幕間. Tahfu


 月夜だ。


 馬上で揺られながら、男は天を仰いだ。


 絵に描いたような三日月が、ぽっかりと夜空に浮かんでいる。あれは、果たして欠けつつあるのか、それとも満ちつつあるのか――? 今の自分には知る術もない、そして知ったところで何の意味もない、などと詮無きことを考え、気を紛らわせる。


 そう、男は気を紛らわせる必要があった。


 肌寒い。


 季節は晩夏。夜の草原は、ひんやりと冷え込んでいる。そこを、半袖シャツに粗雑な麻のズボンだけという格好で、馬を駆り、文字通り風を切って進んでいるのだから、体からは面白いように熱が奪われていく。


 には聞こえないよう、控え目に鼻をすすった男は、独り思う。


(いったい、いつまで駆け続ければいいんだ――)


 あてのない放浪、そんな言葉が頭をよぎる。しかしそう思った矢先、数メートル先を黒馬に跨って進んでいた同伴者が、「コウ!」と呼びかけてきた。


「あっち、森の近くに村が見える!」


 灰色のローブを身に纏った、黒髪の美女。月下、彼女の瞳は、爛々と輝いて見える。比喩表現ではなく、本当にネコ科の動物よろしく、光を反射しているのだ。そしてその頭頂部には、まさしくネコのような獣の耳がぴょこんと生えていた。


 彼女の名を、『イリス』という。


 何の因果か、【DEMONDAL】内での彼女の種族『豹人パンサニア』の特徴を、中途半端に受け継いでしまったゲーム仲間の一人だ。


「そいつは良かった!」


 男――『コウ』は、そのアジア系の童顔におどけた笑みを浮かべて答える。


「ちょうど、そこらに気の利いたホテルでもないかと考えていたんだ!」


 コウの皮肉に、イリスは困ったような顔で笑った。未だ、夢でも見ているような感覚は抜けないが――状況を鑑みると、イリスもコウも【DEMONDAL】のゲームに酷似した世界にいることは明らかだ。


 そして【DEMONDAL】の世界には、残念ながら『平穏』の二文字はない。


 村があるからといって、温かく迎え入れられるとは限らないのだ。


 ましてや深夜、旅人のふりをして立ち寄っても、むしろ――


「……さて、どうしたものかね」


 鼻声で、コウはぼやくようにして呟く。その視線の先には寝静まった村。さほど夜目の利かないコウでも、月明かりで目視できる程度の距離。下馬した二人は、木立に身を潜めていた。


 木造の簡素な家々が建ち並ぶそこは、まさしく慎ましやかな辺境村といった風情だ。ゲーム内の村に比べると、荒んだ雰囲気は感じられず、家々の建て付けの良さや軒下のちょっとした装飾などを見るに、それなりに豊かな暮らしを送っているのではないか、という印象を受ける。


 村の中に明かりはない。住民たちは皆、床に就いているのだろう。人の気配はあるが、物音一つしなかった。


「見張りはいないわね」


 隣でイリスが呟く。まるで夜襲を企てるならず者のような台詞に、思わずコウは苦笑した。自分もまた、ゲームの習性で、無意識のうちに侵入経路を考えていたことに気づかされたからだ。


「襲いに来たわけじゃないんだぞ」

「あっ、当たり前でしょ。バーナードじゃあるまいし」


 からかうようなコウの言葉に、噛みつくようにして答えたイリスは、己の出した名前に沈黙した。


『バーナード』――もう一人のゲーム仲間。


 正確には『仲間』と言うべきか。今や二人が置き去りにしていった男だ。ゲーム内の種族『竜人ドラゴニア』の特徴をほぼそのまま受け継いだ彼は、その外見に相応しい残虐性と、頭のネジが数本外れたような『ブッ飛んだ』思考回路の持ち主だった。


「この後どうするか」とコウに尋ねられて、「村でも襲おうぜ」と即答したヤツだ。


 もしもあいつが、こんな寝静まった村などという獲物を見つけたら――どうするか。


 そう考えると、コウは暗澹たる思いを禁じ得なかった。


 確かにコウもイリスも、ゲーム内では極悪非道なならず者として振る舞っていたが、それはあくまで『ロールプレイ』に過ぎない。ゲーム内ならまだしも、『現実』と思われるこの状況下で、なおも悪事に手を染めようという気は起きなかった。


 ましてや人里の襲撃など。


 置き去りにする際、バーナードが寝付いたのを見計らって、コウがありったけの触媒を使い眠りの術をかけたので、しばらくは目を覚ますことはないだろうが――それでも明日の昼には術の効果も切れるはずだ。


 一番の問題は、置き去りにした場所からこの村まで、それほど離れてないということだった。


 一応、バーナードに追跡されにくいよう、一度川に入って馬の足跡を消すなどの対策は施してあるが、それがどれほど役に立つかはわからない。もしこの村にヤツがやってきたら、どうすればいいのか――


(いや、まずは自分のことが先だな)


 コウは頭を振って、不穏な考えを打ち消した。そもそも、不審者として門前払いを食らうかもしれないし、逆に村ぐるみの追剥にあう可能性すらある。全てはこの村の対応次第だな、と結論を出し、コウはやおら立ち上がった。


「……どうするつもり?」

「とりあえず、正面から訪問かな。情報も欲しいし、物資も揃えないとね」


 不安げなイリスに、コウは小さく肩をすくめて見せた。


 とりあえず現実世界への帰還を目指して動こう、という結論には達したものの、それを為すためには全てが不足している。そもそもこの村の住人が人間なのかもわからないし、言葉が通じるかも未知数だ。まずは、それらを確かめなければならない。もし交流が可能ならば、食料に着替えに位置情報に――欲しいものは山とある。


 そして幸いなことに、コウたちはわずかながら金目の物を所持していた。『こちら』に来る直前、ゲーム内で村を襲って金品を強奪していたお陰だ。ならず者として、普段は失っても惜しくない程度の最低限の武具と、ボロ布のような服しか持っていなかったコウたちにとって、これは望外の幸運と言えた。


(こちらの通貨はどうなってるか、だなぁ。金貨と銀貨なら最悪、貴金属としても取引には使えるか……言葉が通じればの話だけど)


 ゲーム内に酷似している、というのはあくまでコウたちの見解だ。実際は似ても似つかない、全くの別世界という可能性もある。言葉が通じなければかなり厳しいな、などと胸の内で呟きながら、小さく溜息をついたコウは、その場で軽くストレッチして手に握った杖の感触を確かめた。


 杖――その辺の木を荒く削り出しただけの自作の棒だ。一応、自分の魔力を馴染ませてあるので、ただの棒よりは頑丈で、魔術の反動を軽減する効果もある。


 コウは、他プレイヤーとは戦闘以外の交流を持たない、完全な無法者アウトローとしてゲームをプレイしていたので、武器を自給自足するための最低限の木工作、移動手段のために騎乗、そして近接戦闘用に杖術を育て、キャラクターの残りのリソースは全て魔術に割り振ってある。有り体に言えば、そこそこ手先が器用で、長時間の乗馬が苦にならない程度に足腰が丈夫で、杖を思った通りに振り回す筋力と体力がある魔術師だ。


 正直なところ、魔術師と呼ぶにも魔法戦士と呼ぶにも、かなり中途半端なキャラだ。元々はただ棍棒を振り回すだけの荒くれ者にする予定だったのだが、思いがけず妖精と契約できてしまったので、急遽魔術寄りに育成方針を変更したという事情もある。課金で加齢させて無理やり最大魔力を確保してあるのだが――そういえば、この体の年齢はどうなっているのだろう? と首を傾げつつ、コウはおもむろに杖を振るった。


 仮想敵を思い描き、剣や槍の攻撃を払う動きをなぞる。頭を打つコンパクトな突き、側頭部を叩き割るアグレッシヴな薙ぎ払い。


「……突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀ってね」


 ゲーム内と遜色なく身体は動く。よし、と一人頷いた。


「……何してるの?」

「相手が友好的とは限らないから。護身術のおさらい、かな」


 イリスの問いに、事も無げに答えてコウ。イリスの顔が強張るのに気づいて、どうしたものかと頭を悩ませる。ゲーム内では豪胆な女豹だったのが、一転、実際は気の弱いお嬢様のようだ。この調子では蚊の一匹も殺せるか怪しい。


 まあその点では自分も大差ないが、と自嘲しつつ、杖を地面に立てて高さを測る。


「身長は変わらず、と」


 ゲーム内の『コウ』の身長は、現実と同様170cm後半に設定してあった。横に立てた杖の長さに違和感を感じないということは、身長もゲーム内に準拠しているはず。これで間合いなどの感覚は、普段通りで構わないということがわかった。


 最後に、腰のポーチを再確認。そこに収められているのは、魔術に必要不可欠な触媒の数々だ。満月の光に晒した清浄な砂、摘み取ったばかりの花びら、とっておきの砂糖菓子、水晶の塊、そして塩。


「イリスは、どうだい? 体の調子は」


 コウが尋ねると、イリスはおずおずと立ち上がった。


 彼女のゲーム内での種族――『豹人パンサニア』は、メスの方がオスよりも力が強いという設定で、身体能力に非常に優れているのが特徴だ。実際、素の状態での筋力は、並の物理特化のプレイヤーよりも強く、ゲーム内では石ころを素手で砕くことすら可能だった。


 その腕力で振るわれる投石器スリングの威力は尋常ではなかったのだが――『こちら』では、なぜか現実準拠の見かけ(豹耳を生やした若い女)になっているせいで、そんな怪力の持ち主には到底見えなくなってしまっている。


 身体のコンディションを確かめるように、その場で軽く飛び跳ねるイリス。


「んっ、と」


 身をかがめ、イリスはひょいと跳び上がった。全く力のこもっていない垂直跳びだったが、軽々とコウの身長を超える高さまで到達する。


「身体は……なんだか、軽く感じる。ゲームのときよりも。力はあんまり変わってないかな? ちょっと弱くなってるかもしれないわね」


 何かしっくりこないのか、首を傾げたイリスは、おもむろに前腕部に巻きつけていた黒布をはらりと解いた。無論、ただの布切れではない。折り返せばちょうど真ん中にあたる部分に、革製の受け皿のようなものがついている。


 投石器スリングだ。


 ゲーム内では製造・入手が容易であったことから、無法者御用達の飛び道具だった。使いこなすのは弓よりも難しいが、その威力は折り紙つきだ。


 特に、豹人の筋力があれば――


 足元から適当な拳大の石ころを拾い上げたイリスは、受け皿にそれをセットし、スリングの両端を握って無造作に振り回し始める。


 ヒュン、ヒュンと風を切る音が、段々とブゥンブゥンと鈍い音に変わっていく――


 勢いをつけ、イリスはスリングの片端を離した。


 ボヒュッと解き放たれた石ころが、夜暗に吸い込まれていく。一拍遅れて、カツーンと何かが砕ける音。コウは知る由もなかったが、イリスはその輝く瞳で、遠くの木の幹が揺れ、森の鳥たちがバサバサと羽ばたいていくのをしかと見届けた。


「ん。投石の方は大丈夫みたい」


 しっかりと狙い通り命中させられたことで、イリスは気を良くしたようだった。少なくとも、先ほどまでのようなオドオドとした雰囲気は鳴りを潜めている。実際に荒事に巻き込まれればどうなるかはわからないが――


(ま、あまり期待はしないでおこう)


 最初からアテにしていなければ、足元を掬われることもないのだから、とコウは心の中で呟いた。


「良かったよ、調子が出てきたなイリス」

「ま、足手まといにならない程度に頑張るわ。頼りにしてるわよコウ」


 ひらひらと手を振りながら斜に構えるイリスは、少々強がっているようにも見える。


 一方で、村にも、少しばかり動きが出てきたようだ。イリスの投石の音、そして突然飛び立っていった野鳥の群れを訝しんだ者がいるらしい。何やら人が動いているような気配がある。


「さて……じゃあ初接触ファーストコンタクトと行きましょうかね。僕が話すよ。イリスは、フードをしっかりかぶっておいて。がどう反応されるかわからないから」

「……わかったわ」


 ちょいちょいと、頭の上の耳を示しながらコウ。神妙な顔で頷いたイリスは、ばさりと目深にフードをかぶった。


 馬の手綱を引いて、木立を出る。村の入り口まで辿り着いたところで、馬の手綱をグイッと引いて、敢えていななかせた。


「…………? なっ、おいっ、誰だお前ら!?」


 と、近くの民家からランタンを手にした男が顔を出し、コウたちの姿を認めてぎょっとしたように叫ぶ。


 それは、英語だった。


(言葉は通じる!)


 住民が普通の人間だったことに安堵しつつ、まずは第一関門突破、と心の中で快哉を叫んだコウは、しかしそんな様子をおくびにも出さず、神妙な顔で口を開いた。


「すまない、旅の者なのだが、道に迷ってしまった。この村で宿を取ることはできるだろうか?」


「宿は取れるか」などとわざとらしく聞いたが、もちろん話を切り出すための口実にすぎない。こんな田舎の村に宿屋があるとも思えない――というより、そもそもまともな商店があるかどうかすら怪しい。


「はぁ? 旅? 宿ぉ?」


 じろじろと無遠慮な視線を向けてくる村人。それはそうだろうな、とコウも内心苦笑する。半袖シャツに粗雑な麻のズボンという格好で、荒削りな杖だけを手にした男と、灰色のボロ布のようなローブを身にまとい、フードで顔を隠した女。


 あからさまに不審者だ。


 旅をしているには軽装だし、夜中に訪ねてくるのも不気味すぎる。


「……ちょっと待て」


 警戒心も露わに、村人は隣家へと走った。ドンドンドンッと遠慮のないノック、隣人を叩き起こす。そして寝ぼけ眼で顔を出した隣人も、ランタンと月明かりに照らされた訪問者二人の姿にぎょっと目を見開いた。


「なんだアイツら!」

「曰くだそうだよ。村長呼んできてくれ」

「わかった。ってか前もこんなことあったな……」


 ランタンを掲げて第一村人がコウたちを監視する中、叩き起こされた隣人が走って村の奥へと向かう。村長を呼ぶ、という言葉は、コウにも辛うじて聞き取れた。


(はてさて、どうなりますやら)


 杖をトントンと指先で叩きながら、月を見上げるコウ。


「……イリス」

「……ん?」

「僕に合わせてくれ」

「端からそのつもりよ」


 小声でのやり取り。コウは臨機応変に行くつもりだ。


 そのまま待たされること十分近く。周囲に見張り、あるいは野次馬の村人が増えてきたところで、村の奥からザッザッと足音。


「それで、貴方が旅の者とやらか」


 気持ちよく寝ていたところを叩き起こされたのだろう、流石に少しばかり不機嫌な様子の、腰の曲がった白髪の老人と恰幅のいい中年男性が姿を現した。


「この"タアフ"村のまとめ役をやっておる、ベネットだ」

「その息子、ダニーという」


 老人の方は『ベネット』、太った男は『ダニー』とそれぞれ名乗った。


「……夜分にお休みのところ、大変申し訳ない。僕はヨネガワという」


 コウが言葉通り、大変恐縮した様子で一礼すると、老人――ベネットもまた愛想笑いを浮かべて礼を返した。一方で、その息子のダニーとやらは、鼻を鳴らしてコウを一瞥し、興味を失ったように視線を逸らす。


 その態度の違いを看て取ったコウは、話し相手をベネットに定める。しばし、互いが互いを観察するような時間。


「……改めて、僕はヨネガワという。コウタロウ=ヨネガワ。コウタロウが名、ヨネガワが家名だ。こちらは連れで、イリスという」

「ほほう、これはこれは……して、ヨネガワ殿は我らが村にどのような御用で?」


 曖昧な笑みを崩さぬまま、ベネット。


「説明すれば長くなるが、旅の途中で道に迷ってしまったんだ。ご覧の通り、衣服にすら不自由する始末でね。一晩の宿を――できれば、食料などを融通してもらえないものだろうか。無論、それ相応の対価は払う」

「ふんっ、『旅の途中』だと! 戯言もいい加減にしろ!」


 と、ここでダニーが声を荒げる。


「そんな軽装で、ろくに荷物すら持たずに旅などと、片腹痛いわ! その服も、まるでその辺の死体から剥ぎ取ってきたような酷いものじゃないか! 貴様ら、まさか野盗の一味ではあるまいな!」


 剣呑な視線を向けるダニー。コウは思わず言葉に詰まった。今着ているシャツもズボンも、まさしくゲーム内で村人を襲って剥ぎ取ったものだったからだ。


「しかも、一晩の宿、だと!? 貴様もそうだが、その隣の女もだ! 顔さえ見せないような怪しい輩を、村の中に入れるわけにはいかん! 頼み事をするなら、まずは最低限の礼を尽くすことだな!」


 と、ダニーが矛先をイリスへ向ける。突然、村人たちの剣呑な視線に晒されたイリスは、フードをかぶったままビクンと震えた。


「うーん……」


 予想はしていたが、あまり村人たちの反応は良くない。額を押さえたコウは、考えを巡らせる。


(ゲーム内に酷似した世界なのは間違いない……ここの連中の話し方はゲームのNPCそっくりだ)


 コウが着目したのは、村人たちの英語の『訛り』だった。日系ではあるが、生まれも育ちも英国のコウは、生粋の英語話者だ。故に村人たちの使う英語の微妙なアクセントが、ゲーム内で『公国語』とされていたものと同じであることに気づいていた。


 また、村人たちを改めて観察し、服飾品などの文化から、自身の現在位置は、ゲーム内で言うところのリレイル地方辺りではないかと見当をつける。


 間違いない。ここは『ゲームの世界』だ。


 つまり――ゲーム内での常識が、『こちら』でも通用する可能性が高い。


「さあ、何とか言え! さもなくば貴様らを不届き者として領主に突き出すぞ!」


 黙り込んだままのコウたちに対し、何やらヒートアップし始めるダニー。周囲の村人も同調しつつあるが、唯一、ベネットだけは冷静に見守っているようだ。


 コウは、状況を打開するため、自らの最大の手札を切ることを決断した。


【 ――Darlan. 】


 トン、と軽く杖を地面に打ち付け、内なる力を解放する。


 騒いでいた村人たちが一斉に押し黙る。コウの背後、夜の闇に、悪戯っぽく笑う羽を生やした小人――妖精の姿を幻視したからだ。


「……実は、こう見えて魔術師でね」


 ニヒルに笑ったコウは、ダニーを見据える。太っちょの中年男性は、目玉が飛び出るほどに驚愕していた。


(ま、ゲーム準拠なら魔術師なんてそうそういないよね)


 コウはほくそ笑む。


「僕は、とある目的のために、旅をしているんだ。……イリス」

「なっ、なに?」

「フードを取って」

「……えっ、でも……」


 突然のコウの要請に、躊躇するイリス。コウはしっかりと彼女を見据え、頷いた。


「大丈夫だ。僕を信じて欲しい」

「……わかった」


 腹を括った様子で、というより半ばヤケクソ気味に、イリスがばさりとフードを取り去る。再び、村人たちがどよめいた。フードの下から現れたのは、なんと頭に獣の耳を生やした黒髪の美女だったからだ。


「なっ、ヨネガワ殿、これはいったい……!?」

「僕の目的は一つ。……彼女の呪いを解くことなんだ」


 動揺するベネットに、コウは神妙な顔で語り始めた。



 それは、高貴な生まれの令嬢の物語。


 彼女は、その美しさゆえ、ある日邪悪な魔法使いに目をつけられてしまった。


 求婚され、当然のようにそれを拒んだ彼女は、怒り狂った魔法使いにより呪いをかけられてしまう。


 生きながらにしてその肉体を獣に変えてしまう呪い――


 たまたま立ち寄った旅の魔術師が、その魔法使いを追い払ったことで、呪いが完遂される前にどうにか止めることはできたものの、一度生えた耳と尻尾はどうしても消し去ることができなかった。


 そして、街を放逐された彼女と共に、呪いを解くための放浪の旅が始まったのだ。


 しかし旅の途中で霧の中に迷い込んでしまった結果、荷物さえも失い、霧が晴れる頃には現在位置すらわからなくなってしまった。


 夜闇の中を彷徨ううちに、こうして、この村に辿り着いた――と。



 コウの真に迫った滑らかな語り口に、村人たちはすっかり引き込まれていた。ベネットや、先ほどまで不信感を露わにしていたダニーも感心しているし、真実を知るイリスさえ「そうだったのか……」と言わんばかりの顔をしている。


「……そういうわけで、我々に、この村で旅の疲れを癒やすことを、どうかお許し願えないだろうか。幸い、相応の対価は持ち合わせているし、もしそれが不十分であるようならば、何かをお手伝いしよう。僕の『力』でできること、であれば……」

「それは、魔術師殿をここで放り出すわけにはいきませんな」


 すっかり態度を改めたベネットが、何やら考え込みながら首肯する。


 と、腰からナイフを抜き取ったベネットは、顔の前に掲げて、厳かな口調で、


「……我々、タアフの村人は、ヨネガワ殿、イリス殿に悪事を働くことなく、心から歓迎することをここに誓いましょう」


 と宣誓した。ちらり、とベネットがコウの様子を窺う。


(成る程、力ある者を容易く招き入れるわけにもいかないもんな)


 納得したコウもまた、腰のベルトから短剣を抜き取って、同様の宣誓を――『悪意を持たないこと』を、刃に誓う。


「ありがとうございます、ヨネガワ殿。これで村人たちも安心しましょう」

「いやいや、こちらこそお騒がせして申し訳ない限り。ベネット村長のお心遣い、感謝致します」

「はっはっは、過分なお言葉です……ささ、こちらにどうぞ。何もない田舎村ではありますが、精一杯おもてなしをさせて頂きますぞ」


 好々爺然とした顔のベネットが、自らコウたちを村へ案内する。ベネットについていくコウたち二人をよそに、周囲の村人たちは「旅の魔術師か……」「凄いな……」「なんか前にも似たようなヤツ来たよな……」などと話しながら、三々五々に散っていった。


 どうにか上手くいった、と胸を撫で下ろすコウ。すると、その顔の横にふわりと燐光が舞う。


 よくよく見れば、コウの契約精霊――"幻惑の精"『ダルラン』が、にこにこと笑いながら空中を泳いでいた。


(……なんだか、ゲーム内とは違う雰囲気だな)


 融通が利かないAIに過ぎなかったゲーム内に比べ、なんというか、感情豊かな印象を受けた。


【 Se estas iu havas meliceco kontraŭ ni, diru al mi. 】


 コウがそっと囁くと、ダルランは首肯してふわりと消えていった。同時に、魔力が少しばかり持っていかれるような感覚もある。


『もし自分たちに悪意を抱く人物がいるならば、知らせろ――』


 この曖昧なコウの『頼み』を、ダルランは受けたのだ。ゲーム内では不可能な所業。


 やはりここは現実なのだなぁ、と感心しつつも、難しい顔をするコウ。


(どうやったら現実世界に帰れるんだコレ……)


 この世界が現実感に溢れていれば溢れているほど――元の世界が遠く感じられる。何やら突然暗い雰囲気を漂わせるコウに、イリスは心細い様子を見せていた。


 その後、村長宅で、ささやかながら歓待を受けるコウとイリス。


 黙り込んでちびちびと葡萄酒を飲むイリスをよそに、調子を取り戻したコウとベネット、そしてダニーの話は弾みに弾んだ。




 盃を重ねるにつれ、コウもベネットも饒舌になる――




 そして、コウたちと同じように、二、三ヶ月前に、突然村を訪ねてきた旅人として。




『ケイ』の名が話題に上るまで、そう時間はかからなかった。



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