65. 霊花
「"
ホランドと村長の目の色が変わった。二人の視線が少女の青い花に集中する。異様な熱気をはらんだ大人たちの目に、思わず「ひぇっ」と声を上げて後退る少女。
「こっ、これが噂に名高い霊薬の……!?」
「待て、待て、落ち着け」
鼻息も荒く少女に迫る村長を、ケイが押し留める。
「あくまで原材料の『一つ』だ。それに、薬効成分があるのは主に葉っぱの方で、花には傷薬程度の効能しかない」
そう言って肩を竦めるケイに、村長は困ったような顔を向けた。物資に乏しい開拓村では、その程度の『傷薬』でも十分貴重なのだ。
「傷薬でも、ウチの村では喉から手が出るほど欲しいんだが……それに加工したら凄いものになるんだろう?」
「……一口に
例えば、ケイたちが持つ残り少ない
「……君たちは、ポーションの調合にも詳しいのかね?」
口ひげを撫でつけながら、穏やかに問いかけるホランド。そのゆっくりとした口調とは裏腹に、茶色の瞳には油断ならない、探るような光がある。
「いや。材料はいくつか知ってるが……」
「調合法まではわかんねーな、流石に専門外だぜ」
ケイとアイリーンは二人揃ってお手上げのポーズを取った。
事実だ。【DEMONDAL】では廃人プレイヤーとして名を馳せていた二人だが、基本的に戦闘と採取がメインであり、
ましてや高度な魔法薬の調合など、素人が手を出せる領域ではない。ケイたちも調合法をうっすらとは憶えているが、複雑な手順をすべて網羅しているわけではないし、そもそも必要な他の素材も設備も揃っていない。
専門のプレイヤーに納品するため、主要な原材料を暗記していたが、それだけだ。
「オレたちなんかより、ウルヴァーンの薬師の方がよっぽど詳しいんじゃねーかな」
ポニーテールの毛先をくるくると指でいじりながら、アイリーン。ケイたちには難しいとはいえ、裏を返せば、ある程度専門的な教育を受けた人間なら、特別な能力がなくとも製造可能だ。ウルヴァーンには図書館もある。叡智と魔術を重視するあの都市が、薬師を育成していないとは考えにくい。
「うぅむ……やはりあの手の魔法薬は貴族のお抱え薬師、そして魔術学院の専門家たちの専売特許、か。惜しいな、君たちがポーションも扱えるならいい商売ができると思ったんだけど」
「期待しすぎだろ。オレたちを何だと思ってんだよ」
いかにも残念そうなホランドに、アイリーンが笑っていた。
その隣で調子を合わせて苦笑しながら、それに、とケイは胸の内で付け加える。仮にポーションの製造技術があっても、ケイたちはそれを秘したままにするだろう。自分で使う分にはいいが、奇跡の霊薬など厄介の種にしかならない。
北の大地での一件を思い返し、脳裏に蘇った血みどろの記憶を振り払うように、ケイは
そんなケイをよそに、周囲の皮算用は続く。
「まあ、いずれにせよ、村の近くでポーションの原材料が見つかったのは喜ばしいことだ。なあ、エリドア」
「そ、そうだな」
ホランドに声をかけられた村長――そう言えば『エリドア』とかいう名前だった、とケイは今更のように思い出す――が、気を取り直して頷いた。
「正直、ウチの村は貧しくて何の取り柄もない。しかし貴重な霊薬の素材が見つかるとなれば話は別だ! きっと皆の生活も楽になる!」
あとで発見者から詳しく話を聞かねば、と鼻息も荒く
「…………」
そんな彼らをよそに、何とも言えない表情で立ち尽くすケイとアイリーン。
そして二人の様子がおかしいことに、いち早く気づいたのは、やはりと言うべきか、ホランドだった。
「……どうかしたのかね?」
「ん? いや……」
「うん……」
ホランドに聞かれても、調子の悪そうな二人。
「……何か気になることでも?」
小躍りしそうになっていたエリドアも、眉をハの字に戻して恐る恐る尋ねてくる。村の窮地を救った英雄、それもただの腕自慢ではない、博識の戦士と魔女が浮かない顔をしているのだ。不安になるのも無理はなかった。
じっと顔色を窺うような視線を向けられ、困ったように顔を見合わせるケイたち。
しかし、ここまで思わせぶりな態度を取っておいて、今更「なんでもない」で済ませられるはずもない。二人揃って言い淀んだ時点で、二人の方針は既に決まっていたようなものだ。喜んでいるところに水を差すようで悪いが、と、難しい顔をしていたアイリーンが、開き直ったように厳しい表情に切り替えた。
「率直に言うぜ。これはかなり危険な兆候だ」
周囲の村人たちを見回しながら、告げる。
「この花、【
――【
森林や高山の奥深く、人類が踏み込むには危険すぎる領域の総称。
そこには、"
しかし同時に、そこは宝の山でもある。
強力な薬効を持つ植物に、美しい毛皮を纏う獣。命を脅かす怪物も、討ち取ることに成功すれば、その遺骸は貴重な素材となるだろう。また領域内の魔力が活性化していることから、精霊の力を宿した真なるマジック・アイテムが見つかることもある。
ポーションの原材料たるこの青い花も、そんな『宝』の一つだ。
「この花の名は、『ヴィグレツィア・グランドフローロ』。偉大なる生命の花、みたいな意味らしい。薬効成分は、花びらよりむしろ葉っぱに含まれてるんだけどな。花が咲いてない時期は探し出すのに苦労する。……らしいぜ」
ゲーム時代を思い出したのか、アイリーンが懐かしむように目を細めた。しかしすぐに表情を引き締める。
「……で、この花、強力な癒やしの力を秘めてるんだが、こいつ自体はそれほど丈夫な植物じゃない。魔力が程よく活性化し、それでいて影響が強すぎない、【深部】と普通の土地の境界線付近でしか生育しないんだ。だから『アビスの先駆け』なんて別名もある。そして今回、それが村から歩いていける距離のところで見つかった……」
わかるか? と視線で問いかけるアイリーン。
「まさか……」
その意味を理解し、ホランドが慄いたように口を震わせる。
「……【深部】が、広がったのか」
呟きのような言葉に、ざわっ、と村人たちに動揺が広がった。
基本的に、【深部】は人の生活圏から遠く離れたところにある。と言うより、人が【深部】から距離を取らざるを得ない。好き好んで"大熊"や"森大蜥蜴"の住処に近づく者はそうそういないだろう。
が、実は、【深部】の境界線は不変ではない。
地殻変動のように、あるいは一種の自然災害のように、その領域が徐々に、あるいは突然ズレることもあるのだ。
【DEMONDAL】のゲームの設定によれば、この世界には陰陽道で言う『地脈』のようなものが各地に走っており、それが精霊を惹きつけ魔力を活性化させ、その恩恵に与る特殊な生態系――【深部】を構築していくのだという。そしてその『地脈』は地殻変動その他の要因でズレることがあり、その動きによっては、普通の森がある日を境に【深部】へと変質していく、などということも起こりうる。
それが、この村の近くで起きているのだとしたら――
「――しっ、しかし! この村から【深部】までは、徒歩で十日以上の距離があるはずだ! 俺は領主からそう聞いているぞ! 魔術師に作ってもらった地図をお持ちだそうだから、間違いはない!」
自分に言い聞かせるように、エリドアがそう声を張り上げた。
「……確かに、公国は"
腕組みをしたケイは、重々しく頷く。
「その領主の話は、決して間違ってはいなかったんだと思う」
「そっ、そうさ! 英雄殿もそう思うだろう? きっとこの花が見つかったのは、何かきっと別の理由が……」
「しかし、だ。俺たちはウルヴァーンの図書館で調べ物をしたわけだが……記憶が正しければ、公国の現在の地図の大半は、クラウゼ公が公国の盟主になって間もなく作成されたもののはずだ。……その領主が持っている地図は、最新のものなのか? ひょっとすると十年、二十年も昔のものなんじゃないか?」
それだけの時間があれば境界線は変わり得るぞ、とケイが付け足すと、エリドアは今度こそ色を失った。
「しっ、しかし……」
「正直、前回の"大熊"のとき、薄々ヘンだとは思ったんだよなー。いくら獲物を深追いしたからって、そんなクソ離れた場所から、『たまたま』人里まで【深部】の化物が出てくんのか? ってな」
がしがしと頭を掻きながら、アイリーン。
「一応、『アビスの先駆け』が別の要因で……例えば草花の妖精の悪戯とかで咲いた、って可能性もゼロじゃねーけど。一応、最悪の想定はしておいた方がいいと思うぜ」
神妙な様子のアイリーンの助言に、エリドアはますます情けない顔をして、そのまま頭を抱えた。
「なんで……なんでウチの村ばっかりこんな目に……」
「お気の毒だが……」
ケイとしては、そう言うほかなかった。
「……本当に【深部】なのかね?」
不気味そうに、そして不安げに村の近くの森を見やりながら、ホランド。
「確実とは言えない。アイリーンも言った通り、精霊の悪戯や、何らかの要因で魔力の場が乱されていたり、俺が予想もつかないような原因で『アビスの先駆け』が咲いた可能性もある」
ちなみに、その手の現象はゲーム内でもごく稀に起きていた。特に妖精の悪戯による特殊な草花の出現は、プレイヤーに棚ぼた的な利益をもたらすことが多く、概ね歓迎されていた。尤も、毒花が咲き乱れて初心者~中級プレイヤーまでもが犠牲になることもあり、油断は禁物だったが。
「俺としても、妖精の悪戯であって欲しいとは思うが……この村は以前"大熊"に襲われている。あの時は『偶然』で片付けたが、今回この花が見つかった、となると……楽観はできないぞ」
「全くその通りだな」
「いずれにせよ、発見者の話をもう少し詳しく聞く必要があるんじゃないか。あるいは早急に領主へ遣いを出して、
「そうだな……エリドア、どうする?」
その場でしゃがみ込んでブツブツと呟く村長を、ホランドが揺する。
「おいおい、しっかりしろ! お前は村のまとめ役なんだぞ!」
「あ、ああ……」
ふらふらとエリドアが立ち上がるが、その目は死んでいた。
「……とりあえず、発見者に話を聞こうか。……リンダ、マルクはどこに?」
「パパならお家にいるよ……?」
リンダ、と呼ばれた少女が、小さな声で答える。幼さゆえケイたちの話の内容がよく理解できていないのだろう。ただ不安そうに、その手に美しい青い花――癒やしの力を秘めた霊花を握っている。
ケイとアイリーンは、何とも居た堪れない気分になった。
そのまま皆でぞろぞろと、花の発見者である狩人の家を訪ねる。村の外れの丸太小屋でハーブティーを飲みながら寛いでいた狩人――『マルク』というらしい――は、突然の大勢の来客に驚いたようだ。
そして、エリドアやホランドからことのあらましを聞き、真っ青になった。
「なんてこった、こんなことなら持ち帰らなきゃよかった……!」
少し的外れな嘆き方をする狩人の男に、ケイとアイリーンは笑っていいものか困ったような顔をした。見て見ぬふりをしたところで、なかったことになるわけではない。
「いや、持って帰ってくれたからこそ気づけたんだ。それで、森は何か変わった様子はなかったか?」
「あ、ああ……そうだな……」
ケイたちの真剣な眼差しに、マルクはひどく落ち着かない様子だ。
曰く、マルクが『アビスの先駆け』を見つけたのは、森に入って西へ一時間ほど進んだ地点、いつも狩りをしている獣道の周辺だそうだ。森に仕掛けた罠を見回る際に発見したらしい。森そのものは、この時期にしては静かだと感じたが、それ以外は特に異常は感じなかったとのこと。
「他にこの花は咲いてなかったか?」
「どうだろう、わからない……視界に見える範囲では、気づかなかった」
「そうか……」
咲いていたのが一輪だけなら、妖精の悪戯という可能性も充分にある。
「……確認、しに行くべきか?」
ケイの沈黙、あるいは皆の無言の重圧を感じ取り、冷や汗をかくマルクは、この世の終わりが訪れたような顔をした。
狩人であればこそ、マルクは野性の獣の恐ろしさは重々承知している。そして、それを軽々と上回る怪物が、どれほど手に負えない存在なのか、身に沁みてわかっているのだろう。できることなら、そんな存在が普通にうろつく【深部】には、一歩たりとも近づきたくはないはず。
「英雄殿……その、申し訳ないんだが、おれ一人では【深部】か普通の森かなんて区別がつきそうにないんだが、その……」
藁にもすがる思いなのか、拝むような姿勢でケイの顔色を窺うマルク。
「……う~ん、俺も【深部】の探索は専門外なんだが……」
【DEMONDAL】のゲーム内では、確かに、【深部】の探索はエンドコンテンツの一つであり、ケイも時折探索しては素材や装備を集めていた。
が、それは死んでも復活が可能だったからで、命が一つしかない現状では、よほどのことがない限り踏み込むのは御免だ。
「いっ、いやっ! おれも【深部】に入るつもりなんざ毛頭ない!! ただちょっと見に行くのについてきてもらえれば、と……!」
慌てて、ブンブンと首を振るマルク。一人で行くのがよほど怖いのだろう、気持ちはよく分かるが――。果たしてこの男は、これから狩人としてやっていけるのか、ケイは心配になった。
それはさておき、マルクひとりでは【深部】の侵蝕が進んでいるのか、確認しづらいというのも事実。
「旦那、このあとの予定は、どうなってるんだっけ?」
アイリーンがホランドに水を向ける。記憶が正しければ、隊商はこの村で少しばかり商売をしてから、川沿いの街道を進み、シュナペイア湖を擁するユーリアの街へ向かうはずだ。
「……事態が事態だからなぁ」
隊商の責任者たるホランドは低い声で唸った。仮にケイがマルクに同行するならば、往復で二時間以上はかかるので隊商の出発に間に合わない。現状、ケイはただの客分なので置いていっても隊商に支障はないのだが、今後の商売や世間体諸々を考え合わせると、大いに問題がある。何よりホランド自身も、この件には大きな関心を寄せていた。
「……よし、ここはケイに合わせよう。きみが
うむ、と大きく頷いてホランド。予定変更の起点をこちらに振ってきた辺り、うまい言い方だな、とケイは思った。
「…………」
ちらり、と傍らのアイリーンを見やる。ぴくん、と眉を動かしたアイリーンは、唇を引き結んで、まっすぐにケイを見つめ返してきた。
迷いのない、澄んだ青色の瞳。
「わかった。同行しよう」
"
この村を"大熊"から救ったとき、ケイは夢を抱いた。「人々を凶悪な獣から守る狩人になりたい」と。
今がそのときだ。
「ケイが行くなら、オレもついてくぜ」
間髪入れず、アイリーン。気負わずに背中のサーベルの具合を確かめている。
「……おれも、行こう。足手まといになるかもしれないが、この村のことだ。村長として、自分の目で確かめる必要がある」
険しい顔で、しかし毅然と決意を表明するエリドア。
「あ、じゃあ僕も行きます」
が、そこに場違いなほど爽やかな声が響く。
見れば、野次馬の端、今まで沈黙を保っていた吟遊詩人の青年が、ここぞとばかりに挙手していた。
「こう見えて森歩きには慣れてます。皆さんの邪魔はしません、万が一のときは別に置いていって貰っても結構です。……いいですよね? ね!?」
好奇心で目を輝かせるホアキン。
ケイとアイリーンは顔を見合わせ、呆れたように肩を竦めた。
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