36. Dilan'niren


 ダガガッダガガッと硬質な蹄の音が響き渡る。


 アクランド連合公国北部。アリア川に沿って、真っ直ぐに北へと伸びる街道。


 敷き詰められた赤煉瓦の道を、風のように疾駆する騎馬の姿があった。


 まずは一騎。褐色の毛並みが美しい、引き締まった体つきの駿馬だ。その背には革鎧と朱色の複合弓で武装した、精悍な戦士を乗せている。


 そしてそれに続くもう一騎は、がっしりとした体格の黒馬。サーベルと丸盾を背負った黒装束の少女を乗せ、同時に寝具や革袋などの物資も運んでいる。


 言うまでもない――ケイとアイリーンだ。


「ケーイ! オレたち、もうかなり進んできたかなー?」


 視界の果て、街路樹の隙間から覗く雄大な山脈。金髪のポニーテールを風になびかせながら、アイリーンが馬上で声を弾ませる。


 頂が雪で覆われている山々は、北の大地と公国を隔てる自然の障壁であり、アリア川の水源でもあるらしい。随分と上流まで遡ってきたからであろう、ウルヴァーンにいた頃に比べれば川幅は格段に狭くなり、流れも速くなっている。


「だいぶ山が近づいてきたな。少し休もうか?」

「いいな! ちょうど小腹が空いてたんだ」


 ケイが答えると、待ってましたとばかりにニカッと笑うアイリーン。二人はそのまま川のほとりに陣取って、しばしの休息を取ることにした。


 ウルヴァーンを発ってから二日。


 ケイとアイリーンは、宿場や小さな村を経由しながら、北の大地を目指してブラーチヤ街道を北上していた。


 川にせり出すように枝葉を広げる木の下で、下馬したケイたちはホッと一息つく。早朝に宿場を出立してこの方、三時間ほど騎乗の人となっていた。久々の長旅ということもあって太股や腰の肉が痛む。


 とはいえ、ただ乗っていただけの二人よりも、実際に走っていたサスケとスズカの方が余程疲れているに違いない。


「ご苦労さん。今これ外してやるからなー」


 アイリーンがスズカの首をわしゃわしゃと撫でつけ、鞍に括り付けていた荷物を手際よく外していく。


 サスケの機動力を確保するため、旅具の運搬はスズカの担当となっていた。元は草原の民の馬であるスズカは、最高速度こそサスケに劣るものの、がっしりとした体格からか加重に強く、長距離を走るスタミナも持ち合わせている。


 毎日アイリーンがブラッシングをしたり野菜を食べさせたりと、甲斐甲斐しく世話を焼いていたこともあって、今ではすっかり懐いていた。べろべろと顔や首筋を舐められて、アイリーンがくすぐったそうに笑っている。


 地面に革のシートを敷きながら、微笑ましげにそれを見守っていたケイであったが――ふと視線を感じて横を見ると、「ぼくもやろうか?」とでも言わんばかりに、サスケが目をぱちくりさせていた。


「……いや、いいよ」


 苦笑して手綱と轡を外してやると、「そう?」と小首を傾げたサスケは、ぺろりとケイの頬をひと舐めしてから、足元の草を食み始めた。


「さて、と……」


 地面に下ろした山のような荷物を前に、腰に手を当てて、ぼう、と立ち尽くすアイリーン。そしてふと気付いたかのようにケイの方を向く。


「どうせなら、オレたちも早目の昼飯にしちゃう?」

「……そうだな、そうしようか」


 朝のうちに距離を稼いだので、今日はこれ以上急ぐ必要もないだろう。仲良く草を食むサスケとスズカを尻目に、ケイたちもいそいそと昼餉の用意に取り掛かった。


 アイリーンが荷物から木製の食器や手鍋、旅用の木炭などを取り出していく。ケイは川原で手ごろな石を拾い、簡易的なカマドを組んで火を起こす係だ。その辺に落ちていた枝なども賑やかしにしつつ、木炭に点火して手鍋でお湯を沸かす。


「それじゃ粥でも作るとして……先にお茶淹れよっか」


 誰に言うでもなく呟き、アイリーンが荷袋から乾燥ハーブと茶漉しを引っ張り出した。二人旅という都合上、持ち運べる荷物には制限があり、鍋は一つしか持ってきていない。旅には不便がつき物なので文句は言えないが、正直なところ、ヤカンくらいは別に用意するべきだったかもしれない――とは、二人ともが考えていた。


「任せるよ」


 生まれてこの方、食材の解体はしたことはあっても、肉を焼く以外に料理の経験がないケイはアイリーンに投げっぱなしだ。見ている限り、やってやれないことはないとは思うのだが、料理に関してはアイリーンが率先してやっている感があるので、それについ甘えてしまう。


 ちなみに、代わりといっては何だが、後片付けや火の始末はケイが担当している。


「……よし、俺は魚でも獲ってこよう」


 細い紐を矢尻に結いつけ、"竜鱗通しドラゴンスティンガー"を手に、ケイは川のほうを示して見せた。


「OK, 串は用意しておくぜ」

「ありがとう」


 火で軽く炙った小枝をナイフで削り始めるアイリーンを背に、ケイは弓に矢を番えながらきらめく川面を物色する。涼しげに泳ぐ魚たち――その中の大きめの一匹に目をつけ、水の抵抗を考慮した手加減なしの矢を放った。


 派手な水飛沫が上がり、射抜かれた一匹を残して川魚たちが散っていく。場所を変えて同じ要領でさらに一匹仕留め、ついでに鱗やはらわたなどの下処理も済ませてしまう。


「お茶淹れたよー!」

「今行くー」


 しゃばしゃばと手を洗ってから、エラに糸を通した魚を手にアイリーンの元へ。木陰に腰を下ろし、木のカップに注がれたハーブティーを渡されて一服。


「ふぅ……」


 川のせせらぎや、チチチチ、と何処からか聞こえてくる鳥の声。昼前の太陽が眩しく、青々と咲き誇る草花も目に心地よい。


「……いいなぁ、こういうのも」

「なー」


 木の幹に背を預け、和むケイ。隣り合ったアイリーンもすっかり寛ぎモードだ。


 二人旅にも関わらず、これほどケイたちがのんびりしていられるのは、ここがまだ公国内であることが大きい。それも、比較的治安が安定しているクラウゼ公の直轄領だ。宿場ごとに警邏隊が常駐しており、街道沿いの森にも程よく人の手が入っているため凶暴な獣を警戒する必要もない。


「ん~フフ~、ンッタッタ、ンッタッタ」


 謎な歌を口ずさみながら、再び煮立った鍋に雑穀を投入するアイリーン。ケイもカップを脇に置いて、アイリーンの用意した串を川魚に刺し、表面に塩をまぶしていく。そして焚き火の両脇の地面に突き刺し、あとはじっくりと火が通るのを待つだけだ。粥を食べ終わる頃には良い塩梅になるだろう。


「よーし。お粥はどうする? 甘くする? それとも塩胡椒?」

「塩胡椒で」

「ケイって甘いお粥苦手だよな」

「苦手ってほどでもないんだが」


 日本の食生活の先入観からか、粥にレーズンが入っていたり、ジャムや砂糖で味付けされたりすると、どうにも違和感が拭えない。尤も、"粥"といっても砕いた麦や雑穀をお湯でふやかしたオートミールに近いもので、いわゆる日本の"お粥"とは全くの別物であると頭では理解しているのだが。


「はい、これ」

「ありがとう」


 熱々の粥を木の器によそって貰い、丸っこい木のスプーンでいただく。栄養バランスも考慮して、コリコリとした食感の木の実や豆なども一緒に入れられていた。味付けはシンプルに塩のみ。超絶美味か、と問われると疑問な味だが、アイリーンと一緒に雄大な景色を眺めながら雰囲気を味わうのは悪くない。


 ――それに、これだけだと寂しいが、川魚の塩焼きもあるからな。


 そんなことを考えながらスプーンを往復させていると、あっという間に食べ終わった。


「ふぅ……」


 木の器を横に置いて、ぽんとお腹を叩いたアイリーンがコテンとその場で横になる。塩焼きの香りを楽しみながら、ケイは懐中時計を取り出して時間を確認した。


「何時?」

「11時だった」

「あとどのくらいで着くかなぁ、ディランニレン」

「そうだな……」


 目を細めて、山脈を見やるケイ。あの山のふもとの峡谷に、当座の旅の目標、緩衝都市ディランニレンがある。


 ディランニレンは公国と北の大地の中間に位置し、その名の通り緩衝地帯としても機能する大規模な都市だ。元々は公国が北の大地へ侵攻した際、橋頭堡として築いた砦だったらしい。現在は和平協定により、ウルヴァーンのクラウゼ公と北の大地の有力氏族との間で分割統治が為されている。


 ディランニレンを除いては、あの険しい山脈を越えるほか、北の大地へ繋がるルートはなく、雪原の民・平原の民の双方にとって玄関口といえる交通の要所だ。


 当初のケイたちの考えでは、ディランニレンに到着した後、魔の森を目指して山脈沿いに北東へと進むつもりであったが、"銀色キノコ"ことヴァルグレン=クレムラート氏のアドバイスにより、安全とされるブラーチヤ街道をさらに北進し、商業都市ベルヤンスクに辿り着いてから東へのルートを取ることにしている。


「まあ、夕方までには着くだろう」

「……そっか」


 揃って、まだ見ぬ都市ディランニレンの方角へ視線を向けるケイとアイリーン。


 あの山脈の向こう側に、北の大地が広がっている――


「…………」


 パチッ、パチッと炭火が控えめに弾け、魚の塩焼きがシューシューと湯気を立てる。


 先ほどまでとは、少し質の違う沈黙がその場を支配した。ケイも、アイリーンも、二人ともが北の大地へ、それぞれの想いを馳せていた。


 行き着く先に何が待っているのかは、はっきりとは分からない。


 ただ、何かしらの答えが出るであろうという、確信はあった。


「……そろそろいいかな」


 静かすぎる空気を誤魔化すかのように、ケイは塩焼きに手を伸ばす。匂いは香ばしく、程よく火も通っているようだ。


「あ、オレも食ーべよっと」


 起き上がったアイリーンも塩焼きを手に取り、ケイより先にかぶりつく。


「ん! 美味い」

「それはよかった」


 かじりついてみれば、カリッとした皮の下に引き締まった白身の肉があり、ダイレクトな塩味にうっすらと旨みが染み渡る。泥臭さの全く感じられない、淡白な味わいだった。


「この魚は美味いな、名前が分からないが」

「なー」


 今回の旅で二度三度と世話になっているが、いまだに名称が分からない。胴体に白い斑点がある辺り、イワナに似ているような気もするが、それにしても英語で何と呼ぶのかは分からなかった。


 この世界に来てから2ヶ月以上が過ぎていたが、結局のところは、ケイたちはまだ"異邦人エトランジェ"に過ぎなかった。


「次の機会、現地人に名前きいてみようぜ」

「うむ、そうしよう」

 

 アイリーンの提案に、何気ない顔で頷きながら、果たして次の機会なんてあるのだろうか、などと考えつつ。


 しかしそれを口に出すことはなく、ケイは黙って塩焼きを平らげた。



 その後、しばらくのんびりとしてから、ケイたちは再び出発した。


 サスケや、特にスズカの負担にならないよう、速度をセーブした駆足で進む。それほど急がずとも、ディランニレンはすぐ傍まで迫っていた。段々と近づいてくる山脈の威容を鑑みて、日が陰る前には着くだろうとケイは予想を上方修正する。


 また、北に進むにつれ、脚に手紙や小さな筒を括り付けた伝書鴉ホーミングクロウを引っ切り無しに見かけるようになった。ウルヴァーンの周辺でもよく見かけていたが、ここ一帯は特にその数が多い。交通と商業の要所だけあって、通信の需要が高いのか。


 ちなみに伝書鴉とは使い魔の一種で、"告死鳥プラーグ"と呼ばれる精霊と契約した魔術師に使役される存在だ。告死鳥は【DEMONDAL】のゲーム内で"妖精"の次にメジャーな精霊で、精霊としては珍しく、現界に肉体をもって顕現している。その見た目は鴉に酷似しており、少なくともぱっと見では区別することができない。


 誰とも契約していない状態の告死鳥を殺害することが契約の条件であり、黒い羽を持つ鳥の使役・使い魔への憑依・告死鳥そのものへの変身など、非常に汎用性の高い術の行使を可能とする反面、契約の解除ができず、契約者に半永久的な状態異常デバフ――身体能力低下の呪いを付与することで知られている。


 どれだけ手間隙かけて育成したキャラクターでも、告死鳥を殺した瞬間に弱化してしまうので、特にケイのような弓使いや狩人は、黒い羽の鳥には決して手を出さないのが常であった。


 少なくともゲーム内では、告死鳥の契約は契約者を蝕む死の呪いである、という設定がなされていたのだが、この世界の告死鳥の魔術師たちはそれを承知の上で契約に及んだのだろうか。それとも、あるいは――


 そんなことをつらつらと考えているうちにも、周囲の風景は変わっていく。川幅はいよいよ狭くなり、土壌も湿っぽい黒色のものから乾燥した褐色のものになっていった。


 そして――


 大きな丘を越えた先の風景に、ケイは思わずサスケの足を止める。


「……あれが、ディランニレンか」


 ケイに追いついたアイリーンもまた、手綱を引いて隣に並んだ。


「……まるでデカい壁だな」


 ぽつりとアイリーンのもらした呟きは、まさに、その都市を形容していた。



 山と山との境目、深い峡谷に、張り付くようにして広がる灰色の街並み。それは、公国の建築様式が色濃く反映された石造りのものと、丸屋根や曲線を多用する木造建築とが入り乱れた、ある種の混沌であった。


 どっしりとした年季の入った石壁が、新たなる来訪者を拒絶するかのように、冷え冷えと傷だらけの表層を晒している。がっしりと隙間無く組まれた石組み――数箇所に設けられた巨大な門を除いて、蟻の子一匹通さないような構えだ。まさに街そのものが、一つの大きな関所として、"防壁"として機能するように設計されている。



 扉とは、むしろ閉ざされるためにこそ存在しているのだと。



 その事実を、ディランニレンの有り様は端的に、そして厳然と告げていた。


「…………」


 だが、この灰色の街が、北の大地への入り口であることもまた、事実だ。


「……避けては通れないからな」


 馬上で腕組みをして、渋い顔のアイリーン。その表情を見て、彼女もまた同様に、何か気の進まぬものを感じているのだろうとケイは理解する。


「まあ、折角玄関まで来たんだ、ノックくらいはしようじゃないか」

「……そうだな。行くか」


 ケイの言葉に肩をすくめて、アイリーンがぽんとスズカの腹を蹴る。



 果たして、丘を駆け下った二人は、異民族のせめぎ合う街、灰色の都市の扉を叩く。



 それこそが、北の大地の旅路への――真なる幕開けであった。



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