9. 会敵


 火の中で小枝が爆ぜて、ぱちりと音を立てる。


 木立の中、焚き火を囲み、男たちは思い思いの格好で身体を休めていた。


 火に当たり暖を取る者、地面にマントを敷き寝転がる者、堅焼きのビスケットをかじる者、壁に寄りかかり周囲を見張る者――。


 盗賊団『イグナーツ』の構成員たちだ。肌の色も髪の色も、体格も民族も、てんでばらばらな寄せ集めの集団。しかし、全員が黒染めの革鎧に身を包み、『片方の瞳が白く濁っている』という点で不気味に似通っていた。


 風のそよぐ、肌寒い新月の夜。盗賊たちは見張りの一名を除き、程よく肩の力を抜いてリラックスしている。だが同時に、その表情にはどこか覇気がなく、皆、ぼんやりと眠たげな様子だった。


 それは、――悪く言えば、面というやつだ。


「はぁ~あ」


 焚き火の前、平石の上に腰かけた痩せぎすな男が、大きな溜息をつく。


 陰気な男だ。シケた面をした盗賊たちの中でも、際立って暗い雰囲気を漂わせている。


 栄養状態がよろしくないのか、はたまた、元からそういう骨格なのか。痩せこけた頬に落ち窪んだ眼窩と、まるで髑髏のような顔立ち。薄暗い焚き火の明かりが投じる陰影に、伸ばしっ放しのぼさぼさな長髪も相まって、その姿はまるで幽鬼か何かのようだ。


 盗賊よりも墓守でもしている方が、よほど似合いそうなこの男。その名をモリセットという。イグナーツ盗賊団が実働隊、九人の手下を率いる隊長だ。


「はぁ~……」


 小枝に刺した燻製肉を焚き火で炙りながら、モリセットは再び溜息をついた。どんよりとした不自然な白と黒のオッドアイに、じゅうじゅうと脂を滲ませる肉が映り込む。ある程度炙ったところで、くるんと手を返し、今度は反対側にもじっくりと火を通し始めた。


「……なぁ、モリセットよぉ」


 モリセットの対面、胡坐をかいて座る小太りの男が、間延びした声で話しかけた。


「なんだ」


 ちら、と目だけを動かして、モリセットは答える。


「あんまりなぁ、焼きすぎると、おいら、脂がもったいないと思うんだぁ」

「これでいいんだ。……贅沢だろ」


 ぽたぽたと滴り落ちる肉の脂を眺めながら、モリセットは暗い笑みを浮かべた。


「程よく脂の抜けた肉が好きなんだよ、俺は」

「……んだども、その調子だと、『程よく』どころか、からからになっちまうぞぅ?」

「それが、俺にとっての『程よい』加減よ」

「もったいねぇなぁ。そんなだから、モリセットはいつまでたってもガリガリなんだぁ」


 呆れたような、諦めたような口調でお手上げのポーズを取る。


「ほっとけ。生まれてこの方、不便はしてねえよ」


 ぶっきらぼうに返すモリセット。そうしている間に、肉は加減に仕上がっていた。炙るのを止め、ふうふうと息を吹きかけてから、がぶりと勢いよくかぶりつく。


「……腹、減ったなぁ。モリセット、おいらにも肉、分けておくれよぅ」

「悪いな、これで最後だ」

「あぁ~。んじゃあ、一口だけでも――」


 手下が最後まで言い終わる前に、大口を開けたモリセットは肉を全て口に詰め込んだ。


「あぁ~~~!」

「そんな目で見ても、無いもんは無いぞ」


 くっちゃくっちゃと口を動かしながら、モリセット。


「くそぅ。モリセットだけ、ずるいぞぅ」

「……。あのな、ラト。こちとら食料は公平に分配してんだ。テメェの食い物の管理くらいテメェでしやがれ」


 ずる呼ばわりされたモリセットが、小太りの手下――ラトをジト目で見やる。意地汚く指をくわえるラトは、周囲の仲間たちに、


「おぅい、誰か、肉持ってないかぁ肉」

「わりぃ、もう食っちまった」

「俺も品切れだ」

「ビスケットならあるぞー」


 仲間の返答に、「はぁ……」と今度はラトが深刻な溜息をつく。


「みんなしてよぅ、シケてんなぁ」

「仕方ねーだろ。獲物逃がしちまったんだから……」


 しょぼくれたモリセットとラトは、再び顔を見合わせて、小さく溜息をついた。




 数時間ほど前のこと。


 モリセットたちは近くの岩山の陰で、人目を避けて野営の準備をしていた。しかし、手下の一人が木立で揺れる明かりを見つけたので、直ちにこれを襲撃することにしたのだ。


 こんな新月の夜に自分から目立つ真似をするなど、襲ってくれと言っているようなものだ。ちょうど、手持ちの食料も少なくなってきていたことだし、盗賊としてこれを見逃す手はない。


 獲物は二人。奇妙な組み合わせだった。異国の黒装束に身を包んだ金髪の少女――それもかなり器量良しの――と、草原の民風の格好をした青年。たったの二人で大して周囲を警戒することもなく、煌々と火を焚いていた。まさに鴨が葱を背負っているような状態。


 対するモリセットたちは、総勢十名。先手を取って包囲し、矢を射掛ければ逃しようのない容易い獲物――のはず、だったのだが。


「まさか、パヴエルがしくじるとはなぁ」

「……いや、ホントすんません」


 ラトのぼやきに、焚き火に当たりながらビスケットをかじっていた若者――パヴエルが、申し訳なさそうに頭を下げる。


 茶色の巻き毛に、割と端正な顔立ち、目の下にははっきりとした隈。片目が白濁しているのは周りと一緒だが、他の団員と比べるとまだ濁り具合が薄かった。傍らには、簡素な短弓と矢筒。今回の襲撃の一番手を担い、初撃の矢を放ったのが、他でもないパヴエルだ。


「あれは、相手が悪かったと思うしかないな」


 そう言って、モリセットは静かに首を振る。パヴエルは、仲間に加わってからまだ日が浅く、盗賊としての動きが身に付いていない。今回は相手が少数で、さらに油断していたこともあり、経験を積ませようとしたのだが――


「あの野郎、避けやがった」


 腕を組みながらモリセットは唸る。パヴエルが矢を放った、まさにその瞬間に、あの黒髪の青年は弾かれたように身体を逸らした。音で攻撃を察知したのではなく、攻撃の際に漏れ出た僅かな殺気を感じ取り、矢の射線そのものを回避してみせたのだ。


「あの距離で勘付くなんてなぁ。まぐれじゃないよなぁ」

「ありゃあ、分かって避けてただろ。俺が女の方を狙ったときも、直前に気付きやがったからな……」


 顎を撫でながら、渋い顔をするモリセット。あのように油断しきった状態から即座に回避行動を取るのは、熟練した戦士でも難しい。パヴエルは新入りではあるが、ずぶの素人ではない。モリセットも自分の技量にはそれなりの自信がある。しかしあの青年は、軽々とそれらを凌駕してみせた。


「あの野郎。俺の矢に勘付けるくらいなら、女を庇うくらいのことはしやがれってんだ。それならあの娘は殺さずに済んだし、野郎は片付くしで万々歳だったんだが……」


 パヴエルの矢が軽々と回避されたのを見て、青年は手強いと早々に見切りをつけたモリセットは標的を少女の方に変更した。


 本来ならば、野郎なんぞに用は無いので、青年の方はさっさと殺しつつ、残った少女を皆で楽しむつもりだったのだが――モリセットは、お楽しみの少女を生かすことよりも、食料や貴重品などを奪うことに重点を置いたのだ。


 が、この目論見は、見事に頓挫した。矢傷を負った少女という足手まといを連れながら、青年はモリセットたちの包囲を突破し、追手の狩猟狼(ハウンドウルフ)まで撃退してしまったのだ。


 逃げ出されるのはまだ想定内だったが、まさかハウンドウルフまでやられるとは思っていなかった。頭痛を堪えるように、モリセットは額を押さえる。


「ああ……。十人がかりで二人を襲っておいて、逃げられた上に虎の子のハウンドウルフも二頭死なせちまった……。お頭になんて報告すりゃいいんだ……」


 壁の陰、鼻を腫らした状態で寝そべる、唯一生きて戻ってきたハウンドウルフに目をやりながら、


「クソッ、あの野郎、次に見かけたら絶対殺してやる」

「……まあ、済んでしまったことは、仕方ないんだぁ」


 再び鬱々としたオーラを漂わせ始めたモリセットに、ラトは小さく肩をすくめた。


「あーあ。でもよ、あの女も勿体ねえよな」


 寝転がっていた手下の一人が、夜空を眺めながら口惜しそうに呟く。


「だなぁ。あれ、かなりの上玉だったぜ」

「あの長~い金髪。……貴族みてえだったな」

「案外、お忍びだったりして」


 それに反応して、他の手下たちも口を挟んだ。


「まあ、もう生きちゃいねえんだろうけど……毒矢食らっちゃあな」

「オレは別に死んでてもいいけどな。明日あたり探したら、死体くらいは見つかるかも」

「死体はねーよ、流石に萎える」

「それが美人だとイケるもんだぜ、人形みたいでな」

「美人だろうがブサイクだろうが、穴がありゃ一緒だろ」

「でも一日経つと微妙じゃね? 硬くなってさ……」


 口の端に薄く笑みを浮かべた男たちが、やいのやいのと喋り出す。


(……流石に、そろそろ娑婆に出ないとな)


 そんな手下たちを観察しながら、モリセットは考えた。思えばここ数週間、部外者との接触を極力避けて、リレイル地方を縦断してきた。皆――自分も含めて――女に飢えているのだ。それなりに付き合いのある手下たちだ、この程度で暴走するとも思えないが、溜め込んだままの状態はよろしくない。


(あるいは、今回でそれを解消できれば、と思ってたんだがな……)


 異国の装束に身を包んだ少女。殺したのは少々勿体なかったかな、とはモリセット自身も思わないでもない。結局、性欲の解消はおろか食料の一つ、銅貨の一枚すら手に入らずにハウンドウルフを二頭も失ってしまった。


(こりゃお頭に絞られるな……)


 モリセットの溜息は留まるところを知らない。


 盗賊稼業をやるなら利益を出せ、被害は出すな、というのが盗賊団の頭領の指示だ。犠牲を払って利益を取り、それで採算を合わせるのではなく、犠牲が出るくらいならそもそも襲うな、と。


 正直なところモリセットは、たかが二人、それも若い男女の組み合わせ相手に、こんな手痛い犠牲を払う羽目になるとは、これっぽっちも思っていなかった。


(パヴエル一人に任せたのは、失敗だったか)


 今回の失敗の反省点を洗い出す。


(どうせなら弓を持った全員で、一斉にあの野郎を狙えばよかった)


 青年が身に着けていた革鎧に必要以上に傷がつくのを嫌って、練習代わりにパヴエル一人に任せたのが失敗だった、と反省する。


 モリセットの隊のうち、弓を装備しているのは彼自身を含めて六人。六人で同時に、そして程よく狙いをばらして射掛ければ、流石にあの男も避けきれなかっただろう。そして矢が一本でもかすれば、鏃に塗りたくった毒で無力化できる。


 間抜け面の若造なんぞ、パヴエル一人で仕留めきれるはず――という、油断があった。


(忘れた頃にやってくるもんだな、油断ってぇのは……)


 薄く笑ったモリセットは、空を見上げて、ふぅーっと細く長く息を吐き出した。


 もはやそれは溜息ではない。次からは気をつけて全力で殺しにかかろう、と結論を出したところで、反省タイムは終了した。


 さて、と気分を入れ替えたモリセットは、ぱんぱんと手を叩きながら、


「よーし、てめーら。そろそろ――」


 寝るぞ、と手下たちの猥談を止めようとした。


 カァン! と乾いた音が響く。


 何だ今の、とモリセットが怪訝な顔をするのとほぼ同時、ボグンッという鈍い音が、


「ぼオッ」


 見張りをしていた手下が、水気のある奇声を発して激しくその身を痙攣させた。


「おい、どうし――」


 慌ててそちらを見やったモリセットの口が、驚愕にあんぐりと開かれる。


 壁に寄りかかって見張りを担当していた手下――今や壊れたからくり人形のように痙攣する男の顔面に、黒羽の矢が突き立っていた。


 いや、それは、ただ刺さっているのではない。頭蓋を完全に貫通し、背後の石壁にまで突き刺さっている。


 文字通り男は、矢によって壁に縫いとめられていた。


「なっ――」


 即死。あり得ない威力。


 矢が石に刺さるなど。弩砲(バリスタ)でもこう容易くは――


 モリセットが混乱に囚われている間に、再び乾いた快音が響き渡る。


「――来るぞッ正面!」


 はっと我に返ったモリセットに言われるまでもなく、手下たちがさっと身を低くした。が、それを嘲笑うかのように、身をかがめた手下の一人、その胴体に無慈悲な矢が突き刺さる。


「ぐおアッ」


 肉が引き裂け、骨の砕ける音。


 背骨を折り砕かれた手下が、ぐにゃりとあり得ない方向に胴を曲げながら、吐血して倒れ込んだ。赤黒い血の泡をぶくぶくと口角に浮かばせる男は、まだ息こそあるものの――これは助からないと、モリセットは即座に見切りをつける。


 素早く、足元の弓と矢筒を拾い上げた。


「壁! 隠れろッ!」


 モリセットの号令一下、男たちは壁の陰に向かって素早く移動する。壁まで、ほんのわずか、十歩にも満たない距離。しかしその間にも、カァン、カァンと、背後から乾いた音が襲いかかり、その数の分だけ手下たちが倒れ伏していく。


 モリセットのすぐ後ろでも、手下の一人がうなじを撃ち抜かれた。肉の引き千切れた首から噴水のように血が迸る。それを背中に浴びながらも振り返ることなく、モリセットは身を投げ出すようにして壁の裏側に滑り込んだ。


「――クソッ、何だってんだッ!」


 間一髪で逃げおおせたモリセットは、大きく息をつくと同時に全身からどっと嫌な汗が噴き出るのを感じた。唯一の生き残りのハウンドウルフが、木立の闇に向かって唸り声を上げながら、モリセットに身を擦り寄せてくる。そのぼさぼさの毛を撫でつけて、モリセットは必死に荒い呼吸を抑えようと努めた。


「隊長、今の、何っすか!?」

「知らんッ!」


 運よく生き残ったらしい、青ざめた顔のパヴエルの問いかけに、吐き捨てるようにして答える。自分と同様、壁の陰に隠れて身を縮こまらせる手下たちに視線を走らせ、その数を数えた。無事に逃げおおせたのは、――六人。


(ジャック、ホリー、グレッグ、ネイハム、四人もやられちまったのか!)


 思わず漏れそうになった呻き声を、無表情の下に飲み込んだ。


 最初、見張りを担当していたネイハムが矢を受けてから、まだ数十秒と経っていない。壁の陰に身を隠すまでのほんの僅かな間に手下のほぼ半数が矢を受けていた。しかも、そのことごとくが手の施しようのない致命傷。


「っぐ……うぅ……」


 壁の向こう側から呻き声。まだ息のある者もいるのか。モリセットは壁の陰からそっと顔を出し、周囲の様子を窺った。


 カァン、と。


 慌てて顔を引っ込めると、モリセットの鼻先を白羽の矢が掠めていった。


「危ッ……」


 上体を仰け反らしたモリセットは、腰を抜かしたように尻餅をつく。近い。ぞっとして背筋を振るわせるモリセットをよそに、矢は真っ直ぐにそばの木へと突き立った。


 ブウゥゥン……と蜂の羽音に似た、振動音。生木に深く深く突き刺さった矢が、凄まじい着弾の衝撃に震えている。生身で受ければひとたまりもない――それは手下たちが証明してしまった。生半可な盾や鎧では紙のように食い破られてしまうだろう。


「……モリセット、これは、マズい相手だぞぅ」


 ラトが低い声でぼそりと呟き、腰の鞘から短剣を抜き放つ。取り回しに優れた、良質のショートソード――しかし敵の弓の威力に比するとあまりにも頼りなさげだ。


「とんでもない弓、だなぁ……」

「ああ。だが……」


 ラトの声に頷きつつ、未だ震える矢を睨みつけるモリセット。その額をつっと冷たい汗が伝った。とんでもない弓。確かにその通りだ。化け物じみた威力に、神がかった狙撃の精度。自身もいっぱしの弓使いであるだけに、それはよく分かる。


 だが、何よりもモリセットが危機感を覚えているのは、


(殺気が微塵も感じられねえ……!)


 これほどの威力を持つ弓であるにも関わらず、確実に命を奪い去る殺意に満ちた一撃であるにも関わらず。


 感知できないのだ。その攻撃が。これの意味するところは――敵は、モリセットの技量を遥かに凌駕する使い手であるということ。


 おかげでこの矢が何処から射られたものなのか、大まかな方向しか見当がつかない。弓の音と、着弾までの時間差から、かなり距離が置かれていることだけは確かだ。しかしその距離をものともせずに、確実に中ててくる技量。


「ラト。何か感じ取れたか」

「いんや。その様子だと、モリセットもダメかぁ?」

「ああ」

「とんでもない化け物だなぁ」

「違いねえ。何者だ? 盗賊か?」


 引きつった笑みを浮かべるモリセットに、間延びした声を努めて維持するラトは、


「分からね。……だども、相手は一人だと思うぞぅ」


 自信なさげなラトの推測は、そうであって欲しいという、ある種消極的な願望も多分に含んでいた。だが、それはおそらく正解だろうと、モリセットの勘が告げる。


(クソッ、俺らを襲っても盗る物なんてロクにねえぞ……!?)


 しかもムサい男所帯だ。これほどの弓の腕前の持ち主なら、盗賊などしなくても充分に食っていけるはず。なんでわざわざ自分たちなんかを――


 腹立ち混じりにそう考えていたモリセットだったが、そのときふと、木に突き刺さったままの矢に目を止めた。一点の汚れもない、白羽の矢。


(……待てよ、最初にネイハムをったのは、たしか黒羽の矢だったはず)


 腰の剣を抜き、そっと壁の陰から突き出す。よく手入れしてある刃は、鏡のように周囲の景色を映し出した。襲撃者の矢に倒れた手下たちを見やると、その身体に突き立っているのもまた白羽の矢。


(黒い矢羽……)


 モリセットの視線が、自然と、自分の矢筒に吸い寄せられる。


 ぎっしりと詰まった、黒羽の矢束。


「……まさか」


 たらり、と額を嫌な汗が流れる。


 一本だけの黒羽の矢。


 草原の民が得意とする、弓という得物。


 モリセットを凌ぐ高い技量に、今宵この場所で襲撃してきたという事実。


 それらの要素が絡まりあい、一つの推論へと収束していく。


「あの野郎……ッ!」


 草原の民の格好をした青年。


 成る程、『彼』ならば、モリセットたちを襲う理由は、充分すぎるほどにある――


(仇討ちに戻ってきやがったのかッ!)



 ――襲う相手を、間違えた。



 苦虫を潰したような顔で、モリセットは天を振り仰いだ。


 だが、いつまでも悔やんでいる暇はなかった。自分ひとりならまだしも、モリセットは手下たちの五人の命を預かる隊長だ。ここに隠れていたところで、壁は二面しかない。側面に迂回するぐらいのことは、子供でも思いつく。


(遮蔽物――林の方に逃げるしかねえな)


 南の森は、矢を防ぐには絶好の場所かもしれないが、夜に踏み込むには木々が生い茂りすぎている。東西に広がる木立の方が、人の身には歩きやすいだろう。ではそのどちらへ逃げるか、とモリセットが考えを巡らせたところで、再び夜空に快音が響き渡った。


 回り込まれたか、と肝を冷やしたが、自分たちに矢が飛んでくることはなく、ボフンッという音と共に焚き火の明かりが吹き飛ばされる。火勢が弱まり、暗闇が下りてきた。


(……矢で焚き火を吹き飛ばした?)


 なぜ、と考えながらも、目を瞬いて暗闇に適応しようと試みる。そして不意に、『奴』も夜目が効く様子だったと思い当たり、モリセットはおぼろげに敵の考えを読み取った。


「パヴエル、点眼しとけ。奴が仕掛けてくるぞ」

「はっ、はい」


 モリセットの言葉に、パヴエルが慌てた様子で懐を探る。取り出したのは、小さな金属製の容器。ふたを開け、白い液体を一滴、左目に垂らした。その薄く白濁した瞳に液体が触れた瞬間、パヴエルは「うっ」と苦しげな声を洩らす。液体は、とある猛毒を改良して作られた目薬で、点眼し続ければ色の見分けがつかなくなる代わりに、フクロウのように夜目が効くようになる。モリセットを含め隊の全員は、これを片目に点眼していた。


「おい、煙玉持ってる奴いるか?」

「二個あるっす」

「オレも二個持ってます」

「一個だけなら……」


 続いたモリセットの問いかけに、口々に手下たちが答える。


「よし。すぐにでも奴は迂回してくるはずだ。ちっとでも怪しい音がしたら、順番にばら撒きながら反対側に逃げるぞ」


 敵意を剥き出しに、唸るようにしてモリセット。


「クソッお陰でとんでもねえ散財だ! あの野郎、絶対ブッ殺してやる……ッ」


 腰のポーチから取り出した、直径五センチほどの球体に目を落とし、モリセットは鬱々と呪詛の言葉を吐く。


 と、その瞬間、モリセットたちから見て東の茂みが、ガサガサと派手に音を立てる。それに混ざって聴こえる蹄の音――


「来たぞッ東だ、最初は俺が撒く! お前たちは走れ!」


 球体についていた紐を引っ張り、投げる。


「これでも食らいやがれッ」


 煙玉スモーク。地面に叩きつけられたそれは、勢いよく灰色の煙を噴き出した。続いて手下たちが一つずつ投じ、廃墟の周辺はあっという間に濃い煙に包まれる。


 視界を遮るよう手際よく煙玉を投げながら、モリセットたちは西に向かって一目散に逃げ始めた。


 ワンテンポ遅れて、煙の尾を引くケイとミカヅキが、咳き込みながら煙幕の中から飛び出てくる。


「ゲホッゴホッなんだこれッ!?」


 顔の前で手を振って煙を振り払いながら、慌てた様子でケイ。少なくともゲーム内にはこんな形の煙幕は存在しなかった。幸いなことに、煙に毒の成分は含まれてないらしい。


 木立の奥、未だ濃く立ち込める灰色の煙を睨む。


「…………」


 顔布の下の険しい表情。


 先ほど、『襲撃者はケイである』という正しい推測をしたモリセットであったが、一つだけ大きな勘違いをしていた。


 ケイの目的は仇討ちではなく、ましてや盗賊の皆殺しでもない。


 モリセットたちが使った毒の種類を特定すること。


 そして一刻も早く、アイリーンに解毒剤を処方すること。


 その二つこそがケイの考える全てであり、他のことに気を回す余裕などなかった。むしろ、刻一刻とアイリーンが弱っていく現状、焦りすら感じていたといっていい。


 周囲を見回して敵がいないことを確認したケイは、素早くミカヅキから下りて空き地に転がる盗賊たちを見て回った。


「……死んだか」


 まるで他人事のように、ぽつりと呟く。身体に矢の突き刺さった四人。最初に仕留めた見張りは別としても、他の三人は即死ではなかった。念のため、使いかけのポーションを一瓶持ってきていたので、意識さえあれば助命を餌に、毒について聞き出せないかと考えていたのだが――。


「……時間を無駄にした」


 緊張と焦りの色を濃くし、再びミカヅキに飛び乗る。矢筒から矢を引き抜いていつでも放てるように準備しつつ、盗賊たちの跡を追って木立に突っ込んだ。


(絶対に逃がさん……!)


 煙幕は想定外だったが、追跡に支障はない。煙を辿っていけば逃げた方向は分かるし、ケイの視力を持ってすれば暗い木立の中でも盗賊たちを見つけられる。森の中では騎兵のアドバンテージ――機動力こそ活かし辛いものの、それでも構いやしないと思った。逃げるのであれば何処までも追いかけて、漏れなく矢を叩き込んでくれる。


 アイリーンを救うことが至上命令であるケイにとって、盗賊の生死など心底どうでもいいことだった。裏を貸せば、情報さえ聞き出せるなら、生き残りは一人でも構わない――


「……いた」


 早速ひとり、視界に捉える。時折こちらを振り返り、木の根に足を取られそうになりながら、必死で逃げる痩せぎすの男。きりきりと弓の弦を引き、ケイはどす黒い感情の赴くままに、迷いなくその背中に狙いをつける。


 快音。


 左手の強弓より放たれた銀光が、唸りを上げて盗賊に襲い掛かった。


 しかし弓の音を耳にしてびくりと身体をすくませた男は、そのまま足を何かに引っ掛けて盛大に転んだ。男の頭上すれすれを、致命の一撃が切り裂いていく。身体を起こして、ますます必死に逃げ始める男。運の良い奴だ、とケイは嗤う。だが次はない、と矢をつがえる。胸の奥で、ぐらぐらと悪意が煮え滾るようだ。それは狩りの高揚に似ていた。


 ――強いてこのときの、ケイの失敗を挙げるとするならば。


 それは、最初に四人を仕留め、迫撃の勢いに酔ううちに、『自分こそが狩る側である』と確信してしまったことだろう。


 だが、こうして無様に逃げ惑う盗賊もまた、本来は他者を喰らう獣だ。


 その性質は残忍。冷酷にして狡猾。


 連携し、群れで追い込む狩りこそが――彼らの本領であり、真骨頂。


 木立のどこかで、ピィッと指笛の音が響いた。


 何だ、と思考するより早く、「オゥンッ!」と獣の鳴き声。


 ミカヅキの足元の茂みから、夜の闇より黒い、大きな塊が飛び出してくる。


「ハウンド――!?」


 体格の良い黒毛の狼が、大口を開けてミカヅキの前脚に喰らいついた。牙が食い込み爪で引き裂かれ、ミカヅキが悲鳴のようないななき声を上げて急停止する。暴れる馬上、必死でバランスを取りつつ、ケイは弓を引き絞った。


 銀光が閃く。


 水気のある音と共に、狼の胴を白矢の矢が撃ち抜いた。地面に縫い付けられ、吐血しながら身を震わせるハウンドウルフ。盛大にいなないたミカヅキが仕返しとばかりのその頭蓋骨を踏み抜き、蹄で粉砕する。飛び散る赤い色。


 だが――奇襲はそれで終わりではなかった。ギリッと何かが軋む音に、ケイはハッと顔を上げる。前方、十歩ほどの距離。茂みから、木の陰から、革鎧に身を包んだ盗賊たちが姿を現した。短槍使いが一人、剣士が一人、弓使いが二人。


 弓使いたちの背後、ケイが追いかけていた痩せぎすの男モリセットもまた、その手に弓を引き絞る。


 毒の滴る鏃――


「――やれッ!」


 その顔を凄惨な笑みで彩った、モリセットの号令一下。




 鋭い風切り音とともに、一斉に毒矢が放たれた。

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