁で仕切られている。ケイもアイリーンも別々の風呂に浸かり、旅の垢を落としてさっぱりとした気分だ。


「いや~スッキリした」

「メシも美味い、酒も美味い、風呂も気持ちいいし何より清潔だ。文句ないな!」


 ほくほくした顔で部屋に戻る二人。お値段が高めの宿屋なので治安が良く、リラックスできるのがいいところだ。中庭に面した窓は開けっ放しで、厚手のカーテンが風に揺れている。


「さて、このあとはどうしようか。明日の昼までゆっくりできるが」


 窓の枠に寄りかかって、空を見上げながらケイ。


「天気もいいことだし、何なら湖にでも――」


 しかし、振り返りながらの言葉は途切れる。


 アイリーンの唇に、口を塞がれていた。


 さわさわと、涼やかな風。


「……で? どうするって?」


 しばらくして顔を離し、いたずらっぽい笑みを浮かべるアイリーン。


「さて、何だったかな」


 ひどい物忘れに陥ったケイは、ニヤリと笑い、少し乱暴にアイリーンをベッドに押し倒す。わざとらしく悲鳴を上げて倒れ込むアイリーンに、ケイはじわじわと迫る。


 しばし、至近距離から見つめ合った二人は、くすくすと笑ってそのまま口付けた。


 それからはどったんばったんの大騒ぎだった。


 途中で、独り身と思しき隣の客が荒っぽく部屋から出ていき、逆に反対側の部屋はカップルだったのか、そちらでもおっ始めたが、ケイもアイリーンも気にしない。もはや誰にもはばかることはない。


 そんなこんなで、お互い思う存分に楽しんでいたのだが、数戦を終えて小休止していたところで邪魔者が現れた。



 コン、コンと。



 何者かが部屋のドアをノックしている。


 並んでベッドに寝転んで戯れていた二人は、弾かれたようにドアを見やった。


 何かの間違いかと思ったが、再びドアが叩かれている。『あの……ケイさん、居ませんか?』とドア越しに少年の声。


『すいません、コーンウェル商会の使いなんですが……ケイさん、居ませんか~?』


 顔を見合わせるケイとアイリーン。


「なんだろう」

「わからん」


 上体を起こし胸元までシーツを引き上げるアイリーン。ベッドから起き上がったケイは、急いで下着とズボンを身につける。


「どうした?」


 念のため、ドアを足で押さえながら少しだけ隙間を開けるケイ。これで何者かがドアに体当りしてきても、一気に開け放たれることはない。


 しかし警戒するまでもなく、部屋の外にいたのは小柄な少年一人だけだった。顔に見覚えがある。確か隊商の誰かの見習いだったはずだ。


「何かあったのか?」


 危険はなし、と判断してドアを開け放つケイ。上半身裸の筋骨隆々の青年が視界に大写しになって、少年は少し気圧されたようだったが、背後に見えるアイリーンの姿――艶かしい裸の肩が見えている――から状況を察したらしく、気まずげに赤面する。


「えっと、その、申し訳ありません。お楽しみのところを……」

「いや、それはいいんだが……」


 ケイたちは、隊商の面々にどの宿を取るつもりかは伝えていなかった。コーンウェル商会はわざわざケイたちを探し出してまで使いを寄越したことになる。


「ええと、実は、領主様がお二人をお呼びです」


 少年の言葉を理解するのに、しばしの時間を要した。


「は? 領主? ……ユーリアの領主か?」

「そうです。実は、商会でお二人の【深部】の素材が話題になりまして、事が事だけに領主様にも【深部】の報告をしたのです。すると大いに興味を示された領主様が、ぜひ現地に赴かれたお二人の話を聞きたいとのことで……」


 つらつらと事情を説明する少年。ケイは豆鉄砲を食らった鳩のような顔でアイリーンを振り返ったが、アイリーンも同じような顔をしていた。


「今すぐの話か?」

「今すぐの話です」

「……急いだ方が?」

「……その、できれば。領主様がお待ちですので……今はホランドさんが対応しているはずですが……」


 ケイたちを探すのにかなり時間がかかった、と小間使いの少年は付け足す。今更つべこべ言ってもどうしようもない話だった。


「わかった。支度しよう。領主様はどこに?」

「岩山のお城です。馬で参上されても構わないとのことでした」


 シュナペイア湖のほとりの大きな岩山を思い出し、「あそこか……」とケイは呟く。


 領主の城は岩山の頂上に位置し、かなり堅固な造りになっている。城まではきちんとした石畳の道が敷かれ、傾斜もなだらかに整えられているが、人の足で登ろうとすればそれなりに時間がかかる。馬で参上のくだりはそういうことだ。


「わかった、すぐに馬で向かおう」

「ありがとうございます。では自分は商会にそう伝えて参ります」


 ほっと肩の荷が下りたような顔で、少年は飛ぶようにして去っていった。


「えらいことになったな、アイリーン」

「だな。こっちの領主はどんなヤツなんだろう。畜生、リサーチ不足だぜ」


 急いで服を着ながら二人はため息をつく。先ほどのホアキンの話が真実ならば、領主一族はかなり狡猾な気質ということになるが――


 部屋の鍵を閉め、身支度を整えたケイたちは急いで階下へと降りる。そのまま馬小屋へと突入。


「サスケ、悪いがお前の出番――」


 ばんっ、と馬小屋の扉を開けたケイは、しかし硬直する。突然立ち止まったケイの背中に、「へぶっ」とアイリーンがぶつかった。


「ちょっと、ケイなにいきなり止まってんだよ」


 アイリーンが文句を言うがケイは動かない。訝しんで馬小屋を覗き込んだアイリーンは――しかし、同様に固まった。


 馬小屋の中では、サスケが、後ろからスズカに覆いかぶさっていた。


 二頭とも、「あっ」という顔をしてこちらを見ている。しばし、奇妙な沈黙がその場を支配した。


「…………」


 何も言わずに扉を閉めたケイは、困惑の表情でアイリーンを見やった。


「いや、無理だろあいつ……」


 そもそもサスケは馬ではなく、馬に擬態した『バウザーホース』というモンスター。普通の馬であるスズカと交わったところで、繁殖が可能とは思えないのだが――


 呆然と立ち尽くしていたケイたちだったが、気を取り直し、再び扉を開ける。


 すると藁のベッドに上にはサスケが寝転んでおり、その隣には、何事もなかったような顔のスズカが尻尾を振りながら立っていた。


「おーい。おーい、サスケ?」


 しかしケイが近寄ってもペシペシと顔を叩いても、サスケは目を閉じたまま、うんともすんとも言わずに寝転がり続けている。


 そのままテコでも動かない構えだったので、ケイとアイリーンは珍しく、スズカに二人乗りして城へ向かう羽目になった。






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