60. 相場


「銀貨五十枚……?」


 少なくとも金貨は固いだろう、と考えていただけに、ケイたちは動揺を隠せない。


 無論、庶民的感覚からすれば、銀貨五十枚は十二分に高額なのだが――魔道具の核をなす宝石などの材料費を鑑みると、儲けはかなり少なくなってしまう。


『そのくらいの値段でないと厳しいと思う』


 依然、厳しい表情でヴァシリーは首肯した。


『でも、さっき高値で売れるって言ってなかったかしら?』

『最初はそう思ってたんだが、冷静に考えてみると、そういう結論に至った。主な問題は三つある』


 アイリーンの疑問に、ヴァシリーは指を三本立ててみせる。


『一つは、客層だ。この"警報機"を最も欲するのは行商人だろうが、残念ながら彼らの多くはそれほど金持ちではない』


 長年、商会経由で魔道具を商ってきたヴァシリーは、大規模な商会に属する商人だけではなく、個人の行商人や一般客の懐事情も心得ている。公国銀貨五十枚。この値段が彼らの支払い能力の限界だろう、とヴァシリーは語った。


 口には出さないが、銀貨五十でも相当に厳しい、と胸の内で呟く。


『次に、需要だ。警報機は確かに便利で、見張りの負担を劇的に軽減するが、裏を返せば十分な数の見張りを用意できるならそれで事足りる。この魔道具は、あくまでも追加的要素オプションに過ぎないということが一つ』


 そのオプションにどれだけ金を払えるか、金を払う『余裕』があるか、という話だ。大規模な商会ほど、大勢の護衛を引き連れていくので警報機を導入する必要性が低く、逆に、最大限の恩恵に与れる個人の行商人や旅人は購入する資金力に乏しい。この商品はコンセプトからしてジレンマを抱えているのだ。


 また、警報機により事前に危険を察知できても、結局は、それに対応する人員も必要となる。そして、護衛にはならず者に対する『威嚇』の役割もあるので、警報機を導入してもどのみち人員を削減することはできない。護衛を減らしたせいで夜盗に襲われやすくなるようでは、本末転倒だろう。


『最後に、これは以前も問題になったが、君らに信用と実績がないことだ』


 見張りは隊商の生死に関わることであり、その重要な役目を得体の知れない魔道具に任せきりにするわけにはいかない。むしろ、そういったことに抵抗を覚える顧客も多いことだろう、とヴァシリーはしみじみとした口調で言った。警報機の存在が知れ渡り、評判になれば「使ってみよう」という気も起きるかもしれないが、現時点では、動作と性能に一定の保証がないという点も痛い。


『その『保証』を買って出ようとしていたのが、ガブリロフ商会だったわけだ。勿論、念入りに試験運用をした上で、だが』


 ガブリロフ商会がまず使い、その性能と動作を確認、保証する。そして『評判』を生み出すために、ある程度安価で売り捌いていく。ひとたび巷で評判になれば、悪い商品ではないのだ、あとは飛ぶように売れるはず。値段を上げるとすれば、そのタイミングということになる。


『それまでは、それなりの価格に甘んじるしかないね。評判がやんごとなき方々の耳にも届けば、吹っ掛けることも不可能ではないはずだ。貴族の屋敷の盗人対策としても、大いに活躍するだろうから……個人的には、一般客向けの低性能廉価版と、上客向けの高級版に分けたらいいのではないかと思う』

『なるほど……』

『例えば、高級版はもっと装飾にも凝ったデザインで、警報もただハンマーがベルを鳴らして終わりではなく、オルゴールのようにゼンマイ仕掛けで音を鳴らす仕掛けを組み込んでみる、とか』

『ふむふむ』

『……ただ、それを為すには伝手が必要になる。貴族とも繋がりのあるような、かなりの規模の商会なり、重要人物なり……』


 そのアテはあるのか、という言外の問いに、ケイとアイリーンは顔を見合わせた。


「あるな」

「あるよな」

『……あるのか』

「……木工職人なら、貴族に商品を卸すような凄腕が知り合いにいる。魔道具のベースの装飾などは問題ないはずだ」


 ケイが脳裏に思い描くのは、城郭都市サティナの職人・モンタンだ。本業は矢職人だが、木工の腕前も大したもので、彼の工房には見事な装飾や細工が飾られていた。


『商会なら、公国で手広く商ってるコーンウェル商会と仲良くさせてもらっているわ』


 続いてアイリーンがそう付け加えると、ヴァシリーはズルッと椅子から滑り落ちそうになる。


『こ、コーンウェル商会。その名は聞いたことがある、とんでもない大手じゃないか。納得したよ、道理でガブリロフ商会なんて歯牙にもかけないはずだ』


 公国語さえできたなら私を紹介してもらいたいくらいだ、と苦笑するヴァシリー。


『まあ、君の精霊の力があれば、どんな相手とでもすぐに手を組めるだろう、とは思っていたが……コーンウェル商会か。なんだ、それなら、すぐに良い商売ができるな』


 一転、脚を組み、リラックスした姿勢でヴァシリーは穏やかに言う。


『あー、コネがない前提でお話してたのかしら』

『その通り。だからゼロから売り始めることを考えていた。しかし伝手があるなら話は別だよ、君らがコーンウェル商会とどの程度の信頼関係を築いているかは知らないが、それを利用しない手はない。最初に廉価版を売るなり、作品を貴族様に献上するなりで投資は必要かもしれないが、商会に繋がりがあるなら資金も融通がきくだろう』


 むしろそこで金を出さないようなら、そんな商会は切った方がマシだ、とヴァシリーは悪い顔で笑う。先ほどまでの深刻な雰囲気は見る影もない、純粋にアイリーンのことを心配して真面目に考えていてくれただけのようだ。


『ああ、そういうことだったの……ちょっとホッとしたわ。"警報機"はウチの主力商品にするつもりだったから、あんまり高値がつかないようなら困っちゃうところだった。銀貨五十枚って、材料費だけでほとんど飛んじゃいそう』


 指折り数えながら、力の抜けた笑みを浮かべるアイリーン。魔道具の核をなすのは主に宝石類だ。それなりの大きさと透明度のある高級品でなければ核として長持ちしないため、相応の品を買い求めなければならない。その購入費に加え、宝石に術式と精霊の力を封入する際に必要な触媒や、魔道具の本体となる木細工、ハンマーやベルといった細々なものを買い揃えていると、あっという間に銀貨数十枚が吹き飛んでしまう。触媒となる水晶やラブラドライトもさることながら、基本的に全て手作業で作成されているハンマーやベルも地味な出費となる。


『まあ、それは仕方がない。その代わり貴族には吹っかけてやるといい、公国の貴族は北の大地の豪族や氏族の連中より、よほど金持ちだろうから。そういう意味では、貴族を相手に相場がどうなるかは私にも見当がつかないなぁ』

『大丈夫、庶民向けの限度が知れただけでも有り難いわ。あとは商会の知り合いとの交渉次第ね』

『そうなるね。まあ君なら大丈夫だろう』


 私なんかよりよほど口が達者で交渉上手じゃないか、と言うヴァシリー。


『やはり才あるものには機会が与えられるものなのだな、と思わせられる。全く、その若さで、能力に伝手に語学力にと、羨ましい限りだよ』

『あはは、そんな……』


 照れたような笑みを浮かべながらも、アイリーンは(貴方こそお上手じゃない)と胸の内で呟く。魔術師と言えば尊大なイメージがつきまとうが、ヴァシリーはそんな雰囲気を醸し出しつつも、適度に相手をおだてて良い気にさせることを意識している――節がある。偉そうな人間が歩み寄ってきて、思いのほか親しげに接してくると、実態以上に気の良い人物に感じられてしまう心理。


 ついつい、腹を割って話してしまいたくなる、そんな人柄。だがアイリーンは、彼と話すとき、どうにも見えない棒を押し引きしているような感覚が拭えないのだ。それは直感的なもので、別に悪意を感じるわけではない。だがヴァシリーがそういった言動を心がけているらしい、ということが若干気にかかる。


 彼は、一応はガブリロフ商会側の人間だ。仮に商会にはそれほど入れ込んでいないにしても、商会と親しい存在であることは変わりない。あまり調子に乗っていると、ペラペラといらぬことまで話してしまいそうだ。穿った見方はあまり好ましくないが、それでも過度に信頼しすぎないことだ、と己を戒める。


 と、ふと隣を見ると、アイリーンへの賛辞が嬉しいのか、ケイが自分のことのように得意げで純真な笑みを浮かべていた。


「…………」


 何とも複雑な気持ちになったアイリーンは、その緩んだほっぺたをグイグイと両手で引っ張ることで、己のモヤモヤ感の解消を試みる。


「なっ、なんだよアイリーン」

「なんでもな~い~!」


 唇を尖らせて、困惑するケイの頬をグリグリと引っ張るアイリーン。しかしその拍子に、ケイの左頬にうっすらと走る刀傷に目を留めて、小さく溜息をついた。アイリーンがタアフ村で昏睡状態から回復したときには、既についていた傷だ。もちろん、ゲーム時代には、こんなものはなかった――


 つっと指先で傷を撫で、目を伏せたアイリーンは、すぐにニカッと笑う。


「やっぱりオレがいないとダメだな、ケイは!」

「何を当然のことを」


 真顔で即答するケイに、アイリーンは思わず目尻を下げて、その頬をグニグニと揉み始める。


『…………』


 突然、目の前で展開され始めた二人の世界に、ヴァシリーは葡萄酒を傾けながら曖昧な笑みを浮かべていた。(これは、遠回しに帰れと言われているのだろうか)などと穿った考えをしていたところ、ふと壁を見ると、影絵の精霊がチョイチョイと二人を指差し、呆れたようにお手上げのポーズを取る。


『……フッ』


 どうやらいつものことらしい、とニヒルに笑ったヴァシリーは、窓からすっかり暗くなった空を見上げて、独り葡萄酒をあおった。


 すぐに、ヴァシリーを放置してはいけないと、我に返った二人が現実世界へ戻ってきたが、それまでの数十秒がやたら長く感じられたヴァシリーであった。



         †††



 その後は、何事もなかったかのように、しばらく魔術談義に花を咲かせた。


 ヴァシリーがガブリロフ商会で扱っている魔道具についてであったり、その性能や値段であったり、北の大地固有の精霊についての噂話であったり。


『呪いの品は売らないよ。敵を作るし、私も危ないから』


 自身の商品を語り出したヴァシリーは、思いのほか饒舌だった。ヴァシリーの扱う品は、そのほとんどが使い魔で、専ら伝書鴉ホーミングクロウの貸出や販売が主らしい。大事に扱えば、鴉は十年ほど現役で使える、とのことだ。変わった注文としては、特定の相手にしか手紙を届けない伝書鴉や、来客があった際に『いらっしゃいませ』と鳴く黒オウムなどもあったらしい。


 その他は、簡単な魔除けの護符に始まり、『呪い』を引き受けその術者を特定する身代わり人形や、特殊な透明なインクと、それで書かれた文字が見えるようになるレンズなどなど。


 特にインクとレンズは自信作だったらしく、ヴァシリーはやたらと自慢げだった。実際、ゲーム内には存在しなかったものなのでケイたちも興味津々で、二人はこのとき、これ以上ないほどに熱心な聞き役になっていた。ヴァシリーも、そうした話ができる相手に飢えていたようだ。師が亡くなって久しい、とは彼の言葉だ。


 ところで、ヴァシリーと話していて、ケイたちにも朧気ながらわかったことがある。


 それは、この世界の魔術師にとって一般に『奥義』とされているのは、『魔力の使いすぎで死なないラインの見極め』にあるらしいということだ。例えば、術の過剰行使、呪文の詠唱失敗、触媒不足、自分には過ぎた魔道具の作成などで、魔術師は容易く枯死してしまう。精霊語の教養などはあくまで表面的な知識に過ぎず(もちろん精霊語は魔術の根幹であり最重要であることには変わりないが)、その『枯死回避』のバランス感覚こそが、真なる魔術の秘奥と見做されているらしい。


 そういう意味では、ケイたちは既に魔術を極めている。


 ゲーム時代の経験で既に、『どの程度の術を使えばどのくらい魔力を消費するか』をだいたい把握できているからだ。『死んで憶える』というのは、この世界の魔術師には不可能な修練法。しかも、魔術を使っていけば、今後どのくらいの成長率で魔力が育っていくかも知っている。修練で無理をしすぎて命を落とす若き魔術師もいる、とのことだったので、二人のアドバンテージは計り知れない。


 散々語って、酒とツマミが切れてから、三人は下の食堂に下りて食事を摂った。


 しかし草原の民風の大柄な青年に、うら若き金髪碧眼の雪原の民の少女、そしてしわだらけで痩せこけた魔術師風の年配の男、という組み合わせは、旅人や行商人で賑わっていた食堂に一種異様な空気をもたらした。


 ケルスティンの翻訳がなくなってしまったので、アイリーンが通訳せねばならず三人の会話は遅々として進まなかったが、それにしても食堂隅のテーブルで和気藹々と飲み食いする姿はあからさまに衆目を集めていた。尤も、三人とも程よく酒が入っていたので全く気にしていなかったが――


 ちなみに、ソーセージの盛り合わせやチーズなどをモリモリと食べていたケイたちに対し、ヴァシリーは野菜中心のかなりヘルシーな料理を注文していた。『こう見えて、健康には気を遣っているんだ』とはヴァシリー渾身の自虐ネタだ。冗談にしてはあまりに切実だったが、酒が入っていたのでアイリーンは翻訳するのも忘れて、思わず大笑いしてしまった。


 そうして満足するまで飲み食いして、ケイとアイリーンは自室に戻り、ヴァシリーは別に部屋を取って、その日は解散となった――




 翌朝。


『ふう……昨日は本当に、柄にもなく騒ぎすぎてしまったな。しかし楽しかったよ、二人ともありがとう』


 晴れ渡った空を見上げながら、宿屋の前でヴァシリーはニチャァリと微笑んだ。


『いえいえ、こちらこそ。色々とためになる情報をありがとう』

「…………俺もヴァシリー殿と話せて楽しかった。是非また一緒に呑みたいな」


 アイリーンの翻訳を受けて、和やかにケイ。


『とんでもない、私こそ色々と教えてもらったからね。いやあ、魔術の道は奥が深い。……また機会があったら、是非』


 ヴァシリーは満更でもない様子だった。昨夜は、なんだかんだでケイたちも魔術について、特に魔道具を動作させるアルゴリズムについて先進的な考え方をポロポロと披露してしまったので、結果的にヴァシリーもかなり得るものがあったのだ。


『それじゃあ、近くに立ち寄ったとき――まあ、ディランニレンにはもう来ないかもしれないが、そのときは一報入れてくれたまえ。アイリーンの警報機の評判がこちらまで届くのを楽しみにしているよ』

『ありがとう、ヴァシリーさんもお元気で』

「……さようなら、また」


 二人に見送られながら、老練な黒衣の魔術師はバサリと鴉に変化し、北の空へと消えていった。


「うーん、告死鳥の呪いはアレだが、やっぱり空を飛べるのは羨ましいなぁ」


 空の彼方で豆粒のように小さくなったヴァシリーの姿を、しかし未だはっきりと視界に捉えながら、ケイは呟いた。



『――毎度、空から見下ろして思うんだ。人の営みの、その歩みのなんと遅く鈍いものか、とね。皆がもっと速く、スムーズに動ければ、日々の暮らしはもっと豊かになるのだろう。……まあ、そんなことになれば、私は商売上がったりだが――』



 昨夜、そう言ってヴァシリーが笑っていたのを思い出す。そんな風に世界を見下ろすことが多いせいか、彼は存外に大局的な物の見方をする人だった。



『――"警報機"は、最初こそ確かに儲からないかもしれないが、隊商の被害が軽減されれば、都市間や辺境での物流が活発になり、その好影響は巡り巡って君らの懐を潤すだろう。物を商うとは、きっとそういうことなんだろう、と私は思うよ――』



 あのような歳のとり方をしたいものだ、とケイは思った。


「そうだなー、空を飛べたら気持ちいいだろうし……でもやっぱり呪いは勘弁……」


 んんーっ、と朝日を浴びて背伸びをしながらアイリーン。昨夜は部屋に戻ったあとも何だかんだで夜更かししてしまったので、体の怠さが抜けていないらしい。それはケイも同じだ。


「俺もいつか、修行を積めば風で空を飛べるようになるのかな……マントを翼みたいに広げてさ」

「多分できるようになるだろうけど、着地に難アリだな」


 アイリーンのにべもない答えに、苦笑する。


「違いない。翼は危ないから、気球でも作るか」

「それも面白そうだな! 魔道具で大儲けしたら自作してみようぜ! ……まあその前にウルヴァーンに戻らないと、だな」

「……そういえば、ウルヴァーンに戻ったら、ヴァルグレン=クレムラート氏に占星術を教えないと……」

「……ああ」


 ケイとアイリーンは、顔を見合わせた。ヴァルグレン=クレムラート――図書館の元銀色キノコヘアーの知識人だ。北の大地への道筋などをアドバイスする代わりに、ケイが占星術を教える約束をしていたのだが、諸々の不幸な事故が起きたため、中止されてしまったのだ。


「結局……カツラ、見つかったのかな……」

「……さあ。ってかケイ、望遠鏡を弁償しろって言われたらどうする?」

「……アレ、俺たちが弁償しなきゃいけないのかなぁ」

「だってシーヴが原因だしさ……」


 ぶつくさと言い合いながら、もう一眠りするために宿屋に引っ込んでいく。




 こちらの世界に住み着く覚悟は決めたが、それでもその前に、まだやることは山積しているのだった。




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