31. 大会


 明くる日。


 一晩ぐっすりと眠り、割と元気の出てきたケイたちは、気分を切り替えてコーンウェル商会を訪ねていた。


「やあやあ、お早う二人とも。用事があると聞いたけど?」


 商館の一室で待たされていると、ほどなくして忙しげにホランドが姿を現した。何でも近日中に、隊商が再びサティナへ発つそうで、その準備の合間を縫って話を聞きに来てくれたらしい。


「忙しいところ申し訳ない、実は――」


 恐縮しつつも、ケイは自分たちの現状――市民権も許可証も持たないが故に、第一城壁が越えられないことを相談した。すると、


「……なんてこった。知らなかったのかい? 市民権のこと」


 しばし、呆けたように目を瞬かせ、ホランドは思わずといった様子で苦笑した。


「……うむ。あいにくと、身の回りに知らせてくれる人がいなくてな」


 渋い顔で腕組みをするケイに、ホランドはさらにその苦笑の色を濃くする。


「いやはや、申し訳ない。キミらは『上』からの指示で、特別に護衛として参加したもんだからね。私を含めて、多分隊商の全員が、何らかの伝手を持ってるものと思い込んでたんだろう」

「ああいや、そのことに文句が言いたかったわけじゃないんだ」


 控え目に謝るホランドに、自身の発言が皮肉とも取れたことに気付きケイは狼狽した。


「――でさでさ、旦那。オレたち、どうしたらいいと思う? 税金とか住居とかは何とかなると思うんだけどさー、市民権取るには市民の推薦状とやらが必要らしいじゃん」


 空気が気まずくなる前に、すかさず口を挟むアイリーン。


「そう……だねぇ。推薦状かぁ」

「旦那、書いてくれない?」

「いや、残念ながらそれは出来ない。書類上は、私はサティナの住人だからウルヴァーンの市民権は持ってないのさ」


 茶目っ気たっぷりにお願いするアイリーンに、ホランドもまたおどけた様子で肩をすくめてみせる。


「そっかー、残念。出来ればだけど、他にお願いできそうな人、紹介して貰えたら嬉しいなー、なんて」

「ふーむ。それよりも、キミらに限っては、……もっといい方法があるかもしれないよ」


 ニヤリと笑みを浮かべて、ホランドは声をひそめた。


「実は近々、ここウルヴァーンで、武闘大会が開かれることになったらしい」

「……"武闘大会トーナメント"?」

「そう。アクランド公国、ひいては諸国から勇士を募り、その武勇を競い合わせる。見事優勝した者には"公国一"の栄誉を、そうでなくても入賞すれば、賞金とウルヴァーンの名誉市民権が与えられるとか何とか……」

「ほう……」

「でも、そうなると、また闘うことになるのか?」


 感心したように頷くケイの隣、アイリーンは表情を曇らせる。彼女を巡って、ケイがとある脳筋戦士と決闘する羽目になったのは、記憶に新しい。


「や、ケイの場合は、射的部門に出場すればいいんじゃないかな。剣や槍、馬上試合とは違って、出場者同士が直接戦うことはない筈だから」


 アイリーンの懸念を正確に汲み取ったホランドは、安心させるように微笑を浮かべた。


射的部門シューティングというからには、弓以外も?」

「ああ。前回、武闘大会が開かれたのは、十五年も前のことだけど、その時は弓矢に十字弓クロスボウ投石紐スリングに至るまで、多種多様な遠距離武器が"射的"で一括りにされていたよ。基本的にやることは一緒、的当てだからね」

「成る程」

「尤も、優勝者は弓やクロスボウの使い手ばかりで、スリングは予選を突破することすら難しかったらしいけど」

「ということは、スリングが不利になるようなルールが?」

「いや、単純にここら一帯はスリングの使い手が少ないんだよ。だから弓に比べると、全体の水準がどうしても低くなりがちなんだ。貧しい村ではまだ現役と聞くけど、基本的に兵士も狩人も弓を使うからねえ」


 弓やクロスボウに比べると見栄えも悪いため、わざわざスリングで大会に挑む者は少ない、とホランドは言う。


 投石紐スリングは遠心力で石や鉛玉などを打ち出す、シンプルな構造の紐状の武器だ。弓に比べると生産が容易で、道端に落ちている石ですら弾として即座に利用できるという強みがある。それでいて射程は下手な弓よりも長く、その威力も決して馬鹿には出来ない。振り回して投擲するという性質上、扱いにはある程度の習熟を要するが、入手が簡単ということもありゲーム内では無法者アウトロー御用達の武器であった。


 拳大の石を長距離から投擲できるスリングは、投擲物そのものに質量があるため、例え鎧で身を固めていても命中すれば必ずダメージが通る。骨折、内臓破裂、あるいは武具の損壊。弓と違って片手で放てるため、使い手自身が盾を装備できるのも大きな利点だ。


 馬上では扱い辛いという欠点もあるものの、集団で運用された場合、それは時として弓以上に猛威を振るう。こと打撃力という一点において、スリングは弓を圧倒するポテンシャルを秘めているのだ。


 ――尤も、板金鎧はおろか盾すらブチ抜く"竜鱗通し"は、そのさらに上を行く例外中の例外であるが。


(そういえば、PKプレイヤーキラーには、よく石投げられてたな……)


 目を細めて、ケイは懐かしげにゲーム時代の思い出を反芻する。


 投石、とだけ聞くとやはりチャチな印象を受けてしまうが、スリングに習熟したプレイヤーの放つそれはもはや砲弾に等しい。特に"隠密ステルス"に長けたプレイヤーの投擲は脅威の一言で、"受動パッシブ"をほぼ極めたケイですら、回避が間に合わず馬から叩き落とされたのは一度や二度ではない。


 "受動"を不得手とするアンドレイはもっと酷い目にあってたな……、などと考えていたところで、コンコンとドアをノックする音が、ケイを現実に引き戻した。


「お茶がはいりましたよ~」


 トレイの上にマグカップを載せて、部屋に入ってきたのは浅黒い肌をした幼い少女――ホランドの娘、エッダだ。


「やあ、エッダ」

「おおー、元気してたか?」

「うん! お兄ちゃん、……とお姉ちゃんも、ひさしぶり!」


 ケイの方を向いて、無邪気に笑うエッダ。久しぶり、とはいうものの、最後に顔を合わせてからまだ三日と経っていない。しかしこの数日で、アイリーンとの距離感が決定的に変わり、また役所を訪ね回ったことで様々な経験も積んだ。数日といえども濃密な時間――隊商で過ごした一週間が、随分と昔のように感じられるケイであった。


 カップをテーブルの上に置いたエッダは、何を思ったのか、そのままケイの腕の中に潜り込んでくる。当然のように膝の上に収まるエッダに、ホランドが「お話の邪魔にならないよう、部屋を出なさい」と、何やら小言めいたことを言い始めたが、ケイは穏やかにそれを宥めた。


 所詮は子供のすることだし、何よりも彼女は顔見知りだ。お茶汲みが終わったからといって、出ていけというのも酷な話ではないか。


 ケイとしてもエッダは嫌いではないし、アイリーンも子供好きだから問題はない筈――そう思って隣を見ると、アイリーンは、大人の余裕とでもいうべき美しい微笑を浮かべていた。対するエッダは少し頬を膨らませて、そんなアイリーンを見返している。


 はて、これはどうしたことか、と。そこに、正体不明の危機感を見出したケイであったが、それについて深く考える前に、「それじゃあ」とホランドが口を開いた。


「何はともあれ、ケイが大会に出るならまず入賞は堅いだろう。というわけでこの件に関しては、支部長に私から話を通しておくよ。参加資格として、ウルヴァーン市民一人の推薦が必要になるからな」

「また推薦、か」


 ケイの口の端が皮肉に吊り上がる。ここまで徹底していると、もう笑うしかない。


「まあ街としても、大会にかこつけて、ならず者が流入してきたらたまらないからね。支部長も"大熊グランドゥルス"を仕留めたキミに直接会ってみたいと言っていたし、ここらでひとつ有力者とのつながりを持っておくのも、悪くないんじゃないかな?」

「いや、素晴らしい提案だ。何から何まですまない、ありがとう」

「どういたしまして。まあ私は、あと三日もすればウルヴァーンを出る……だから明日明後日までには、日程を調整しておくよ」


 この程度のことはなんでもない、と愛想のいい笑顔を浮かべて、カップを手に取ったホランドは一口茶をすすった。


「……お兄ちゃん、何かの大会に出るの?」

「ああ。武闘大会に、射的部門でな」


 目を輝かせるエッダに、軽く頷いてみせる。決闘とは違ってただの的当て競技大会なので、ケイとしても気楽なものだ。


「へぇ、すごいすごい! いつ出るの?」


 膝の上でキャッキャとはしゃぐエッダ、問われたケイは答えに窮し、助けを求めるようにホランドを見やった。


「えーと、旦那。詳しい日程とかは?」

「とりあえず、数日中に大会の開催が公布される、って話だったね。それから出場者がウルヴァーンに集う時間も鑑みて……まあ一ヶ月後といったところかな」

「一ヶ月か……」


 ケイとアイリーンは顔を見合わせる。


((長いな……))


 想像以上に、期間が開く。尤も、大会が公布されたあとに、各地から有志たちがウルヴァーンに集う手間を考えれば、このぐらいが妥当な時間かもしれない。


(どうやって過ごしたものかな……)


 ケイは考える。この世界に来てから二週間と数日。二十余年の歳月に比べれば、ごくごく短い期間ではあるが、今までの人生を振り返っても指折りに密度の濃い日々であった。


 だが、『ウルヴァーンに辿り着く』という第一目標を達成してしまった今、一ヶ月もの余暇をポンと渡されて――だだっ広い草原の真ん中に放り出されたかのように、呆然としてしまった感がある。隣のアイリーンのぼんやりとした表情を見るに、おそらく彼女も同じような気持ちなのだろう。


「――ところで、ケイたちは図書館にどんな用事があるんだい? 今まで、公国一の図書館を見てみたい、と願望を言う人はたくさん見てきたけれども、そのために実際に市民権を取ろうとする人までは、流石にいなかったよ」


 何の気なしに、ごく自然な態度で、ホランドはケイたちに話を振る。しかしそれは言外に、そこまでして図書館で何を調べたいのか、と尋ねているかのようであった。


 ちら、と隣に目をやると、「別にいいんじゃね?」と言わんばかりに、小さく肩をすくめるアイリーン。


 短い付き合いだが、共に旅したことで、ホランドが人を陥れるような性格ではないことは分かっている。性格の善し悪しと、そこから生じ得る悪影響の有無は別問題だが、――ここは話しておくべきだろうな、とケイはおもむろに口を開いた。


「……実は、俺たちは二人とも、遠い場所からやってきた異邦人なんだ」


 ゲームや異世界といった概念はぼかしつつ、順を追って説明する。白い霧に入り、そこで記憶が途絶え、気が付けば『こちら』の草原にいた――。


「――というわけで、俺たちの身に何が起きたのか。ここは、俺たちの故郷からどれだけ離れているのか。あるいは、帰る方法はあるのか。それらの手がかりを、図書館で探したいと思う」


 よくよく考えれば、タアフ村でもこのことは既に話しているのだ。言ってしまえば何のことはない、などと思いつつ、テーブルの上のマグカップを手に取る。鼻腔をくすぐる、まろやかな香り――おや、これはカモミールかな、と当たりをつけた。以前、何かの機会にVRショップで飲んだことがある。


「うーむ……それはなかなか、突飛な話ではある」


 髭を撫でながら、何かを考えるように開けっ放しの窓を見やるホランド。しばらくそのまま考え込んでいたが、やがて諦めたような顔でケイたちに向き直った。


「……しかしまぁ、キミたちなら、あり得るかも知れないな」


 ここは、【DEMONDAL】に限りなく似た世界。魔術も、奇跡も、超常現象も、その存在が客観的事実として認識されている。転移についても、話としては突飛だが、決して有り得ないとは言い切れない。


 ひとまず、ホランドはケイの言うことを信用すると決めたようだ。


「白い霧の異邦人エトランジェ、か……。図書館には、伝承や魔術、呪術について専門に取り扱う部署もあると聞く。何か手掛かりが見つかるといいね」

「……ねえねえ、お兄ちゃん」


 そのとき、エッダがくいくいと、ケイの袖を引っ張った。


「わたし、知ってるよ。その"霧の異邦人"のお話」


 腕の中から自分を見上げる少女に、ケイは意外な思いで視線を落とす。


「本当か?」

「うん。北の大地の東に、いつも霧が立ち込めてる深い森があって、その森から出てくる『人』は、どこか遠い場所から、霧の中に紛れこんでしまった人なんだって……」

「初めて聞いたな。マリーの婆様に教えて貰ったのかい?」

「ううん」


 興味深げなホランドの問いかけに、エッダはふるふると首を振る。そして、その可憐な唇から飛び出したのは、


「アレクセイのお兄ちゃんに教えて貰ったの」


 衝撃的な事実に、ケイとアイリーンの動きが止まった。


「……アレクセイ?」

「うん。北の大地ってどんなトコなのか聞いたら、その時に……」

「マジかよ……」


 頭を抱えたのはアイリーンだ。隊商護衛の間、情報収集のためにアレクセイから色々と話を聞いていたが、先祖や家族の自慢話、自身の辺境での武勇伝など、心底どうでもいいようなものばかりだった。


(肝心なことが聞き出せてないじゃん!!)


 よもや、ここまで身近なところに、重要な手掛かりが転がっていようとは――どうせなら自分たちの境遇について詳しく説明しておけばよかった、と後悔するも、時既に遅し。


 価値観がズレまくりで面白くもない長話に、延々と付き合っていた自分は何だったのかと、アイリーンは全身から力が抜けていくのを感じた。


「他に何か聞いてないか!?」


 ズルズルと椅子からずり落ちていくアイリーンをよそに、勢い込んで尋ねるケイ。その食いつきっぷりにまんざらでもない様子で、エッダは得々と、アレクセイから聞いた話を語り始めた。


 北の大地の東に広がる、悪魔の森――またの名を"賢者の隠れ家"。

 十歩踏み込めば気が狂う、とまで言われる、霧に覆われた不気味な世界。

 そこに巣食う得体の知れない化け物と、アレクセイの祖父の体験談。

 そして、かつて霧の中から現れたという、異邦人の伝承。


 ケイとアイリーンの興味を引くには、充分すぎる話だった。


「その、異邦人って部分を詳しく頼む」

「うーん……ごめんね、そこのところは、あんまり聞いてないの」


 ケイに詳細を求められると、打って変わって元気を失くすエッダ。やはりダメか、と思わず失望が顔に出るケイに、「ごめんね……」と目に見えて落ち込んでしまう。


「いや、気にしないでくれ、重要な手掛かりであることには違いないんだ」

「うーんとね、んーとね……あ、ひとつだけ、その異邦人から伝わるお歌は聴かせて貰ったよ!」

「どんな?」

「名前は……なんだったっけ。おばあちゃんは憶えてるかもしれないけど。えっとね、でもメロディは憶えてるの」


 目を閉じて、静かにメロディラインを口ずさみ始めるエッダ。



 正直なところ、大して期待はしていなかったのだが――その、哀愁漂う物悲しい旋律を聴いて、ケイとアイリーンは全身が鳥肌立つのを感じた。



「「"Greensleeves"……!」」



 二人の口から零れた名に、エッダが目を見開く。


「そうそう、その名前! 二人とも知ってるの!?」


 興奮気味のエッダだが、ケイたちは声もなく、愕然と、顔を見合わせるのみ。



 "Greensleeves"――地球では、世界的に有名な曲だ。



 ケイもよく知っている。まだ小学校に通っていた頃、放課後に鳴っていた下校の音楽だった。そして、VR世界で英語を学び始めてから、イギリス人の友達に歌詞を教えて貰った曲でもある。忘れるはずがない。


「ケイ……」


 蒼褪めた顔で、アイリーンがこちらを見る。ケイも、信じられない気分だった。今しがたのアレクセイ云々が吹き飛ぶほどの衝撃。いくら英語やロシア語が普通に使われている世界だからといって、全く同じ旋律の曲が偶然作曲されるわけがない。


 そう、これは明らかな痕跡。


 地球出身の誰かが残した、足跡だ。


 期待が、確信に変わる。北の大地には――"霧の森"には、何かがある。


「その様子だと、……故郷の歌か何かかね?」


 尋常ならざる様子のケイたちに、興味深げな目を向けるホランド。半ば、心ここに在らずで、ケイは曖昧に頷いた。


「俺たちの故郷では、広く知られている歌だ……」

「そうか……」


 マグカップを傾けながら、ホランドが想像するのは、ケイたちの故郷だ。草原の民――に見えなくもないケイと、明らかに雪原の民の系譜と分かるアイリーン。異民族、異人種である彼ら彼女らが、普通に交流し合い同じ文化が共有される、その『故郷』とは如何なる場所であろうか――と。


「……どうしよう。今すぐアレクセイのヤツを追いかけたくなってきた」

「うーむ、そうだな」


 渋い顔のアイリーンに、ケイも腕組みをして考える。


「奴と離れてから三日か……馬ならすぐに追いつけるんじゃないか」

「アイツ徒歩だしな。大会まではどの道1ヶ月あるんだろ? なら――」

「いや、ちょっと待ってほしい」


 アレクセイを追跡する方向で話がまとまりかけたところで、ホランドが止めた。


「正直に言わせて貰うと、今から追いかけるのは現実的じゃない」

「ん? でも、オレたちの馬、足はなかなか速いぜ?」

「それでも、三日のロスは痛い。ウルヴァーンから北の大地へは、大小合わせて五本も道があるんだ。……彼がどの方向に去って行ったか、キミらは知ってるかい?」

「……アイリーン、アイツの故郷って何処だ?」


 ケイが問いかけると、アイリーンは斜め上へと目を泳がせた。


「ひ、ひがしのほう……」

「…………」


 ダメだこりゃ、とケイとホランドの視線が交錯する。


「一口に東といっても、北東か南東かで随分変わる。……北の大地は広いからね」

「……冷静に考えれば、奴が真っ直ぐに故郷に帰った確証もないしな。エッダは他に何か聞いてないか?」

「ん~。聞いてない」

「そうか……」

「こんなことなら、もっと詳しく聞いときゃよかった……」


 頭を抱えて、机に突っ伏するアイリーン。しかし、ここでケイは閃いた。


「いや待て、諦めるにはまだ早い。魔術で【追跡】すれば……!」

「おお、なるほど、キミらにはその手があったか!」


 喜色を浮かべるケイ、ぱんと膝を打つホランド。が、ギギギギと音がしそうなほどゆっくりと顔を上げたアイリーンは、半眼でケイを見やる。


「ケイ。アレクセイの所持品、何かひとつでも持ってるか?」

「…………」


 決闘の後、報酬としてアレクセイから全財産を渡されそうになったが――それを断ったのは他でもない、ケイだ。その結果、【追跡】の魔術の触媒になる、アレクセイに所縁のある品は、武具はおろか銅貨一枚、髪の毛一本すら持っていない。


 持っていない。


「こんなことなら、何か受け取っておけばよかった……!!」


 今度は、ケイが頭を抱える番であった。




          †††




 結局、現実的ではないという理由で、アレクセイの追跡は取りやめとなった。


 ホランド曰く、明日から夏至の祭りが始まるそうで、今のウルヴァーン周辺は人の出入りが非常に激しくなっているらしい。そしてそれが人探しの難易度をさらに上げているとのことだった。


 ケイたちとしても、あれほど潔い別れ方をした以上、これからアレクセイを追いかけて再会するのは、いかにも間が抜けているし気まずい。また、わざわざアレクセイに拘らずとも、他に雪原の民を探して話を聞くという手があるのも大きかった。


 膝の上のエッダと戯れつつ、ケイはホランドと支部長との面談についての話を詰め、ついでに決闘で折れた剣の代わりと、携行できるタイプの時計を探している旨を伝えた。


「――懐中時計が欲しい? 全くブルジョワだねキミたちは」


 私も砂時計で我慢してるのに、とホランドは呆れたように笑っていたが、ケイたちに支払い能力があるのは確かなので、手配することを約束してくれた。今回の時計は少しだけ値引きして貰う代わりに、未だ買い取り先が確定していない"大熊"の毛皮の売値から天引きではなく、ケイが現金で払うことになっている。金貨一枚程度であれば、払えないことはないだろう。


 最後に、商会系列の腕の良い鍛冶屋を教えて貰ってから、ケイたちは"HangedBug"亭へと戻っていった。


「いやー、思わぬ展開になったなぁケイ」


 一階の酒場。アイリーンは少々疲れた様子で、だらしなくテーブルに肘をついた。


 時刻は、午前11時を回ったところか。商会を訪ねたのが8時過ぎだったので、少なくとも二時間はホランドと話をしていたことになる。

 忙しいところ邪魔して済まなかったな――と思うケイであったが、長剣や高価な時計の手配など、自分自身が下手な客より金払いが良いことを思い出したので、それ以上は気にしないことにした。


「ああ。まさかあのアレクセイが――雪原の民が、鍵を握っているとは思わなかった。いずれにせよ、大きな収穫だ」


 弓ケースの位置を直しながら、ケイも椅子に腰を下ろしてほっと一息つく。エッダのお蔭で新たな手掛かりは得たが、『転移について図書館で調べる』という当初の目標に変わりはない。ホランドも言っていたが、現段階の情報のみで北の大地に乗り込むのは性急過ぎる。ウルヴァーン周辺に住む雪原の民から伝承について聞きだしつつ、さらに学術的観点から図書館で調査を進めるのが得策だろう。少なくとも、漠然と『転移』について調べるよりは、ずっと効率よく情報が収集出来る筈だ。


「…………」


 しばし、席に着いたまま、二人とも沈黙する。


 目をやるのは、酒場の片隅。

 奥の席に陣取って、テーブルに薄紙や木材、細工用の小刀などを雑多に並べ、何やら工作に勤しんでいる若い女――ジェイミーだ。


 喉が渇いたので早く注文を取りに来てほしいのだが、ジェイミーはケイたちが酒場に入ってきたことにすら気付く様子がない。薄紙を切ったり、木を糊付けして紐で縛ったり、一心不乱に手元に意識を集中させている。今はドワーフ顔の店主の姿もなく、オーダーするならば彼女しかいないのだが、あまりにも一生懸命なので声をかけるのが躊躇われた。


 テーブルに両手で頬杖を突いたアイリーンが、にやりとケイに笑いかける。遠慮で声をかけないケイとは違い、気付かない彼女を面白がる構えだ。ケイも、若干気持ち悪いのを承知で、アイリーンの真似をして両手で頬杖を突く。


 そのままジェイミーに視線を注ぐこと数分。


「うん、できたっ」


 独りドヤ顔で、惚れ惚れと自身の力作を手に取るジェイミー。完成したのは、木枠に薄紙を張り合わせたシンプルな構造の直方体だ。薄紙は切絵のように、所々がデフォルメされた動物の形に切り取られており、その絵柄が何処となく稚拙なことと相まって、ケイに幼い頃に小学校で作った紙製の灯篭を連想させた。


 小刀を置き、ジェイミーは様々な角度から満足げに作品を眺めている。が、斜め下から抉り込むようなアングルで見ようとしたときに漸く、テーブルで頬杖を突いたままのケイたちの姿に気づいた。


「ホワッ!?」


 奇声とともに体をのけぞらせ、椅子から転げ落ちそうになるジェイミー。そしてなぜか作品を手に持ったまま、ズドドドドと凄い勢いで駆け寄ってきた。


「いっ、いつから……!?」

「……うーん。五分くらい前?」

「だな」


 うんうん、と頬杖をついたまま二人が頷くと、「イヤー!」と声を上げてジェイミーは手の灯篭で顔を隠す。微かに覗く頬が紅い。


「ごめんなさい、気付かなくて……ご、ご注文は!?」

「何か軽くつまめる物と、……俺は葡萄酒の水割りにでもしようかな。アイリーンは?」

「オレはりんご酒で」

「OKOK、ちょっと待ってて~!」


 近くのテーブルに灯篭を置いて、ジェイミーは逃げるようにして厨房の奥へと引っ込んでいった。


(普段は強気な娘が恥じらう姿か……イイな)


 先日、夜の音の件でからかわれ、そのときは何と図々しい娘だろうと思ったものだが、恥じらいの心はあるらしい。平素がハキハキとしているだけに、新鮮な感覚だ。


 最近は悪い虫が――と、嘆いていた店主のことを不意に思い出す。


(俺もアイリーンがいなければヤバかったかもな)


 ギャップ萌えというヤツか。いずれにせよレアなものが見れた、と満足げなケイであった。そんなケイをよそに、アイリーンは放置された灯篭に興味津々の様子だ。


「はい、お待たせ~。葡萄酒の水割り、りんご酒、それとカナッペね」


 しばらくして、皿とカップを満載したトレイと共に、ジェイミーが戻ってきた。


「やあ、これはまた豪勢なものが来たな」


 テーブルに置かれたカナッペの皿に、思わず感嘆の声が洩れる。一口サイズに薄く切られた堅いパンの上、チーズや野菜、ハムなどが色取り取りに盛り付けられていた。注文を取ってから偉く時間がかかるな、と思っていたのだが、これを作っていたのなら納得だ。


「サービスよ、サービス」


 そう言ってジェイミーは笑うが、その顔からは照れが抜け切っていない。酒も頼んだ分、少々高くついたが、手間賃を含めて小銀貨数枚をまとめて払っておいた。


「なあ、コレって何なんだ?」


 満を持して、アイリーンが灯篭を指差しながら尋ねる。ジェイミーは、諦めたように笑いながら、


「それね……明日から、夏至のお祭りが始まるでしょう? お祭りの前夜には、灯篭ランタン流しをするのが慣習なの。みんなで川に、灯篭や蝋燭を載せた小舟を流すのよ」

「へぇ~」


 チーズとハムのカナッペを頬張りながら、アイリーンは感心した様子だ。ケイも、精霊流しみたいなものかな、などと思いながら話を聞いていた。


「しかし、そんなもの流して大丈夫なのか? 水が汚れたら精霊が怒ると聞くが」


 川、といえばウルヴァーンの東を流れるアリア川のことだろう。その下流にあるシュナペイア湖の、水の大精霊の伝説を思い出したケイは素朴な疑問を放つ。


「ああ、それなら大丈夫。ユーリアの町の人たちが、湖にまで流れ着いた時点で死ぬ気で回収するらしいから……」

「そ、そうか」


 事も無げなジェイミーの返答に、ケイは引き攣った笑みで頷く。とんだハタ迷惑だな、とは思ったが、口には出さなかった。


「今夜、私もコレ流しに行くんだけど、なんだったら一緒に見に来る?」

「お、いいのー?」

「もちろん。とってもロマンチックよ」

「へーいいないいな! ありがとう!」


 盛り上がる二人の少女。口を挟む暇もなく、ケイの同行も決まっていたが、特に断る理由もなかったので一緒に行くことにした。



 その夜。



 夕食を摂ったあと、ドワーフ顔の店主――『デリック』という名前らしい――に断りを入れてから、ケイたちは揃って宿を出た。


 灯篭を流しに行く、というジェイミーに当初デリックは難色を示したが、ケイとアイリーンが同行すると聞いて快くこれを許した。確かに、ジェイミーほどの器量良しの娘が、日が暮れた後に一人歩きするのはよろしくない。デリックからかけられた、「頼んだぞ」という言葉が妙に重く感じられるケイであった。


 ジェイミーは丸腰だが、ケイとアイリーンは念のために武装して行くことにした。アイリーンは腰に短剣を差し、ケイは彼女から借りたサーベルを吊り下げる。本来、白兵戦であればアイリーンの方に軍配が上がるのだが――その可憐な見かけが災いして、抑止力にはならないと判断したのだ。


 ちなみに、ケイたち以外にも同行を申し出た客は多かったが、彼らはデリックが一睨みして黙らせた。ケイは、アイリーンと好き合っているのが一目瞭然なため、『悪い虫』にならないと判断されたのだろう。



 三人揃って、とっぷりと、夕闇に沈む街を行く。



 灯篭を両手で抱えるジェイミーと、右手に掲げたランプで道を照らすケイ。アイリーンは、ケイの空いた左手を握り、てくてくと隣を歩いている。


 灯篭流しの前夜祭。この日の街は、たしかにどこか特別だった。通りは篝火の明かりに照らし出され、いつもとは違うかおを見せている。


 東へ向かう住民たちの影が、ゆらゆらと幽鬼のように揺れていた。無数の人々の足音が、息遣いが――人の気配が満ちているそこは、しかし祭りの熱気とは程遠い。


 普段、これだけの人通りがあれば、スリなり何なりを警戒するものだが――今日に限っては、そういった邪悪を許さない、厳かな空気が満ちていた。


 人々のざわめきがあっても尚、静かであった。


「思ったより、静かなんだな」


 人の流れに乗って歩きながら、ケイは隣のアイリーンに囁く。


「だな……」


 困惑したように頷きながら、アイリーンもまた小さく答えた。口を開くのさえ憚られるような雰囲気。周囲の人々も、囁くようにして言葉を交わしている。それにつられて自然と少なくなる口数。


 城門を抜け、街の外に出る。アリア川に向かって、真っ直ぐに人の列が続いていた。長い棒の先端にランタンを吊り下げた、独特な照明器具を捧げ持つ衛兵たちが、儀仗兵のように、暗い夜道を照らし人々を誘導している。


 十分ほど歩いて、川岸に着いた。暗い、のっぺりとした川面――湿り気のある空気が、優しく頬を撫ぜる。


 ゴーン、ゴーンと、街の方から響く、鐘の音。


 連鎖的に、幾つもの時計塔が、神殿が、あるいは城の尖塔が――それぞれに鐘を鳴らし、時が来たことを告げる。


 おもむろに人の列が川へ近付き、思い思いに灯篭や玩具の船を流し始めた。吸い込まれるような黒色の川面に、ぽつりぽつりと揺らめく明かりが漂い、踊り、さざ波に煌めくそれらはまるで、星空がそのまま川へと注ぎこまれたかのようだ。そして、徐々にその数を増した灯篭は、やがて大きな光の波となって流れ去っていく。


 嗚呼、とケイは溜息をついた。


 炎とはここまで、夜の闇に映えるものなのか。


「綺麗……」


 シンプルに、熱に浮かされたかのように、アイリーンは感嘆の言葉を口にする。

 ああ、凄いな、とケイも相槌を打とうとしたが、これ以上の感嘆は、むしろ無粋であるように感じられた。何も言わずに頷くに留め、代わりに隣のジェイミーに問いかける。


「これは、古くから続く伝統行事なのか?」

「……そうね」


 抱き締めるように、腕の中の灯篭を撫でたジェイミーは、


「……灯篭流しそのものは、昔からあったらしいわ。でも、祭りの前日に皆で揃ってやり始めたのは、十年前から」


 薄闇に、ぼう、と横顔が浮かぶ。


「"戦役"で亡くなった人の為の、慰霊祭なの」




 しばらくして、ジェイミーの番が来た。ケイのランプから火を借り、灯篭の蝋燭に火を灯す。

 そっと、水面に浮かべた灯篭は、少しの間、ジェイミーの前でくるくると回る。まるで踊るように――しかし、流れる水には逆らえず、そのまま岸から引き離されていく。漂う光の群れに合流し、下流へと流れ去っていく。


「……」


 ジェイミーは黙してそれを見送った。ケイも、アイリーンも、また同様に。


 この世界は――


 現実の中世ヨーロッパに比べて、技術が発達している。が、それでも、紙も蝋燭も、庶民にとってはまだまだ高価であるはずだ。


(でも、これだけの人が)


 周囲を見渡す。川岸を埋め尽くす、人、人、人――。腰の曲がった老婆の姿もあれば、親に手を引かれた幼子の姿もある。皆、普通の人々だった。むしろ、貧相でさえあった。貴族のように、着飾った者たちは、この場には存在しえなかった。


「……行きましょうか」


 灯篭の上で踊る、不格好な動物の模様が見えなくなったあたりで、ジェイミーは川に背を向けた。


 歩き出す。街の方へ向けて、ゆっくりと。


「……沢山の人が死んだから、」


 やがて、ぽつりと、口を開いた。


「気兼ねなくお祭りをするのに、何かしら建前が必要だったんでしょうね」


 そう言って、ジェイミーは笑う。屈託のない笑顔だった。




          †††




 それからの一ヶ月は、瞬く間に過ぎ去っていった。


 夏至の祭りが始まると同時に、武闘大会の開催が公布され、ケイは商会の支部長と面談して推薦状を手に入れた。

 そして役所で武闘大会の参加手続きを行い、そのまま衛兵の詰め所に連れて行かれ、『最低限の力量を証明する』という名目で弓の腕前を試された。結果、的を粉砕しその威力と正確さで周囲の度肝を抜くこととなったが……。


 その後は、ホランドに紹介して貰った鍛冶屋で適当に頑丈な長剣を見繕ったり、移住に備えてウルヴァーンの物件を見て回ったり。


 東の村が獣の被害で困っていると聞いて駆けつけたり、アイリーンと一緒に近郊にピクニックに出掛けたり、昼寝したり。


 ウルヴァーン周辺に住む雪原の民を探したり、伝承について調べたり、――と。


 最初は一ヶ月間も何をして過ごせば良いのか、と考えていたが、過ぎてみればあっという間だ。


 ケイも、おそらくアイリーンも、想像以上に充実した日々を過ごしていた。



 そして、大会当日。



 革鎧で武装したケイは、草原に設けられた大きなテントの中にいた。これは射的部門の選手の控室で、ケイ以外にも草原の民や平原の民、果ては雪原の民と思しき者まで、弓や十字弓を手にした戦士たちが思い思いにくつろいでいる。


 大会の舞台として選ばれたのは、ウルヴァーン近郊、大きな練兵場を備えた小要塞のひとつだ。周囲が原っぱと放牧地ということもあり、見物人も大勢つめかけている。もちろん、アイリーンと、ひょっとすればエッダやジェイミーたちも応援に来てくれているかもしれない。


 しかし、一世一代の晴れ舞台――となる予定の大会であるにも拘らず、ケイの表情はどこか冴えなかった。


(どうなるかな、この大会)


 当初、"竜鱗通し"と矢束だけで参加しようとしていたケイであったが、大会運営からの通達で、戦闘時と同じように革鎧で防御を固めている。


(『前回とは少し違う形で競技を進める』、と言っていたが……)


 大会関係者の発言を思い出し、一抹の不安を隠せないケイ。『鎧を持っているならばこれを装備するように』というのが、運営側からの指示だった。基本的に、的当てがメインで、参加者同士が直接争うようなことはない筈だったのだが――。心なしか他の選手たちの間にも、ピリピリとした空気が流れているようにも感じられる。


(いざ決闘になったところで、負ける気はしないんだがな)


 参加者を見渡して、ケイが正直に思うところだ。歴戦の傭兵、あるいは凄腕の狩人といった猛者特有の雰囲気を漂わせる者もいるが、アレクセイの覇気に比べると若干見劣りしてしまう。


 とはいえ、ケイも他人を傷つけたいわけではないし、自分が怪我するのもまっぴら御免だった。かといって今更身を引くわけにもいかず――スッキリとしないまま、時間が経つのを待っているのが現状だ。


 特にやることもなし、"竜鱗通し"を膝の上に置いて、矢のコンディションをチェックしていたケイであったが、


「ケイ? ……ケイじゃないか!?」


 自身の名を呼ぶ声に、思わず顔を上げる。そして視界に飛び込んできた、とび色のあご髭の渋い、がっしりとした体格の狩人に目を見開く。


「――マンデル! マンデルか!」


 ケイの眼前に立っていたのは、タアフ村の狩人、マンデルであった。ぴったりとした服に革のプロテクターを付け、頭部には羽根飾りのついた革の帽子。背中には矢筒を背負い、使い込まれたショートボウを手にしていた。


「久しぶりだな。……一ヶ月半ぶりか?」

「あ、ああ」


 穏やかな笑みを浮かべるマンデル。固い握手を交わしながら、ケイは馬鹿のように何度も頷いた。


「マンデルも、大会に出るのか?」

「ああ。あわよくば入賞を、と思って来たんだが。……ケイも参加するんなら、優勝は無理だと確定してしまったな」


 謙遜しつつ苦笑いするマンデル、しかしケイは曖昧な笑みを浮かべたまま、自身の緊張が顔に出ないようにするのに必死だった。


 すぅ、と息を整えて、覚悟を決める。


「……村の皆は、元気か?」


 最大限の緊張と共に放たれた疑問。心臓が早鐘を打つかのようだったが、――マンデルは、事も無げにそれに答えた。


「ああ。……何事もなく、みんな元気だよ」


 それを聞いて、ケイの全身から力が抜ける。


(……結局盗賊は、村に来なかったんだな)


 心がすっと軽くなり、ケイはようやく本心からの笑みを浮かべることができた。


「そうか……何か、村で最近変わったことはあったか?」

「そうだな。実はケイが出て行ったあと、子供が一人病気にかかってしまったんだが、アンカの婆様がまじないをかけたら、たちまち治ったんだ。……婆様が、『ケイたちが精霊語を教えてくれたお蔭だ』と泣いて喜んでたぞ」

「ほう! それは良かったな。こちらとしても教えた甲斐があった。婆様の気持ちが精霊に届いたんだろう、これは凄いことだぞ、彼女は才能がある」


 どうやらあの呪い師の老婆は、呪術の行使に成功したらしい。純粋な驚きと共に、ケイは心から、手放しで彼女を称賛した。


「あとは、……そうだな」


 うーむ、と考え込んだマンデルは、


「……シンシアが身籠ったくらいか」


 ケイの脳裏に、薄幸の雰囲気を漂わせた、ひとりの女性の姿が蘇った。


「シンシアって……あの、村長の息子の妻か?」

「そうだ。……色白で、亜麻色の髪をした、あの美人だよ」

「…………」


 反応に困る。間違いなくシンシアのことは憶えているが、同時にその夫のことも思い出したからだ。

 ケイとしては、アイリーンの面倒を見てくれたシンシアには心から感謝しているのだが、村長の息子――ダニーという名前だったか――には強姦未遂疑惑があるため、あまり良い印象を持っていない。しかもアイリーン経由で、シンシアにとってはそれが望まない結婚であったことも知っている。


「そ、そうか……」


 結局、曖昧に頷くことしかできなかった。


「シンシアは今まで、子宝に恵まれなかったからな。何はともあれ、次期村長の跡取りを授かったわけだ。……めでたいことだよ」


 そう言うマンデルは――穏やかで、落ち着いていた。その態度にどこか違和感を覚えたケイであったが、「それは兎も角、ケイ」とマンデルが話題を変える。


「この間、『とある狩人が一撃で"大熊グランドゥルス"を打ち倒した』と聞いたんだが。……これは、ケイのことか?」

「ああ、――うん。まあ、そうだな」

「ほう! やはりか。……小山ほどもある巨大な"大熊"だったらしいな」

「いや、それは流石に大袈裟だ。実際は体長五メートルほどでな――」



 そんなこんなで、"大熊"の話題で盛り上がっていると、外から衛兵がやってきた。


「諸君! そろそろ予選が始まる。各々、準備を整えたら外に集合してくれ!」


 ピリッ、とテントの空気が引き締まる。とうとう、大会が始まろうとしているのだ。


「いよいよだな」

「ああ。……緊張してきたぞ」


 愛用のショートボウを撫でながら、言葉とは裏腹に、マンデルが不敵な笑みを浮かべる。ケイも同じ気持ちで口の端を釣り上げ、左手の"竜鱗通し"を握り直した。


「――行くか」


 テントを出て、練兵場に足を踏み入れる。周囲に集まっていた見物人たちが、続々と姿を現す勇士たちに歓声を上げた。


 視線を走らせると――最前列に、アイリーンが陣取っているのが見える。その隣にはホランドと、エッダの姿もあった。


 ケイが軽く手を振ると、それに気付いたアイリーンは元気いっぱいに手を振り返し、終いには熱烈に投げキッスを飛ばしてくる。苦笑しながら、ケイも飛ばし返した。マンデルが横で笑っている。


「それでは諸君! 予選について説明しよう! まずは前回と同じように、五十歩の距離から標的を射て、その狙いの正確さを競い合って貰おう。次に――」


 選手たちの前で、衛兵の一人が説明を始めたので、そちらに意識を集中させる。




 ウルヴァーン武闘大会、射的部門。




 ケイにとっての栄光と権利を勝ち取る戦いが、今まさに、始まろうとしていた。

 

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