39. 商会


 ガブリロフ商会本部の前で何やら議論していた男たちは、ケイとアイリーンの姿を認めるや否やぴたりと話を止めた。


 太めな中年親父が一人に、武装した屈強な男が三人。


 胡散臭げにケイとアイリーンの間で視線を彷徨わせた彼らは、こちらが挨拶するよりも先に動いた。


 中年親父が一歩後ろへ下がり、屈強な男の一人――赤毛の偉丈夫が庇うようにその前に立つ。他二人はゆらりと左右に広がりつつ、さり気無く腰の剣の角度を調節した。


 無言のまま、自然な、それでいて完璧な連携。


 真ん中の赤毛の男はケイの視界から中年親父を隠し、双方を結ぶ直線上に立ち塞がっている。左右の二人は如何様に剣を抜いても互いに干渉しない、絶妙な間合いを保っていた。


 いっそ、清々しいまでの警戒ぶり。「やあ」と声をかけようとして口を開けたまま、アイリーンは笑みを引き攣らせて固まった。


『……何の用だ』


 後ろに下がった中年親父――おそらくこの場で最も立場が上と見える――が、苛ついたような低い声で問いかける。


 "雪原の民の言語ルスキ"だ。"公国語イングリッシュ"で話すつもりはないらしい。アイリーンは一瞬ケイを気にしたが、ここは自分が話した方が良かろうと判断してぺろりと唇を湿らせる。


『……そんなに構えないで欲しいわ。別に喧嘩をしにきたわけじゃないの』


 アイリーンもまたロシア語で答えると、中年親父はケイに向けて顎をしゃくった。


『草原の民を連れている。それだけで、我々にとっては充分に警戒の対象だ』

『彼は草原の民じゃない。私のツレだけど、それは保証する』

『そんなことは聞いとらん。何の用だ』


 不機嫌な表情のままそう繰り返す男に、これは先が思いやられるとアイリーンは肩をすくめた。


『明日、ガブリロフ商会が隊商を出すと聞いたわ』

『それがどうした』

『……単刀直入に言うと、貴方たちの隊商に同行させて欲しい。私たちもベルヤンスクを目指しているの』

『なに?』


 しばし目を瞬いた男は、そのまま鼻を鳴らして首を横に振った。


『話にならん。帰れ』

『もちろんタダでとは言わない。貴方たちにとっても得になる話』

『ほう、何をしてくれるつもりだ? まさか身体でも売ろうってか』


 左右に控えていた護衛の一人が、下卑た笑みを浮かべてアイリーンの肢体に舐めるような視線を向けた。アイリーンはそれに答えず、ただパチンと指を鳴らす。


【――Kerstin.】


 ぞわりと空気が異様な気配を孕んだ。アイリーンの足元の影が震える。


 まるで無数の蛇のように、あるいは何かを探る手のように。


 おぞましくのた打ち回る黒い影――


 四人は少女の背後に、淑やかに微笑む貴婦人の姿を幻視した。


『……魔術師か』


 僅かな動揺をふてぶてしさで塗り固め、中年親父は鼻を鳴らす。他の男たちも一瞬身を固くしたが、すぐに肩の力を抜いて自然体に戻った。内心は分からないが、少なくとも平常心を保っているように見える。


『あら、あまり驚かないのね』

『我々商会も魔術師を抱えているからな。……ここまでおぞましくはないが』


 強がるように言いつつも、蠢く影に気味が悪そうな中年親父。


 ここ数日の『邪悪な魔法使い』作戦を経て、演出に目覚めたらしいケルスティンは、影をどんどん過激なものへと進化させていった。お陰で、ただの虚仮威しに過ぎないくせに、今では触れただけでも呪い殺されそうなほど邪悪なオーラを漂わせている。


(しかし……魔術師か、厄介だな)


 アイリーンは考える。商会で魔術師を囲っているとなると、彼らが直に魔術に触れる機会も多いことだろう。能力の限界をぼかしたいところだったが、あまり適当なことは言えないかもしれない。


(いや、どんな種類の魔術師かによって変わってくるか)


 ゲームのように攻略wikiで情報共有できているならば兎も角、こちらの世界の魔術師はそう簡単に自分の手札を明かさないだろう。そして彼らが閉鎖的であればこそ、他人の契約精霊にも疎いと考えられる。


 つまりケルスティンと全く同系統の精霊と契約していない限り、多少のことは誤魔化してもバレない可能性が高い。


 では、仮に商会が雇うとすればどのような魔術師になるだろうか。事前に調べた情報を振り返る限りでは、馬賊が出没する以前、街道周辺の治安は比較的良かったはずだ。そして隊商の護衛にわざわざ魔術師をつけるような"贅沢"は、やろうと思ってもそう簡単にはできない。もっと裏方で役に立つような魔術。そしてそれほど珍しくもない契約精霊となると――


 アイリーンは改めて、ガブリロフ商会の本部を見やった。二階の壁面にポツポツと開けられている四角い穴。小動物ならば出入り口として利用できそうだ。そう、例えば鳥のような――


『鴉でも飼ってるのかしら』


 アイリーンはにこりと微笑んでみせたが、中年親父は表情を変えず、何も答えない。


(ビンゴ)


 しかしアイリーンは瞳の奥を見透かす。ガブリロフ商会が抱えている魔術師は、十中八九"告死鳥プラーグ"の契約者だろう。ウルヴァーンからディランニレンに向かう途中でも、手紙を運ぶ鴉を度々見かけていた。伝書鴉を運用して儲けているに違いない。


『……それで、魔術師様は俺たちに何をしてくれるって言うんだい?』


 会話が停滞しかけたところで、真ん中の赤毛の偉丈夫が穏やかに話の続きを促した。


『そうね、見ての通り私は影を操るわ。そしてそれは夕暮れ後に真価を発揮する……』


 ふわりと外套を翻し、アイリーンは優雅に一礼してみせる。艶やかな笑みに、ひらりと舞い散る影の花。


『あなた方の眠りに安寧を。夜の帳は我が眷属となり、不埒な輩を打ち払いましょう。……私は夜営で襲撃されるリスクを大幅に減らせるわ。具体的には、夜闇に紛れて野営地に近づく敵の早期発見、及びその撃退ってところかしら。近頃の情勢下ではなかなか魅力的な提案だと思うのだけど』


 どうかしら? と小首を傾げる。


『夜だけなのか?』


 真ん中の赤毛の偉丈夫が、存外につぶらな瞳で問いかけた。クリティカルな質問に、アイリーンは一瞬息を詰まらせる。


『……夜だけね。昼間は明るいからあまり意味がないわ』


 何がどう、とは説明せずに、曖昧な笑みで誤魔化す。


『明るいから意味がない?』

『ええ』

『その言葉の意味が、よく分からないな』

『……明るいうちは術の効力が薄いということ』

『しかし、明るい方がむしろ影は濃くなるのではないか?』

『そうなんだけど、昼間は私の精霊が働きたがらないのよ』

『ということは、昼間は魔術が使えないと?』

『使えるわ。……使えるけど、代償が高くつく』


 赤毛の男の純粋な、それでいて核心を突く問い。「できないこと」を「できる」と言い切ってしまうと、いざ仲間となったときに痛い目を見るので、ある程度正直に話さざるをえない。笑顔は維持しつつも、ぐぬぬ、と歯噛みするアイリーン。


 そんな二人のやりとりをよそに、しばらく目を閉じて思案顔だった中年親父は、おもむろに口を開いた。


『……確かに近頃の馬賊の被害を考えると、夜の安全が保障される意味合いは大きい』

『でしょう?』

『ただ、致命的なまでに、そちらに信用がない』


 ばっさりと、切って捨てる。


『その話が本当ならお前の……いや殿の能力は非常に有用だ。しかし隊商の安全保障、その中でも特に重要な夜の警備をぽっと出の余所者に任せるわけにもいくまい。そして信頼関係を築こうにも、目下のところは時間が足りんのだ』


 だいぶん、ふてぶてしさが抜けた表情で、中年親父は肩をすくめて見せた。余所者を警戒する顔から商人の顔に変わっている。


『そういうわけで、明日の隊商にすぐ同行、というのは難しい。信頼関係を築くために幾らか期間を置き、然るべき契約を結んだ後に、改めてお願いできないだろうか』

『そうねえ……』


 アイリーンもまた思案顔を見せるが、内心ではしめしめとほくそ笑んでいた。やはり何だかんだいって、この男も魔術師とのコネを作りたいのだ。超常の力を操る者はどのような形であれ金を生む。


(あと一押しってトコだな)


 "仲良くなるとどんな利益がもたらされるか"をはっきりと示してやれば、人間、心を開いて打ち解けようというものだ。商人であるなら尚更のこと。


「ケイ、ちょっと"警報機"出してくれない?」

「分かった」


 これまでちんぷんかんぷんなロシア語会話に案山子と化していたケイは、アイリーンの指示を受けて腰の荷袋を漁る。荷物のほとんどは宿屋に置いてきたが、失くすと取り返しのつかないものや再調達が難しいもの――貴金属やポーションの類――は肌身離さず持ち歩いていた。


 アイリーンの"警報機"もその一つだ。


『……それは?』

『試作品の魔道具マジックアイテム……とは少々言い過ぎね。まあ将来的に魔道具にして売ろうと考えているものよ。私たちは"警報機"と呼んでいるわ』

『ほう……』


 中年親父は平静を装っているが、その目は警報機に釘付けだ。そしてふと、気付いたように視線を上げる。


『そういえば、名前を聞いていなかった』

『アイリーンよ。こっちはケイ。よろしく』

『私はゲーンリフだ。よろしく』


 中年親父――ゲーンリフとほんの少しだけ歩み寄ったところで、アイリーンは警報機の概要を説明する。


『――というわけで、まあ簡単に言うと、半径百歩以内に踏み込んだ外敵を威嚇しつつ、ベルで知らせてくれる機械よ』

『ほうほう……その"敵"の定義は?』

『使用者――現時点では術者、つまり私に直接的・間接的にかかわらず害意を持つ者ね。精霊の前で嘘はつけないから、自覚なく危害を加える人間でもいない限り、盗賊から獣の類まで幅広く対応できるわ。まあ私がこの機械を対象に術をかけるだけだから、条件はある程度融通が利くけど』


 折角なので、実演してみせることした。


 広場に警報機を設置し、警戒範囲を十歩に設定して術を起動する。そしてゲーンリフの護衛三人に、アイリーンには秘密で『敵役』をひとり決めてもらい、三人同時に結界内へ踏み込ませる。


 数回敵役を変えて同じ実験を繰り返したが、ケルスティンの影はアイリーンへの敵意を意識していた者にのみ、ことごとく反応を示した。


『将来的には、私抜きで触媒だけ設置すれば起動する魔道具にしようと思ってるわ』


 得意げなアイリーンの説明に、ゲーンリフたちは唸る。


『……これかなり使えますよ』

『言われんでも分かっとるわ』

『完成したらウチでも欲しい』


 何やらヒソヒソと話し合う男たち。ふふん、と腕を組んでドヤ顔のアイリーン。話の内容は良く分からないが、悪い流れではなさそうだと察するケイ。


『確かに。確かにこの警報機は素晴らしいものだ。叶うことなら我々の商会でも是非扱わせて頂きたい。しかし……!!』


 やがて、ゲーンリフは苦虫を噛み潰したような顔で、


『しかし……それとこれとは話が別。明日の隊商にすぐに加えられるかというと……』

『駄目?』

『この魔道具の性能を疑うつもりがないが、やはりアイリーン、あなたの信用の問題なのだ。この道具の機能は、現時点ではあなたの術に依存する。それはつまり、あなたの気分次第でどうとでも細工が可能だということだ。あなたが実は馬賊の一味で、我々に夜の警戒は万全と油断させ、仲間を呼び寄せようとしている可能性も否定できない』

『うーん確かにそれはそうだけれども……』


 両者ともに困り顔だ。やはり肝心の警報機の機能が、ゲーンリフたちに対しブラックボックスとなっているのがネックであった。


 辺りはいつの間にか暗くなりつつある。どうしようもない沈黙。


『――ほう、何やら面白いことをしてるじゃないか』


 しかし完全に話が流れてしまう前に、"上"から声がかかった。仰ぎ見れば、ガブリロフ商会本部の壁に開いた穴から、鴉が一羽顔を出している。


 真っ赤な瞳の鴉は小首を傾げ、


『是非、私も混ぜて欲しいな』


 ばさばさと翼を羽ばたかせながら地上に降り立った。


 ぶわりと、その輪郭が歪に膨れ上がり――


 まばたきの後、そこには臙脂色のローブを羽織った白髪の老人が立っていた。上背はあるが病的に痩せており、その瞳は鴉と同様に赤い。


『ヴァシリー殿!』


 ガブリロフ商会の面々はぎょっとしていたが、アイリーンは大して驚かなかった。ゲーム内でも散々目にしてきた、告死鳥の契約者が得意とする"変化"の魔術の一種。ただし、話の流れが分からなかったケイは少し意表を突かれている。


『魔力の流れを感じたものだから、つい顔を出してしまったよ。それにしても、やあ、これはまた可愛らしい魔女もいたものじゃないか……』


 痩身の老魔術師は、アイリーンを見てニチャァリと笑い――そう表現するほかない、どこか粘着質な笑み――、一礼する。


『初めてお目にかかる、私はガブリロフ商会所属の魔術師ヴァシリーという』

『私は、アイリーン。まあ見ての通り流れの魔術師よ』


 簡単な挨拶のあとに、しばしの沈黙があった。互いに互いを観察するような時間。


 やがて、不自然なまでに皺だらけの顔を歪めて、ヴァシリーはくつくつと嗤った。


『……不思議だな。この若さでこの魔力とは。自信を失くしそうだ』


 ヴァシリーの言葉に、アイリーンはまたしても困ったような顔になる。ゲーム内では自主トレモードに設定したキャラに瞑想させたり魔導書を読ませたりして、労せず魔力を育てただけだ。こうして『本物の』魔術師と相対すると、どうしても自分がずるをしているような罪悪感に襲われてしまう。


 ましてや、"告死鳥"は契約者に力を与える代わりに凶悪な呪いをかける精霊だ。一目で健康を害していると分かる――多大な犠牲を払っているのが明らかなヴァシリーを前に、引け目を感じてしまうのも当然といったところか。


 ヴァシリーは、ばつの悪そうなアイリーンを見、一瞬その傍に立つケイにも視線を向けてから、おどけるようにお手上げのポーズを取った。


『まあ、そんなことはどうでもいい。それより私はその機械と術式に興味があるんだ』


 アイリーンの心のうちを察したか、飄々とした態度で話を戻すヴァシリー。すぐさま説明に口を開きかけたアイリーンは、しかし、それで口が軽くなるように仕向けたのなら大した老人だ、と直感的に思った。


 警報機の詳細を語れば、この老魔術師は再現できるだろうか。仕組みそのものは難しくも何ともない、ただ術式の代償として消費される触媒を、機械を作動させるために利用する、という発想がこの道具のキモだ。


 どうせ商品化して売り出せば、特許もクソもないこの世界のことだ、すぐにコピーが作成されるだろう。ならばここで情報を伏せるより、『この世界の魔術師』がアイリーンの発想をどう受け止めるのか見てみたい、という想いがあった。


 結局アイリーンは、警報機の仕組みをある程度詳しく、ヴァシリーに語ってみることにした。


 基本的な術式の説明にはさして驚きも見せなかったヴァシリーだが、『消失する触媒を錘として利用する』というくだりを聞き「やられた!」という表情で額を叩く。


『その発想は! その発想は……なかった。そもそも私の術は、そういった道具を作るのには向いていないからね、その手のからくりを作ろうとしたことなんて、数えるほどしかなかったんだが……いやはや、これはかなり幅が広がりそうだ……』

『ということは、ヴァシリー殿もこの警報機を作れると?』


 感心しながらぶつぶつと呟くヴァシリーに、何やら小狡く目を光らせたゲーンリフが遠慮がちに尋ねる。


『いや。似たようなものは出来るけど、コレそのものはちょっとムリだ』


 が、あっさりと否定され、ずっこけた。


『で、できないのか……』

『相性の問題だがね』


 ゲーンリフのあからさまに落胆した言い方に、自尊心を傷つけられたのか、若干ムッとした様子でヴァシリー。


『私の魔術は鳥を介する。闇そのものを媒体とする彼女の術とは根本的に異なるのだ。特に夜目が利く鳥は限られているからね……まあ、昼間に限定するなら似たような物が作れるんじゃないだろうか。ただし専用の鳥も一緒に連れて行かないとだから、その辺は面倒になるだろう』

『は、はぁ……』

『いや、それにしても面白い。良かったらお嬢さん、こんなところで立ち話もなんだし、中でお茶でも如何かね』

『喜んで、と言いたいところだけど、まだ用事が済んでないのよね……』

『ふぅん? というか、何故こんなところで立ち話なんてしてるんだ君たちは』


 不思議そうなヴァシリーに、改めて隊商に同行したい旨を伝える。


『なんだ、そんなことか。ゲーンリフくん、そんなに術式の中身が不安なら、警報機を使う前に私が確かめれば万事解決なのではないかね』

『……と、いいますと?』

『夕暮れ時に私が鴉に憑依して、遠隔的に術式を確かめるのだよ』


 話によると、ヴァシリーの魔術の恩恵に与り、ガブリロフ商会の隊商は常に伝書鴉を数羽連れているらしい。基本的には緊急時の連絡用だが、ヴァシリーがその気になれば憑依してリアルタイムの会話が可能なのだという。


『まあそういうわけで、明らかに変な真似をしたら私が教えて上げられるんだが』

『う、う~む……』

『それに今後のことを考えると、試験運用と考えてもいいんじゃないか。警報機を使いつつ、平素よろしく夜番もすればいい』

『まあ、それは確かに……しかし……』

『まだ何かあるのか? 私は君が何故迷っているのか図りかねるのだが』


 渋るゲーンリフに、ヴァシリーが首を傾げる。


『……やはり、信用の問題だ。彼女がかなりの魔術の使い手であることは疑う余地がないが、だからこそ敵であったときが恐ろしい』

『ああ、なんだそんなことか』


 得心した様子のヴァシリーは改めてアイリーンに向き直り、


『お嬢さん。確認するが、きみは我々に害を為す者ではないのだね?』

『違うわ』

『誓えるかね?』

『もちろん』

『ならば、お手を拝借』


 すっと、ヴァシリーはアイリーンの手を取った。


【――Wohlfart, la sekreto estas elmontrita.】


 と同時に、唱える。


 ヴァシリーの瞳が赤く輝き、アイリーンはその背後に漆黒の翼を幻視した。


 ズグン、と胸の奥が鈍く脈動する異様な感覚。


『……うん。彼女は嘘をついていないよ。私が保証しよう』


 手を離して、ローブの袖の中で腕を組みながらヴァシリー。


『……今のは、嘘を看破する魔術? いや、邪眼?』

『ほう、これは驚いた。お嬢さんは告死鳥の魔術にも精通していると見える』


 気味が悪そうに胸を撫でさするアイリーンに、ヴァシリーは愉快そうに笑った。ゲーンリフらが怪訝な顔をしている。


『ヴァシリー殿、今の術は?』

『ん、まあ邪眼の一種だ。端的に言えば、嘘をついたら呪われる』


 ヴァシリーは楽しそうに解説するが、一方でアイリーンは渋い顔だった。


(今の邪眼、オレの耐性を貫通しやがった……)


 邪眼――それは告死鳥の術の一つ。ゲーム内では、術者の視線上にいる存在に身体能力低下のデバフや継続ダメージを与える技であった。術者の瞳が赤く発光するのが特徴で、視線を浴びてしまえば距離に関係なく効果が発揮される。


 ある程度魔術に耐性があれば抵抗レジストできるのだが――ヴァシリーのそれは、アイリーンに抵抗を許さなかった。術が成立したということはそういうことだ。


 ヴァシリーがその気になれば、距離を問わず強烈な呪いをかけられる――アイリーンはこの老魔術師の評価を上方修正した。やはり、年の功は伊達ではない。


『……初めて聞きましたな、そんな術があるとは』

『言ってなかったからね。いや、けっこう疲れるんだコレは』


 少しテンションを下げて言うヴァシリーは、確かにどこか気だるげな雰囲気も漂わせている。邪眼はそれなりに魔力を消費するらしい。


『ともあれ、これで彼女が同行することに問題はないんじゃないかね』

『……ですな』

『それは良かった。さてお嬢さん、改めてお茶でも……』

『待ってくれ! この男はどうなる』


 と、護衛のうちの一人が、ケイを指差して言った。先ほどアイリーンに下劣な視線を向けてきた男だ。


『いくら魔術師のお供でも、俺ァ草原の民と仕事なんざ御免だぜ!』


 心底嫌そうな顔をする男。アイリーンは溜息をついた。


『……最初にも言ったけど、彼は草原の民じゃないわ。まったく』

「……なにか問題が起きたか」


 言葉は分からないまでも、自身に向けられる視線に状況を察するケイ。


「うん、面倒なヤツが約一名。悪いけどケイ、身分証見せてくんない?」

「おう」


 ごそごそと胸元を探り、ケイは公国の身分証を取り出してアイリーンに手渡した。ごつい丈夫な羊皮紙に、びっしりとプロフィールが記入されており、ケイの似顔絵まで描かれている。


『はいこれ、彼の身分証。ウルヴァーンの名誉市民よ。一ヶ月前にあった武闘大会の優勝者でもあるわ』


 胡散臭げな顔をするゲーンリフに、押し付けるようにして身分証を渡す。件の護衛を含めた商会の男たちが、額を寄せ合って身分証の文言を読み始める。


『たしかに、名誉市民とあるが』

『クソッ公国語は苦手なんだよ……』

『うーん……大丈夫じゃないのか? 流石に素性がハッキリしないヤツは市民権なんて取れないだろう』

『いやしかし、だからといって油断は……賊じゃないという証拠にはならないぞ』

『武闘大会の優勝者か。噂では草原の民が優勝したと聞いたが、こいつのことか?』

『やっぱり草原の出なんじゃないか!』


 どうやら武闘大会の件が微妙に曲解された形で伝わっているらしく、話がややこしい方向へと進んでいく。アイリーンは天を仰いだ。


『……そうだ、ヴァシリーさん。よければ彼にも、さっきの術使ってくれない?』


 が、すぐに嘘看破の邪眼の存在に思い至り、アイリーンはヴァシリーへ期待の眼差しを向けた。


『……ああ。彼、我々の言葉は話さないのかね』

『雪原の民の言葉は話せないわ。公国語なら……』

『私は公国語ができないんだ。あの邪眼は言葉が通じる者同士でないと意味がない』

『……"精霊語エスペラント"ならどうかしら?』

『ほう? なるほど、彼か?』


 意外そうに、しかしどこか得心がいった風に、ヴァシリーは頷く。


『……しかし……悪いが、少し自信がない。というのも、あまり不用意に精霊語は話したくないのだ。なんというべきか、私の精霊は融通が利かなくて、術と邪眼が干渉するかもしれないし、……率直に言うと危険だ』


 忸怩たる様子でヴァシリー。転移して以来、ゲームのAIだった頃に比べケルスティンの思考が飛躍的に柔軟になったことから、『こちら』の精霊は皆そういった感じなのだとアイリーンは思っていたが、どうやらそうとも限らないらしい。


(人型と動物型の精霊の差かな……?)


 はっきりとは分からないが、留意しておくべきだろう。


『なら、私が"彼の敵意のなさ"を宣言するのはどう?』

『ああ、それならいいか。まあ彼らが納得するなら、だが……ああ、疲れるなぁ』


 やいのやいのと騒いでいる男らに冷めた目を向け、ヴァシリーもまた溜息をついた。



          †††



 結果的に、ヴァシリーがアイリーン経由で『ケイの敵意のなさ』を証明したため、次の日の同行は許可される運びとなった。


 護衛のうちの一人、穏やかな口調の赤毛の偉丈夫――ピョートルという名らしい――が援護射撃をしてくれたのも大きかったかもしれない。草原の民嫌いの男がなお難色を示していた際、ピョートルはケイに向かって何事か、短いフレーズを言い放った。


 ケイもアイリーンも全く理解できなかったが、どうやら草原の民の言語で酷い侮辱の言葉であったらしく、それに全く反応しなかったケイは晴れて自身が草原の民と関係がないことを証明したわけだ。


 その後は、ヴァシリーが魔力の使いすぎでバテてしまったためお茶会は中止となり、次回ディランニレンに寄る際は必ず魔術談義をする、という約束を交わした上で、ケイたちはそのまま宿屋へと戻った。



 翌朝、空が白みかけた頃。



 ディランニレンの北門前には、ガブリロフ商会主催の隊商が集結していた。幌馬車や馬に乗った傭兵・商人たちが、出発のときを待って列を成している。


 ケイは、隊長であるゲーンリフに、斥候の役を命じられた。


 ケイとアイリーンの立場は、客人兼傭兵兼ただの旅人とでもいうべき、なんとも宙ぶらりんなものだ。だがぶっきらぼうな英語でケイに命令するゲーンリフには、全く遠慮というものがなかった。


 ケイに対する隊商内の風当たりは決して弱くなく、それを庇った上でわざわざ仲間に入れてやったのだから、それなりに仕事をしろとでも言わんばかりの態度だった。それに対してアイリーンは隊商の真ん中で大事に守られているのだから、その扱いの差は一目瞭然といわざるを得ない。


 アイリーンは不満げだったが、これ以上のトラブルを巻き起こしたくないケイは粛々とゲーンリフの指示に従うことにした。


 隊商の面々の冷たい視線を浴び、針のむしろのような気分を味わいながら、サスケに跨ったケイは隊の先頭を目指す。馬車十数台に及ぶ長蛇の列――辿り着いてみれば、そこには、取り回しのよさそうな馬上槍を装備した赤毛の偉丈夫の姿があった。


「やあ、また会った、ケイ」


 ピョートルだ。そしておそらくこの隊商内でも数少ない、ケイへの態度が普通な人物でもある。どうやら彼が同僚であるらしいことに、ケイは少なからず安堵した。


「おはよう、また会ったな。ピョートルも斥候なのか」

「そうだ、その通りだ」

「そいつは嬉しいよ」


 肩をすくめるケイに、ピョートルも苦笑する。


「きみは嫌われている。斥候は危険な仕事だ、やりたがる者はあまりいない」

「だろうな」

「ところでわたしは、あまり公国の言葉を上手く話すことはない。簡単な会話なら可能だが、難しい言い回しは分からない」

「大丈夫だ。俺もネイティブじゃないから、安心してくれ」

「それは良かった。易しい言葉で話してほしい。そうであればわたしは理解できる」

「任せてくれ」


 ケイも英語を話すようになって実に十数年が経つが、しかし所詮は後天的なものなのでネイティブの会話にはついていけないこともある。『簡単な会話』は、むしろ望むところだった。


「とにかく、ケイ、今日からしばらくよろしく頼む」

「こちらこそ」


 互いに騎乗で、がっちりと握手を交わす。そのあとは、隊商の準備が整うまでの間、つたないなりにピョートルから斥候の注意点などを聞いていた。


 そして朝の太陽がはっきり見えるようになったあたりで、後方からロシア語の指示が飛んでくる。


「よし、行こうケイ。出発だ」

「ああ」


 斥候は、隊商よりも先行し進行方向の安全を確かめるのがその本領だ。隊商が本格的に動き出すより前に、先んじて進み始める。


 振り返れば、遥か後方で、馬車の列の間からひょっこり顔を出したアイリーンが、心配げにこちらを見ていた。


 アイリーンから見えているかは分からなかったが、ひらひらと手を振ってみせたケイは、おもむろにサスケの腹を蹴る。


 ピョートルと街道を併走しながら、左手の"竜鱗通しドラゴンスティンガー"を握り直し、睨む前方。


 ブラーチヤ街道を北上する旅路は、こうして静かに始まった。





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