第四十四話

 「湊さん……? 湊さんっ! 返事をしてください!!」


 必死に声をかけるが、返事はない。半開きになった乾いた瞳は、結月を見ていない。そこに転がっているのは、紛れもなく死体であった。


 「嫌! 嫌です湊さん……! 起きて、起きてください!!」


 青ざめた額を冷たい汗が流れ落ち、見開かれた目から涙があふれ出る。肩を掴み必死に揺らすが、その首はだらしなくガクガクと揺れるだけだった。湊が目を開けることは決してない。


 「嫌……! どうして、目を開けてくれないんですか……!!」


 左腕を再生させ、全ての傷を癒す結月。しかし、それでも湊が目覚めることはなかった。


 「結月。お前、何勝手に動いてんだ?」


 「がっ……! 嫌、嫌です……!!」


 後ろから利久に首を絞められ、苦しみに顔を歪めるがそれでも結月は呼びかけ続ける。利久が絞める力を強めても、それは変わることはなかった。もう、利久など意識の中に入っていないようだった。


 「お前……! それ以上俺の言うことに逆らってみろ! お前の街を終わらせてやる! すぐにそのゴミから離れろ愚図!!」


 「湊……さん……!!」


 利久の言葉も、結月の耳にはもう届かない。故郷の街がどうなろうと、恐らく今の結月は気にも留めないだろう。何もかもを意に介さず、結月は湊に向かって話し始めた。


 「湊さん……私、あなたに助けてほしいんです……! あんなこと言ったけど、でも私……! やっぱり結婚したくない……!!」


 「なっ……! 結月お前!!」


 利久が怒りに震え、結月の背中に膝を入れた。体の中に入っていた残り少ない酸素が血と共に口から吐き出され、結月は苦しみに目を固く閉じる。しかし、すぐに目を開き湊を見つめると、言葉を続けるのだ。


 「またあなたたちと旅をしたいです……! あなたたちと出会ったこの五日間、私は一番幸せだった……!! 初めて、生きているって思えたんです!!」


 「殺してやるぞ結月……! お前の街も、何もかも終わりにしてやる!!」


 結月の細い首をへし折ろうと、利久は全力で結月の首を締め上げる。ついに力が入らなくなったのか、結月は湊を揺すっていた手を離してしまう。しかし、それでも結月は言葉を続ける。それでも、結月は湊に語り続ける。


 「あなたと出会えて、あなたと一緒に戦えて幸せだったんです……本当に大切だと思える人が、生まれて初めてできたんです……お願い、死なないで湊さん……!」


 しかし、そこが限界だったのだろう。結月は全ての力を失ったようにだらりとうなだれる。もう、指一本動かすこともできないだろう。


 「死ね結月……俺を不愉快にさせた罰だ、地獄で永遠に後悔しろ!!」


 男の声が遠くで聞こえ、そして温かな光景が脳裏を駆け巡る。これまでの、短い旅の思い出。

 決して楽な旅ではなかった。痛みも苦しみも味わう旅だった。命を奪い合う、危険で野蛮な旅だった。


 —―だけど。


 大切な出会いをした。かけがえのない、大切な人と出会えた旅だった。自分を、一つ大きく成長させてくれた人と出会えた。心の底から助けたいと、思える人。


 「あ……ごめんなさい、湊さん……でも……あり、が……」


 消え入るような声。命が消えていく。旅が、ここで終わる……


 —―終わらせるもんか。死なせるもんか。


 そうだ。何のために、何のために。俺はここまで来たんだ。目の前でお嬢様が殺されるのを黙って見ているためか? 大人しくここで死ぬためか? 違う。助けるためだ。いつだって人のために自分を犠牲にしてきた、優しいお嬢様を。


 目を開けろ。腕を動かせ。見えている温かな思い出から背を向けろ。立ち上がれ。ここで立つのが――!


 「な、何ッ!?」


 利久の腕を、強い力で掴み上げる腕があった。その力に、利久は結月を締め上げていた手を離してしまう。倒れかかった結月を、少年の強い両腕が支えた。


 「……ごめんなさい、待たせましたね。お嬢様」


 「な、何なんだお前は!? あれだけの怪我をして、あれだけ殴られて!! どうして生きている!? 何なんだ、お前は!!」


 目の前でいきり立つ男に対し少年はゆっくりと、しかし力強く。見得を切るように名乗りを上げる。


 「西城湊……いつか、ヒーローになる男だ」


 気を失っている結月を優しく寝かし、少年は。湊は立ち上がる。結月を助けるために。この旅に、決着をつけるために。


 「……何してる殺せ! お前ら全員で!! ガキ一人だ、殺せるだろ愚図!!」


 利久の言葉を合図に、四人の女が襲い掛かる。しかし湊はそれを投げ飛ばし、首元に手刀を当て、みぞおちに拳をえぐり込み、そして最後には鋭い眼光だけで。あっけなくその全てを倒してしまったのだ。


 「なっ……!?」


 「覚悟、出来てるよな……!!」


 後ずさる利久に、ゆっくりと歩みを進める湊。その拳は、かつてないほど強く握りしめられていた。


 「……くたばれ!!」


 不意に、利久が懐から短刀を取り出し湊を刺すべく突進する。しかし、その刀身は湊の腹に突き刺さる前に止められてしまうのだった。湊が、左手で刃を掴んで止めたのである。


 「く、クソ……!! お前!!」


 利久が湊を殴ろうと視線を上げ、そして目を見開く。湊が、今まさに利久を殴ろうと拳を引き絞っていたのだ。


 「お嬢様は……! お前には渡さねぇよ!!」


 そして、湊の拳が利久の顔面に直撃した。それは一瞬のうちに利久の歯という歯を砕き割り、大きく吹き飛ばす。後ろにあった高価そうな壺に叩きつけられ、利久は倒れ伏したのだった。


 「……さてと」


 湊は穏やかに微笑み、そして後ろで気を失っている結月の元に駆け寄る。

 決着はついた。湊は、ついに結月を助け出したのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る