22. 護衛


 緩やかに蛇行しながら、北へと流れるモルラ川。


 その川べりに茂る、青々とした木々の間を抜けるようにして、焦げ茶色のレンガで舗装された道が真っ直ぐに伸びる。


 "サン=アンジェ街道"


 城郭都市サティナから、"公都"こと要塞都市ウルヴァーンまで。リレイル地方の南北を結ぶ、陸上通運の大動脈だ。


「おりこうさんのマイケルは~、今日もげんきに馬車をひく~」


 早朝にサティナを発ったケイたちであったが、日はすでに高く昇り、隊商はそろそろ次の村に到着しようとしている。ここまで特に変わったこともなく、欠伸が出るほどに平和で、のんびりとした旅路だった。


「もうかたほうのダニエルは~、ふきげんそうに見えるけど~、ほんとはとってもやさしいのよ~」


 隊商は二頭立ての馬車六台から成り、商人たちと、その家族や見習いが十数名、それにケイとアイリーンを含む護衛が合わせて八名の構成だった。動きは鈍いが、盗賊にせよ野獣にせよ、迂闊には襲い掛かれないような大所帯。


「おひさまぽかぽか~、風も気持ちいい~、でもわたしは~、とっても~とっても~、た・い・く・つぅ~う~」


 小鳥のさえずりに、がらがらと回る車輪の音。それらに混じって、幼い歌声が響く。サスケに跨り、馬車の速度に合わせてゆっくりと進むケイの横、荷台の幌の影からひょっこりと、浅黒い肌の少女が顔を出した。


「ねえ。わたしのお歌、どう?」

「――良いんじゃないかな」

「上手だと思うぜ」


 曖昧に頷くケイの隣で、草原の民の黒馬スズカに跨るアイリーンが、優しい微笑みとともに頷いた。


「えへへー。そうでしょー」


 にぱっ、と顔を輝かせた少女は、そのまま御者台によじ登り、足をぶらぶらとさせながら「らんらら~おなかがすいた~」と歌い始める。韻もへったくれもないような即興の歌詞であったが、無邪気にメロディを口ずさむ姿には、それだけで見る者を和ませるような微笑ましさがあった。


「エッダは本当に、お歌が好きだな」


 御者台で手綱を握る太っちょの男が、『エッダ』と呼ばれた少女の頭をわしゃわしゃと撫でつける。


「きっと、お父さんに似たのよ?」

「はっはっは、そうかいそうかい」


 歌うのをやめて首を傾げるエッダに、楽しそうに声を上げて笑う男。


 男の名を、『ホランド』という。


 コーンウェル商会に所属する商人の一人で、この隊商の責任者だ。ケイたちからすれば、今回の護衛しごとの直接の雇用主ともいえる。でっぷりとした太鼓腹、どう見ても悪人には見えない垂れ目、トレードマークはきれいに整えられたちょび髭だ。隊商の皆からは、『シェフ』と呼ばれて親しまれているらしい。


 といっても、これは英語で言うところの『料理長』ではなく、彼の生まれの高原の民の言語オン・フランセで『長』という意味だ。扱っている商品のほとんどが食料品なのと、ホランド自身が美食家であることも、この呼び名と無関係ではないだろうが。


 歳の頃は三十代前半といったところで、エッダのやりとりを見る限りでは、どうも彼女の父親にあたる人物のようだ。しかし、ホランド自身は肌が白く、顔立ちもエッダとは似ても似つかない。何か事情があるのだろうか、と勘繰るケイをよそに、ホランドはぽんぽんと腹を叩いて肩をすくめた。


「そうだな、父さんもそろそろお腹が空いてきたぞ。だけど、もうすぐ次の村に着くから、エッダは中に戻っておきなさい。お兄さんたちの仕事を邪魔してはいけないよ」

「んん~」


 肯定とも否定ともとれぬ声。ホランドに優しく背中を叩かれながら、エッダは御者台に肘をついて、じっとケイたちを観察する。



 凛々しい褐色の毛並みの馬を駆る、黒髪の精悍な若者。エッダのそれよりもさらに深い黒色の瞳を持ち、筋肉質で引締った体格をしている。全身を精緻な装飾の革鎧で覆い、左手には朱色の弓、腰には長剣、馬の鞍にはいくつか大型の矢筒を括りつけていた。


 その頑強そうな肉体に比して、顔は不釣り合いなほどに童顔であったが、左頬に走る真新しい刀傷が、何とも言えない凄みを醸し出している。湖面のように静かな眼差し――どことなく、暗い雰囲気を漂わせているきらいはあるものの、エッダは不思議と「怖いひとだ」という印象は抱かなかった。



 その弓使いの青年の隣にいるのは、黒馬に跨る金髪の少女だ。エッダとは対照的な真っ白な肌に、透き通るような青い瞳。金糸で編まれたような髪はリボンで後頭部にまとめられ、陽射しを浴びてきらきらと輝いていた。その身にまとうのは質の良い麻のチュニック、裾からは黒いズボンを履いた脚がすらりと伸びる。


 あるいは、お忍びの貴族の令嬢が庶民の格好をしていると言われても、信じてしまいそうなほどに可憐な姿――しかし、背中に背負われたサーベルと木の盾が、手足の革の籠手と脛当てが、彼女もまた戦いに携わる者であることを如実に示している。エッダの視線に気づき、「うん?」と首を傾げて微笑む様子からは、彼女が戦士であることなど想像もつかないのだが。



「……ねえ、お姉ちゃん」


 おもむろに口を開いたエッダは、


「お姉ちゃんが、魔法使いって、本当?」


 興味津々なエッダを前に、アイリーンは「ふふん」と胸を張った。


「ああ。そうだぜ、魔法使いだ!」

「へぇ、すごーい! ねえねえ、魔法ってどんなの? 見せて見せて!」

「ん、んー。それはだな……」


 しかし、続いて投げかけられた無邪気な要望に一転、アイリーンは困り顔で、さんさんと輝く太陽を見上げる。


 アイリーンが契約を結ぶ"黄昏の乙女"ケルスティンは、その名の通り、日が暮れてから本領を発揮する精霊だ。陽射しの届かない地下深くならともかく、昼間に野外で【顕現】することはできない。それでも一応、簡単な術の行使ならば昼間でも可能なのだが、普段のコスパの良さの反動のように触媒と魔力を馬鹿食いしてしまう。


 実質的に、アイリーンは昼間に魔術が使えないのだ。


 そしてこれは、明確な弱点の一つであり、大きな声で喧伝するようなことでもない。


「む~……」

「こらこらエッダ、お姉さんがもっと困っているだろう」


 どうしよっかな、と唸るアイリーンを見て、ホランドがすかさずフォローを入れた。


「そもそも魔法使いに魔術の秘奥をせがむのは、商人に仕入れ先を尋ねるようなものだ。あまり無理を言ってはいけないよ」

「えー、だって、見てみたいもん」

「うーむ、まあ父さんも気持ちは分かるけどな! 仕入れ先にせよ、魔術の秘奥にせよ」


 ちら、とアイリーンに期待の眼差しを向けるホランド。これではどちらの味方なのか分からない。


 アイリーンは口を尖らせて、時間を稼いでいるつもりなのか、明後日の方向に目を泳がせている。


「……今は移動中だし、夕方、野営の準備が終わった後とか、ゆっくり時間のあるときにでも見せてあげたらどうだ?」


 ケイが横から提案すると、「それだ!」と言わんばかりにアイリーンがびしりとケイを指差した。


「そうだな。今は仕事中だからな。後でなら見せてやってもいいぜ?」

「えっ、ほんと!?」

「ああ。夕飯が終わったあと、ちょっとだけ、な」


 指先の隙間で「ちょっと」を強調しつつ、アイリーンは茶目っ気たっぷりにウインクして見せる。脳筋戦士のケイとは違い、アイリーンは魔力が強い。太陽さえ沈んでしまえば、子供騙しの簡単な術なら触媒なしでも行使できるのだ。


「わーい、やったー! ありがとう!」

「おおー、言ってみるもんだなぁ」


 エッダとホランドが、「いぇーい」と御者台でハイタッチする。夕飯の後の楽しみが増えたぞ、とはしゃぐ二人を見て、これでは魔術師というより手品師扱いだな、と思わずケイは笑う。しかし、アイリーンは得意満面の笑みを浮かべているし、当人が満足ならいいことだ。


「さあさ、エッダ。わがままも聞いて貰えたことだし、中に戻っておきなさい。もうちょっとで次の村だからね」

「はーい」


 今度は聞き分け良く、荷台の方へ戻っていくエッダ。ニコニコとそれを見届けたホランドは、その笑顔のままアイリーンに向き直った。


「いやはや、ありがとう、ありがとう。行商の旅というのは、どうにも退屈なもんでね。遊び盛りのあの子は、随分と刺激に飢えているようだよ」

「分かるぜ。あんぐらいの子だったら、そりゃそうだろうな」

「全く。しかし、本当に良かったのかね? 自分で言い出しておいて何だが、魔術師は滅多に自分の業を見せないと聞く」

「大丈夫。見せてもいいものしか見せないから」


 あっけらかんとしたアイリーンの言葉に、「こいつは一本取られた」とホランドは苦笑した。


「なるほど、そこは商人と変わらない、か」

「今回はエッダの顔に免じて、特別に見物料は取らないでおくぜ」

「はっは、これは敵わないな」


 ぱしっと額を叩いて、ホランドが笑いだすが、そこに背後から響く蹄の音が混じった。


「おーい、ホランド! ちょっと待ってくれ!」


 見れば後方、馬に乗った傭兵が、こちらに向かって手を振りながら駆けてきている。


「おお、ダグマル。どうした?」

「どうしたもこうしたもないよ、トラブルだ」


 ケイたちの横までやってきて、騎乗で肩をすくめる傭兵。それは眉毛が濃い、よく日に焼けた中年の男だった。


 『ダグマル』と呼ばれた彼は、この隊商では傭兵のまとめ役をやっており、ケイたちの直接の上司に当たる人物だ。ホランド曰く幼馴染だそうで、悪友とでもいうべき関係なのだろう、お互いにかなりフランクな口調で話している姿が、朝から度々見かけられていた。


「何が起きた?」

「ピエールんとこのオンボロ馬車が、今になってイカれやがった。何でも、車軸がガタついて動けねえらしい。今、皆で修理してるが、これがしばらくかかりそうでよ。少しの間待っておいて欲しいんだわ」

「……それは仕方ない。が、ピエールはいい加減、新しい馬車を買うべきだな」

「全くだ。けどアイツ、金がねえからなぁ」


 やれやれと嘆息したダグマルは、しかしすぐに気を取り直してケイを見やった。


「それでだ、ケイ。お前たしか力自慢だったよな? ちょっと後ろに行って、修理を手伝ってやってくれないか。馬車を支えるのに人手が必要でよ」

「分かった、問題ない」

「助かる。俺は前の奴らにも知らせてくる、この分だと村に着くのは遅れそうだな」


 再び小さく肩をすくめ、ダグマルは慌ただしく前方へと駆けていく。それを見送りながら、ケイはアイリーンに"竜鱗通しドラゴンスティンガー"を手渡した。


「というわけで、俺は後ろに行くが……。邪魔になりそうだから、預かってくれ」

「あいよ」

「ありがとう」


 弓はアイリーンに任せ、ケイは馬首を巡らせて後方へと向かった。


 ホランドの幌馬車から後ろに一台、二台、トラブルを抱えているのは、どうやら最後尾の馬車のようだ。商人の男と数人の見習いたちが荷台から重い荷物を降ろしつつ、工具や木材の切れ端を手に、後輪に群がるようにして慌ただしく修理を進めている。


「ダグマルから、人手が足りないと聞いたが」

「おお、ありがたいっ」


 顔を真っ赤にして、荷台を持ち上げるように両手で支えていた商人が、救世主を見るような目でケイを見た。しかし同時に、その腕からふっと力が抜け、馬車の下で荷台を支えていた男が「ぬぉっ」と唸り声を上げる。


「すっ、すまない、支えてくれないか!?」

「任せろ」


 商人の悲鳴のような声に、ケイはすぐさまサスケから飛び降りて、代わりに荷台を支え持った。ぐっ、と腰を入れて両腕に力を込めると、まだ少なくない量の商品を載せているにも関わらず、荷台は軋みを上げて僅かに浮き上がる。


「おっ、軽くなった」


 下から荷台を支えていた短髪の青年が、嬉しげな声を出す。しかし、よくよく見るとこの男、どうやら商人の見習いではなさそうだった。板金付きの革鎧で身を固めている上に、腰には短剣の鞘が見受けられる。体つきも商人のそれではなく、実戦的に鍛えられた戦士の肉体だ。


(護衛か? しかし初めて見る顔だな)


 腕に力を込めつつ、ケイは記憶を辿って首を傾げた。今朝、サティナを出発する前に、ケイたちは他の護衛と顔を合わせている。しかしどうにも、この青年には見覚えがない。短く刈り上げた金髪に、薄い青の瞳。肌は白く、全体的に色素が薄いように感じられる。目つきが妙に鋭く威圧的であることを除けば、その顔立ちは整っていると言っていいだろう。ピアスだらけの左耳が非常に印象的なので、仮に一度でも会っていれば、記憶に残っていない筈がないとケイは考える。


 護衛の傭兵ではなく、誰かの個人的な用心棒なのか。


 あるいは行商に同行しているだけの旅人なのか。


 ケイが考えを巡らせていると、ふと、その青年と目が合った。


「あんた、なかなか、腕っ節が強いな」


 どこか――挑戦的な、好戦的な。そんな物騒な光を、瞳の中に見た気がした。


「……そいつはどうも」


 おどけるように肩をすくめて、ケイはそれをやり過ごす。


「ようし、ここに板を差しこめ!」

「釘! 釘もってこい釘!」

「こっちにも角材回してくれ!」


 周囲の男達の騒がしい声を聞き流しながら、荷台を支える手に意識を集中させた。



 だが、ケイが視線を逸らしても尚。



 金髪の青年はじっと、野性的な目でケイを見つめ続けていた。




         †††




 結局、隊商の一行が次の村に到着したのは、それから数時間後のことであった。


 言わずもがな、原因は最後尾の馬車だ。実は、ケイが手助けに行ってから、十分としないうちに応急処置そのものは終わったのだが、車軸の傷みが思いのほか不味かったらしく、馬車はカタツムリのような速度しか出せなくなっていた。


 言うまでもなく、これは他の商人たちにはいい迷惑だ。しかし、同じ隊商の仲間である以上、そのまま置いて行くわけにもいかない。


 結果として一行は、その馬車に足並みをそろえる羽目になってしまった。


 本来ならば、次の村には正午過ぎに到着するはずで、村で遅めの昼食を摂ったのち再出発する予定――だったのだが、実際に村に着いたのは、日がそれなりに傾いてからのことだった。ケイとアイリーン、それにエッダは、出発前にキスカから貰ったサンドイッチを昼食にしていたが、その他の面々は亀の歩みとはいえ移動中だっただけに、軽く何かをつまむことしかできず、村に着いた時点で相当な空きっ腹を抱えていた。


 遅延の原因になった『ピエール』という商人が、ホランドを含む全員から総スカンを食らったのは言うまでもない。



 村はずれの広場。



 円陣を組むように馬車を停めた中心、隊商の皆は粛々と野営の準備を進めていた。今、ケイたちがいるのは街道から少し外れた小さな村なので、当然のように全員が休めるような宿泊施設は存在しない。しかし再出発するにはもう暗すぎるということで、今日はここで一夜を明かす運びとなった。


「ふぇっふぇっふぇっふぇ……」


 テントを立てたり、荷物を整頓したりする皆をよそに、焚き火にくべられた大鍋を皺だらけの老婆がかき混ぜていた。


「さぁて……ここに、コレを……」


 ローブの胸元から、何やら粉末を取り出してぱらぱらと鍋に投じる。さらに追加で薬草を放り込みつつ、ぐつぐつと沸騰する鍋を大べらでかき回して、老婆は「ふぇーっふぇっふぇっふぇ」と奇怪な笑い声を上げていた。


「……オレなんかより、あの婆様の方がよっぽど魔女っぽいだろ」


 テントを張りながら、老婆の方を見やって、アイリーンがぽつり呟いた。


「奇遇だな、俺も全く同じことを考えていたところだ」


 テントを挟んで反対側、地面に杭を叩き込みつつ、ケイ。ハンマーを傍らに置いて、杭にテントのロープを結びつけつつ、ちらりと広場に目を向ける。


 湯気を立てる大鍋をかき回す、怪しい皺だらけの老婆。もちろん魔女などではない、この隊商で薬師をしているホランドの親類だ。『ハイデマリー』という名前らしいが、隊商の皆からは『マリーの婆様』、あるいは単に『婆様』と呼ばれて親しまれている。齢は七十を超えているとのことで、この世界の基準からすると、かなり長生きの部類といえた。


「婆様、まだなのか?」


 テントを張り終えて手持無沙汰になったと見える、商人の一人がそわそわとした様子で声をかけた。


「ふぇっふぇっふぇ、焦るでない、もう少しで完成じゃ……」


 ハイデマリーの返答に、おお、とどよめく男達。先ほどからハイデマリーが大鍋と格闘しているのは、何か薬品を精製しているわけではなく、皆の為に夕飯のリゾットを作っているのだ。


 徐々に漂い始めた、食欲を刺激する、複数のハーブが混ぜ合わせられた良い匂い――。


「ふぇっふぇ、よし、ここにキノコを入れれば、出来あがりじゃよ……!」


 ハイデマリーはローブのポケットから、乾燥させたキノコを直に取り出し――衛生面は大丈夫なのかと不安になるケイとアイリーンであったが――それを鍋に投じようとする。


「わ! わ! わ! 待て、待て! キノコはやめろ、キノコはダメだ!」


 しかしその瞬間、広場の反対側からホランドが矢のようにすっ飛んできて、ハイデマリーの手から乾燥キノコを勢いよく叩き落とした。


「ああっ! なんじゃ、何をするんじゃ!」

「それはこっちの台詞だ婆さん! いい加減、何度言ったら分かるんだ! おれはキノコがダメなんだよ!」

「だーからって、はたき落とすことは無いじゃないかね! 苦手なら避けて食べればいいんじゃ!」

「ダメなんだ! 中に入ってるの見ただけで、もう鍋の中身全部が食べられないんだ!」

「はァーッ! 子供じゃあるまいし、いい歳した大人が恥ずかしくないのかね!」

「だ・か・ら! これには深いワケが……って、勘弁してくれよ、この説明ももう何回目か分からんぞ! 耄碌したか婆さん!」

「なんじゃとーッ!?」


 木べらを振り上げてお冠のハイデマリー、頭痛を堪えるように額を押さえるホランド、二人は鍋を挟んで、やかましく口喧嘩を始める。やれやれといった様子で、空きっ腹をなだめつつ、それを見守る周囲の者。


「ホランドの旦那はそんなにキノコがダメなのか?」

「らしいな」

「……あー、これな、ちょっとワケがあるんだわ」


 どこか呆れた様子のケイとアイリーンに、近くに居たダグマルが渋い顔をした。


「というと?」

「いやな。俺とホランドが幼馴染なのは知ってるだろ。アイツも小さい時は、普通にキノコ食えてたんだよ。だけど俺がガキのとき、ホランドと森に出かけてよ、一緒にキノコ狩りをしたんだが……、」


 ぽりぽり、と気まずげに頬をかき、


「俺が間違えて、毒キノコを採っちまってな。それをホランドが食べちまったんだ。三日三晩、熱にうなされて、何とか一命は取り留めたが……それ以来キノコというもんがダメになっちまったらしい」

「それは……」


 ダグマルの解説に一転、ケイたちは気の毒そうな顔をする。


「トラウマって奴か」

「TRAUMA? 何だそれは」

「肉体的・精神的なショックで、心に負わされる傷のことさ。戦場で死にかけた兵士が戦えなくなったり、食あたりで旦那みたいにキノコが食えなくなったり……そういうのを『トラウマ』っていうんだ」

「へえ、そいつは知らなかった」


 アイリーンの解説に、感心したように頷くダグマル。


 そんなケイたちをよそに、ホランドとハイデマリーは、キノコを入れない方向で決着を付けたらしい。今夜のメインのリゾットが、ようやく完成した。


 腹を鳴らしながら、木の器を片手に、焚き火の周囲に集まる隊商の面々。ケイたちも同様に用意していた器にリゾットをついでもらって、テントの傍の木の下で食べ始める。


「しかしアレだな、たまに単語が通じないもんだな」


 もしゃもしゃとリゾットをかき込みながら、アイリーン。当たり前だが、ケイもアイリーンも、今現在話しているのは英語だ。


「ああ。ゲームの中だと考えもしなかったが、同じ英語といっても、言語として成立の仕方が違うんだろう」


 頷いて答えたケイに、アイリーンは自前のサラミを齧りつつ、ふむと一息ついて首を傾げた。


「『トラウマ』って、ラテン語起源だっけ?」

「いや、たしかギリシア語だったと思う。ゲーム内に、ギリシア語圏はなかったからな……多分ギリシア語そのものが存在しないんじゃないか」


 【DEMONDAL】は、北欧のデベロッパが開発したゲームであり、運営会社はイギリス資本であった。プレイヤー人口の八割以上はヨーロッパ圏の住人だったため、ゲームの主言語は英語に設定されていたが、それと同時に雪原の民ロスキ高原の民フランセ海原の民エスパニャなど、幾つかのヨーロッパ言語に対応したエリア・民族も実装されていたのだ。


「だけど、旦那らが話すフランス語って、起源を辿ればラテン語だろ。んでもって、ラテン語も元を辿れば、ギリシア語に行きつくんじゃなかったっけ?」

「うーむ。『トラウマ』みたいにダイレクトな形じゃないにせよ、英語にもギリシア語起源の語彙は多い筈だからな。こっちの言語がどういう形で成立したのか、言語学的に興味はあるな……」

「ウルヴァーンの図書館で、そういうのも調べてみたら、面白いかも知れないぜ?」

「時間があったら挑戦してみたいところだ……が、学術的な英語は俺にはちょっと難しいんだよな」


 器の中身を食べきって、ケイは小さく溜息をついた。



 ケイは、後天的な英語話者だ。



 VR技術の黎明期、世界中の似たような境遇の患者たちと交流するために、ケイは比較的幼い頃より、コツコツと英語を学んできた。おかげで、というべきか、普通の日本人の子供よりも遥かに、生きた英語や、その他のヨーロッパ言語に触れる機会があったのだ。英語に限っていえば、日常生活に支障のないレベルで、訛りなどもなく流暢に喋れるようになっている。しかし、基本的に実地での叩き上げによる語学力ゆえに、殆ど縁の無い学術的な英語は苦手としていた。


「俺はバイリンガルじゃないからな……アイリーンが羨ましいよ」

「バイリンガルっつっても、オレも、英語は完璧ってワケじゃないんだぜ?」


 羨望の眼差しを向けるケイに、照れたような表情で肩をすくめるアイリーン。


「あくまで、オレの母語はロシア語だからな……はぁ、ロシア語が懐かしいぜ」


 おどけた様子で、わざとらしく、アイリーンは溜息をついて見せる。




 そこに、唐突に。




「――Тогда давай поговорим на русском со мной」



 背後から投げかけられた言葉。



 弾かれたように二人は振り返る。



「……お前は、」


 ケイは、言葉を呑みこんだ。


 そこにいたのは、薄く笑みを浮かべて、木の幹に寄りかかった金髪の男。



 ――昼下がり、馬車の修理の際に見かけた、あの青年だった。



「Ты говоришь на русском языке!?」


 驚きの表情で、アイリーンが問いかける。


「Да, я русский」


 したり顔で頷く青年。アイリーンはさらに、


「Я удивлена! Я не дубала, что есть русский в этом караване」

「Ага, но это правда. Меня зовут Алексей, а Ты?」

「Меня зовут Эйлин」

「Эйлин? звучит по-английски」

「Именно так. Это потому, что мои родители англичане...」


 喜色満面で、ロシア語会話を繰り広げるアイリーンと青年。


「…………」


 ひとり、取り残されたケイは、その顔に紛れもなく困惑の表情を浮かべていた。


「――っと、すまん、ケイ、」


 ほどなく、ケイが置いてけぼりを食らっているのに気付き、アイリーンが英語に戻す。


「いやいや、その……、驚いたな。雪原の民なのか」


 ぎこちなく笑みを浮かべながら、ケイは金髪の青年を見やった。


「ああそうだ。あんたとは、昼にはもう会ったよな」


 ニヤッ、と口の端を釣り上げて、青年はケイに手を差し出す。


「よろしく、おれの名前はアレクセイ。雪原の民の戦士だ」

「……俺は、ケイという。よろしく頼む」


 ぐっ、とアレクセイの手を握り、簡単に自己紹介を済ませる。アレクセイは、かなり握力が強かった。


「アレクセイも、護衛なのか?」

「いや、おれは戦士だが、護衛として雇われてはいない。ただ、ピエールの旦那とは個人的な知り合いでな、ウルヴァーンまで馬車に乗せて貰えることになったのさ」

「そうか、なるほど……」


 曖昧に頷きつつ、ケイは次の話題を探そうとする。


 しかし、それよりも早く、アレクセイがアイリーンに向き直った。


「Но я был удивлен, потому что я никогда не думал, что такая красивая девушка находится здесь」

「...Хватит шутить」

「Я серьезно. На самом деле удивительно」


 再び始まる、異言語の応酬。流れるような会話に、口を挟む余地は感じられない。


 楽しげに話す二人をただただ眺めながら、ケイは無言のまま、顔に愛想笑いのようなものを張り付けていた。


「おーいケイ、ちょっといいか」


 と、その時、焚き火の向こう側から、ダグマルがケイを呼んだ。


「すまんが、今日の夜番と仕事の件で話がある。ちょっと来てくれ」

「あ、ああ、分かった」


 上司の呼出とあっては仕方ない、ケイはやおら立ち上がる。そして、迷ったように視線を揺らして、アイリーンの方を向いた。


「――それじゃあ、ちょっと行ってくる」

「Честно говоря, Я не принадлежу к... あ、うん。Я не принадлежу к никакому клану в этом регионе....」


 ちら、とケイを見やり、しかしアレクセイとの会話を継続するアイリーン。


 ケイは、一瞬だけ――アレクセイが、面白がるような表情を向けてきた気がした。


「…………」



 何とも言えない、疎外感のようなもの。



 それを、ぐっと、腹の奥底に追いやって、ケイは二人に背を向けた。




          †††




 ぱちぱちと爆ぜる焚き火の明かりを、エッダはつまらなさそうな顔で眺める。


「…………」


 ちら、と焚き火の向こう側に目をやった。


 小さな木の下で、親しげに語り合うひと組の男女。


 アイリーンと、アレクセイ。


「……魔法、見せてくれるって言ったのに」


 ちぇ、と唇を尖らせる。実は先ほどからエッダは、魔法が披露される時間を待っているのだが、アイリーンたちの話が一向に終わる気配を見せない。


 直接頼みに行こうか……とは思うものの、アイリーンと話している革鎧の青年が、どうにも恐ろしく感じられた。顔つきのせいか、雰囲気のせいか。あるいは――どうやら彼が、雪原の民であるらしいためか。


(でも、お姉ちゃんは、別に怖くないもんな)


 雪原の民の言葉を、流暢に話すアイリーン。それでも彼女には、『優しいお姉さん』という印象しか抱かなかった。


 だが、その相手の男は、何だか怖い。粗野な獣というか、そんな雰囲気を感じる。


(……もう一人のお兄ちゃんは、怖くないのにな)


 昼からアイリーンとずっと一緒に居た黒髪の青年は、まだ優しい瞳をしていたのに、と。



 しかし、その黒髪の青年も、今はテントの中にいる。



 先ほどダグマルと話しているのを小耳に挟んだが、彼は今晩、遅くに夜番を担当するらしい。それに備えて、早目に睡眠を取るとのことだった。


 寝る前にアイリーンに挨拶をするも、あまり相手にしてもらえず、すごすごと寂しげにテントに入っていく様は、まるで餌を取り損ねて巣穴に戻る熊のようだった。


(お兄ちゃんとお姉ちゃんは、どういう『関係』なんだろう?)


 ふと、エッダはそんなことを考えた。


 ――「友達」なのか。


 ――あるいは、「恋人」なのか。


 ただの友達にしては親しげだったわ、とエッダはにらむ。ませた興味と、純粋な好奇心のままに、エッダは二人の仲を夢想する。


「……うーん」


 首を傾げて空を見上げるも、そうしている間に眠気が襲ってきて、最終的には「ま、いいや」と軽く流した。


「……エッダや。そろそろ、おねむかい?」


 ふわり、と暖かいものに包まれる。


「……おばあちゃん」


 振り返るまでもなく、分かる。だぼだぼのローブ、皺だらけの細い腕、ふんわりとしたお日様の残り香。背後から、ハイデマリーに抱き締められているのだ。


「まだ、眠くないもん」

「ふぇっふぇ、そうかいそうかい」


 強がるエッダに、ハイデマリーは、ただ小さく笑った。


「……ねえ、おばあちゃん」

「ううん?」

「雪原の民っていうけど、『雪原』ってどんなところなの?」

「……そうだねぇ」


 膝の上に座るエッダの髪を撫でながら、ハイデマリーはしばし考える。


「雪原は、"公都"ウルヴァーンよりさらに北、国境を超えた『北の大地』に広がる地域で、山々に囲まれた険しい土地じゃよ。まあ、とてもとても、寒いところじゃ。夏は涼しいが、冬は長く、厳しい。そこに住まう人々、雪原の民は、その環境にも負けない強い人々と聞く」

「へぇ。でもなんで、その人たちは、そんな寒いところに住んでるの?」

「遥かな太古の時代には、緑豊かな土地であったとか……何故、今も住み続けているか、といえば、やはり先祖から受け継いできた土地だから、かのう」

「ふぅん」

「……ああ。それに、彼らの使う秘術も関係するかもしれん」

「ひじゅつ?」

「――『紋章』、と呼ばれておる。多大な命の危険を代償に、獣の魂をその身に宿し、人とは思えぬような力を発揮する業、らしいんじゃが。詳しいことは、わたしも知らないよ」

「魔法みたいなものなのかな」


 エッダの独り言のような問いに、ハイデマリーは小さく唸る。


「雪原の民の一族でも、限られた人間しか使えぬそうじゃ。ただし、その使い手に『紋章』を贈られた戦士は、普通の戦士とは比べ物にならないほどに強くなる、ということだけは確かじゃの」

「知ってるの?」

「昔、のぅ。一度だけ、『紋章』を刻まれたという、雪原の民の戦士に会ったことがある。それはそれは、鬼神の如き強さじゃった。『北の大地』には、そんな戦士がごろごろいるんだとか」


 ハイデマリーの言葉に、エッダは目を輝かせた。


「すごいなー、行ってみたい」

「ふぇっふぇ、それは少し、危ないかもしれんのぅ」


 指でエッダの巻き毛をとかすようにして、ハイデマリーはゆっくりと頭を撫でる。


「かの"戦役"より昔、その『紋章』の秘術を巡って、公国は雪原の民に戦争を仕掛けたんじゃ。今では、"戦役"のせいで、公国内では殆ど忘れられておるがの。殴った側はすっかり忘れても、殴られた側はその痛みを忘れない――かの地では未だに、公国に対する深い恨みが残っていると聞く」

「そう、なんだ」


 曖昧に頷いたエッダは、


「……むずかしいね」


 ぽつりと、小さく呟いた。


「そうだね、エッダには、少し難しいかもしれん。みんな、大人のすることじゃよ」

「……じゃあ、わたしも、大人になったらするの?」

「ふぇっふぇっふぇ。それは、エッダ次第だねぇ」


 頭を撫でられる心地よさに、身を任せたエッダは、ふぁ、と小さくあくびをする。


「さあさ、エッダや。夜はもう遅い……そろそろお眠りなさい」

「……まだ眠くないもん」

「ふぇっふぇ、そうかい」


 ハイデマリーは、ただ小さく笑った。




 夜は暖かく、深く、全てを包みゆく。



 その闇の中に、おだやかな眠りを誘い、



 しずかに、ゆったりと、すぎていった。




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