第四十三話

 「な、これは……!?」


 湊の左足を切断するため斬撃を繰り出していた園花は、その表情を驚愕の色に染める。刀を持っていた右腕を、突然湊のみぞおちから飛び出した血の弾丸が貫いたのだ。刀を握る手に力が入らなくなり、手にしていた刀は地面に落下した。


 「くっ……! しかし!!」


 しかし、園花の攻撃はそこで終わらなかった。地面に落下した刀は、針金で釣り上げられるようにして宙を舞い、そして湊の左脚を貫いたのだ。

 その刀身は湊を貫いてなお動き続けており、今度はその左脚を切断しようと、ゆっくりと肉や骨を切り裂きながら進んでいく。


 「さぁ、今度こそ苦しんで……!?」


 言いかけて、園花の言葉が止まる。湊の右手が、園花の頭を掴んだからだ。体からほとんどの血を垂れ流し、今にも死にそうな男の力とは思えないほどの強い力で。

 園花の顔が苦悶に歪み、そして痛みは一瞬の隙を作りだした。湊の左脚を切断するため動いていた刀が、動きを止めたのである。


 「どけ……俺は、お嬢様を助けに行く!!」


 「な、何故ですか!? それだけの痛みを受けながら、何故……!?」


 直後、渾身の力を込めた湊の頭突きが園花の額に直撃した。強烈な衝撃が園花の脳を揺らし、頭蓋に大きなダメージを与える。ただの一撃で、園花は意識を削り取られ倒れ伏した。


 「何故って……? 簡単なことだよ……!!」


 —―初めてお嬢様と会話した時、まるで人形のような人だと思った。


 自分の意志を知らないお嬢様が。そのことに、何ひとつ疑問を持たないお嬢様が。操り人形のように見えて仕方なかった。


 だけど、今は違う。お嬢様だけじゃない。人形は、俺だったんだ。


 自分の意志を持っていたのに、助けたい人が居るのに。守れないかもしれない現実を突きつけられて、俺はいつも人形のように諦めた。やるべきこと、その人がやらなければならないこと。見ようとしていなかったそれを見せられて、俺は大人しく人形に成り下がっていた。


 それは、正しいことなのかもしれない。大人になるってことは、誰かの人形になることなのかもしれない。ガキの俺には、分からない。


 でも、それでも。


 今、俺には助けたい人が居る。大切な人を諦めて人形になった俺を、もう一度立ち上がらせてくれた人。誰かを助けるために勇気を出せる、誰よりも優しい人。

 

 何故って? 理由なんてそれだけだ。その人だって、お嬢様だってそう言っていた。単純で、幼稚で、理由になっていない。だけど、これ以上ない理由。


 「助けたいと、思ったからだ……!」


 足を引きずり全身から血を流しながら、湊は歩みを進めた。




 「こ、この人たちが……?」


 利久に屋敷の中にある広い和室に連れてこられた結月は、そこに居た四人の女性を見て顔を青くした。利久に頭を下げこちらを見つめてくるその瞳には、まったく生気を感じられなかったのだ。園花と同じように、機械か幽霊のように見える。


 「オレの八番目の妻になる結月だ。仲良くしろお前ら」


 「かしこまりました。よろしくお願いします、結月さん」


 そう訓練されて来たかのように、四つの声が同時に結月の耳に届く。これっぽっちも感情のこもっていない四つの声に、結月は思わず後ずさりした。明らかに、この家の妻たちは普通ではない。


 恐らく彼女たちは思考をやめ機械のような人形になることで、それ以上の心の崩壊を防いでいるのだろう。しかし、それは心が死んだも同じことである。思考を停止している以上自ら命を絶つなどといったことはないかもしれないが、その心はとうの昔に死んでいる。


 しかし、きっと彼女らはこうするしかなかったのだろう。自分たちが苦しみに耐えかね命を絶ってしまえば、自分たちの故郷は三星家から武器を受け取れずにいつか滅んでしまう。自分以外の全てを守るために、自分の心を殺したのだ。


 そして、それは恐らく変えようのない未来である。結月の隣に居るこの男に慈悲はないのだから。抵抗も何もかも全て無駄なのだから。

 だから、いつか茉奈も、そして結月もこうなってしまう。街を守るため三星家に嫁いだ時点で、こうなることは確定しているのだ。


 「結月。こいつらはお前なんかよりずっと先輩なんだぞ? 早く挨拶しろ」


 後ずさり微かに震えている結月を見て、利久はそう命令する。声が鼓膜を叩き、結月は恐怖に染まったままの表情で利久の顔を見る。利久の顔は笑っていたが、しかしその目はギロリと結月を睨みつけていた。分かっているよな。と、問い詰めるような目だった。


 「は、はい……」


 そんな圧力に、結月はうつむくように頷くと口を開き、目の前に居る四人の先輩に頭を下げゆっくりと口を開いた。


 「わ、私は結月です。至らぬところもあると思いますが、どうぞこれから――」


 結月がそこまで言ったその時、ドン! と、大きな音が屋敷中に響き渡った。戸を蹴破るような、派手な音だ。そして次に、引きずるような重たい足音。徐々に近づいてくる大きな足音に、利久は目を見開いて叫んだ。


 「まさか! 園花の奴、まさかしくじったのか……!?」


 「お嬢様……! 俺と、もう一度だけ、もう一度だけ話をしましょう……!!」


 血を吐くような声が結月の耳に入ると同時に、障子が蹴破られる。その先に居たのは、失った左腕を始めとして全身から大量に血液を垂れ流す湊の姿だった。光を失った怨霊のような目は、しかしまっすぐに結月を見ている。


 「……何をやってる! お前らこいつを殺せ!!」


 「かしこまりました、利久様」


 利久の命令と同時に四人が一斉に湊に飛び掛かる。誰が見ても力がなく、そして連携も取れていない素人の動きであった。しかし、湊はそれすらも回避できずに四人の女によって押しつぶされ何度も何度も殴られる。抵抗する力は、もうない。


 「園花の奴、生きてたら痛めつけてやる……! その後は結月。お前に色々と教えてやるぞ」


 殴られ続ける湊を見ながら、利久がそう言って笑う。しかし、その声は結月には届いていないようだった。湊を見つめ、震える拳を握っている。


 「湊さん…………」


 小さな声で名前を呼ぶ。四人の女に馬乗りにされ殴られ姿もほとんど見えない湊から、返事は帰ってこなかった。


 「湊さん…………!」


 震える声で名前を呼ぶ。返事はない。唯一見えるだらりと伸びた右腕は、ピクリとも動いていなかった。湊からは、生命が感じられない。


 「湊さん…………!!」


 目から涙を流しながら呼ぶ。返事は返ってこない。消えていく。命が、湊の命が消えていくのが手に取るように分かる。

 結月は、爆発するように走り出した。


 「湊さんっ! うあぁぁぁぁぁああああああ!!」


 感情のままに咆哮をあげ、湊を殴りつける四人の女を強引に押しのける。その先で、結月が目にしたのは。


 「み、湊さん……?」


 半開きになり、乾いた瞳を向ける湊の姿だった。

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