69. 家族


「親父……!?」


 エリドアの告白に、二人とも顔を見合わせた。


「まさか、エリドアは貴族だったのか……」

「エリドア様、ってお呼びするべきだったかな?」


 心底たまげた様子のケイ、悪戯っぽい笑みで問いかけるアイリーン。エリドアは再び苦笑して、「いやいや」と首を振った。


「よしてくれ。親父は貴族だが、おれは平民だよ」


 聞けば、エリドアの父親はかつての戦役で武功を上げ、騎士に叙せられた一代限りの貴族なのだという。


 エリドアはその三男坊。騎士に取り立てられるほどの英傑の子と言えど、残念ながら武の才能がなかったため、村長になる前は商家で事務仕事などをしていたそうだ。


 ちなみに長男と次男は軍人――だった。一代限りの貴族は、その子息も功績を上げれば、親と同格に叙せられることもある。しかし幸か不幸か、クラウゼ公の平和な治世が続いており、戦乱の影もなく、軍隊での『出世』は見込めそうにない。


 軍に見切りをつけた兄たちは、今はエリドアと共に開拓事業に携わっている、というわけだ。


「……上の兄貴は、親父に元々領地として与えられていた『ラティカ村』で徴税官をやってる。ウチの村に来る前に、街道沿いの小さな村に寄っただろう? あの村だ。下の兄貴は、ここから少し離れて北の方……ウルヴァーンにもっと近い森のほとりで、別の開拓村の村長をやってるよ」


 この開拓事情は、騎士の父親が「子供らに何かを遺せるように」と長い時間をかけて計画し、資金を集めていたものらしい。晴れて公王からの許可が出たため、数年前から本格的に始動したそうだ。


「なので、村のことはおれたちに任せて、親父にはウルヴァーンの屋敷でゆっくりしてもらってるのさ。公都の生活は金がかかるが、田舎暮らしは身体に堪えるし、親父には長生きしてもらわなきゃ困るからな……」


 そう言うエリドアは、眼尻を下げて優しげな顔をしていた。


 ちなみに、父が亡くなったあと、領地は公王の直轄領として取り込まれるとのこと。別の貴族に即下賜されるわけではなく、エリドアたちが基盤を固める時間があるため、待遇としてはそれほど悪くないようだ。


「……尤も、それも村が存続できれば、の話だが……」


 表情をかげらせ、エリドアは重々しく言葉を締めくくった。


「成る程な……」


 腕組みをして頷くケイは、正直「悪い領主とか疑ってすまんかった」という気持ちでいっぱいだった。


「それは、村が続いていかないと困るな。親父さんのためにも」

「全くだ。しかし今回ばかりは判断を仰ぐしかない。おれの手には余る」


 同情心に満ち溢れるアイリーン、エリドアはお手上げのポーズを取ってみせる。


「二人としては、どう思う? やはりこのまま村を続けていくのは無謀だろうか?」


 再び顔を見合わせた二人は、


「場合による」


 と、異口同音に答えた。


「……と言うと?」

「まず、【深部アビス】の境界線が今後どの程度の速さで動いていくか、それが一番重要だ。仮に今もなお、爆発的な速度で侵蝕が進んでいるようなら、悪いことは言わないからさっさと逃げた方がいい」


 ケイは真面目な顔でそう告げた。


【深部】の領域に呑み込まれれば、異常な速度で雑草が育ち始め、作物がそれに負けてしまう。『アビスの先駆け』が咲き乱れれば臨時収入にはなるかもしれないが、畑が使い物にならなくなるのは農村としては致命的だ。それに加えて森からは危険な毒虫や獣が現れ、日常生活を送るのは困難を極める。


 ホアキンの言っていた『古の海原の民の王国』も、おそらくそうやって滅んだのだ。


「ただ、それを観測するにも時間がかかるだろう。爆発的な侵蝕、と言っても今日明日に【深部】がやってくるわけじゃない、少なくとも数年単位の話にはなるだろうから、安心して欲しい」

「全く安心できないんだが……」


 生真面目ゆえに真実味がひしひしと伝わってくるケイの言葉に、眉をハの字にして情けない顔をするエリドア。


「まあまあ、そうは言っても侵蝕はもう止まってて、境界線はあそこから動かないかもしれないぜ。諦めるにはまだ早い」


 アイリーンが気休めのように言うが、実際その可能性がないわけでもない。エリドアもいくらか希望を取り戻したようだ。


「そうだといいんだが……その場合は、現状維持でも大丈夫だろうか」

「いや……危険かどうかと問われれば、間違いなく危険だ。【深部】が近いということもあるが、何より【深部】に繋がる森と隣接しているのがマズい」


 顎を撫でながら、ケイは指摘する。


「仮にここで暮らし続けるなら、それなりの対策が必要になるな」

「……対策、できるのか? 例えば?」

「森を切り拓く。【深部アビス】の獣は、基本的に開けた場所に出たがらないから、【深部】に侵蝕される前に村の周りを更地にしてしまえばいい。そうすれば前回の"大熊グランドゥルス"のときのように、手負いの獣が村の方へ逃れてくる……といった事態は避けられるはずだ」


 ケイの『対策』は身も蓋もない力業だった。まさかの環境破壊推奨。


「それは厳しい……というか、無理だな。うちの村だけでは……」


 流石のエリドアも、あまりの力業っぷりに閉口する。この村を切り拓くだけでも、どれだけの手間と時間がかかったことか。土木作業機械もなしに、人力で森を更地に変えてしまうなど無茶にもほどがある。


 無論、ケイとてそれは承知の上だ。


「だろうな……。しかし、できる限りのことはやっておいた方がいいと思う。人を雇うなり、そうでなくても一本でも多く木を切り倒すなり……」

「それに、ウルヴァーンの公王も他人事じゃないんだから、伝え聞けば何かしらの対策を取ろうとはするだろ」


 左手で肘をついたアイリーンが、右手の指でコツコツとテーブルを叩く。


「公都まではそれなりに距離があると言っても、領土が【深部】に沈んじゃうかもしれないわけだし、人任せにはできないさ。絶対に調査団なり"告死鳥プラーグ"の魔術師なりを送ってくる。少なくとも数年は、この村が調査団の拠点になるはずだ」


 また、その流れで【深部】探索に一攫千金を狙う荒くれ者や冒険家たちも集まる可能性がある。村の安全を第一に考えるなら森の方へと村を拡張していき、そういった流れ者の受け入れ施設――宿屋や食堂、酒場など――を造ればいざというときは壁になる、などとアイリーンは割とえげつない考えを披露した。


「あとは、……親父さんが騎士で、兄弟も軍人だったんなら、その伝手でどうにか軍にも働きかけられないかな? 駐屯地を作ったりとかさ」

「それは……無理だな」


 アイリーンの提案に、エリドアが首を振る。


「陛下へ報告する他、自分たちでできるのは、せいぜい軍に所属している親父の従士団を呼び戻すことくらいだ。兄貴たちのコネは残念ながら大したものじゃない。そして、親父は成り上がり者だから別の貴族から助力を得るのは難しいし、そもそもここは親父の領地だ……陛下の特別のはからいでもない限り、自分たちで何とかするしかない」


 はぁ、とため息をついたエリドアは、ホランドに向き直った。


「できれば、コーンウェル商会の皆様方には、今回の商品を宣伝して欲しい。ヴァーク村の近くで【深部】の貴重な素材が採れた、と……」

「もちろん、その程度のことで良ければ協力させてもらおう」


 神妙な顔でホランドが答え、他の商人たちとも頷き合う。


「仮に、【深部】の素材が安定して入ってくるようなら、行商の頻度も高くなるかもしれない。もちろん今後の動向次第だが、一応、商会本部にも話だけはしておくよ」

「……ありがたい。ホアキンにも、今回の一件を歌ってもらえるように頼もう……」


 無精髭を撫でながら、エリドアは考え込んでいる。ホアキンも、今回の探索の利益を山分けしてもらえるので、嫌とは言わないだろう。


 しばらくテーブルに視線を落としていたエリドアだが、ふと顔を上げ、力なくケイに笑いかけた。


「ケイがウチの村にいてくれれば安心なんだが……」

「……悪いが、俺たちはサティナに戻ろうと思ってるんだ」


 ケイは困ったような顔で答える。ヴァーク村の現況には同情するが、だからと言って住み着こうとまでは思わない。ケイにもアイリーンにもやりたいことはあるのだ。苦笑したエリドアは、「はは、冗談さ」と言って手を振った。


 若干の後ろめたさ。


「……なあホランド、今日はもうヴァーク村に留まるんだよな?」

「ん? ああ、ユーリアに出発するにはもう時間が遅いからね」


 ケイに問われ、ホランドは窓から差し込む日を見やる。まだ夏なので日が高いが、そろそろ夕方だ。


「そうか。このまま何もせずに立ち去るのも申し訳ないからな……エリドア、もし良かったら斧を貸してくれないか」

「は? 斧?」


 目を瞬かせるエリドア。「ああ」と頷いたケイは、腕まくりをしながら席を立つ。


「せっかくの馬鹿力だからな。一本でも多く木を切り倒せと言ったのは俺なんだ、少しばかり手伝わせてもらおう」



 かくして、斧を貸してもらい、ケイは村外れへとやってきた。



 エリドアや話を聞きつけた村の男衆、その他野次馬も一緒だ。


 ケイに貸し与えられたのは、柄の長さが五十センチほどの両手用の伐採斧だ。他の男衆が持っている手斧と見比べるに、おそらく村にあるものの中で一番質が良い。


「ケイは、斧の扱いは?」


 さり気なく、エリドアが尋ねてくる。どちらかと言うと斧をダメにされるのではないかと心配しているらしい。先ほどケイが「馬鹿力」と言ったのを気にしているようだ。


「なあに、心配するな。こう見えて一時期は木こりで食ってたこともあるんだ」


 ケイの答えに、エリドアも周囲の野次馬も、「!?」と信じられないと言わんばかりの顔をしたが、事実だ。尤もゲーム内での話だが。


【DEMONDAL】ではとにかく何をするにも金がかかるので、金策用のサブキャラを作るのが鉄板だった。ケイは手っ取り早く斧一本でできる木こりを。アイリーンは、最初から素早さ全振りで森の奥深くに潜り込んでは希少な素材を取ってダッシュで帰る探索者をそれぞれやっていた。


「それじゃ、始めるか」


 斧の調子を確かめながら、森の入口の若木に歩み寄るケイ。


 樹木の鑑定に自信はないが、樫の木の一種だろう。幹の太さは直径二十センチほど、手始めにはちょうどいい。


「よっ、と」


 あまり力を込めず、遠心力を意識しながら幹に刃を振り下ろす。コォンッと乾いた音が森中に響き渡った。ケイの主観では『軽い』一撃だったが、一般的な成人男性のフルスイングほどの威力はある。


 幹に対して斜めに食い込む斧、すかさず刃を抜き、今度は下から振り上げるようにして叩き込む。


 最初の切り口から十センチほど下にめり込む刃。外したのではなく意図的なものだ。斜めになった切り口が直線で結べば直角になるよう、意識しながら伐採を進める。


 コンッ、コンッ、コンッ、と連続する小気味良い音、二度三度とそれを繰り返すと、パキンッと上下の切り口に挟まれた部分が剥がれ落ちた。


 幹の内側が深く露出する――その調子でさらにコツコツと、『掘る』ように刃で叩いていく。みるみる間に形成されていく『く』の字の切り口。


 最後に、その反対側を軽く抉っていけば終わりだ。


「こんなもんか」


 メリメリと音を立てながら倒れていく若木。かかった時間は一分ほどか。


「腕はなまってないようだな、ケイ」

「そりゃあな」


 何やら偉そうに仁王立ちしているアイリーンに、ケイは苦笑してみせる。ケイの現状の身体能力さえあれば、それほど難しいことではない。そしてこの斧はなかなかの逸品と見え、重心のバランスが良く扱いやすい。これならかなり効率よく伐採できそうだ。


「はええ……あっという間だ」

「本当に木こりやってたのか……」

「あんなに軽々と……あの斧けっこう重いんだけどな」


 満足げに頷くケイをよそに、外野はざわついている。


「ようし、この調子で行くぞ」


 爽やかな笑みを浮かべたケイは、狩人の目で次なる『獲物』を探す。ヴァーク村の夏の伐採祭りは、まだまだ始まったばかりだ。



          †††



 その後、ケイは村の男衆と共に、夕暮れまでノンストップで伐採を続け、周囲の森を十メートル近く後退させることに成功した。


 若木から大樹まで、ケイ単独で切り倒した木は優に五十を超える。切り株を放置して伐採に専念していたとはいえ、驚異的な記録だ。


 周囲の男たちが疲れて休憩する間も、実に楽しそうに斧を振るっていたケイは、"疲れ知らずタイアレス"、"公国一の木こり"の名をほしいままにした。


 ちなみにアイリーンは一同に飲み物を配ったあと、村に戻っていった。女衆と一緒に夕食の支度をしたそうで、夜は野外でのバーベキュー方式の豪勢なものとなった。


 ケイが切り倒した木々のお陰で、薪木が大量に確保できたとのこともあり、キャンプファイヤーのような篝火まで焚かれている。ホアキンが陽気な曲を弾き語り、村人たちは飲み食いしながら騒ぎ、まるで本当の祭りのように皆が浮かれていた。将来への不安を忘れようとするかのように――


 やがて、篝火も燃え尽き、夜の帳が下りてくる。


 エリドアの家に招かれたケイたちは、ありがたく客室で寝台に身を横たえていた。


 木の枠に布を吊り下げた、ハンモックのような形の寝台だ。この季節には涼しくて寝心地が良い。エリドアいわく、冬になれば下に毛皮なり藁なり詰め物をするとのこと。


「いやー食った食った」


 寝転がり、お腹を撫でながらアイリーンはご満悦。夕食では、大鍋で振る舞われた夏野菜と野うさぎのシチューがいたく気に入ったらしく、モリモリ食べていた。村の薬草園で育てられた香草がふんだんに使われていて、あれは美味かったとケイも頷く。


 しばし、心地の良い沈黙。


「……そういえば、アイリーン。俺、そろそろ魔力の鍛錬を始めようと思うんだ」


 アイリーンの隣に寝転がったまま、天井を見上げてケイは言う。


「お、遂にか」

「うむ。矢避けとか突風の魔道具を自作できるレベルにはしたい」

「オレも欲しい」

「もちろんアイリーンの分も作る」


 むしろアイリーンのために作る、とケイは胸の内で呟いた。


「そんなわけで一つ頼みがあるんだが……」

「高く付くぜ」

「分割払いでいいか?」

「よかろうとも。それで?」

「ケルスティンの権能で、影を操る魔道具を作って欲しい」


 消費魔力が極端に少ない、長く使えるタイプの魔道具をリクエストする。


「あー、そっか。それは確かに使えるな……めっちゃ売れそう、って思ったけど、これ多分バレたらヤバイやつだよな」

「だろうな」


 修行で命を落とす魔術師もいる、と"告死鳥"の魔術師ヴァシリーが言っていた。初心者でも命の危険なしに手軽に魔力を鍛えられる魔道具は、確実に需要があるが、だからこそ拙い。確実にお偉いさんに目をつけられる。


「特に、あのウルヴァーンのハゲジジイな……」


 銀髪キノコ、あるいはサラサラ茶髪ロングのカツラ老人を思い出し、アイリーンが顔をしかめる。ヴァルグレン=クレムラート――「公都の魔術学院に口利きしてもいい」と親切そうに彼は言っていたが、そんなことができる彼自身は何者なのか。高位の貴族かつ魔術師であることは間違いない。


 そして公国は魔術師の戦術的な運用を強みとする国家だ。魔力鍛錬の魔道具が表沙汰になれば、もはや手段を選ばないかもしれない。


 これは極秘にしよう、と二人は頷き合った。


「まあ、その程度のことならお安い御用さ。今後のケイの活躍に期待、だな」

「任せてくれ」


 実用的な護符の類だけではなく、扇風機やドライヤーなど作ってみたいものはいくつもあるのだ。狩人一本でも食ってはいけるが、できればリッチに暮らしたい。


「……それにしても、この村はどうなるかな」


 暮らす、という言葉から連想して、独り言のようにケイ。ごろりと寝返りを打ったアイリーンが、ケイの胸板を撫でながら「うーん」と唸る。


「……正直さ、オレ、今回の一件って、皆が思ってるよりヤバいんじゃないかと思うんだよな」


 誰かに聞かれるのを恐れるように、囁くようにしてアイリーン。


「……と言うと?」

「確かこの国ってさ、今はウルヴァーンのクラウゼ公が盟主をやってるけど、厳密に誰が王なのかは決まってるわけじゃないんだよな」


 アクランド連合公国。その歴史を紐解けば、元々は港湾都市キテネが国の始まりであり、現公王クラウゼは古キテネの領主の直系の子孫にあたる。都市の規模と強大な軍事力、そしてその血統こそがクラウゼ公の王威の根拠だ。


「クラウゼ公って、けっこう歳いってるじゃん」

「そうだったな、確か」


 ウルヴァーンの武道大会をケイは思い出す。公王本人はかなりの老齢で、ケイは公王の孫にして次期後継者と目される、ディートリヒ公子によって直々に表彰されたのだ。


「考えてもみろよ、あの公王とかいつポックリ逝ってもおかしくないだろ? となれば公国の盟主が代替わりするわけだけどさ、それで盟主の土地が【深部】に侵食されそうになってる、って他の都市の領主が聞いたらどうなると思う?」

「…………」


 アイリーンの不穏な囁きに、ケイは沈黙した。


「……それ、やばくないか?」

「絶対ヤバイ」


 ケイが他都市の領主なら、確実に不安視する。不安視だけで済めばいいが、仮にキテネの領主が盟主交代などを主張しようものなら――。


 そしてウルヴァーンの立場から考えてみれば、そのようなことは許容できないはず。


「……拙いな、この村ごと揉み消されるんじゃないか俺たち」


 思わず寝台から起き上がってケイ。


「オレもそれは考えた。だから、揉み消されないようにするべきだなって思ってさ」


 アイリーンは寝転がったまま、にやりと笑う。


「そこでホアキンの旦那だよ。取り返しがつかないレベルで話を広げてもらおうぜ」

「……成る程」


 このまま、ウルヴァーンに報告するだけだと、村ごと『口封じ』される可能性もあった。しかしホアキンが各都市で話を広めてしまえば、もはや強硬策は取れなくなる。


「ウルヴァーンとしては、『【深部】の侵蝕は止まった』と主張せざるを得ないだろ。事実がどうであれ、な……その証拠としてこの村も存続する必要がある。そういう意味じゃ、ヴァーク村は少なくとも半世紀くらいは安泰だと思うぜ」

「ううむ……」


 ケイは唸って再び寝転がったが、どうにも落ち着かなかった。


「思ったより大事になってしまったな……」

「だな……」

「エリドアは大丈夫なんだろうか」


 胃痛で死んでしまったりしないだろうか、とケイはふと心配になる。


「多分だけど、エリドアの旦那も大なり小なり似たようなことは考えてるんじゃないかな。親父さんは一代限りでも一応貴族なんだし、その辺うまく立ち回るだろ、多分」

「だといいが……」


 何をどう言おうと、【深部】がすぐそばまで迫っているという事実は変わらない。


 この村にとって良い方向にことが運べばいいが、とケイは祈った。


 しかしそれはさておき、


「こう言っちゃなんだが、移住場所にサティナをチョイスしたのは正解だったかもしれないな……」

「うん……ぶっちゃけオレもそう思う……」


 二人は顔を見合わせて、はぁとため息をついた。至近距離でケイの顔を覗き込んだアイリーンが、こつんと額をぶつけてくる。


「……将来的には、オレがサティナで市民権を取れればいいな」

「それは素敵だ」


 現状は、ケイがウルヴァーンの市民権を保持していることにより、住居の購入などが格段にやりやすい。金を持っていても、自由民だとこうはいかないだろう。


「いやー、サティナに着いたら色々頑張らないとな」


 家探しに魔道具作り。ある程度基盤が固まれば市民権の獲得。コーンウェル商会を通じて、サティナの市民とも良好な関係を築く必要がある。


「ケイともゆっくり暮らしたいしな……」


 ふふっ、微笑んだアイリーンが、ケイの首に腕を絡めてくる。


 そのまま、ちゅっ、とついばむように口づけ。ケイもアイリーンを抱きしめ返したが、ハンモックのような寝台がぐらぐらと揺れて落ち着かない。


「……残念ながら、寝台コイツは激しい運動には適さないみたいだ」

「だな」


 唇を離して、苦笑する二人。


「それに、汗臭くないか?」


 密着しながら気にするケイ。久々に伐採が楽しくて張り切ってしまったが、そのせいでかなり汗をかいた。一応、水で濡らした布で身体を清めたが、水浴びほど綺麗になってはいないと思う。


「へーきへーき、ケイの臭いなら……」


 そう言ってアイリーンがケイの胸元で深呼吸したが、おもむろに顔を上げ、


「って思ったけど流石にちょっとアレかな」

「だろう?」


 クックック、と二人して笑いを噛み殺す。アイリーンは冗談交じりだ。二人して汗だくになることもあるので、互いにそれほど気にならないだろう。


「ま、ユーリアに行けば豪勢な宿屋もあるし」


 湖畔の街ユーリアは行商の中継地点として栄え、旅行者向けの施設が充実している。


「久々に風呂に入ってもいいな」


 高くつくが、たまにはいい。


「そしたら……ね?」


 アイリーンが妖艶に笑う。




 昼間の疲れもあり、二人はそのまま、笑いながら眠りについた。






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