35. 助言


 静謐な空間に佇む、銀色キノコヘア。


 ゲーム時代、フィールドで初めて、契約可能な精霊に遭遇したときのことを思い出す。あのときも目の前に唐突に出現した精霊に、何事かと驚いたものだった。条件を満たせなかったので契約は出来なかったが。


 ゆっくりと、恐る恐るといった風に、ケイたちはその人物に接近していく。


「すまない、そこなお方」


 声をかけると、熱心に何かのファイルを読んでいた男がくるりと振り返る。


 その顔を見た瞬間、思わずケイは笑いそうになった。年の頃は五十代後半といったところか、丸顔に団子鼻、垂れ目で、どこか愛嬌のある顔立ち。


 そしてそこに、このヘアスタイルだ。嘘くさいほどに手入れの行き届いたマッシュルームカット。近寄ってみれば、前髪も見事にヴァーティカルであった。


 が、初対面で顔を見た瞬間に吹き出すなど無礼というレベルではないので、鋼の意志をもって可笑しな気持ちを押し殺す。


「――何かな?」

「……編集者の、ヴァルグレン=クレムラート氏とお見受けするが」

「ふむ。いかにも、私がヴァルグレン=クレムラートだが、君は……、いや待て」


 キノコヘア――改め、ヴァルグレンの視線がケイとアイリーンの間で揺れる。


「君の顔には、見覚えがあるぞ。確か武道大会の優勝者ではなかったかな、射的部門の。名前は……ケイ=ノガワといったか」

「その通りだ。……武道大会のときは、現地に?」

「ああ、見ていたよ、君の活躍は。遠目にだがね」


 茶目っ気たっぷりにウィンクしてみるヴァルグレン。しかし――ケイはその瞳に、どことなく、油断のならない光を見た気がした。髪型に惑わされそうになるが、ただの人好きのする老人ではない、と直感が告げる。


「――して、その大会の優勝者殿が、私に何の用かな?」


 にこにこと微笑みながら、ヴァルグレン。気を取り直してケイは咳払いをひとつ、


「初対面で厚かましいが、実は貴方に折り入って頼みがあるのだ」


 エンサイクロペディアの"北の大地"、"魔の森"の項でヴァルグレンを知ったこと、そしてケイたちの目的――魔の森に行くことなどを、大まかに説明する。


「――というわけで、専門家の貴方からも、意見を賜りたいと思っていたのだが」

「……ふむ。なるほどなるほど」


 顔から笑み引かせ、小さく頷いたヴァルグレンは、近くの窓へと目をやった。


 正午前の、穏やかな日差しが差し込んでいる。その向こう側で、ぱたぱたと羽音を立てて飛んでいく、白い鳩。


 無言のまま懐に手を滑り込ませ、ヴァルグレンは懐中時計を取り出した。文字盤には淡い光が躍る――魔術式の時計。ちらりと時間を確認し、パチンと蓋を閉じる。


「そうだね、立ち話もなんだし、座ろうかケイ君。あと、そちらのお嬢さんも」


 言うが早いか、ヴァルグレンはそそくさと近くのソファに腰掛ける。それに倣ってケイもその向かいに座り、続いてアイリーンがケイの隣に腰を下ろした。


 ふかふかの、座り心地の良い深緑のソファ。外張りはしっとりとしたシルク製で、細やかな花々の刺繍が小気味良い。もう幾度となく腰掛けているが、座るたびに思わず撫で付けてしまうほど滑らかな手触りだ。


「……さて、話を続ける前に、幾つかいいかね」


 ゆったりと背もたれに身を預けたヴァルグレンが、肘掛で頬杖を突く。


「何なりと」

「まず、君たちの目的の動機が知りたい。なぜ、"霧の異邦人"や"魔の森"の伝説に興味を抱いたんだね? そして、なぜ実際に"魔の森"を訪ねようと思ったのか――失礼だが、君たちは熱心な歴史学の学徒にも見えないし、興味本位で行くにしては北の大地は遠すぎる。それに、そちらのお嬢さんは雪原の民とお見受けするが、彼女の方が私より余程詳しいのではないかね」


 面白がるような、それでいて静かな瞳がケイを見据える。


「……そうだな、」


 意見を求めるようにアイリーンを見たが、彼女は肩をすくめただけだった。ケイに任せる、ということらしい。


 専門家にアドバイスを求める以上、下手に情報を隠しても良いことはない、と判断したケイは、自分たちの境遇も含めてある程度正直に説明することにした。


「実は、俺たち二人ともが、その"霧の異邦人"かもしれないんだ――」


 ゲームや異世界といった概念はぼかし、順を追って説明する。白い霧に入り、そこで記憶が途絶え、気が付けば『こちら』の草原にいた――。


「――俺たちは『ここ』がどこなのか。また、『故郷』に帰る手段があるのかどうかを突き止めたい。その手がかりが"魔の森"にはあるのではないか、と期待しているわけだが」

「……。なるほど」


 ケイの説明を聞き、中空に視線をやるヴァルグレン。物思いに沈む中、その右手が頭頂部へと向かい――しかし指先が髪に触れる前にぴたりと動きを止め、そのまま何をするでもなく手を引っ込めた。


「つまり、何だ。君たちは故郷へ帰る方法を突き止め、やがて公国から去っていきたいと――そういうことかね?」

「いや、去るかどうかは未知数だ。俺としては、こちらの生活も悪くないと思う。だが、あのとき何が起きたのかだけはハッキリさせておきたいんだ」

「ふむ。そちらのお嬢さんもかね?」

「えっ」


 唐突にヴァルグレンに話を振られ、アイリーンがぴくりと肩を震わせる。


「オ、オレは……『帰れるかどうか』だけ、はっきりさせてから考えたいと思う」

「そうか……」

「…………」


 アイリーンの迷いのある口調に、何を見出したのかは分からないが、何度も頷くヴァルグレン。


 ケイは、無言だった。


「……まあ、君たちの目的は大体分かった。そうだね、"魔の森"は、君たちにとって興味深い場所だと思うよ」

「それは、行く価値がある、ということだろうか」

「そう、だね。あると言っていいだろう」


 薄く笑ったヴァルグレンが、内緒話をするかのように声を潜める、



「――実は、私も現地に行ったことがあるのだよ。"魔の森"にね」



 思わず、ケイとアイリーンは身を乗り出した。どうやらこのヴァルグレンという人物、ただの学者肌の男ではないらしい。


「それはまた……まさか、ご自身が出向かれているとは知らなかった」

「なに、昔派遣された魔術師団の付き添いでね、流石に中にまでは踏み込んでいないよ。ただ、あの森には『何か』がある――これは確かだ。少なくとも、君たちが体験したような転移現象を引き起こすに足る、強大な力を持つ『何か』が、あそこにはある。私たちの調査では大したことは判明しなかったが、君たちが行けばまた、違ったものが見えてくるかも知れないね」


 薄く笑って、ヴァルグレンはソファに深く座り直した。


「……そういった意味では、行く価値はあるだろう。君たちにとっては」


 その言葉は、控えめでありつつも、自信に満ちていた。黙ったまま、ケイたちはそれを吟味する。

 

「……やっぱり、行くしかねえな」


 ぽつりと、アイリーンが呟いた。その声の小ささの割りに、目つきは鋭い。


「そうだな」


 対して、ケイはただ頷いた。少なくとも反対する理由は持ち合わせていなかった。


「……ヴァルグレン氏。やはり俺たちは、現地に行ってみようと思う」

「うん、いいんじゃないか」

「ただ、これも厚かましいお願いとは重々承知しているのだが――、出来ればどのルートで行けば良いか等、ご教授いただけないものだろうか」

「……ふむ。私としては吝かではないけどもね、ひとつ条件がある」


 にやりと意味深な笑みを浮かべるヴァルグレンに、思わずケイたちは身構える。


「……なに、そう身構えずとも、大したことじゃない。君たちは公国よりも遥かに遠い所から来た、そうだろう? ならば私が知らないような、珍しい知識も持ち合わせているのではないかね。――出来ればでいい、私が北の大地のことを君たちに教える代わりに、君たちも何か有用な知識を私に教えてくれたまえ」


 要はギブアンドテイクだよ、とヴァルグレンは言う。


「有用な知識、か……」


 むぅ、と声を上げて指先で唇をなぞるアイリーン。ケイも腕を組んで考え込む。


 科学技術や戦術論、電気を応用した通信など様々なものを考えていたケイだが、窓の外の青空を見て、ふと思いついた。


「……ヴァルグレン氏、貴方は"占星術"をご存知か?」

「占星術……というと、星々の動きを見るという、あの占いかね?」

「そう。それの発展系で、星を見れば一週間後までの天気がほぼ確実に分かる方法があるのだが、それでどうだろう」

「ほう! それは面白い」


 占星術を利用した天気予報。ヴァルグレンの眉がピクリと跳ねる。


「どの程度正確に予見できるんだね?」

「翌日の天気は読み間違えない限り確実に当たるが、色と明るさの関係で、未来の天気になるほど読むのが難しくなる。具体的には、天頂に季節を問わず見える七つの星があるんだが――」


 身振り手振りも交えつつ、簡単に説明していく。顎の辺りを揉み解しながら、ヴァルグレンは終始興味深そうな様子で、


「ふむ、なかなか面白いね。星を見てそこまで正確に天気が分かるという話は、ついぞ聞いたことがない。……しかし、口で説明されただけでは、よく分からないな。ケイ君、機会を見て一緒に星を見ながら教えてくれないかね? それで手を打とうじゃないか」

「勿論、問題ない」

「よし。ならば先に、君たちへのアドバイスを終わらせてしまおうか。私も少々忙しい身でね、時間が惜しい」

「それは……こちらとしては構わないが、いいのか?」


 特に証拠を出したわけでもなく、あっさりと了承されたことに肩透かしを食らうケイ。こめかみを指先でとんとんと叩きながら、ヴァルグレンはニヤリと笑った。


「なあに、それが本当かどうかは、実際にやってみればすぐに分かることだ。騙されたなら、私も君もその程度の人間だった、ということさ。――さて、私が通ったルートを教えよう、それと付近の部族の情報も。北の大地の地図はこのフロアにあったかな?」

「地図ならここにあるぜ」


 ヴァルグレンがソファから腰を浮かせようとした瞬間、アイリーンが小物入れから折り畳まれた羊皮紙を取り出し、目の前のローテーブルの上に広げる。一般公開されていた北の大地の地図を図書館の有料サービスで模写して貰ったものだ。


「用意が良いね。そういえばお嬢さん、名前を聞いていなかったかな」

「アイリーン。アイリーン=ロバチェフスカヤだ。出身は、雪原の民じゃないけど雪原の民に似た部族。よろしく、Sirおじさま

「ハッハハ、こちらこそよろしく」


 茶目っ気たっぷりなアイリーンの自己紹介に、相好を崩すヴァルグレン。アイリーンお得意の、人の懐にするりと入り込む無邪気なスマイルだ。


「さて、それでルートに関してだが、まず緩衝都市ディランニレンまで行き――」


 額を突き合わせながら、地図を覗き込む。ケイは腰のポーチからメモ用紙を取り出し、ヴァルグレンの助言を書き取り始めた。




          †††




 それから昼過ぎまで、ヴァルグレンはケイたちに詳細な情報を提供してくれた。


 当初ケイたちは、アリア川を東へ渡り、川沿いに北上してから山脈を東に迂回するルートが最短と考えていたのだが、ヴァルグレン曰くこのルートは夜盗が多く、二人旅では危険らしい。


 代わりに、ウルヴァーンからブラーチヤ街道を北上し、商業都市ベルヤンスクから東へと進むルートを提案された。こちらの方が柄の悪い集落を避けられるため、安全だそうだ。


「思ったより、有意義な時間になったな」

「うん。しかしあの爺さん、何者なんだろうなー」


 昼食を取るため宿屋に戻る道すがら、アイリーンが腕を組んで唸る。


 ケイたちとの話が終わったあと、懐中時計を一瞥したヴァルグレンは目を剥いて、「長居しすぎた」と泡を食った様子で何処かへと飛んで帰ってしまった。占星術の件は、ケイたちの宿屋まで追って使いを出すらしい。


「あの懐中時計、何気に魔術式だったもんなぁ……買ったらメッチャ高いよなぁアレ」

「装飾も凄かった。金貨が吹き飛ぶな」


 服装こそ野暮ったいローブを羽織っていたものの、あれはカモフラージュとしか思えない。しかしあれだけ個性的な髪型だと、服装を変えたところですぐに正体が露見しそうなものだが――公然の秘密、というやつなのだろうか。


「…………」


 がやがやと騒がしい昼時の街を、ケイたちは沈黙のうちに歩く。子供たちの走り回る路地からは、何やら美味しそうなスープの香りが漂ってきていた。


 ウルヴァーンに住み始めて一ヶ月余り。見慣れた街並みが、今は何処か違って見える。懐に大事に仕舞い込んだ、ヴァルグレン直伝のメモの存在が、重たい。


 ――この街を出る。


 その事実が、徐々に、徐々に、ケイたちの中で輪郭を成していく。


 通りの先に、デフォルメされた甲虫が、ジョッキを片手に首吊りしている看板が見えてきた。"HangedBug"亭。ケイたちの常宿。食堂は混み合っていたので、ケイたちは一旦部屋に戻った。


 もはや自分たちの家のように感じられる、203号室。


 改めて見てみると、いつの間にか部屋にはこまごまとした物が増えていた。それは爪切りであったり、干し果物を入れておく小さな器であったり、あるとちょっと便利なサイドテーブルであったり。


 勿論、北の大地に旅立つのであれば、全部は持っていけない。


「……そろそろ、荷物も整理しなきゃな」


 ぽつりと、アイリーンが寂しげに呟いた。




 ヴァルグレンからの使者が来たのは、それから三日後のことだった。早朝に、まるで騎士を無理やり平服に押し込んだかのような、背の高い偉丈夫が宿にやってきたのだ。


「貴殿がケイ=ノガワ氏か。ヴァルグレン=クレムラート氏よりのお言葉を伝える。『今夜8時、第一城壁の南門にて待つ』とのことだ。しかと伝えたぞ」


 なぜ自分がこんなことをせねばならんのだ、と言わんばかりに不満たらたらな顔で、男はそれだけを告げて去っていった。


「……何? 今の人」


 たまたまその場に居合わせたジェイミーが、洗濯物の籠を手にしたまま、不思議そうな顔をしている。


「知り合いの部下、か何かだな」

「ふぅん。……イケメンね」


 ケイの答えに、「あーあ、その辺にイケメン転がってないかなぁ」と呟きながら、ジェイミーは洗い場の方へと消えていった。


「ってか、今のって、絶対平民じゃないよなアレ……」

「立ち振る舞いと言葉遣いが、どう考えても騎士階級だな」


 ひそひそと、食堂の片隅で言葉を交わすケイとアイリーン。あの男がずかずかと中にまで入り込んできたせいで、食堂内も妙な空気になっている。


「そもそも、夜の8時って城門はもう閉まってるんじゃなかったっけ? あの爺さん、第一城壁の外に住んでるってことはないと思うんだけど」

「……門をどうにかできるだけのがあるんだろうな」


 少なくとも木っ端貴族には、門の開閉に口を出す権利はない。先ほどの使いの者といい門の件といい、やんごとなきオーラが滲み出ているが――


(――あの老人、タアフ村のベネット村長と同じ匂いがする)


 一見人好きのする好々爺だが、タヌキ親父をさらに一、二回捻って、パワーアップさせたような雰囲気もある。今後のことを考えると、取り入っておくべきか深入りしないよう気をつけるべきか、判断に迷うところだ。


 その日は夕方まで、いらない小物を処分したり、逆に旅の小道具を工面したりして過ごしたが、ケイもアイリーンもそわそわと落ち着かない気分だった。


 夏は日が長い。日が暮れると同時に、ケイたちは仕度を始めて宿を出る。宿で借りたカンテラと、メモ帳と万年筆を持っていくことにした。ケイに明かりは必要ないが、カンテラは念のためだ。


 果たして、20時前、門の前にはヴァルグレンが待ち構えていた。前回とは違って灰色の地味なローブを羽織り、髪型は相変わらずマッシュルームのままだ。そばには、護衛であろうか、今朝宿にやってきた偉丈夫がこちらも地味な平服を着て待機していた。その背中には革の大きな背嚢。腰に豪奢な装飾の長剣を佩いているあたり、身分を隠すつもりがあるのかないのか分からない。


「やあやあ、こんばんは二人とも。三日ぶりになるかな」


 ケイたちと同様、カンテラを片手に、にこにこと愛想の良いヴァルグレン。


「どうも、こんばんは。お待たせしてしまっただろうか」


 あからさまに不機嫌そうな偉丈夫に、戦々恐々としながらケイが問うと、「いやいや」と気負わずヴァルグレンは首を振った。


「今来たところだ。さあ、行こうか」


 カンテラを掲げながら、ヴァルグレンが先頭を切って歩き出す。


「……ところでヴァルグレン氏、今晩はどこに行かれるおつもりなのか?」

「なに、市庁の建物を借りようと思ってね。あれなら背が高いし、周りに邪魔な建物がないから、天体観測にはうってつけだろう? カジミール、用意は出来ているな?」

「はっ、先方には連絡済で、鍵も確保しております、閣下」


 じゃら、と胸ポケットから鍵束を取り出し、『カジミール』と呼ばれた偉丈夫がキリッと答える。


「だから、『閣下』はやめろと言ったろうに」

「はっ、申し訳ございません」


 カジミールが頭を下げる横で、アイリーンがケイの方を向いて白目を剥いてみせた。ケイも渋い顔で頷き返す。


「…………」


 しばらく、会話もないままに歩いていると、赤レンガ造りの市庁が見えてくる。窓からは明かりが漏れておらず、人の気配はなかった。


「今夜は、人払いしておりますゆえ」


 先んじてカジミールが入り口の扉を開け、ヴァルグレンのために扉を開ける。


「さてさて、ここは三階建てか。階段が堪えるねえ」

「何なら、肩をお貸ししようか、閣下」

「ははっ、からかわないでくれ給えよケイ君」


 ケイが思い切って軽口を叩いてみると、ヴァルグレンは苦笑していた。その後ろでカジミールが怖い顔をしていたが。


 市庁の屋上に出ると、夜の一般市街が一望できた。ところどころに明かりは見えるが、天体観測の邪魔になるほどではない。


「さて、ではカジミール、頼む」

「はっ」


 床に背嚢を置いたカジミールが、中から木の箱を取り出した。何かと覗いてみれば、


「ほう、望遠鏡か」


 金箔やら宝石やらで飾り付けられた、豪奢な天体望遠鏡。もっとシンプルなものはなかったのかといいたいところだが、実用に耐えるなら問題ないだろう。


「私はそれほど目が良くないからね」


 笑うヴァルグレンの横で、カジミールが箱から三脚などの部品を出して並べ、組み立てようとしている。が、


「むむ。これは、……この部品がここで、……むむ」


 まるでチェスの難しい局面に挑むかのように、厳しい顔つきのカジミール。ヴァルグレンは何も言わずに微笑みながら見守っていたが、不気味な沈黙が続くうち、カジミールの額にだらだらと汗が浮かんでいく。


「……この部品が、これじゃね?」


 見かねたアイリーンが、口を出した。


「……むむ。そのようだな」

「で、これが、こっちじゃん?」

「……うむ」

「それで、こっちがこう繋がって、こうか」

「…………」


 着々と組み立てられていく望遠鏡を前に、黙りこくるカジミール。ケイとヴァルグレンは顔を見合わせて苦笑した。



 ――と。



 ケイは、ヴァルグレンの手にしたカンテラに、ふと目を留めた。


 炎の明かりにしては揺らぎもせず、光が安定しすぎている気がする。


 そしてケイはその白い光の中に、背中に羽を生やした小人の姿を幻視した。


「……ヴァルグレン氏、それは、精霊か?」


 思わず尋ねたケイに、「ほう」と意外そうな顔をしたヴァルグレンは、


「分かるのかね?」

「まさかとは思うが、"白光の妖精"ではないか」

「……これは驚いた。よく知っているね」


 ヴァルグレンがカンテラの蓋を開け、「――Thorborg」と呟くと、光の塊がひらひらと舞い出てくる。


「いや……俺も、実際に見るのは初めてだ」

「すげえ、超レアなのに……」


 ケイもアイリーンも、興奮した面持ちで、ヴァルグレンの肩に座る光の小人に見入っていた。


 "白光の妖精"とは、"妖精"という呼び名を冠された下位精霊の一種だ。"妖精"たちは気分次第で何処にでも顕現し、甘いお菓子さえ持っていればその場で契約可能、かつ使役に要求される触媒も草花や砂糖、水晶などありふれたものばかりで、ゲーム内では力が弱いがお手軽な契約精霊として知られていた。


 が、その中でも"白光の妖精"だけは別格だ。他の妖精が眠りや幻惑を司るのに対し、この精霊はいわゆる突然変異的な存在で、『清浄なる癒しの光』を司っている。


 少なくとも【DEMONDAL】では数少ない、即効性のある癒しの魔術が使える稀有な精霊であり、かつ照明の魔道具の作成にも欠かせない存在であった。そのレアリティの高さと有用性から、白光の妖精と契約に成功した者にはあらゆる傭兵団クランから声がかかり、リアルマネーでの買収すら持ちかけられたという話も聞く。廃人と名高いケイも、ゲーム内では直接お目にかかったことがないほどの希少な存在だ。


「……ひょっとすると、図書館の照明の多くは、ヴァルグレン氏の手によるものなのだろうか?」


 妖精を従えている時点で、ヴァルグレンが魔術師であるのは間違いない。


「いや、あれは私の前任者だね。私はメンテナンスをやっているだけだよ。……それにしても驚かされるな、ケイ君、君は魔術にも詳しいのかね?」


 ヴァルグレンの問いかけに、ケイは曖昧に頷いた。


 このとき、おそらくケイは、少し気が緩んでいたのだろう。


「ああ……俺も、風の精霊と契約している」


 正直に、答えてしまった。


 このときは、まさかこの言葉が、あのような事態を引き起こすことになろうとは――


「……何?」


 ヴァルグレンの顔色が変わる。


「か、風の精霊というと、元素を司る大精霊のはずだが……」


 動揺するヴァルグレンに、自分の発言の迂闊さに気付く。しかし、今更否定するわけにもいかず、ケイは「ま、まあ……」と呟きながら目を逸らすことしか出来なかった。


 そのまましばらく呆然としていたヴァルグレンだが、終いには難しい顔で眉間を押さえて唸り始める。


「閣下……この者は、ただ閣下を担ごうとしているだけなのでは……」


 望遠鏡のそばで手持ち無沙汰にしていたカジミールが、遠慮がちに声をかけた。ヴァルグレンはじろりとそちらを見やり、


「だから、閣下はやめろというに。……まあ、おそらく本当であろうよ」


 そのじろりとした視線が、今度はケイに移る。


「……初めて会ったときから、君は……いや、は、年の割りに妙に魔力が強いと思っていたのだよ」


 今度はアイリーンの目が泳ぎだす。ケイは声には出さなかったが、自分たちの魔力が魔道具もなしに看破されていたことに驚いた。


「もしや君たちの『故郷』では、精霊とは一般的な存在なのか?」

「いや、そういうわけではない……俺たちは、どちらかというと、例外だ」

「ふむ……なるほどね……」


 しばし不気味に沈黙するヴァルグレンに、ケイもアイリーンも戦々恐々としていたが、やがて疲れた様子で老人は溜息をついた。


「……まあ、納得は出来る。あれかね、ケイ君、君の放つ矢がことごとく的を捉えていたのは、そういうこともあったのかね?」

「……というと?」

「なに、君は風の精霊の加護を受けているではないか」


 場を和ませるように、おどけたようにヴァルグレンが小首を傾げるが――自分の弓の腕ではなく、全てが精霊のお陰と思われているのにムッとしたケイは、


「それは違う。俺の契約精霊は器が小さいからな、供物を捧げないと何もしてくれないケチ臭いヤツだ」



 その瞬間――空気が、ぞわりと異様な雰囲気を孕んだ。



 何事か、と全員が思わず空を見上げると同時。



 ゴオオッ、と凄まじい音を立てて突風が吹きつけた。



「うおおっ?!」

「なんだッ!?」

「閣下っ!」


 ケイは突風にやられてすっ転び、アイリーンが床に伏せ、カジミールがヴァルグレンに駆け寄る。


 しかしそれも一瞬のこと。それ以上に何かリアクションを取る暇もなく、まるで嘘のようにぱたりと風はやんだ。あとには呆気に取られる三人と、転んだ際に後頭部を打って悶絶するケイだけが残される。


「ぐうぅぉおぉ畜生シーヴのヤツ……!」

「だ、大丈夫かケイ……」


 歩み寄ったアイリーンが、ケイを助け起こす。


「くっ、クソっ、がめついのは本当だろ! いつもいつもエメラルドみたいな高級な宝石しか受け付けない癖に、魔力も限界ギリギリまで吸い上げやがって……ッ!」

「……ってか、英語に反応できるなら、精霊語エスペラントいらねえじゃん……」


 空に向かって文句を言うケイ、その頭を撫でながら釈然としない表情のアイリーン。


「……いや、すまない、取り乱した。ヴァルグレン氏は大丈夫だったか?」


 立ち上がって、痛みを振り払うようにこめかみを揉み解していたが、答えがない。


「ヴァルグレン氏? どうかし……たの、か……」


 ヴァルグレンの方を見やったケイは、――固まった。




 一瞬、そこに誰がいるのか分からなかった。




 すぐに、その顔を見て、それがまぎれもなくヴァルグレンであることには気付く。しかし――先ほどまでのヴァルグレンとは、



 何もない。



 そこには、何もなかったのだ。



「ボ……ボルドマンはげてる


 アイリーンが、おののいたように呟いた。



 ヴァルグレンは、ハゲていた。



 トレードマークの、不自然なまでに美しかった銀色のマッシュルームヘアが、綺麗さっぱり消失していた。



「…………」


 目を見開いて、頭に手を伸ばした形のまま、硬直するヴァルグレン。


 白光の妖精が、キャッキャッと無邪気に笑いながら、その頭頂部に腰を下ろした。


 輝く。輝いている。



 そう、それはまさに光の精霊――



「…………」


 ケイとアイリーンには、空気が、異様な緊張感を孕んでいるように感じられた。


「……閣下、」


 その場で、臣下の礼を取ったカジミールが、


「私は、閣下の御髪みぐしを探して参ります」


 くるりと背を向けて、屋上から退散していった。


 逃げられた、と気付いたのは、数瞬遅れてからのことであった。


「……ケイ君、」


 ヴァルグレンが再起動を果たし、何事もなかったかのように、穏やかに微笑む。


「……星を、見ようか」

「あ……、あっ、はい」


 ケイも我に返り、コクコクと頷いた。アイリーンは妖精に照らされた頭部を見ないように、全力で夜空を見上げている。慌てて床に転がっていた望遠鏡一式を取りにいくケイであったが、今度は「あぁ!?」と絶望の声を上げる。



 突風に吹かれて屋上に倒れていた望遠鏡は、レンズが粉々に割れていた。



 しかも、表面の繊細な装飾が、床のレンガに擦れて傷だらけだった。



「…………」



 その日は、それで解散となった。



 ちなみに、カツラは見つからなかったらしい。




          †††




 別れ際に「追って沙汰をする」と言っていたヴァルグレンだが、その言葉通り、後日宿に使者のカジミールが現れた。


 曰く、「出来れば日を改めて占星術を教えて貰いたいが、最近は時間がなく、いつになるか分からない。先に"魔の森"に行くならば、それはそれで構わない」とのことだった。


 その場でどうするか決めろ、とカジミールに言われたので、ケイたちは一も二もなく返答した。



 数日後、荷物をまとめ、コーンウェル商会のホランドや図書館のアリッサ嬢など関係者に挨拶して回ったケイたちは、逃げるようにウルヴァーンから旅立った。



 目指すは北の大地、"魔の森"。



 ケイたちがこの世界に転移してから、2ヵ月半が過ぎようとしていた。


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