17. ザンギ少女への言葉
「おはようございます」
俺にも数人の教師が挨拶をしてきたが、
「先輩、おはようございます」
すると、後ろから駆けてきて俺と隣に並んだポニーテールに挨拶された。
俺は聞こえなかったフリをして階段を上り始める。
「まさかの無視ですか!? 挨拶は気分を爽やかにしてくるんですよ。先輩も挨拶しましょうよ。ねえ先輩。先輩ってば。おはようございます先輩。せんぱーい」
「うるせえ!」
さすがに我慢の限界だ。朝からエンジン全開はやめてくれ。
「そんな言い方しなくても良いじゃないですか……」
「眠いのにしつこく話しかけられたら誰だって不機嫌になるだろうが。俺を誰だと思ってるんだ。ぼっちの
「先輩、それは自信満々に言うことではないです」
山吹は呆れた表情を見せた後、俺の目を見ながら誘うように言う。
「なので、先輩がぼっちではなくなるように、あたしと友達になってください」
「断る」
「いつになったら先輩はあたしと友達になってくれるんですか~」
「永遠に友達になれないから安心して良いぞ」
十二年前、俺が下した決断に従って生きていく。今もその気持ちは決して揺るがない。
正しいかどうか不安になっても、未来は予測不可能だから信じるしかない。
俺は今も、これからも、一人のままで良い。つらい思いはしたくない。
「ほんと先輩って変わらないですよね」
「これが俺だからな」
考えなんて、相当衝撃的な出来事に遭遇しない限り変わらない。
そして俺にとってその出来事は、人生で一度しか経験していないのだ。
だから十二年間、俺は変わらずに生きている。
「そういえば今朝、スーちゃんから
「俺にもメッセージ来てたな」
朝、普段通り
「これで安心ですね。教室に入れば元気なスーちゃんが先輩を待ってますよ」
「教室で二葉に話しかけられたことはないから、それはないだろ」
学校内で二葉と話をするのは基本的に食堂だ。今まで教室では一度も俺と会話をしていない。
教室にいるとき、たいてい二葉はグループの友達と会話に花を咲かせている。大事な友達と過ごす時間に楽しさを感じているのだろう。
そして友達を大事にしているからこそ、二葉は友達に見られる場所で俺と話さないのだと思う。俺と話した場合、今ある友達との関係性が崩れる可能性を否定できない。
二葉が友達こそ自分にとって重要な存在だと認識しているゆえの行動だ。
俺の言葉を聞いた山吹は目を丸くして、
「何か、意外です。結構先輩はスーちゃんと仲良くしているのかと思ってました」
「普通だろ。俺と二葉は友達でも何でもない」
「先輩が友達を作らないのは知っていますからスーちゃんと友達ではないことは納得できますけど、ある程度は親しくしているのかと思ってました」
「親しかった覚えはないな」
最初こそ二葉に秘密を守れと言われて振り回されていたが、途中からは違う。俺が二葉のつらい気持ちを知って、そこに過去の俺自身を重ねていたから接していただけだ。相手は二葉であっても、俺が見ていたのは二葉じゃない。
だから俺と二葉との距離感は何も変わらず、他人のはずだ。
「とにかく、スーちゃんの風邪が治って良かったです。先輩とお見舞いに行ったのが功を奏したのでしょうか」
そんな訳ないだろ。
「見舞いで病気が治るなら、世の中から病人なんてすぐに消え失せる」
「先輩、現実を突きつけないでくださいよ……」
そう言われても、見舞いが関係ないのは事実だ。二葉の免疫がどうたらこうたらで頑張った結果、風邪ウイルスに打ち勝って完治したのだから。
山吹とそんな会話をしながら二階の廊下を歩いていると、山吹が不意に立ち止まって俺の方へ体を向けた。
「もう教室に着いちゃいました。では先輩、また今度です」
ペコリと頭を下げて、山吹は一年五組の教室へと入っていった。
教室の中から山吹の「おはよう」と挨拶する声が数回聞こえる。友達と爽やかな気分とやらを共有しているようだ。
一人になった俺はそのまま廊下を進み、二年四組の教室へと入った。誰にも話しかけられることなく、自分の席に座る。
ふと教室の隅の窓際を見る。女子が四人、男子が二人で構成されたグループが陣取っており、朝から騒がしくしていた。
「昨日のドラマ見た? まじやばかったよね」
「俺は最後のバーンドーン的な? あそこが一番上がったって言うか。やばいの最上級だったわ」
「それすごい分かるけど、やばいの最上級て。何それ。ウケる」
今日も頭の悪そうな会話を展開しているな、と思いながら俺は正面を向いて頬杖をついた。
一瞬、グループの中心人物、二葉が俺と目を合わせて微笑みかけてきた気がするけれど、どうせ気のせいだろう。
◇ ◇ ◇
時間は必ず進む。進むのが早く感じたり、遅く感じたりすることがあるとはいえ、止まることはない。
だから俺が何を考えていようと関係なく、放課後は訪れる。
もう引き返せないのは分かっている。だから俺は二葉に伝えなければならない。
鞄を手に教室を出て、階段を下り一階へ。昇降口前の廊下を経由して奥へと進めば、二葉がいるであろう食堂が現れた。
引き戸の取っ手に手をかけて、ゆっくり扉を開ける。
そこには案の定、入口付近の座席でザンギ定食特盛りを食べている二葉がいた。
「来たのね」
「まあな」
軽く言葉を交わし、俺は給茶機で紙コップに温かいほうじ茶を入れてから、二葉の隣に座った。
俺はほうじ茶を一口飲んで、二葉を横目で軽く見る。相変わらず幸せそうな表情を浮かべながら、次々と食べ進めていた。
二葉がザンギ定食を食べている光景を見るのは、これで何度目だろうか。まだ出会ってから二週間ほどしか経っていないのに、もう即座に数えられない。
可愛くて、ザンギに目がなくて、クラス内のカースト上位に君臨する二葉が、顔が死んでて、ぼっちで、カースト下位の俺と関わっている状況自体、不思議だと言わざるを得ない。
人生には予想外の出来事が溢れている。だとしても、俺の意思は決して変わらない。
「ご馳走様でした」
二葉は箸を置き、手を合わせて挨拶をした。皿の上に山盛りに積まれていたザンギは綺麗に二葉の腹の中だ。
この細い体のどこに収まっているのか、毎度のことながらミステリーである。見慣れたとはいえ、まだどこか信じられない。
「あ、あのさ……」
二葉は俺の方に顔を向けるが、視線が定まっていない。何かを
数秒の沈黙。その後、二葉は膝の上で両手をぎゅっと握り、
「き、昨日は、お見舞いに来てくれて、ありがと……」
声は徐々にフェードアウトしていたが、隣に座っていれば聞こえない訳がない。
恥じらった様子で感謝され、俺はどうしたものかと戸惑う。何故、戸惑っているのか、その理由に目を向けないように意識した。
「ま、まあ、山吹に誘われたからな」
昨日と同じ言葉を二葉に返した。
あくまでも見舞いに行ったのは、二葉のためではなく俺自身のためだ。感謝される筋合いはない。
「それで、体調はどうだ?」
「その……もう熱はないし、喉の痛みもないから大丈夫」
「そうか」
既に分かりきっていることを尋ねて、俺は何がしたいのだろう。訊きたい訳じゃないから、そこに意味なんてないのに。
普段、二葉とどう接していたのか思い出せない。
沈黙が場を支配する。遠くからおばちゃんが食器を洗う音が聞こえる。
気まずい空気。何となく二葉に話しかけるのが躊躇われる。これではわざわざ俺が食堂に足を運んだ意味がない。
だが幸いにも、二葉が沈黙を破った。
「……ねえ、帰らないの?」
二葉は正面に顔を向けたまま、ぼそっと訊いた。
既に二葉はザンギ定食を食べ終えているから、いつもなら俺も二葉も食堂に残る意味はない。
しかし今日は違う。俺は二葉に言わなければならないことがある。
昨日、俺が見舞いに訪れたために選択肢はもうない。現在進んでいる道は俺が変わらない限り必ず同じ運命を辿る。
だから今日言わなくても、いつかは言う必要がある。ならば、後回しにするより早い方が良いだろう。
俺は手を強く握る。掌に爪が食い込んで痛かった。
「なあ二葉。もうこういうのはやめないか」
「…………え?」
一拍の間があった後、二葉はこちらを見て分からないといった表情を浮かべた。
だから俺ははっきりと決意を込めて言い放った。
「もう二度と俺とは関わらないでくれ」
元から俺と二葉が関わっている状況こそ妙だったのだ。明らかに立場は違うし、そもそも理由が存在しない。
食堂で偶然遭遇して、ザンギが好きなことを秘密にする約束を交わしたときから、二葉に振り回されてきた。
途中、二葉が一人だとつらい気持ちになると聞いてからは、二葉越しに過去の俺を見ていた。
けれど所詮は他人だ。俺との繋がりは何もない。
「何で……何でそんなこと言うの!?」
二葉は勢いよく立ち上がる。反動で椅子がガタンと倒れた。
「安心しろ。二葉の秘密を守る約束は破ったりしない」
そもそも言いふらすメリットが俺にはない。
「そんなのはどうだって良い。そうじゃなくて、何で急にそんなこと言うのよ! 意味分かんない!」
二葉の目に涙が浮かぶ。その涙に心が動かされないよう、俺は目を背けて言った。
「どうだって良いだろ、そんなの」
俺が何を思っていようと、どう考えていようと、他人の二葉には関係がない。だから言う必要もない。
もう俺の覚悟は決まっている。それが伝われば十分だ。
「じゃあ、何で昨日はお見舞いに来たのよ! 私が心配だったんじゃないの!?」
「……さあな」
本来、他人であれば心配する必要はない。他人に何があろうと、自分には関係ないからだ。
けれど、見舞いに行ったことで俺はどこか安心した。つまり、その前の段階で俺は心配したことになる。
認めたくはないが、思ってしまったのは事実。だから受け入れるしかない。
二葉は他人なのに心配した。どう考えてもこれは矛盾している。
だから矛盾なく心配した理由を説明するには、前提として二葉が他人ではない条件が求められる。
つまり、俺は二葉と他人ではなくなりつつある。だからぼっちを貫くために他人になる必要がある。
もう戻ることは不可能だ。
「何それ、はっきりと言ってよ! 納得できないじゃん!」
二葉は声を荒らげる。必死に俺に抵抗する。
けれど、俺の意思が簡単に変わるはずがない。十二年前から今まで守ってきたものは、これからも守り続ける。
それが俺自身のためだと信じているから。
「二葉が納得するかどうかは問題じゃない。これは俺が決めたことだ」
「どうして、どうして何も言ってくれないの!? ほんと意味分かんない!」
もはや二葉に何を言っても届きそうにない。顔は真っ赤で、目から溢れた滴が頬を伝っている。
意味が分からないのは俺だって同じだ。二葉にとって俺は他人のはずで、関わらなくなるだけで不利益があるとは思えない。だから必死に抗うのは無意味だと思う。
これ以上、俺が言葉を発しても平行線を辿るだけだ。そう思い、俺は鞄を手に立ち上がる。
「帰る」
俺は二葉の横を通って扉へ向かおうとするが、手首を強く握られてしまった。痛い。
「……離せよ」
「離す訳ないじゃん! 久保はまだ何も話してない! せめて納得できるよう説明してよ!」
二葉は諦めが悪く、この期に及んでまだ歯向かおうとする。面倒くさい奴だ。
俺はわざとらしく溜め息をつく。そして単刀直入に事実を述べた。
「俺と二葉は他人だから関係ないだろ」
「サイテー……」
二葉は相当ショックだったのか、冷たい声でそう言った。
けれど、二葉の感情は俺にとってどうでも良いことで、意思が変化する材料にはならない。
他人の出来事はその人のもので、俺とはこれっぽっちも関係ないのだから。
続けて二葉は俺の手を解放して投げやり気味に言い放つ。
「……もう勝手にしてよ」
俺は言葉を返すことなく二葉を置いて食堂から出る。そして扉をガラガラと閉めた。
「ふう~」
肺の中から少しずつ空気を排出する。
俺には友達も、それ以上の関係も必要ない。結局、いつまでも俺は一人だった。
THE・ザンギ! 雪竹葵 @Aoi_Yukitake
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