42. 狩猟
朝の空気は冴え渡っている。
北の大地の夜明けは乾いていて、どこかよそよそしく、冷たい。これが公国であれば瑞々しい草の香りを楽しめたものを。
朝焼けの空を眺めながら埃っぽい風に吹かれていると、ケイは一日の始まりに何ともいえない疎外感のようなものを抱くのであった。
「……行こうか」
ケイはピョートルほか数人の戦士を連れて、狼に矢を
ピョートルには既に、昨夜のハウンドウルフの件を話してある。そしてそれが単なる見間違いでなかったときの『飼い主』の懸念についても。
「ハウンドウルフ、か……」
話を聞いたピョートルは、頭ごなしに否定こそしなかったものの、どちらかといえば半信半疑の様子だった。北の大地にはハウンドウルフがおらず、それを飼い馴らすイグナーツ盗賊団もあまり知られていない。説明されても具体的な『脅威』としてはいまいちピンとこないのだろう。
(まあ、話を聞いてもらえるだけでも有難いもんだ)
監視を兼ねているとはいえ、こうしてついてきてもらえるのだから、とケイはひとり肩をすくめた。
木立を西に抜けて、例の狼がいた草むらへ。サスケから飛び降りたケイは、草を掻き分け地面に視線を走らせる。
「……あった」
かさかさに乾いた草の上、べったりと付着したどす黒い血痕。それは点々と西の方角へ続いていた。
(やはり仕留め損なったか……)
分かってはいたものの、嘆息せずにはいられない。その辺で力尽きていることを密かに期待していたのだが、そうは問屋が卸さないようだ。
すぐさまサスケに飛び乗って血痕を追跡しようとしたが、――そこで雪原の民の一人から待ったがかかった。
「ケイ。彼が『本当にそれはハウンドウルフだったのか』と聞いている」
心底面倒臭そうな顔をした戦士の言を、ピョートルが翻訳する。
「『探す必要はあるのか』『ただの野犬と見間違えたんじゃないか』とも言っている」
「……ふむ」
長々と説明してもいいが、こういった場合は分かりやすく力を示した方が良いだろうと考えたケイは、馬上、おもむろに"
ビシィッ、と鋭い音を立てて矢が突き立つ。
穿たれた幹に大きなヒビが入り、そこを基点にゆっくりと傾いた潅木は、めりめりと軋みを上げながらそのまま真っ二つになって倒れた。
ぽかん、と呆気に取られる男たち。
「ただの野犬なら死んでいる、とでも伝えてくれ」
「……わかった」
信じられないものを見た、とばかりに呆然としつつも、ある種の畏敬の念を浮かべたピョートルがケイの言葉を訳す。我に返った戦士たちはもはや面倒臭さなど吹き飛んだ様子で、今度は堰を切ったように何やら問いかけてきた。
『おい、どんな矢を使ってるんだ!?』
『ひゃーすげえ、衝撃で矢が砕けてらァ!』
『凄い弓だなぁオイ!』
ピョートル曰く彼らはそんなことを言っているらしく、「普通の矢だ」「張りが強い弓を使っている」などとケイも苦笑混じりに答えた。"竜鱗通し"が盗られたら嫌なので、"
その後しばらくピョートル越しに質問に答えたり、少し迷ったが"竜鱗通し"を触らせたりして戦士たちとの交流を図る。皆、"竜鱗通し"の化け物じみた張りの強さと、その見た目を裏切る軽さには驚いたようで、ケイが軽々と弦を引いてみせると子供のようにはしゃいでいた。
そうしてほんの少しだけ戦士たちと打ち解けたところで、改めて血痕を辿っていく。
百メートル、二百メートルと行くうちにどす黒い点の間隔は徐々に短くなり、最後は地面を這いずっていったかのようにべったりと血のあとが続いていた。出血量から考えて、やはりこの先で力尽きているのではないかとケイは予想したが――
三百メートルほど進んだであろうか。
血痕はそこで不自然にぱったり途切れており、死体は影も形もなく、結局"狼"の正体を確かめることはできなかった。
ケイたちの帰還とともに、隊商は再び動き出す。
「ゲーンリフには説明しておいた。ただ、あまり
一旦、ゲーンリフのところへ報告に行っていたピョートルが、斥候に戻ってくるなり申し訳なさそうに告げる。
「そうか」
言葉少なに頷くケイは、正直なところ期待していなかったので、特に落胆する様子も見せない。死体が見つからなかった時点で何を言っても説得力がないし、あれが絶対にハウンドウルフだったという確証もないのだ。
ただ、その死体を回収した者が野営地の近くにいたのは間違いないだろう。野生動物が死肉を漁ったにしては痕跡がなさ過ぎる。『死体』を見られては困る事情があったのだとすれば――きな臭い話だ。
「せめて猟犬がいれば良かった。だがこの隊商にはいない」
「そうだな、狩人でもなきゃ普通は連れてないだろう」
そう答えてからケイはふと、今後自分も狩人としてやっていくのであれば犬を飼うのはアリかもしれない、と思った。アイリーンの言っていたペットのヤギではないが。
「まあ、気をつけるしかない」
「その通りだ。わたしが先行しよう」
器用にも馬上で、背中の丸盾を左手に持ち直したピョートルが槍を構えながら進んでいく。"竜鱗通し"に矢をつがえ、いつでも放てるようにしながらケイもそれに続いた。
何やら不穏な空気を察したのか、サスケがちらりと振り返って「飛び道具はカンベンしてよね」とばかりに鼻を鳴らす。
「文句なら馬賊に言ってくれ」
ケイがぽんぽんと首筋を叩くと、ぶるるーと不満げに溜息をつくサスケ。
周囲の植生はますます濃く、『隠れられる場所』が目に見えて増えてきている。これはなかなか骨が折れそうだ、とケイも小さく溜息をついた。
茂みを探ったり、木立を見て回ったり。
やっていること自体は昨日とさして変わらない。しかし昨日以上に緊張した面持ちで二人は進む。
ケイは定期的に、深呼吸して肩の力を抜くよう心がけていた。そうでもしなければ、気が付くと力みすぎていて筋肉が凝り固まってしまう。
一時間が過ぎ、二時間が過ぎ――
「……もし馬賊が襲ってくるなら、どのタイミングで来ると思う?」
薄暗い木立に目を凝らしながら、緊張に耐えかねたかのようにケイはそんな益体のないことを聞いていた。生真面目なピョートルは顎に手を当ててしばし考え、
「そうだな。ゲーンリフは孤立しているときが危ないと言うし、皆もそう思っている。だがわたしは、集落の近くの方が危ないと思う」
「何故だ?」
「馬賊は人数が多い。馬のためにあまり水場からは離れられない。そして水場の近くには集落がある。集落のそばで待っていれば、隊商はいずれやってくる」
「成る程」
馬賊の脅威が取り沙汰される割に、街道沿いの集落が全滅していないのはそういうことなのだろう。雪原の民は馬賊がいるからといって、隊商を出さなくなるような臆病な気質ではない。むしろ戦士の数を増やして迎撃する気満々だ。
相手の狙いを分かった上で、真正面から叩き潰そうとしている。
「撒き餌みたいなもんか」
「……撒き餌? とは?」
「釣りをするときに、魚をおびき寄せるためにばら撒く餌のことだ」
「ああ。麦を撒いて鳥を呼び寄せるようなものか」
「そう……だな。例えるならそれが一番近いだろう」
「それなら分かる。実はわたしは釣りをしたことがない」
成る程、と頷いたところで、ケイもはたと気付く。
(そういえば俺も釣りなんかしたことなかった)
前の世界では釣りを経験する前に入院してしまったし、『こちら』に来たあとも、魚を獲るときは専ら"竜鱗通し"を使っていた。暗い水面でも見通せるので、撒き餌を使う必要すらない。
(釣りか……)
時間があったらやってみてもいいかもな、とは思ったが、水面から魚が見えたらまどろっこしくて弓を使ってしまいそうだ。
「北の大地だと、あまり釣りはしないのか?」
「いや、魚は貴重な食料だ。川や西の海の近くに住んでいる者は当然する。ただわたしは内陸の出身だ。あまり大きな川や湖はなかったから……」
故郷を思い出したのか、すぅっ、とピョートルの目が遠くなる。
「そ、そうか。まあ俺も鳥を狩る方が簡単な気がするな……」
「……ケイの弓の腕ならそうかもしれない。普通は罠を使う」
「ちなみにどんな罠を使うんだ?」
基本的に狩りは弓でしかしないが、後学のために聞いておく。
「うむ。その罠は、……弓に似ている。バスケットの奥に餌が置いてあって、鳥が頭を突っ込んでそれを食べようとすると、棒が外れる。すると――」
もどかしげに、身振り手振りを交えたピョートルの説明を総括すると、それは弓状の器具の張力を利用して鳥の首を挟み込む罠らしい。
「へえ、面白いもんだな。仕掛けておけば捕まえられるってのも良い」
「いや、あまりリラックスはできない。なぜなら捕まえたあとそのままにしておくと、狐や狼、他の鳥に獲物を取られてしまうからだ」
「ああ、結局見張るしかないわけか……」
「そうだ。そしてただ待っているのは結構な苦痛だ。ケイのように、すぐ狩れるのは良いことだと私は思う。どこでも生きていける」
少しばかり熱の籠もったピョートルの言葉に、ケイは思わず苦笑した。しばらく前にも誰かに似たようなことを言われた気がする。「そうかな」と呟いて、ケイは馬上から周囲を見渡した。
あちこちに点在する緑の木立。地平の果て、山脈に突き当たるまで延々と続く乾いた大地。そして僅かに蛇行しながら伸びる石畳の道――ブラーチヤ街道。
見上げれば、晴れ渡った空の高みにうっすらと巻雲がたなびいている。
「鳥か……」
目を凝らし、じっくりと観察すると、遥か前方の茂みで何かが動いたのが見えた。
「ん、噂をすれば何とやらだ。あそこに鳥がいるな、何だろう」
「鳥? どこだ? わたしには見えない」
「ほら、あそこの木立の……って遠すぎるか。ちょっと近寄ってみよう」
「いや、その前に木立を全部見て回ろう」
「……そうだな、仕事を疎かにするわけにもいかないし」
二手に分かれてざっと隊商の周辺をチェックして回り、何の問題もないことを確かめてから、改めて件の木立へと向かう。
街道を少し外れ、隊商からは二百メートル以上も離れていた。背後を振り返って彼我の距離を確かめたピョートルは、「参ったな」とでも言わんばかりに苦笑する。
「ハハッ、こんなに離れていたのか! わたしに見えるわけがなかった」
「シっ。静かに」
唇に人差し指を当てて見せ、ちょいちょいと、茂みの奥を示す。興味深げに木立を覗き込んだピョートルが、「おっ」と小さく声を上げた。
それは見事な緑色の羽根を持つ鳥だった。
頭から尾羽までは一メートルほどもあるだろうか、太い二本足でのしのしと歩きながら、餌を探して地面をつついている。頭部は鶏のとさかのような赤い肉で覆われており、ぱっちりと開いた黄色い目も相まって、存外に愛嬌のある顔つきをしていた。
「Фазанじゃないか! あれは美味い」
声を潜めつつも、やや興奮した様子のピョートル。
「
「公国語で何と言うのかは知らない。しかしわたしたちはФазанと呼ぶ」
「
「
「発音は似てるな……」
「おそらく同じ鳥だ」
「ということは、あれはキジか」
「ああ、キジだ」
木立の外の来訪者二人に気付いたキジは、ぴんと首を伸ばした姿勢で、警戒しているのか落ち着きなくそわそわとしている。
「あれは肉が硬いがとても美味しい。ケイ、獲れるか?」
「任せろ」
ぺろりと唇を舐めたケイは、矢筒から慎重に質の良い矢を選り出す。
つがえて、きりきりと弦を引き絞る、流れるような一連の所作。何かまずい流れを察知したキジが、ぶわりと翼を広げて飛び立とうとするも、致命的に遅い。
カヒュンッ、と"竜鱗通し"にしては控えめな音が響く。
銀光がキジの胸に突き立ち、ぱっと緑色の羽根が散った。
「よし」
「おお、やった!」
満足げなケイ、快哉を叫ぶピョートル。馬から下りたピョートルが木立に分け入り、地面でピクピクと痙攣するキジを拾ってきた。
「オスだ。たくさんの肉がある」
なかなか立派な一羽だ。肉付きもよく、一人では持て余すほど食いでがあるだろう。
ニッと悪戯っ子のような笑みを浮かべて翼を広げてみせたピョートルは、矢を抜き取ってケイに返し、手際よくキジの頚動脈にナイフを差し込んだ。元々矢で致命傷を負っていたということもあるだろうが、キジは暴れることもなく静かになる。
ケイは矢に付着した血を布巾で拭い取りながら、はらはらと流れ出る赤い命の滴を眺めていた。
元来、捕食とはグロテスクな行為だ。街で暮らしていると忘れそうになるが。
「よし、これでいい。あとは休憩になってからやろう」
三分ほどかけて血を抜き取り、ピョートルが立ち上がる。ふと見れば、その間も進んでいた隊商が随分と近づいてきていた。これはケイの獲物だ、とピョートルがキジを差し出してきたが、サスケの鞍は矢筒で占有されておりぶら下げる余裕がない。
結局ピョートルが乗騎の鞍にキジを括り付け、二人は斥候に戻っていった。
†††
それからほどなくして、隊商はとある村に到着した。
規模はそれほど大きくないが、土壁と丸太の柵に囲まれた、小さな要塞のような集落だ。前回の反省からピョートルだけが中に入って住人たちに隊商の来訪を告げ、フードを目深にかぶったケイは村の外で待機していたため、石を投げつけられるような目には遭わずに済んだ。
「今日はここに留まる」
ピョートル曰く、この村を過ぎるとしばらく水源がないため、今日の旅路はここまでらしい。まだ昼過ぎだが、村の外では隊商の馬車がまたぞろ円陣を組み、野営の準備を始めていた。
「ケイ~オレたちも飯にしようぜ!」
アイリーンがスズカに跨って颯爽と駆けてくる。今日はこれで一日のんびりしていられるということで、随分と嬉しそうだ。
「おう。さっき鳥を仕留めたから、今日の昼飯は豪勢だぞ」
「お! いいな! ……よっ、と」
サスケの隣までやってきたアイリーンは、ぴょこんと鞍の上で立ち上がったかと思うと、そのまま軽業師のような動きでサスケに飛び移ってきた。
「へへーん」
ぽすん、とケイの背中の後ろに収まって楽しげなアイリーン。しかし、いくら彼女が軽いとはいっても、羽毛のようにとはいかない。急激な加重に「ほげえ!」と目を剥いたサスケが「ちょっと、お客さんこまります」とケイを見やる。
「あとでお前にも肉食わせてやるから」
ケイがぽんぽんと首筋を叩くと、「しかたないな……」と溜息をつくサスケ。こうして乗り回しているとただの馬にしか思えないが、実際はバウザーホースという雑食性のモンスターだ。肉でも野菜でもガッツリとイケる。
ピョートルが隣までやってきて、鞍に括り付けていたキジを示して見せた。
「ほら、これがケイの仕留めた鳥だ」
「あ、それ昔なんかで見たことある! なんてヤツだっけ……」
ぬーん、とこめかみに指を当ててアイリーン。
「キジか?」
「ああそれそれ。美味いのかな?」
「美味しい。とても美味しい」
「オレ食べたことないんだよねー楽しみ! ランダールの旦那んトコに行こうぜ」
皆、一様にウキウキとした気分でランダールの元へと向かった。
円陣の、村から遠い外周部分に馬車を停めていたランダールは、既に火を起こし昼餉の用意に取り掛かっている。
「お、来たか兄弟!」
ケイたちの姿を認め、ニカッと愛嬌のある笑みを浮かべるランダール。サスケから降り、ひょいとアイリーンを抱えて降ろしながら、ケイもニヤリと笑い返した。
「今日は俺も土産があるぞ」
「ケイがキジを仕留めた」
「ほほー! これはこれは」
ピョートルからキジを受け取ったランダールは、両手でしっかりとした重みを確かめながら、「見事だな!」と感嘆の声を上げる。
「こいつぁ料理のしがいがあるってもんだ」
「期待してるぜーランダールの旦那!」
「おう、任せとけ嬢ちゃん。とりあえず羽根毟るか……」
ランダールが羽根を引っこ抜き始めたので、ケイたちもそれぞれ準備に取り掛かる。
ケイは、内臓や皮を捨てるための穴を掘る係だ。シャベルを借り受けてサクサクと地面を掘っていく。その間アイリーンはスープの具を小さく切り刻み、ピョートルは飲み物を調達しに村へと向かった。ランダールは羽根を抜いたキジを軽く火で炙って、表面の産毛を焼いている。
「さぁて、どうするか。新鮮だしそのまま炙ってもいいが……」
綺麗に羽根が毟られ、表面がパリッと焼けたキジを前にランダールが腕を組む。
「鍋にするのも悪くないなぁ。腿肉は焼いてあとは煮込むか。今日はもうここから動かないんだろ?」
「たしか、そのはずだ。ピョートルはそう言っていた。あと穴掘り終わったぞ」
「おう、ありがとう。なら晩飯用のスープも用意しておくかな。よし、嬢ちゃん、ちょいとさばくの手伝ってくれ」
「あいよー」
ランダールは器用にナイフを使って、見る間にキジを解体していく。アイリーンはぶつ切りにした肉を串に刺していき、ケイは剥ぎ取った皮や腸のように食べられない内臓を穴に埋める。
そうしているうちに、壷と皮袋を抱えてピョートルが村から戻ってきた。
「水を貰ってきた」
「おう、ありがとう。ちょうど良かった、鍋で湯を沸かしてくれ」
「分かった」
ランダールの指示にこくりと頷いて、ピョートルが皮袋の水を鍋に注ぐ。そして一抱えもある壷を指差し、
「それと……酒だ」
「酒!! 麦酒? 葡萄酒?」
ぴかーん、と顔を輝かせるアイリーン。
「麦の蒸留酒だ」
「おおーいいねいいね!」
「それは、けっこう高くついたんじゃないか?」
「あの村には知り合いがいる。安い値段で買うことができた」
心配げなケイをよそに、気にするなとピョートルは首を振る。
「ハハッ! 真昼間から蒸留酒とは豪勢な話だ。ちょっと料理にも使っていいか? 香り付けに」
「もちろんだ」
三脚の上でコトコトと音を立てる鍋、じゅうじゅうと香ばしい匂いを漂わせる串焼き肉。周囲の商人や傭兵も、乾パンや干し肉を齧りながら、何人かは羨ましげにケイたちの方を見ていた。
彼らと視線は合わせないようにしつつ、微妙に優越感を感じていたケイだが、ふと円陣の全体を見回して違和感を抱く。
(……そういえば、なんか人影がまばらだな)
記憶にあるものより、隊商の人数が明らかに少ない。
「ん、どうした。ケイ」
目敏くピョートルがケイの様子の変化に気付き、尋ねてきた。
「いや。妙に静かだと思ってな、隊商が」
「……ああ。皆、村に行ってるんだろう……」
村を取り囲む土壁と柵を見やり、ピョートルはどこか疲れたように答える。言われてみれば、壁越しで見えないがワイワイガヤガヤと、村の方は祭りのように何やら盛り上がっている様子だ。
「やはり、顔見知りがいて皆遊びに行ってるのか」
「それもあるが……」
言い淀んだピョートルは、ちらりと鍋をかき混ぜるアイリーンを気にして、ケイの耳にささやいた。
「……昨日の奴隷の女が、村に連れて行かれた」
ケイは、今一度、村の方を見やった。
壁越しに聞こえる、はやし立てるような声――
「……そうか」
「……死ぬようなことはしないと思う。多分」
顔を見合わせたケイとピョートルは、もうこの話は終わりだとでも言わんばかりに、二人して小さく肩をすくめた。
「……よっし。いい感じだ。みんな、食うか!」
そのとき、スープをぺろりと味見したランダールが、納得した様子で大きく頷いた。
「あ~めっちゃ腹減った! 食べよう! 早く食べよう!」
舌なめずりしながら上機嫌のアイリーンは、木のゴブレットにだばだばと蒸留酒を注いでいる。
「はい、これケイの分な!」
「お、おう。ありがとう……」
透き通るような蒸留酒がなみなみと注がれたゴブレットを押し付けられ、少し困り顔のケイ。酒は嫌いではないし、『身体強化』の恩恵でアルコールに耐性もあるが、ケイはどうにも、このタイプの強い酒のどこが美味しいのかよく分からないのだ。葡萄酒やビールはまだイケるクチなのだが。
そんなケイをよそに、アイリーンは男性陣に酒を注いで回っている。
「これはピョートルの分」
「
「そしてこれが旦那の分」
「ありがとうよ、嬢ちゃん」
「んで最後にこれがオレの分!」
でん、と残った壷を抱えて笑顔のアイリーン。「それはいけねえ」「それはダメだ」とランダール・ピョートルの両名から即座にツッコミが入る。
「えー。いいじゃん」
「ダメだ。まだ昼間だぞー嬢ちゃん」
「不平等だとわたしは思う」
「ちょっと呑みたい気分なんだ!」
「『ちょっと』じゃねえだろコレは」
「呑みすぎはよくない」
「このくらい余裕だって。舐めるようなもんだよ」
「っつーかおれも呑みたいんだよ!」
「というより元々わたしの酒だ」
「ぬっ。ぐぬぬ」
「……なあ、食べていいか?」
ジューシーな肉汁を垂らす串焼肉を前に、腹をさすりながらケイ。残りの三人もハッとした様子で、いそいそと串を手に取った。
「そいじゃ、ケイの弓の腕に感謝して」
「ああ。食べよう」
「イタダキマス!」
「いただきます」
一斉にかじりつく。
「おお、これは……」
ものすごい肉の弾力だ、まるで歯からつるりと逃げだしてしまうような。それでいてじっくりと噛み締めていると徐々に肉がほぐれていき、じんわりと舌に染み入る旨みが溢れ出てくる。味付けは塩だけだが、そのシンプルさがまた良い。臭みや癖はない、思いのほか素直な味だ。
「ん~これは堪らん」
「やはり美味しい……」
「ウマイなぁ」
皆、酒を片手にご満悦だ。ケイも肉を飲み込んだあと、蒸留酒をちびりと口に含んでみた。舌が焼け付くような感覚、芳醇なアルコールの香り、肉の脂の残滓が洗い流され、香ばしい匂いがほわりと鼻から抜ける。
「……うん。良いものだな」
これはこれで、と頷きながら串焼き肉をまた一口。先ほどの木立の中の、生前のキジの姿を思い描き、ケイは改めて自然の恵みに感謝した。
「そういや、さっきケイと嬢ちゃんが言ってた、イタダキ……なんちゃらってのは、何なんだ?」
早々に肉を平らげ、ガリガリとビスケットを齧りながらランダール。
「ん。そうだな、俺の故郷の言葉で……なんと言うべきか。食事の前の祈り、かな?」
「ほう、ケイの故郷の」
ピョートルが若干の興味を示す。
「実際、ケイはどこから来たんだ? 草原の民でも、この辺りの出でもないってのは、嬢ちゃんから聞いてるが」
「……東の果て、としか言いようがないな。とても遠いところだ、俺にはなぜ自分がここにいるのかすら分からない」
ランダールの問いに、ケイは肩をすくめて答えた。
「……そう聞くと、まるで自分の意思じゃなくこっちに来たみたいだが」
「まんざらハズレでもない。霧に呑まれたら、いつの間にかこちらにいた」
ゴブレットの中身、ゆらゆらと揺れる蒸留酒を見つめるケイに、ランダールは注意深く視線を注いでいる。
「……その割に、言葉は通じるんだな」
「まあな、元々公国語は出来たんだ。あとは故郷で、高原の民の言葉も、海原の民の言葉も少しずつ学んでいた」
「ほう! そいつぁ凄い」
「残念なのは雪原の民の言葉は話せないってことだが……」
少しばかり苦い笑みになったケイは、蒸留酒を口にして言葉を濁した。が、次の瞬間、後頭部の髪をぐいと引っ張られる。
何事かと慌てて振り返れば、サスケがつんつんと鼻先でこちらをつついてきていた。
「……ああ、そういえば肉をやる約束だったな」
手元の串から最後に一口食べて、サスケの鼻先に残りを差し出す。ふんふんと匂いを嗅いだサスケはがぶりと肉に齧りつき、「うめえ!」と目を見開いて咀嚼し始めた。
「……ケイの馬は肉も食うのか?」
ピョートルとランダールは呆気に取られている。アイリーンがケイに視線で「どう説明する?」と問いかけてきた。別にこの二人になら話しても構わないんじゃないか、と思ったケイだが、面倒を避けるため適当に誤魔化すことにした。
「馬もたまには肉を食うみたいだぞ」
「へーそうなのか。知らなかった」
「ほう……」
感心するランダール。ピョートルは、そばで寛いでいた自身の乗騎の鼻先に、ケイの真似をして串を差し出している。が、興味を示して匂いを嗅いだ馬に、ブルヒヒと鼻息で串を吹き飛ばされ、「ああっ!」と悲痛な声を上げた。
「なんということだ。肉が……」
地面に落ちた、土に塗れた串焼き肉を前に途方に暮れるピョートル。悲しげな顔で、しかしおもむろにそれを拾い上げたピョートルは、土や砂利を払いのけてから焚き火の中に突っ込み、改めて炙りだした。
「火は浄化する。全てを」
「……食うのか」
「食べ物を無駄にしてはならない……」
「そうか……」
ピョートルは躊躇うことなく全部食った。
その後、他愛もない話――別の種類の鳥も美味かっただとか、どこそこの酒は呑めたものではなかっただとか――を続けながら、ケイたちは心行くまで食事を楽しんだ。串焼き肉とスープ、ビスケットや乾パンも腹いっぱい詰め込み、蒸留酒でほろ酔い加減。
キジ肉はまだ少し余っており、食事がひと段落したあたりで、ランダールは余ったスープに具と水を追加して夕飯の仕込を始めていた。今度は鳥ガラで濃厚な出汁を取るつもりらしい。ピョートルは腿肉の骨に付いた軟骨をこりこりと齧りながら、馬車の車輪にもたれかかって酒を舐めるようにして呑んでいる。
満腹になったケイとアイリーンは、自分たちの荷物の山を枕にして草地に寝転がり、心地よい眠気と食後の倦怠感に身を任せていた。
「あー平和だなぁケイ」
「そうだなぁ……」
昼間から、こんなにのんびりできているのは久方ぶりだ、とケイは思う。ここ数日は斥候の任務で忙しかったし、ディランニレンに辿り着くまでの道中も、何だかんだであまり余裕がなかった。
今日は早めに野営を始めたということもあるだろうが、隊商の面々が村の方に出張っているというのも、ケイにとっては居心地の良さの遠因だ。なぜ出張っているのか、を考えると少し欝が入りそうになるが、そこはアルコールに任せて程よく忘れることにした。
「このノリで無事にベルヤンスクまで着けばいいんだけどな~」
「……そうだな」
切実なアイリーンの言葉に、思わず「そういうのはやめろ」と言いそうになったが、死亡フラグの概念から説明する羽目になりそうだったので同意するに留める。
「……ん?」
そしてそれよりも、たなびく雲の切れ間から、気になるものが見えて上体を起こす。
目を凝らし、そこにあるものを読み取る。自身の記憶と知識と照らし合わせる。
「ん? どしたケイ?」
「……参ったな、今晩から明日にかけて雨が降るぞ」
ケイの言葉に、その場の全員が「え?」と反応した。
「雨?」
「たしかに雲は出ているが……」
ピョートルとランダールも手をかざして空を見上げる。アイリーンはケイの星読みによる天気予報を知っているが、そうであるが故に怪訝な顔をしていた。
「マジで? でもここ数日は晴れだって、前に言ってなかったっけ?」
「あの時はまだディランニレンの近くだったからなぁ。所変われば天気も変わる……」
呟くようにしてケイ。
星読みによる天気の予測は的中率ほぼ100%だ。ただし、これには一つだけ大きな欠点がある。
それは観測者の『真上』の天気しか分からないことだ。
例えばA地点で星を読み、今後一週間の天気が晴れになると予想したとする。ではそのとき、A地点から100km北に離れたB地点の天気はどうなるだろうか。
そう、必ずしもA地点と同じ天気になるとは限らない。地理的条件によっては局所的に雨が降るかもしれないし、寒ければ雨が雪に変わる可能性もある。だが実際問題、A地点においてもB地点においても、見上げる空は同一のものだ。ではなぜ結果が変わってしまうのか。
答えは単純。実は、観測地点によって星の並びそのものが変わるのだ。
ゲーム内で『占星術』の存在を知るプレイヤーの間では、実は【DEMONDAL】の世界の構造は地球のそれと全く異なっており、大地にドーム状に覆いかぶさった空とその表面で自在に蠢く星や月の幻影で構築されているのではないか、と言われていた。
そしてそれは『こちら』でも変わらないようで――
「ケイは、天気が分かるのか?」
「おれには普通の空模様にしか見えんがなぁ」
ピョートルとランダールの二人も、空を見上げている。
「俺は……目が良いからな。微妙な空の具合が分かるのさ」
占星術のことを今ここで話すのは面倒なので、適当に誤魔化す。
「そうなのか……」
「もし雨が降ったらなかなか厄介だな。しっかり幌かぶせとかないと……あと、寝床がない奴らは明日苦労するだろうな」
「あ。オレたちもヤバいじゃん、普通のテントしかないぞケイ?」
アイリーンが枕代わりにしていたテントをつんつんと指先でつつく。布製のそれは朝露を凌ぐのがせいぜいな防水機能しかない。本格的な雨にも、ぬかるんだ地面にも対応していないのだ。
「そう……だな。困った、村には泊めてもらえないしな……」
「お二人さんさえよけりゃ、おれの馬車に来るか? 狭いがあと二人が寝転がるくらいのスペースはあるぞ?」
「あ、マジで? ありがとう!」
「そうしてもらえるならありがたい」
「おう、良いってことよ。……ただし、寝てる最中、二人でおっぱじめるのは勘弁してくれよ」
ぐへへとゲスい笑みを浮かべ、何やら手で卑猥なジェスチャーをするランダール。
「なっ」
「ばっ」
思わず顔を紅潮させたケイたちは「「するわけないだろ!」」と叫んだが、その完全にシンクロした叫びがツボに入ったらしく、ランダールは腹を抱えて笑い出す。
「……若いとはいいことだ」
ふっと笑ったピョートルが馬車の車輪にもたれかかり、再び杯を傾け始めた。
†††
夕暮れ。
日が沈む前に、ランダールは馬車の幌を張り直して雨に備え始めた。
ついでに予備の幌を出してそばの木に引っ掛け、サスケを初めとする馬たちが濡れずに済むよう、簡易的なテントも設営する。ケイたちが持ってきたテントとは違い、幌にはしっかりと水避けの油が塗りこまれており、かなり強固に水を弾く。
この時点で、まだ空は晴れていた。雨に備えるランダールを不思議がって、周囲の商人たちが理由を尋ねてきたが、雨が降るという予測、そしてその情報の出所がケイであるということで、大半の商人は一笑に付して何の対策もしなかった。
ケイは自身に何のメリットもなかったので、特段信じさせようと努力もしなかったが、一部「それほど手間ではないからと」一応の備えをした商人もいたようだ。
とりあえず明日の旅路がハードなものにならないことをただ祈りながら、ランダールの馬車にお邪魔して、ケイはアイリーンとともに床に就いた。
そして、その夜半。
しとしとと、雨が降り始めた。
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