今日から雪女を育てることになりました
里月
第1話 今日から雪女を育てることになりました
今日も街中は慌ただしく動いている。そんな中俺は一人の男を追っていた。
「そこの男!止まれ!!」
さっきから何分走り続けているだろうか。二人ともそろそろ体力が限界に近づいて来る頃だが、一向に足の速さは衰えることはない。
「クッソ…。捕まってたまるかよ!」
右頬にかすり傷がある男は通りすがりの人を突き飛ばしながら人混みの中へと入っていった。
しまった!と思わず
木を隠すなら森の中と言うように、この人混みに隠れられたら探すのにとても困難だ。折角ここまで追い詰めたというのに…。
最後の最後で窮地に陥ってしまった。しかしここで諦めては警察官の名に恥じる。
「待て!」
40代の俺を舐めるなよ!!
俺は思いっきり手を力強く握ると男の背を追った。
*
約2時間前の事だった。街を車でパトロールしていたところ、この近くで強盗事件があったと報告があった。
犯人の特徴は黒いタンクトップに白のパンツを履いていて、右の頬にかすり傷のようなものが付いていたという。
ここから現場までそこそこ近かったので
車を駐車場に停め警察手帳を見せる。
強盗があったのはどこにでもある某コンビニだった。話を聞くところによると、男はレジに立っていた女性に刃物をちらつかせ「金を出せ!」と脅し現金三万円くらいを盗んだそうだ。
何に使おうとしていたのか定かではないが、犯罪は犯罪だ。
人は誰しも悪い心を持っている。しかし硬い壁に囲まれ、相当なことがない限り出て来ない。だがある日突然何かの弾みで壊れることがある。理由は人によって様々だが、自己では抑えきれない感情を生み出してしまうのだ。
それを正すのが警察の仕事。
俺は大きく息を吸い込むと聞きこみ調査に移った。
*
「あ!お疲れ様です
「おう」
何分か経ち三、四人の刑事が駆けつけてきた。
その中でこの、人が良さそうな顔をしている若い男は後輩の
俺と比べて社交的だし、仕事はきっちりとこなしてくれる。顔は整っていて女子に人気だが、当の本人は鈍感なんだか飲みに誘われても断るばかりだ。
その度に女子たちの悲鳴は絶えず飲み会はいつも不穏な空気を纏っている。(年々男性の出席率は下がり気味)
綾部は、言わばスターみたいな存在だった。
しかし何故か綾部は俺を慕ってくれているようで、飲み会は断るくせに俺を飲みに誘ったり、話し相手になったりしてくれた。
その都度女達は鬼のような眼光を向け俺は怯えながら生活する羽目となり、ある日痺れを切らして綾部に聞いてみた。
「綾部はなんで飲み会に出ないんだ?女性陣がヤキモキしてたぞ」
すると綾部は視線を落とし持っていた缶コーヒーを意味もなくゆらゆらと揺らした。
「俺、あんまりああいう所好きじゃないんですよ。それに昔子供の時に色々あって、女性が苦手で…」
なるほど、そういう事だったのか。
昔何があったのかは敢えて聞かないが、こいつもこいつで色々と苦労しているのだろう。
そこで話しは何となく終わったが、綾部は前と変わらず俺を慕ってくれている。
後輩に好かれるのは嫌な気分ではない。
良い後輩を持ったということだ。
「犯人は今も逃走中。今監視カメラを確認中です」
「くそっ。まだ足取りは掴めないのか」
捜査を行う中、未だに手がかりはつかめず立ち往生となっていた。
そんな中綾部は手に顎を乗せ深く考え込んでいた。
「どうして犯人は盗んだんでしょうか」
俺に話しかけたのか分からないほど、一点を見つめ続けている。
俺は両手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「俺も少し気になっていた。三万円は普通に考えて盗むにしては少なすぎる。借金の返済に使うのか、パチンコか、それとも───」
「なんだって?!犯人が見つかったのか!」
突然携帯電話が鳴り一人の刑事がそう叫んだ。
「右頬に傷がある男に職務質問しようとしたところ、逃げ出したようです。場所は中央通り」
「黒だな」
俺はそう言うと車に乗り込んだ。
「天野さん!俺も行きます!!」
後ろの方から綾部が叫んだ。その目に迷いはない。
「しゃーねぇ。早く乗れ!」
「は、はい!」
俺はハンドルを握りしめると綾部が乗ったのを確認してから勢いよくアクセルを踏んだ。
*
犯人を見つけたという所の近間に車を停め、手分けして探すことにした。
「綾部!お前はあっちの方を頼む!」
「はい!」
綾部は勢いよく返事をすると向こうの方へ走っていった。
中央通りはかなり人でいっぱいだった。犯人は刃物を持っているため、何としてでも二次災害は避けたい。こんな所で殺傷事件なんか起きたらそれこそ一溜りもなくなってしまう。
今日はかなりの気温でシャツが背中に張り付いてくるが、そんなの気にしてはいられない。
無我夢中で探し続けた。
その時、目があるものを捉えた。
右頬に傷、そして黒のタンクトップに白のパンツを履いている。間違いない、あいつだ!!
俺はそいつに目掛けて走り込んだ。
しかしそれに気づいた男は慌てた顔をして逃げていく。
「おい!止まれ!!」
叫んだものの逃げた男は止まる気配はなく人混みに隠れてしまった。
辺りをひっきりなしに見渡すが、この中では顔を確認するのは不可能に近い。
しかしめげずに男を探す。
「あ!あいつだ!」
数分が経ち、あの男を見つけることが出来た。
だが一つ疑問が浮かぶ。普通犯人というものは逃げるために顔を変えたり、服装を変えたりするものだがあの男はずっと同じ格好をしている。何か考えがあるのだろうか。
なんにせよ、ここからが正念場だ。ミスは許されない。
ゆっくり男に近づいていく。靴とコンクリートが摺れる音が人混みの中だと言うのによく聞こえる。
しかし、あともう少しというところで男はこちらに気づいてしまった。
「来るんじゃねぇ!」
と大声で叫ぶと近くにいた女の子を片手で抱え込み、もう一方の手から折りたたみ式のサバイバルナイフを取り出して子供の前に突きつけた。
「これ以上近づけば、こいつの命はねぇぞ!」
周りにいた人たちがその声に驚き、一斉に逃げ出した。その人たちと所々肩がぶつかったが男から目が離せられない。
どこからか女性の高い叫び声が聞こえ、男に抱えられた子供は泣き出している。
男は子供を抱えたまま何故か震えていた。
最悪な事態だ。
これ以上男を怒らせてはあの子の命が危ない。
ドクドクと心臓の鼓動が早まり、血が沸騰するような熱さで体中を駆け巡っている。
男が子供を離さない限り無闇に動けない。
だが、さっきから男は動く気配がない。どうしたのだろうか。こちらの様子を伺っているのか?
しかし、なんだ…。異様にここだけ寒いような…。
今まで暑かったのだが、身震いするほど気温は下がっているのは確かだ。異常気象だろうか。
すると何故か男の手から子供がどさりと落ちた。男は今も尚、同じ姿勢でこちらを見ている。
「っ!」
考えている暇はない。
男の腕をつかみ自分の手を勢いよく下ろしナイフを落とさせた。続いて背後に回り男の足を引っ掛け背負い投げをする。
ぐはっ、と男が力ない声を漏らす。
すかさず俺は腰から手錠を取りだし、男の両手首にはめた。
黒色がベースの腕時計を見る。
「16時38分、被疑者逮捕」
周りから小さく拍手が送られた。全身の力が抜けていく。何とか被害が少なくて安心した。
いや…。そう言えばあの女の子は。
周りを見渡したがさっきまで男に捕まえられて泣いていた子がいなくなっていた。
母親が連れ戻したのだろうか。しかし殺されずに済んでよかった。怪我はしていなかっただろうか。
少しの疑問と大いなる安心感が襲ったが、何とか事なきを得た。
*
「天野さん!良かった。無事でしたか」
警察署に戻ると綾部が俺に近づいてきた。
「ああ、何とかな」
すると綾部が肩を落とし俯いた。
「すみません。俺何も出来なくて…」
「いや、綾部の勇気はすごかった」
あの時の目は俺の若い時に似ていた。きっとこいつは俺よりも優秀になるだろう。
「そ、そんな。ありがとうございます」
綾部は頬をポリポリかきながら少し笑うと、なにか思い出したようにまた話し始めた。
「そう言えばあの男。子持ちだったみたいです。女の人がいきなり家を飛び出して行っちゃったみたいで。収入も少なく、子供を養うためには仕方なかったと…」
なるほど。どおりであの時震えてると思ったら、そういう事だったのか。
「それを聞いて盗んだ金が少なかったのも、男が変装しようとしなかったのにも頷けます」
「確かに、三万円もあればそこそこ食っていけるだろうし、盗んだ経験もなく金がないなら変装なんてできっこないからな」
それにしても子供か…。仕事仕事で結婚なんて頭になかった。これで四十代だし、もう出来ないよな…。
まあ、仕事で一生を迎えるという人も中にはいる。仕事は好きだし、そういう生き方もいいのかもしれない。
「それと、あの男が天野さんに捕まる前、体が動かなくなってしまったと言っていましたが、心当たりは」
「さあ。そのおかげで捕まえることが出来たからな」
確かにあの時男は何かに固められたように体は1ミリも動きはしたかった。今回の事件に何か関係しているのだろうか。
そう思いながら俺は綾部の肩をポンと叩いた。
「じゃ、俺はそろそろ戻るわ」
そう言い残し去ろうとしたが、綾部が「あっ!」と言いかけた。
「あともう一つ!警視監が天野さんを呼んでいましたよ」
またあの人か。呼ばれて一度もいい記憶はないが、上の命令である以上無視することは出来ない。
了解の意を込め、右手を上げてその場を去った。
*
「天野です、失礼します」
無駄に広い部屋に入る。
眼鏡をかけた白髪頭の男は何年経っても変わらずに鋭い目をしていた。
「天野。今日はお手柄だったようだね」
「どうも」
昔から思っていたが、上から目線に話しかけてくる態度がどうも気に入らない。人というものは何故立場が上というだけで性格が変わるのか…。
「まあ、そんなことは“どうでもいい”んだが…」
手を組み直し俺を見つめる。手の皺が年齢を物語っていた。“どうでもいい”という言葉に少しイラッとしたが…。
「君は今日でクビだ」
「は?」
いきなり何を言ったのか分からず拍子抜けした声を出してしまった。
クビ?俺が?
こいつは何を言ってるんだ。
今日だってあの男を捕まえたのは俺だし、逆に褒めて欲しいくらいだ。なのに何故?
「その代わり、ある子供を育てて欲しいと言われている」
「子供…ですか」
「入りなさい」と言うと秘書らしき人が小さな女の子を連れて来た。
あれ、あの子は…。
その子供に心当たりがあった。
今日俺が捕まえた男に、ナイフを向けられて泣いていたあの女の子だ。
「お前が今日から世話をする子、名は
「雪女?そんな戯れ言を俺に信じろと言うんですか。第一妖怪なんて存在するわけがない」
突然クビだと言ったり、妖怪の子供を育てろと言ったり、とうとうこいつは頭がおかしくなってしまったか。
表情は険しいままで手を組み俺の顔をじっとみている。まるで鷹が獲物を狙うかのような目だ。
「天野…。少し立場をわきまえろ。お前が上の命令に口を出してどうこうなると思ってるのか。これは決定事項だ。今更変えることは出来ん」
「なら、この子が雪女の子供だということを証明してください。でなければ納得がいきません」
「そんなの私が知るわけないだろう。上からの命令だ」
また上の命令かよ。命令、命令って。
人の命令で自分の人生を左右させたくないが、今は何を言っても無駄だ。こっちの意見なんて聞いてもくれない。
仕方ない事だが言う通りにするしかなさそうだ。
はぁ、とため息をつきながら子供の方に目を向ける。
雪音という子はここに初めて来たようで怯えた顔をしていた。雪女の娘だけあって肌は真っ白い。
これ以上怖がらせてはこの子が可哀想だ。
ここから一刻も早く離れるべく早々に挨拶を済ませる。
「分かりました。それでは失礼します」
「天野
出ていく寸前で警視監はそんなことを言った。
今更何を言ってるんだこいつは…。
俺は頭を下げると雪音と共に部屋から出ていった。
こいつの顔を一生見ることは無いのだと分かると少し笑ってしまいそうになった。
*
ばんっと戸を閉める。隣には小さい子が一緒に立っていた。
雪女の子供か。俺はまだ信じた訳ではないが中々難しい仕事を押し付けられたものだ。
これからどうすればいいのだろう。子供の世話は生まれてこの方したことがない。
不安という塊が俺の背中にのしかかった。
今日から雪女を育てることになりました 里月 @Moon-bookSastuki
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