第三十六話

 それから一夜明け、太陽が再び東から昇る頃。湊たちは馬車に荷物を詰めていた。せかせかと荷物を詰めながら、ケイが湊に声をかける。

 

 「急ぐぞ湊! これでもう全く猶予がなくなった!!」


 「はいっ! もうちょっとですし間に合わせましょうね師匠!」


 ケイの言葉に、目をこすりながらも湊は嬉しそうに答える。ケイが明け方であるにも関わらずすっきりと起きられたからだ。

 昨晩も湊はずっと付き添っていたが、ケイがうなされることはついぞなかった。きっと、過去を乗り越えたためなのだ。それが、湊には嬉しくて仕方がなかった。


 「あ、あの。私も何かお手伝いを……」


 「ダメですよそんな手で! お嬢様は昨日俺たちを助けてくれましたし、何も気にせずゆっくりしていてください!」


 右手を包帯で巻かれた結月がおどおどと二人を手伝おうとするが、湊がそれを制止する。仕方がないと言った様子で結月はしばらく忙しそうに荷物をまとめる二人を眺めていたが、(湊は眠そうではあるが)笑顔で動く二人を見て微笑むのだった。


 「……本当に、素敵な人たちと旅をしてきたのですね。結月様」


 突然後ろから聞こえてきた射手園の声に、結月は振り向いて軽く頭を下げる。射手園もまた会釈すると、結月の隣に立つ。作業を続ける二人を見ながら、結月は嬉しそうに口を開いた。


 「はい。まだ数日ほどの付き合いですが、私にとっては大切な人たちです。私に、大事なことを教えてくれました」


 きっと、胸を張って三星家に嫁げるくらい成長できたと、私は思います。そう言葉を続ける結月の表情は、どこか切なげであった。もうじき終わるこの旅を惜しむかのような。そして、その先にある未来を嘆いているようでもある。そんな表情。


 「……苦労の絶えないことと思いますが、私は応援しています。きっと、あなたならばこの先のどんな苦難も乗り越えることができますよ」


 断言するように言い切った射手園からは、それがお世辞や気休めではないことがありありと伝わってくる。


 「ありがとうございます。その、頑張ります」


 そう言って頭を下げる結月だったが、その表情はどこか悲しげであった。その感情を感じ取ったのか、射手園は膝を付き無理やりに結月と目線を合わせると、穏やかな表情でこう言ったのだった。


 「結月様。未来のあなたは笑っています。それがいつの日なのか、そしてどんな選択の先にあるのか。それは分かりません」


 ただ。と、そこまで言って射手園は何か考えるように顎に手を当てる。どこまで言っていいのか考えているのだろうか、結月がそれを少し不思議そうに見つめていると、やがて射手園は再び言葉を紡いだ。


 「ただ、それはあなたが手に入れたものを大切にした時、初めて得られる未来なのだと思っています」


 「射手園様……ありがとうございます。なんだか、少し安心しました」


 「お嬢様ぁ! 準備できました、行きましょう!!」


 湊がそう呼びかけ、結月に手を振る。結月も軽く手を振って、そしてもう一度射手園の方を振り向き頭を直角に下げるのだった。


 「本当に、ありがとうございました」


 「礼を言うのは私の方だ。この街を守ってくださり、ありがとうございました」


 そして、結月が乗り込み馬車はゆっくりと音を立てながら動き出す。大きく手を振る湊と、小さく手を振る結月。二人を見据えながら射手園は深く頭を下げ、そして馬車が視界から消えると小さく呟く。


 「……また、この街にもいらしてくださいね」


 ゆっくりと目をつむる射手園。瞼の裏に映る彼らの未来は、きっと明るいのだろう。その口元は、優しく微笑んでいた。




 「おい、まだ結月は着かんのか」


 テーブルをコンコンと指でたたいて音を鳴らしながら、白髪が生え始めている初老の男がそう言った。その言葉には相当の棘があり、男のいら立ちが空気を張り詰めさせている。


 「ご、ごめんなさい利久様! でも、今日来るとは限らないって仲介人さんも言って……」


 男の隣に居た結月より少し幼いだろう年齢の、茶髪の少女が床に頭をこすりつけるようにして言葉を発する。その声は僅かに震えており、明らかに目の前の男に怯えている様子だった。


 「……お前、オレに口答えできるくらい偉くなったのか?」


 「ひっ……! ご、ごめんなさい。ごめんなさい!!」


 利久と呼ばれた男が少女をギロリと睨みつけ、そして少女は狂ったように地面に頭をぶつけて必死に謝る。畳の上にポタポタと少女の涙が落ちるその異様な空気の中、しかし男はごく自然体で次の言葉を発した。


 「いいから迎えに行け愚図! 警備も連れて行け、状況次第じゃ護衛屋も殺してしまえ。いいなッ!」


 「は、はいっ!! 本当にごめんなさい、すぐに連れてきます!!」


 少女が走って部屋を出ていく。すると、先ほど少女が飛び出していった扉からすぐに別の、今度は大人になったばかりといった出で立ちの若い女性が部屋から入って来るのだった。


 「失礼します。利久様」


 「……そういえば、一週間じゃ全員を回せなくなるんだなぁ」


 利久はそう言うと、満足げにニヤリと笑うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る