67. 遭遇
ケイの言葉に、まず動いたのはアイリーンだ。
姿勢を低くしたまま、背中のサーベルを抜き放つ。
しゃらッと涼やかな音。冷たい銀色の刃が露わになる。
「……どこだ?」
「前方、樹上。デカくはない」
小声でのやりとり。"竜鱗通し"を構えたケイは、一点を見つめたまま動かない。その顔の向きから、
阿吽の呼吸の二人に対して、他三人の対応はぎこちない。マルクはどこまでも不安げに短弓を構え、エリドアはおっかなびっくりで腰の剣鉈を抜き、ホアキンはただただ息を殺している。最初から逃げるつもりで開き直っているホアキンはともかく、
「…………」
ずっしりとのしかかるような静けさ。
頭上に雲が来たか、木漏れ日が陰る。
草葉の緑と腐葉土の黒に分かたれた世界。足元から這い上がる湿り気を帯びた空気。
「……仕掛けるぞ」
一応、全員が身構えたのを確認してから、ケイは弓を引き絞る。
きりきりと軋む弦。不穏な所作を悟られぬよう、身をかがめたまま腕を引いていく。緩慢にすら思える、ゆったりとした動き。
しかし不意に立ち上がり、一息に矢を放った。
カァンッ! と快音が響き渡り、木立に銀色の光が突き刺さる。
「キャ――ッ!」
まるで赤子のような甲高い悲鳴。五十歩も離れた樹上から、どさりと緑色の影が落ちてきた。
「なっ、何だアレは!?」
その正体を目の当たりにして、エリドアが思わず剣鉈を取り落としそうになる。
それは、まるで毛むくじゃらのボールに手足が生えたような、不気味な生物だった。体長は一メートルほどだろうか、緑色の長い毛に覆われた胴体にはケイの矢が突き刺さっている。胴体から伸びる土気色の筋張った細い手で、どうにか矢を抜こうと四苦八苦しているのが見えた。
すかさず、ケイは二の矢を放つ。
丸い身体の天頂――おそらく頭部――に、深々と矢が突き立った。
「キイイイイイィィィィ――ッ!!」
が、それでもなお軋むような絶叫を上げ、じたばたと無茶苦茶に暴れ回る毛玉。昆虫に勝るとも劣らない、しぶとい生命力。
「げえッ! 『チェカー・チェカー』!」
「厄介なヤツが出てきた……!」
アイリーンがとても年頃の娘とは思えないような声を上げ、ケイも苦虫を噛み潰したような顔をする。さらに矢をつがえ、油断なく周囲に視線を走らせた。
「あれはいったい……?」
ホアキンが恐れ半分、興味半分といった様子で、未だピクピクと痙攣する緑の毛玉を見ながら呟く。
「『チェカー・チェカー』という猿の一種だ。雑食性でそれなりに凶暴、相手が弱いと見れば襲いかかる。そして大規模な群れをなす習性がある……」
ケイの返答に、思わずホアキンの端整な顔が引きつった。
「む、群れ、ですか」
「こういう言葉がある。『一匹見たらあと五十匹はいると思え』ってな」
ゆらゆらとサーベルの刃先を揺らしながら、後退するアイリーン。頭上からガサッ、ガサガサッと枝葉の擦れる音。複数。近づいてくる。
「来るぞ」
ケイの呟きと同時。
「「キャアアァァァ――ッッ!」」
樹上からチェカー・チェカーの集団が一斉に飛び出した。やたらと長い指をわきわきと蠢かせながら、眼下のケイたちに躍りかかる。
その耳障りな鳴き声に、快音が応えた。
矢筒からまとめて矢を引き抜いたケイが、目にも留まらぬ速射を見舞う。軽く弦を引いただけのコンパクトな射撃。しかしそれでも威力は充分、ガッカッカァンッと快音が響くたび、緑の毛玉が見えない拳に殴られたかのように弾き飛ばされていく。
が、それでも数が多い。流石にケイだけでは捌ききれない。取り囲むようにして無事に着地する個体も多数。
「シッ!」
そこへ、アイリーンが鋭い呼気と共にナイフを投擲した。投げ物が苦手なアイリーンでもこの距離ならば外さない。狙いを違わず命中――だが苔むしたモップのような長い毛に阻まれ、刃が深く通らない。
「キィィィアア――ッ!」
ナイフを受け、むしろ激昂したチェカー・チェカーが飛びかかってくる。アイリーンは冷静に突進をいなしながら、すれ違いざまにサーベルを振るった。
パンッ、パシッと軽い音。チェカー・チェカーの両手が半ばから斬り飛ばされる。
欠けた手を振り上げたまま、チェカー・チェカーは呆気に取られたように硬直した。一拍置いてからつんざくような悲鳴を上げ、バンザイの格好で転がるようにして逃げていく。長い毛に包まれた胴体より、剥き出しの手足の方が斬撃は通りやすい。チェカー・チェカーのわかりやすい弱点だ。
アイリーンは止まらない。
石像のように硬直したエリドアたちを庇い、軽やかに刃を振るう。
まるで重力を感じさせない激しい機動、木々の間をすり抜けるようにして跳ね回る。
『蝶のように舞い、蜂のように刺す』という言葉は、まさに彼女のためにあった。瞬く銀閃、飛び散る鮮血、その姿はさながら
あまりに容赦のないアイリーンの剣気に、チェカー・チェカーたちが怯んだ。それを見逃すアイリーンではない。
「ウオアアアァァッ!!」
血に塗れたサーベルを振り上げ、とても年頃の娘とは思えないような声で威嚇する。近づけば殺す、と言わんばかりの荒々しい殺気。
「がああああああッ!」
それに続いて、ケイも吠えた。腹の底から振り絞る声に、びりびりと大気が震える。
【
「叫べ! 威嚇するんだ、割に合わない獲物だと思い知らせてやれ!」
茫然としたままのエリドアたちを叱咤する。既に十匹以上のチェカー・チェカーを撃退しているが、周りを取り囲む個体だけでもざっと数えてニ十匹、そして未だ頭上にも気配がある。
チェカー・チェカーは凶暴だが、基本的に弱いものしか襲わない。今は自分たちの数が圧倒的なのでいい気になっているだけだ。相手が手強いとわかれば、我先にと遁走し始めるはず。
「うっ、うおお!」
エリドアが剣鉈を振り上げて叫んだ。ハッと我に返ったマルクも、申し訳程度に矢を放ちながら威嚇の声を発する。
その後ろではホアキンもまた「おおおおぉ!」と叫んでいたが、こんな状況にもかかわらず無駄に良い声だったので、不覚にもケイは笑いそうになった。
「さあ、死にたいヤツはかかってこい!!」
アドレナリンで多少ハイになっていることを自覚しながら、ケイは矢筒から『長矢』を引き抜いた。かつて"
つがえる。
引き絞る。
解き放つ。
"竜鱗通し"の全力を、眼前のチェカー・チェカーに叩き込む。
ドバンッ、と弓矢にはあるまじき着弾音がした。緑色の毛玉が内側からめくれ上がるようにして破裂し、赤色が撒き散らされる。かつてのしぶとい生命力を物語るかのように、ばらばらと地に転がった肉の破片だけが、虚しくピクピクと痙攣していた。
一瞬、辺りが静まり返る。あれだけ騒がしかったチェカー・チェカーの群れの鳴き声が、ぴたりと止んだ。
そして次の瞬間、ケイたちを取り囲んでいたチェカー・チェカーたちは、くるりと踵を返して一目散に逃げ始めた。まるで潮が引くのように、薄汚れた毛玉の集団が森の奥へと去っていく。
数秒もしないうちに、視界からチェカー・チェカーは一匹残らず消え去っていた。
こうでもしなければ【深部】では生き残れない、と言わんばかりの鮮やかな撤退だ。尤も、アイリーンに手足を斬り飛ばされた個体は、そう長くは生きられないだろうが。
「……思ったより、諦めが早かったな」
ビシュッ、とサーベルを振るって血糊を払いながら、アイリーンが少しばかり意味深な視線をケイに向けてくる。
【DEMONDAL】のゲーム内では、チェカー・チェカーの群れはもっとしつこかった。それこそ群れを半壊させるくらいの勢いで戦わねば退かないほどに。アイリーンはその差を示唆しているのだろう。
しかし、ゲームのAIではなく、現実であればこそチェカー・チェカーたちの気持ちもわかる。たとえ猿でも自分の命は惜しかろう。ケイが最初から『長矢』を使っていれば、もっと早く逃げ始めていたかも知れない。
むしろ、アイリーンの剣には大いにビビっていたあたり、ケイの射撃が早業すぎて弓の恐ろしさを理解していなかった可能性もある。
「やれやれ、どうにか切り抜けられたな」
おどけた風に肩を竦めてみせたケイは、マントをめくって腰の矢筒を示す。
「実は、矢が残り少なかったんだ。危ないところだった」
矢筒には長矢を含めて、あと数本しか残っていなかった。こんな大盤振る舞いをする羽目になるとは思っていなかったので、普通の矢筒しか持ってきていなかったのだ。
ワオ、と呟いて冷やかすようにピゥッと口笛を吹くアイリーン。お手上げのポーズを取ったケイは、不意に真面目な顔でアイリーンを見つめた。
「ありがとう、アイリーン。お陰で助かった」
ケイだけでは厳しい状況だった。地上に降りてきた群れを、アイリーンが牽制し対処してくれたからこそ、持ち堪えることができたのだ。
「よせよ、お互い様だろ。オレだって一人であの数はムリだぜ」
ひらひらと手を振りながら、軽く笑って流すアイリーン。お互い様――そう言えなくもないが、あの規模の群れに遭遇しても、アイリーン一人だけなら生還できる可能性は高い。機動力が高く単純に足が速いアイリーンは、チェカー・チェカーたちが諦めるまで逃げ続けることもできるはず。そういう意味で足を引っ張っているのはケイの方だ。
が、それを言えば、現状で最も足手まといである同行者たちが気に病むかもしれないので、ケイは口に出すことはなく深々と頷くに留めた。
「……助かったのか?」
自分が命の危機にあったことさえ実感が湧かない様子で、エリドアが茫然と呟く。
おっかなびっくり【深部】の入り口を歩いていたら、危険生物の群れがやってきて、あれよあれよと言う間に撃退されていた。なんだか知らないが助かっていた、というのが正直なところだろう。
「前々からとんでもない弓の腕だとは思ってたが、やはりとんでもないな……」
長矢の直撃で爆発四散したチェカー・チェカーの残骸を見やり、マルクは畏敬の念を浮かべている。
「いやはや、ケイの弓もさることながら、アイリーンのサーベルの冴えも凄まじいですね! 全くお見逸れしました、やはり『サティナの正義の魔女』『魔法戦士』の異名は伊達ではない!」
一難去って、ホアキンは大興奮だ。そんな彼に感化されたように、マルクとエリドアも口々に「ありがとう」「助かったぜ」などと礼を言い始める。
「感動しているところを悪いけど、取るもん取ってズラかった方がいいと思うぜ」
が、アイリーンの冷静な言葉に、全員が冷水を浴びせられたような顔をした。
「そうだな。チェカー・チェカーの群れがいたということは、この辺りに危険な大物はいないはず……だが、それにしても騒ぎすぎたし、血の匂いもするだろう。アイリーンの言う通り、さっさと離れた方がいい」
すん、と鼻を鳴らしてケイ。ひどい血の匂いだ。そして獣臭。何日も洗っていない犬と豚小屋を混ぜたような臭気が漂っている。チェカー・チェカーたちはお世辞にも綺麗好きには見えなかった。
地面に転がったチェカー・チェカーの手足や、矢を受けて未だ悶え苦しむ個体を一瞥し、ケイは索敵を再開する。
「そ、そうだな。早く戻ろう」
「『アビスの先駆け』を採取せねば……村の皆のため、一輪でも多く……」
「そういえば、この獣……チェカー・チェカーは、何かの役に立つんですか?」
一刻も早く帰りたそうなマルク、厳しい現実に立ち返り悲痛な表情のエリドア、そして相変わらず興味津々のホアキン。
とりあえず、一同は二手に分かれて撤収作業を開始した。
アイリーンとエリドアは、見える範囲の『アビスの先駆け』を採取。
ケイと残りの二人は矢の回収がてら、まだ息のあるチェカー・チェカーにとどめを刺していき、役に立つ部位を剥ぎ取っていく。
こうしてみると、やはり不気味な獣だ。薄汚れた緑色のモサモサとした長い毛が胴体を覆い、毛の隙間から僅かにぎょろりとした赤い目が覗いている。体毛が濃すぎるので顔つきなどはわからないが、少なくとも愛嬌はない。そして臭い。だらりと開いた口には、頑丈そうな黄ばんだ臼歯が並んでいるのが見えた。雑食性で、食べられるものは何でも食べる。【深部】の外でも生きていける生物だが、昆虫なり植物なり、【深部】の方が栄養価の高い食物が多いので、よほど追い詰められない限り外に出ることはない。
「しかし、チェカー・チェカー自体にはほとんど価値がないんだよな……」
念のため距離を取って、倒れたチェカー・チェカーの頭を矢でぶち抜きながら、独り言のように呟くケイ。
チェカー・チェカーの肉は不味いし、毛皮はごわごわで使い物にならず、内蔵が薬の材料になるわけでもない。
唯一、役に立つと言えるのは手の親指の爪だけだ。いかなる生態によるものか、親指の爪だけがコブ状に丸く発達しており、薄汚れたチェカー・チェカーの肉体の一部とは思えないほど美しい緑色の光沢を帯びている。これを剥ぎ取って磨けば、洋服のボタンや装飾品などに重宝されるという。少なくともゲーム内ではそうだった。
確かに、爪単体を切り取れば、それなりに美しい宝玉に見えなくもなく、加工も容易なので需要はあるだろう。あるだろうが――チェカー・チェカー本体の姿を知っていると、珍重したいとは思えないな、というのがケイの正直な感想だ。
「何が役に立つかわからないもんだ……」
絶命したチェカー・チェカー、その手の親指を狩猟用ナイフでごりごりと切り取りながら、マルクが複雑な表情でごちる。爪だけを剥ぎ取るのは時間がかかるので、指ごと切り取って残りの作業は村でやることにしたのだ。マルクの隣では保存用の革袋を持ったホアキンが手持ち無沙汰に立っている。
当初、マルクもホアキンも生き残りのチェカー・チェカーにとどめを刺す作業を手伝おうとしていたのだが、危険だったので取りやめた。マルクの短弓では確実に頭蓋骨を撃ち抜くことができず、ホアキンは――言わずもがな、お手上げだ。
チェカー・チェカーは非常に力が強く、ただ掴みかかるだけで人間の骨程度ならへし折ることがあるため、極力近づかない方がいい。また、顎も頑丈で、細い鎖ならば噛み千切るほどの咬合力を誇り、『窮鼠猫を噛む』の言葉通り瀕死の個体相手でも油断はできなかった。
そんなわけで、マルクとホアキンの二人は死体からの剥ぎ取りに専念している。ケイがチェカー・チェカーの恐ろしさを語った時点で、二人とも息がある個体に近づく気を失ったようだ。
(それにしても、アイリーンには頭が下がる……)
こんな怪物の群れを相手に大立ち回りをやってのけたのだ。ゲーム時代から、『白兵戦の訓練』と称して散々コテンパンにされているので、アイリーンの剣の腕はよくわかっているし、『こちら』に来てからは実戦経験も積んでいるので隙がない。ケイがとやかく言えるほど、アイリーンは弱くないのだ。
それを頼もしく思う反面、アイリーンを盾にするような戦い方しかできない自分が、歯痒くもあった。
もちろん、北の大地での馬賊との戦闘のように、騎馬が駆け回る大平原などではケイの方が強い。元々森林はアイリーンの得意なフィールドの一つ。向き不向きの問題と言えばそれまでだ。それまでだが――
(――近づかれたら弱い、というのはやはり頂けないな)
ケイは弓騎兵だ。サスケの存在なしで接近戦に弱いのは当たり前。
しかし『死んだら終わり』な世界で、今までのような甘えは許されない。これでケイがただの脳筋戦士なら諦めていただろうが、実際は違う。
ふわりと、森の中で不自然な風がケイの首筋を撫でる。
――Mi estas ĉiam kun vi, ĉu ne?
幼い、それでいてどこか妖艶な声。
"風の乙女"シーヴ。何だかんだ言って、彼女はいつもケイのことを見守っている。
(……ぼちぼち魔術の鍛錬も始めるか)
旅の間、体調を崩したら拙いので先延ばしにしていたが、次にサティナ辺りで落ち着いたら魔力を鍛えよう、とケイは改めて決意する。ゲーム内ではキャラクターのポテンシャルを全て弓や乗馬の技術に割り振っており、これ以上の成長が望めなかったので考えもしなかったが、現状では鍛えれば鍛えるほど魔力の技能も伸びていく(あくまで常識的な範囲で、だが)。
(とりあえず、『矢避け』の護符はいくらでも必要だな。接近してきた相手を吹き飛ばす『突風』も欲しい……)
ケイの現時点での目標は、使い捨ての護符や魔道具を量産できるレベルまで己の魔力を高めることだ。シーヴは強大な精霊だが、コストパフォーマンスが悪く、魔力や触媒をバカ食いするという欠点がある。せめて、粗悪な触媒を大量に用意して代替できれば良かったのだが、高価な宝石や魔力のこもった品などしか受け取らないという筋金入りの『お高い』精霊だ。
そして触媒抜きの僅かな魔力で何ができるか、と問われれば――そよ風を吹かすことくらいしかできない。そもそもシーヴ、というより風の精霊は良くも悪くも大雑把で、細かく繊細な作業が苦手だ。【追跡】や【顕現】などといった補助的な用途を除けば、竜巻を起こしたり突風で家屋を薙ぎ倒したりと、豪快な術を得意とする。
一応、ファンタジーでよくある風の刃やカマイタチといった芸当も可能だが、刃だの真空だのを作るのはかなり効率が悪いらしく、消費魔力に効果が釣り合わない。そしてケイの場合、矢を放った方が早いし強いというオチがつく。
とりあえずケイの特訓は、ロウソクの火をそよ風で吹き消すところから始めることになるだろう。それ以上を望めば、魔力を吸われすぎて寝込むか、最悪枯死する。
自分の魔力が使い物になるまで、一体何日かかるんだ――と遠い目をするケイだったが、ふと思い出したのはアイリーンの契約精霊、"黄昏の乙女"ケルスティンだ。
シーヴと違い、ケルスティンは夜限定で非常に高いコストパフォーマンスを誇る。それこそ、一般人でも触媒なしで術を行使できるほどに。
(ごくごく僅かな魔力消費で影を操る魔道具をアイリーンに作ってもらって、じわじわと訓練した方が早そうだな)
ロウソクの火を吹き消す魔術。ケイが触媒なしで行使するのは、一日に一度か二度が限界だろう。しかし影を少しだけ操るくらいなら、日が暮れた後から就寝するまで何度か訓練できる、はず。
あるいは、余裕がある日なら、早朝にシーヴのそよ風訓練を敢行し、日中魔力を回復させてから、夜のケルスティン訓練をするという手もある。これがゲームなら、ログアウトしている間にキャラクターを自動モードに切り替え、飲まず食わずで瞑想させたり魔法書を読ませたりして手軽に魔力を伸ばせたのだが、現実ではそうもいかない。そもそも魔力のこもった書物の類も持っていない。
(あとでアイリーンに相談してみよう)
結局アイリーン頼りだな、と苦笑するケイ。やれやれ、と呆れたようなシーヴのため息が、どこかから聞こえた気がした。
その後、矢とチェカー・チェカーの爪を回収し、アイリーンも『アビスの先駆け』の採取から戻ってきたので、一行は足早に村へと帰還することにした。
チェカー・チェカーの襲撃のせいで、かなり時間を食ってしまった。今頃、村では皆が心配してケイたちの帰りを待っているだろう。
希少な霊薬の材料である『アビスの先駆け』に、装飾品として珍重されるチェカー・チェカーの爪――想像以上の収穫だったが、村人組のエリドアとマルクは深刻な顔だ。これ以上ないほどはっきりと、確かめてしまった。【
(これからどうなるか、だな)
村は、難しい選択を迫られる。ケイは他人事ながら、小さくため息をついた。
差し当たっては収集した素材をどう扱うかが問題になってくる。『アビスの先駆け』の買い取りは、村で待機している
【深部】の入り口から離れ、穏やかな普通の森を歩きながら、ケイは無性に酒が呑みたくなった。アイリーンと一緒に、何の気兼ねもなく、楽しく酔っ払いたい。
口数も少なく、ケイたちは進む。
村までは、あと少しだ。
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