第三十話
「湊さん……! どうにかして、治してあげないと……!」
下から迫るイロンシードから逃げるため階段を上っていた結月は、しかし地上で痛みに倒れた湊を心配していた。階を上がるたびにその様子を見ているが、どうやら湊はベルシラックを相打ちに近い形で倒しているようだった。仰向けに倒れ、そして起き上がる気配を見せない。
「でも、このまま降りれば私は……!」
間違いなく殺される。誰が見ても明らかであった。
結月は強力な回復能力を有しているが、しかしそんなものは直接的な戦闘において何の役にも立たない。その上、結月は今まで戦ったことすらないのだ。階段のような狭い空間で、イロンシードを抜いて湊の元へ行くなど不可能だ。
「どちらにせよ、もうすぐあなたは捕まる……今なら、痛みを与えず殺してあげますがどうでしょう」
また、足も明らかにイロンシードの方が速い。先ほどまで五階ほどの距離が空いていたが、しかし今はもう二階ほどに迫ってきている。そして、あと数階上に行ってしまえば最上階だ。逃げ場はないに等しい。しかし。
「嫌です! 私は、湊さんと一緒に八坂さんを助けてみせますっ!!」
乱れた呼吸から声を絞り出し、結月は走って行く。決意を秘めたその声を聞き、イロンシードは冷徹な言葉を投げた。
「そうですか。では最上階で、ゆっくりと全身を焼き焦がしてあげましょう」
自分が焼かれる様を想像したのか、結月の額が青く染まる。しかし、ここで止まる訳には行かないのだろう。結月は嫌な想像を振り切るように首を横に振り乱し、そしてその表情を引き締め階段を上り続けた。
「はぁっ……! はぁっ……!?」
しかし、ここまでだった。息を切らし駆け上がってきたが、しかしここが最上階だ。階段はここで途切れ、そしてイロンシードはあと数秒もしないうちにここに到達するだろう。
「あちら側に逃げて階段を……!」
「無駄ですよ。あなたはそちらにたどり着けない。ここが終点です」
反対側に見える階段まで走って行こうとした結月を、上ってきたイロンシードが阻む。そして、異形に変化させた右拳を結月につきつけた。
「ここまでです。七夕結月」
「くっ……湊さん……!!」
豆粒のように小さく見える湊を上から見下ろす。相変わらず倒れており、立ち上がる気配はなかった。
「さて、言い残すことはありますか?」
一歩一歩、ゆっくりとなぶるようにしてイロンシードが近づいてくる。結月はギュッと目をつむる。覚悟を決めたようだった。
七夕結月は今まで、さながら鳥かごの中に閉じ込められた鳥のような人生を送ってきていた。
生まれた時から、父は自分を他の街と良好な関係を築くための道具としてしか扱ってこなかった。母もまた、今度は世継ぎを産むためだろうか。結月と共に眠ってくれることは一度としてなかった。
それに対し、何の感情も抱かないように教育されてきたのだ。
結月は泣かなかった。
好きなこと、好きなもの。それらも全て管理されてきた。好きになっては困るものは何一つとして与えられなかった。
それに対し、何の疑問も持たないように教育されてきたのだ。
当然だが、結月は泣かなかった。
一度だけ、ピースタウンに外の人間が柵を越えやってきたことがあった。幼い結月が見ても明らかに飢えており、生きるために農作物を奪いに来たのだ。中には、当時の結月と同じくらいの年齢の子供も居た。
警備員が、それらを全て銃で撃ち殺した。戦えない女も、怖くて泣いている子供も。全て撃ち殺された。
その時、初めて結月は泣いた。何故自分が涙を流しているのか、理解はできなかっただろう。何故なら、それを知らぬよう教育されてきたから。
今なら理解できる。あの時、自分は何かしてあげたかったのだ。目の前で飢え、そして怖くて泣いている人たちを助けてあげたかったのだ。
そして、今なら助けられる。人を助けるということを、湊が教えてくれたから。
そして今、結月は覚悟を決めた。
目を見開き、そして今助けたい人に対し必死の叫びで声を届ける。
「……今、行きますっ! 湊さぁんっ!!!」
次の瞬間、結月は、マンションの最上階から飛び降りた。地上数十メートルは確実にあるマンションの最上階からである。まず、絶対に助からない。しかし、結月に迷いはなかった。
凄まじい勢いで地面が近づいてくる。凄まじい勢いで、湊に近づいていく。しかし、このまま着地しても湊に触れることはできない。地面に叩きつけられ、即死である。しかし、結月に迷いはなかった。
何故ならば結月は――
「ぐっ……! うおぉぉぉぉおおおおおっ!!!」
食いしばった歯の間から血を流し続けながら、湊が立ち上がり着地点に走る。訓練された軍人が死に至るほどのダメージを受けた体を精神力で引っ張り、湊は結月を受け止めるため必死に走る。
何故ならば結月は、得たからである。命を懸けられるほど大切な人間を、そして懸けたその命を必ず助けてくれると、信じられる人間を。
そう、西城湊を。
水の弾丸に肩を貫かれ、イロンシードは敵の存在を再び認識する。見開いた目でマンションの最上階から地上を見ると、そこには結月をお姫様抱っこの要領で抱える湊と、そしてその隣に銃を構える悪魔のようなモノがあった。
「
「西城、湊……!!」
西部劇の決闘のような、緊迫した空気がピースタウンを覆いつくすのだった。
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