50. 再会
ガッハッハッハ、と豪快な笑い声が響き渡る。
「いやはや、まさか貴様が例の弓使いだったとはなぁ!」
屋敷のリビングにて、笑いながらケイの背中をバンバンと叩くのはシャリト村の長、セルゲイその人だ。あまりの馬鹿力に座ったまま前へつんのめるケイ、隣でどう反応したものか困り顔のアイリーン。テーブルを挟んで反対側のアレクセイは、腕を組んでなんとも渋い顔をしている。
「ほほー……アンタがねえ……」
「彼女、美人さんじゃない? ねえエリーナ」
「な、なんで私に振るんです?」
値踏みするようにケイを見やる肝っ玉母さん風の女性、金髪を長く伸ばした吊り目の美女、そして亜麻色の髪を三つ編みおさげにした大人しそうな少女。
現在、騒ぎを聞きつけて、屋敷にはセルゲイの家族たちが集まっている。
「よぉし、では紹介しよう!」
やたら上機嫌でノリノリのセルゲイが、家族を紹介し始めた。
「まず、妻のタチアナだ」
「よろしく。ウチの倅が世話になったらしいねえ」
タチアナ――件の肝っ玉母さん風の女性は、やはり肝っ玉母さんだったらしい。両手を腰に当てた、恰幅の良いマダムに正面からギロリと睨めつけられ、「その……」と思わず返答に詰まるケイ。アレクセイは手で顔を覆っていた。
が、ケイが口を開く前に、タチアナは一転、表情を緩めてからからと笑い出す。
「冗談さね、男ならシャキッとしな! 切った張ったは雪原の男に付き物、いちいち気にしてたらキリがないよ」
「は、はぁ……」
取り敢えず気にはしていないらしい、と安心しつつ、ケイは阿呆のように頷く。
うむうむ、と同意するように首肯したセルゲイは、続いて吊り目の美女を示した。
「で、こっちが娘のアナスタシアだ」
「ハァイ。わたし、公国語はそんなにできないの。お手柔らかにね」
ぱちりとケイにウィンクして手をひらひらとさせる美女――アナスタシア。公国語はできない、と言う割にはしっとりと滑らかな喋り方だ。おそらく二十代前半、アレクセイの姉だろうか。
ケイの顔から胸部にかけて、舐めるような視線を向けたアナスタシアは一言、
「そそるわ……」
「お、おねえさん、夫を持つ身でそういうことは……」
アナスタシアの隣りに座る、三つ編みおさげの少女がわたわたと慌てている。
「だってしょうがないじゃない。彼ったらもう一週間も家に帰ってないのよ」
飄々とした表情に若干の憂いの色を滲ませて、溜息をつくアナスタシア。ケイたちと同年代とは思えないほど、色気のある表情をしていた。
「こいつの旦那は村の商家の跡継ぎでな。たまに行商で他の村々を回るから、家を長く空けることがあるんだ」
「そう。だからこうして実家にも遊びに来れるってワケ……足繁くね」
横から補足するセルゲイ、アナスタシアは皮肉げに笑った。
「なるほど、既婚か」
「あらぁ、興味がおあり?」
「いや、まあ、そういうわけでは……。俺には愛する人がいるのでな」
真面目くさったケイの言葉に、アナスタシアはころころと笑う。はにかんだような笑みを浮かべるアイリーン。苦笑するアレクセイと、その隣で少し表情を曇らせる三つ編みおさげの少女。アナスタシアはおさげの少女に流し目を送った。
「ほんと、聞いていた通り生真面目な人ね。ですってよエリーナ」
「だからなんで私に振るんですかっ」
エリーナと呼ばれたおさげの少女は、頬を赤らめてケイとアイリーンを交互に見やり、何故か動揺している。
「嫌気が差したらいつでも帰ってきて良いんだぞ、とは言ってたんだがなあ……嫁入り後も愛娘と会えるのは良いとしても、こんなにしょっちゅう帰ってくることになるとは思わなんだ」
周囲の微妙なニュアンスのやり取りには我関せずといった様子で、マイペースに話を続けるセルゲイ。複雑な父親の心境を覗かせる言葉に、アナスタシアも溜息をついた。
「それはこっちのセリフよ」
「まあいい、それで、次が息子のアレクセイだ。紹介するまでもないだろうが」
「ヘーイ、ナイストゥミーチュー」
開き直った様子で、姉よろしくひらひら手を振ってみせるアレクセイ。苦笑するケイたちに、お手上げのポーズを取って「他にどうしろってんだよ」とわざとらしく嘆く。
アレクセイは、最後に見たときからそれほど変わっていなかった。強いて言えば、擦り切れた旅装ではなく、それなりに仕立ての良い毛皮のベストやら何やらで、リラックスしたラフな格好をしていることだろうか。耳のピアスも相変わらずだった。
「そして、……『娘』のエリーナだ」
最後に、セルゲイが三つ編みおさげの少女――エリーナを手で示した。『
「は、初めまして」
紹介されたエリーナは姿勢を正し、少し緊張気味に会釈した。やはり、あどけない顔つきの少女だ。年の頃は十代前半といったところか。両親のどちらに似たのだろう、とケイはさりげなくセルゲイとタチアナを見比べる。だが、どちらの血が濃く出ているのかは判然としなかった。一家の中で一人だけ亜麻色の髪の毛、ハキハキした性格の他の家人とは違い、どちらかと言うと大人しめの人物であるように見受けられるが――
「へー、妹いたんだ」
アイリーンが意外そうに呟くと、アレクセイが答える前にエリーナ本人が何故かムッとしたように答えた。
「妹じゃありません! 妻です!」
――その言葉の意味を理解するのに、しばしの時間を要した。
「「えっ?」」
二人が、まじまじとエリーナの顔を凝視してしまったのも、致し方ないことだろう。
若い。
あまりに若い。
「えっと……エリーナは、今幾つなんだ?」
「今年で十六になりました」
「ええ……」
お前マジか、とケイがアレクセイを見ると、青年は精悍な顔を照れ笑いに緩めて頭を掻きながら頷いた。
「ああ。エリーナはおれの嫁だよ。この間結婚したばかりでな……」
改めて、アレクセイとエリーナを見比べる。片や金髪碧眼でピアスだらけの野性味溢れる青年。片や子供にしか見えないあどけない少女。
いや、エリーナが実年齢よりさらに幼く見えるのは、髪型や少しおどおどとした言動のせいもあるのかも知れないが――いずれにせよ、
((犯罪臭がヤバイ……))
口には出さなかったが、ケイとアイリーンの思考は見事に一致していた。だが、当人たちは全く問題視しておらずむしろ納得しているようだったので、部外者が口を挟むことでもない。そもそも、文化どころか世界が違うのだ。
「ええと、……おめでとう」
「末永くお幸せにね……」
とりあえず口々にお祝いの言葉を述べる。「ありがとう、ありがとう」と完全に吹っ切れた様子でそれを受けるアレクセイと、先ほどとは対照的に、はにかんだ笑みを浮かべるエリーナと。
その場に、気まずさとは少し違う、何とも言えない小っ恥ずかしいような空気が降りてきて話が続かないケイたちを見、セルゲイは大いに笑った。
「ハッハッハ! 諸国遍歴は嫁探しも兼ねてたんだが、皆が皆嫁を連れて帰ってこれるわけではないからな。嫁探しができなかった場合は、そのまま村の年頃の娘と結婚するものさ。そして武者修行から無事に帰ってくる若い衆は、大抵は自分が世界で一番強いとでも思ってるんだが、アレクセイは妙に落ち着いていた。調子に乗っていれば一発シメてやろうと思ってたんだが……話を聞けばなかなか『良い経験』を積めたみたいじゃないか。そういう意味では、貴様には感謝しておるとも」
ある種、含みのある顔でセルゲイがケイに笑いかける。ここに来てケイの中の気まずさも臨界状態に至り、取ってつけたような愛想笑いを浮かべることしかできなかった。アレクセイは、また違った意味合いで恥ずかしそうにしている。
「ところで、決闘の件は倅から聞いたぞ。なんでも、得物は凄まじい強弓らしいな? もし良かったら見せてもらえないか?」
ケイの内心を慮ってか、セルゲイはさらに話を変える。部屋の壁際に置いた荷物のうち、弓ケースにチラチラと視線を向けて落ち着きなくしているあたり、ケイを思いやってのことではなく、純粋な好奇心による話題転換かも知れない。そのきらきらと輝く瞳に、(まるで真新しい玩具に興味津々の子供じゃないか)と苦笑しながら、ケイは「もちろん、構わない」と頷いた。場の空気を変えるにはもってこいだろう。
"竜鱗通し"に弦を張り直し、セルゲイに手渡す。
「おおっ、これが!」
喜々として受け取るセルゲイ、「おおーいいな」とテーブルに肘をついて興味深げなアレクセイ――二人の顔を見ると、なるほど確かに親子だと思わされた。
"竜鱗通し"を手渡された瞬間、セルゲイの腕がクンッと跳ね上がる。馬賊が使う複合弓よりも遥かに大型で厳つい造りをした"竜鱗通し"だが、その見た目を裏切る軽さには意表を突かれたようだ。「なんだ、随分と軽いな!」とセルゲイは笑ってはしゃいでいたが、
「なんだこの張りは」
軽く弦を引こうとして、びくともしない"竜鱗通し"に驚く。思わず真顔になったセルゲイは呼吸を整え、改めて力を込める。
「ぬっ……ぐぬぅ……!」
腕の筋肉が盛り上がり、ギリギリと音を立ててしなっていく朱き強弓。ほう、と感心しながら、ケイはそれを眺めていた。今まで数々の男たちが"竜鱗通し"を引こうと試みたが、胸元まで弦を引けた者はほんの一握りだ。セルゲイは、その中の数少ない一人になれるかも知れない――
「ぐっ、うおおおおおォッ!」
そして、裂帛の気合とともに、セルゲイは頬のあたりまで弦を引ききった。ガチガチに身体を強化しているケイでさえ、かなり力を込めなければ引けず、長時間保持もできない位置。常人としてはあり得ないレベルの馬鹿力と言えるだろう。
が、それと同時、「ブボボォッ」という異音が響き渡る。
「あらまッ」
「うわっ臭え!」
「ちょっと父さん!」
セルゲイの傍にいたタチアナ、アレクセイ、アナスタシアが一斉に距離を取る。力みすぎたセルゲイが豪快に放屁したのだ。
一瞬きょとんとしたセルゲイだが、理解が及ぶや否やガッハッハッと爆笑し、"竜鱗通し"をケイに返しながら、
「いやはや、凄まじい強弓だ! 全盛期のワシでも使いこなすのは難しいな。ついつい力を入れすぎたわ!」
危うく実も出るところだったわい、と言われてはケイも反応に困る。というかそれより何より臭かった。アイリーンも若干、テーブルから椅子を離して距離を取っており、エリーナはしかめ面で鼻を摘んでいた。
が、周囲の反応を一顧だにしないセルゲイは、ケイが壁に立てかけた"竜鱗通し"を眺めながら、ひとり神妙な顔で頷いている。
「ううむ……この弓を使いこなすとは、只者ではないな。まずまともに引ける者がウチの村に何人いるか」
言いながら、それとなくアレクセイを見やるセルゲイ。水を向けられたアレクセイは、「……試しても?」とケイに問う。
断る理由は特になかった。「もちろん」と"竜鱗通し"を手渡すケイ、気負わず受け取るアレクセイ、交錯する二人の視線。
「……こりゃキツいな」
弦を指で弾き、ぽつりと呟くアレクセイだったが、「ふンッ」と力を込め、胸元までグイッと弦を引いてみせた。
「ほう、やるな」
「まーな。というか、ケイの腕力が異常だ。これでも村の中でも指折りの力自慢なんだぜ、おれ」
半笑いで弓を返しながらアレクセイは――ふと表情を消して首を傾げた。
「ひょっとすると、ケイも『紋章』持ちか」
アレクセイの言葉に、セルゲイたちがぴくりと眉を跳ねさせる。ケイとアイリーンは無言を保った。
『紋章』関連の話題は非常に繊細だ。雪原の民の秘奥とされている業を、異民族であるケイが身につけてしまっている――そしてそれはゲームだからこそ可能であったのだ。この世界の住人に『ゲーム』の事情を説明するのはなかなか難しいし、場合によっては危険すら伴う可能性がある。
「アレクセイ」
「構わねえよ、親父。ケイたちは『紋章』のことをかなり詳しく知っている」
セルゲイの咎めるような声に、アレクセイは首を振って答えた。ウルヴァーンに辿り着いて別れる際、ケイはアレクセイがその身に刻んでいる『紋章』の種類を言い当てたことがある。本来なら『秘奥』とされる紋章の詳しい知識があり、紋章を持つ雪原の民の戦士と同等の筋力を誇る――となれば、ケイもまた紋章の恩恵に与っているのではないか、という推察は決して的外れではない。
「……そうなのか?」
「まあ、そうだな」
探るようなセルゲイの問いに、ケイは少し悩んだが、素直に首肯した。
「その辺は話せば長くなる。俺たちがここまで旅をしてきた理由にも絡むことだ」
「そうだ、それにも驚いたぜ。もう二度と会うこともねーだろ、って思ってたのに……二人とも、なんだってこんな辺鄙な場所に来たんだ?」
アレクセイの質問は核心を突く。ケイとアイリーンは目配せし合った。
シャリトの村がアレクセイの故郷だったのは全くの想定外だが、『知り合いが存在したこと』それ自体は悪くない。色々といざこざもあり、決闘では殴り合いまで演じた仲だが、少なくとも極悪人でないことはわかっている。
「……俺が話すより、アイリーンが説明した方が早いかも知れないな」
ケイが公国語で話すより、アイリーンが
「全部、アイリーンに任せる」
「わかった」
おそらくケイの意図は伝わったのだろう。しっかり頷いたアイリーンは、言語を切り替えて諸々の事情を説明し始めた。ゲームや異世界という概念は程々にぼかしつつ、理解しやすいように順序立てて話していく。
全てロシア語なのでケイにはちんぷんかんぷんだったが、セルゲイたちの顔を見ていればどういった内容なのかは大体想像がつく。アイリーンが『Greensleeves』を歌ってみせたときの驚きようは、なかなか見ものだった。
「異邦人……か」
「ケイたちがそうだったのか……なるほどなぁー。故郷が遠くて帰れないかもしれない、って言ってたのはそういうことだったか」
いまいち信じ切れない、と言うより、情報を消化しきれていないのか、言葉を噛みしめるように唸るセルゲイに対し、アレクセイは理解も納得も早かった。
「それで、お前らは魔の森に手がかりがあると?」
「公国の図書館で調べた限りでは、そういう結論に至った。少なくとも、
「ふーん……」
顎を撫でたアレクセイは、ケイの目をまっすぐに見つめる。
「じゃあ、手がかりがあったとして、ケイたちは故郷に帰るのか?」
何気ない問いだったが、それはケイにとってナイフのように鋭く感じられた。
「……俺
低い声で、ケイは答える。
「へ? そりゃなんでまた」
「……実は俺は、故郷だと不治の病に冒されていてな。それこそ、いつ死んでもおかしくないような状態だった」
ケイの言葉に、「冗談だろ」とでも言いたげに目を瞬かせるアレクセイ。セルゲイたちも、健康どころか生気に満ち溢れているケイの肉体を見て、「どの口で言うのか」とばかりに疑わしげな顔をしていた。
ふっ、とケイの微笑みが、儚いものとなる。
「不思議なことに、『こちら』に来るとそれが治ったんだよ。本当に不思議なことに、な……。だが、帰ったら多分、病気も元に戻ってしまうと思うんだ。だから、俺は……帰らないよ」
「……じゃあ、アイリーンは、どうすんだよ? 帰りたいんだろ?」
続けて投げかけられた問いは、ケイが最も知りたくて、そして恐れるものであった。
皆の視線が、アイリーンに集中する。
「……オレは、」
俯いて、テーブルの上の自分の手に視線を落としたアイリーンは、なかなか答えられないようだった。
ケイの方を気にして――でも、直接視線を向けられなくて。
「……ハッキリ言って、……本当に、よくわかんないんだ。ふざけてんのかって、思われそうだけどさ……」
やがて、消え入りそうな声で、アイリーンは言った。
おどおどと、気弱にケイを見やる。「……ホントごめん」と、小さな呟き。
「でも、……でも、オレは、ケイを一人で残してまで――」
「……いや、いいんだ、アイリーン」
アイリーンの言葉を遮って、ケイは
「迷う気持ちもわかるさ。俺だって、同じ状況だったら死ぬほど悩むと思う。……それをハッキリさせるために、俺たちはここまでやってきたんだろう」
そう言って微笑みかけると、アイリーンは言葉に詰まった。
口を開いて――何かを言いかけて、しかし結局、俯いてしまう。
「よし」
と、場を静観していたセルゲイが、そのとき頷いた。
何が「よし」なのかわからないが、とにかく頷いた。
「そういうことなら話は早い。行くぞ」
「……親父、行くって何処へ?」
アレクセイの問いに、席を立ったセルゲイは、事も無げに答えた。
「決まってるだろ。魔の森だ」
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