68. 報告


 森を抜けると途端に視界が広がった。


 見慣れた青空と草原の緑。ほぅっと肩の力を抜いて、ケイは人心地つく。


 森を切り拓いた畑の向こうには、丸太の壁に囲まれた開拓村。"大熊グランドゥルス"の襲撃後、新たに建てられたという見張り櫓から、村人の一人がこちらに手を振っているのが見えた。ケイたちの帰りを待ち侘びていたらしい。


 村の広場。


 予定より遅れて戻ってきた一行は、やきもきしていた村人や行商人たちに、もれなく取り囲まれることとなった。


「どうだった?!」

「森の様子は?」


 皆に問われ、村長エリドアは沈痛な面持ちで、


「大漁だったよ……」


 と、革袋から何輪もの『アビスの先駆け』を取り出した。薔薇のそれにも似た豪奢な花びら。この世のものとは思えないような鮮やかな青色に、皆が「それは……」と頭を抱えて呻く。これほど喜ばしくない大漁報告に立ち会ったのは、ケイも初めてだ。


「おにいちゃーん!」


 と、そんな住民たちをよそに幼い声が響いた。ぴょこんっとホランドの荷馬車から飛び降りたエッダが、スタタタタと駆け寄ってくる。随分と心配していたらしく、勢いもそのままにケイに抱きついた。


「だいじょうぶ!? 危ない目にあわなかった?」

「う~ん……ちょっと獣の群れに襲われたが、怪我はしてないよ」


 革鎧が顔に当たると痛いだろうに、しがみついて離れない。ぽんぽん、とその癖っ毛の頭を撫でてあげながら、ケイはにっこりと笑ってみせた。


「心配すんなよ。みんな、かすり傷一つないぜ」


 オレが大活躍だったからな、と腰に手を当てて「ふふーん」と得意げなアイリーン。近くの日陰で実家のように寛いでいたサスケも、おもむろに立ち上がり、「おつかれ」と言わんばかりにぺろぺろとケイの頬を舐め始めた。


「やはり、【深部アビス】の侵蝕が進んでいたのかい?」


 エリドアが掲げる『アビスの先駆け』を横目で見ながら、歩み寄ってきたホランドは浮かない顔だ。


「……ああ。残念ながら」


 ケイが首肯すると、「そうか……」と憂いを帯びた表情で村を見渡すホランド。


 まるで、今のうちに、この村をしかと目に焼き付けておこうとするかのようだった。


 エリドアが皆に探索の結果を説明し、『アビスの先駆け』やチェカー・チェカーの爪などを披露する。チェカー・チェカーの緑色の爪は明るい日差しの下で映え、文字通り異彩を放つその美しさに、朴訥な村人たちは息を呑んだ。


 住民たちの多くは、今後この村がどうなるのか非常に心配していたが、はっきりした結論は出ていない。



 一行は話し合いの場所を村長宅へと移す。



 "大熊"の事件の際も、ケイたちはこの『ヴァーク村』の村長宅に招かれたが、前回に比べると格段に建て付けが良くなっており、ほぼ別物に変わっていた。どうやら以前の屋敷は仮のものだったらしい。


 広めのリビングには大きな丸テーブルが置かれ、大人数での会議にも利用できるようになっていた。天井にはいつかタアフ村の村長宅でも見たような、金属製の素朴なシャンデリアが下がっている。


 話し合いに集まったのは、村長のエリドア、村の顔役が数名、そしてホランドを始めとした行商人たちだ。助言者かつ【深部】の"専門家"として、ケイとアイリーンも同様に招かれている。探索が終わって早々だが、少なくともエリドアは休む気にはなれないらしく、会議は早々に始まった。皆で円卓につき、まずはハーブティーで一服しながら話を進める。


 とは言え、今回の話し合いは村の行末を決める会議というより、探索での『収獲』を買い取ってもらう商談が主になるだろう。そもそも、村の今後を判断できるのは領主であり、エリドアには直接的な権限がない。


「『チェカー・チェカー』……そのような獣がいるとはなぁ」


 行商人の一人が、テーブルから緑色の宝玉をつまみ上げ、しげしげと眺める。


 とりあえず『商品』の見本として指から引き剥がし、軽く洗ったチェカー・チェカーの爪だ。本当に、ただ水で洗って布で磨いただけなのだが、リビングの窓から差し込む陽の光を浴びてきらきらと光っている。


「面白い素材だ」

「完全な球形ではないが、加工次第では化けるな」


 横から覗き込むホランドや他の商人たちも、興味津々だ。ケイたち『現代人』からすれば、どことなくプラスチックを連想させる人工的な色なのだが、『こちら』ではそれすらも美点の一つとなる。


「しかし、チェカー・チェカーなんて聞いたこともないな。売るにしても客にどう説明したものか」

「獣本体の死体はないのか?」

「剥製にでもして店に飾れば、この爪も売りやすくなるだろう」


 チェカー・チェカーを知らない商人たちが、無邪気にそんなことを言ったが、探索組は「いや……」と渋い顔をする。


「獣の死体はない。体長一メートル近くて重いし、何より臭くてな……」


 誰も持ちたがらなかった、とエリドアは首を振るが、探索組の荷物運びポーターは何を隠そう彼だ。一瞬目配せするケイとアイリーンだったが、空気を読んで余計なことは言わずにおいた。


 ちなみに、領主への報告用にチェカー・チェカーの死体もあった方が良いのではないか、という意見も現地で出ていたが、最終的に『アビスの先駆け』で充分だろうという結論に至っている。


「それに……その、……なんだ」


 がりがりと短く髪を刈り込んだ頭をかいて、エリドアは困ったように続ける。


「チェカー・チェカーは……お世辞にも見目麗しい獣とは言えなかった。納屋に放置されたまま、カビの生えた古い雑巾みたいなヤツで……。毛糸みたいにもじゃもじゃしてたし……そのくせ手足は枯れた老人のそれみたいで不気味だったし……飾ってても客が遠ざかるだけだと思う」

「そ、そうか……」


 そんなのが何十匹と寄ってたかって襲い掛かってくる光景を想像したのか、ホランドが恰幅の良い体をぶるりと震わせた。


「ま、まあ、それはいいとして。この爪と『アビスの先駆け』についてだが……」


 ハーブティーで口を湿らせ、気を取り直してホランドが本題に入る。


「まず、探索で得たこれらの素材は、君らの間でどう分配するつもりなのかね?」


 ホランドにまっすぐ見つめられたケイは、腕組みをして考え込む。


「……難しい問題だ」

「……いや、何も難しくはないと思うんだが。少なくともチェカー・チェカーの爪は、全てケイとアイリーンのものだろう」


 何を言ってるんだお前は、と言わんばかりの顔をするエリドア。「そうか?」とケイが首を傾げると、アイリーンも呆れたように「当たり前だろ」と言う。


「連中を仕留めたのケイとオレだけじゃねえか」

「……それもそうだな」


 なんとなく、皆で探索隊パーティーを組んでいたので公平に分配せねば、という気持ちがケイの中にはあった。が、言われてみればアイリーンの言う通りだ。エリドアたち同行者は戦闘中、カカシのように突っ立っていただけで何もしていない。取り分は全てケイたちにあると言っていいだろう。


 ただ、村の今後を考えると、全部自分たちで取ってしまうのは気が引ける。


「じゃあ、手間賃ということで、同行者には……爪を一個ずつ配ろう」

「それは助かる。ありがとう」


 少し嬉しそうなエリドア。ちらりとケイが横目でアイリーンの様子を窺うと、彼女も特に異存はない様子だった。ケイとしてはもうちょっと渡してもいい気がしたのだが、あまりやりすぎると後でアイリーンに怒られる。


 それに、今後――ケイ自身が狩人として生計を立てていくつもりもある以上、労働力の安売りをするわけにはいかなかった。「【深部】の怪物を駆除してくれた上に、素材まで無料で提供してくれた」などと評判になっては困る。


 ともあれ、これによって自動的に、爪の交渉はケイたちが主導するところとなった。コーンウェル商会との関係上、ホランドたちはこの場で買い叩くような真似をしないだろう。そうすれば、たったひとつではあるが、エリドアと狩人のマルクも適正価格で爪を買い取ってもらえる。少しでも資金の足しになればいい、とケイは思った。


「では、『アビスの先駆け』については?」

「……結果として、採取できたのは十五株だ」


 エリドアが革袋から『アビスの先駆け』を取り出し、テーブルに並べていく。立派な花が咲くので勘違いしがちだが、薬効成分が多く含まれるのは花びらではなく葉っぱの方だ。採取されたのは、咲きかけのものや、蕾も花もつけていないものも含まれる。目印の花がなく、見分けの難しいこれらは、主にアイリーンが見つけ出してきた。


「取り分だが……まず、ニ株は村に分けて頂きたい。この辺りの森は、我らがヴァーク村が自由に狩猟・採取できるよう、領主……ひいては、畏れ多くも公王陛下から御許しを頂いている。採取物の一割から二割は村の取り分にしてもいいよう、法で定められているんだ」


 そう言って、エリドアはまず、『アビスの先駆け』のうちニ株をスッと脇にずらす。眉をハの字に寄せたエリドアの言葉に商人たちが誰も反論しなかったので、彼の言っていることは正しいのだろう。


「よって、残りの十三株を、探索組で公平に分けるという提案をしたい。一人頭、2.6株という計算で……」

「ちょっと待ってくれ。そのうちの四株、花が咲いてなかったりして見つけにくいヤツは、オレが採ってきたんだぜ?」


 すかさず口を挟んだのはアイリーンだ。


「それに、現地に辿り着いてから、真っ先にブツを見つけたのはケイだろ? オレたちの力がなければ、採取はもっと時間がかかったし、こんなに沢山見つからなかったはずだ。もうちょっと『公平』な分け方があってもいいんじゃないか?」

「確かに。ごもっともだ」


 眉をハの字にしたまま、しかしアイリーンのツッコミに動じることもなく、エリドアは頷いた。


「では、二人には村からの感謝の気持ちを込めて、本来は村全体の取り分であるこちらの二株を贈ろう。ささやかで大変申し訳ないが……」


 そして、先ほど取り分けた二株を、今度はケイたちの方にスッとずらす。


「周囲の森から得られた恵みも、うち何割かは税として納めるんだ。この二株は、本来そちらに充てられるはずなんだが……これで勘弁して欲しい」


 一見、情けない表情を見せておきながらの、想像以上のふてぶてしさにケイは思わず笑いそうになった。決して他人事ではないので笑っている場合ではないのだが、周囲の商人たちもエリドア理論に笑いを噛み殺している。しかし事情が事情なだけに、ここで「もう少し出せ」とも言い辛い。


 アイリーンは「あー」とか「うー」とか唸った挙句、苦笑しながら「おっけい、それでいいぜ」と投げやりに頷いた。


「ありがとう」


 エリドアは祈りを捧げるように手を組み、深々と頭を下げて感謝の意を示す。


 少し空気が緩んだところで、窓の外からハープの音色が聴こえてきた。ゆったりとした、心が穏やかになるような曲調だ。続いて、澄んだ青年の歌声が響く。不安がる村人たちを慰めようという、ホアキンの粋な計らいだろうか。


「……しかし、五人で公平に分けるのかね?」


 と、珍しく、まとまりかけた話を蒸し返すようにホランドが口を挟んだ。


「何か、問題が……?」


 怪訝な顔をするエリドアに、ホランドは少し慌てたように首を振り、


「いや、五人というと、その、それにはホアキンも含むのかね? 彼は好奇心でついていっただけのように見えたんだが……今回は珍しく、何か貢献したのかなと思ってね。大概の場合、彼はついてきても何もしないから」


 おそらく以前にも似たようなことがあったのだろう。商人たちが何やら渋い顔、ないし苦笑しながら頷いている。


「それは……」

「まあ……」

「そうだが……」


 この場の探索組、ケイ・アイリーン・エリドアは困ったように顔を見合わせた。


 確かに、言われてみればホアキンは特に何もしていない。と言うか、言われるまでもなく、実はケイもアイリーンも、おそらくはエリドアも薄々そう感じてはいた。


「……まあ、ホアキンの旦那のお陰で、道中は退屈せず済んだな」


 色々話したり歌ったりしてくれたし、とアイリーンが肩を竦める。


「それに、採取作業も一応手伝ってくれたし……」


 チェカー・チェカーの剥ぎ取りを思い返しながら、ケイ。


「彼ならば、今後この村の危機を歌にして広めてくれるかもしれないから……村の責任者としては、そういった方向性でも、仲良くしたいと思う」


 そう言って、エリドアが締めくくった。


 結局、ホアキンにも公平に取り分を、という形でまとまった。


 分配が決まったところで、具体的な値段の交渉に入る。ここでもエリドアが思いの外にふてぶてしい交渉術を発揮し、様々な薬草や装飾品の値段を引き合いに出した結果、ケイたちが想定していた以上の高値で取引が成立した。


 ケイたちの取り分だけでも、チェカー・チェカーの爪が三十個以上、そして『アビスの先駆け』が二人合わせて七株分の利益ということで、銀貨五十枚近い値段がついた。実に、アイリーンが売り出す予定の魔道具の価格に相当する。


 村側に対してはこの場で支払いがなされ、ケイたちの分はサティナに到着してから精算することになった。まだ行商の途中なので、銀貨を大量には渡せないそうだ。詐欺に合う心配もないので、ケイたちもそれに同意した。


「あとは、マルクが見つけた『アビスの先駆け』を持って領主に報告へ行くだけだ」


 ハーブティーをすすりながら、疲れた様子でエリドアがため息をつく。


「領主サマは、ウルヴァーンにいるんだっけ?」

「そうだな。この村に関しては……代わりにおれがまとめている形になる」


 アイリーンの疑問に、律儀に頷いてエリドア。


 ちなみに、地理的に言えば、ヴァーク村は"公都"こと要塞都市ウルヴァーンよりも湖畔の町ユーリアのそばに位置しているわけだが、ウルヴァーンの領地に属しているため諸々の報告はそちらへ向かうことになるそうだ。


「流石に【深部】の侵蝕となると、村だけで収まる問題じゃない。領主の判断がなければ対処のしようもない……」

「遣いを出しましょう」

「明日の朝にでも」


 これまで黙っていた村の顔役たちが、使者の人選について協議し始める。


「しかし、信じてもらえるものだろうか? 【深部】の侵蝕だなんて……」

「……昔なら、一笑に付されていたかもしれない。しかし、英雄殿と"大熊"の件があったからな。『証拠つき』で訴えれば無視できまい、と思うよ」


 ケイの懸念に、苦笑いしながらエリドアが答える。


「一時期は、ヴァーク村じゃなくて『大熊グランドゥルス村』に改名しようかなんて冗談まで出てたんだが、笑い事じゃなくなってきたな……」


 ははは……と乾いた笑い声を上げるエリドア、反応に困る一同。


「……ともあれ、『アビスの先駆け』は、それなりに貴重だからな。証拠が必要とは言え、持っていかなきゃいけないのは何だか惜しい気もする」


 話題を変えるケイ。


「むしろ、証拠の『アビスの先駆け』だけ取られて、報告を握りつぶされたりしなきゃいいんだが……」


 勝手な偏見だが、ケイはウルヴァーンに住む領主とやらにはあまり良い印象を抱いていなかった。個人的に、「領民と一緒にあってこそ良い領主」という固定観念があるので、離れた都市で悠々自適に暮らすのは、仮にも一為政者の姿としてどうなのだと思わざるを得ない。


 先ほど小耳に挟んだ税金の話もあり、なんとなく典型的な「お貴族様」をイメージするケイは、この危機的状況にあって領主が無視を決め込む可能性を恐れた。


 しかしケイが懸念を表明すると、アイリーン以外の全員が「ん?」と首を傾げる。


 そして一拍置いて、エリドアが「ああ」と何か得心したようにポンッと手を打った。


「そうか……そういえばケイたちは知らないのか。なに、領主に関して、そういった類の心配は無用だよ……」


 エリドアは、普段の朴訥な様子とは違い、フッと斜に構えたように笑った。



「なにせ、領主様はおれの親父だからな」



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