第二十七話
その時、空に虹がかかったのだ。
雲の切れ目から光が差し込み、少年に手を差し伸べるその男をキラキラと照らしている。その姿は、まるで――
「……夢か。懐かしいな」
雨水の冷たい感覚に目を覚ました湊は、悲しみに浸りながらそう呟いた。周りを見渡すと、昨日の戦闘で部屋は酷く荒れており、皮肉にも見慣れた光景となって湊の視界に入るのだった。
起き上がろうとすると、背中に乗った暖かい感覚に気づく。背中の方を見ると、結月がこちらに覆いかぶさるようにして寝ている。その体温に少しだけ心が癒えるようだったが、湊が悲しい表情を崩すことはなかった。
「お嬢様、起きてください」
「んぅ……湊さん……」
重そうに瞼を開け、結月がこちらの顔を見る。そして昨日の戦いが夢ではなかったことを悟ったのだろう、その表情を湊と同様に曇らせる。
「……ごめんなさい、昨日は何もできなくて」
「いえ、俺が弱いせいで……」
普段からは想像もつかないほどボソボソとした声で話し、そして二人は立ち上がる。もう、行かなければならない。三星家の支配するピースタウンに。
階段を降りホテルを出る。手続きは事前に射手園がしていたのだろう、誰も二人を呼び止めることはなかった。
傘を差し、雨の降りしきる街を歩いていく。何も知らない街の人々とすれ違うたび、結月は悲しい視線を湊に向ける。この近くに保育園でもあるのか、すれ違う人は皆子供を連れていたからだ。
「……師匠は、俺を家族みたいに大事にしてくれました」
呼吸全てが、それどころか放つ言葉全てすらもため息のような声で湊が口を開く。うつむくその視線の先には、コートの裾に描かれた青い炎。湊は、思い出すようにして言葉を続ける。
「何回仕事をサボっても、師匠は一発殴ったら笑って許してくれたんです。それが、お前がやりたいことならって……」
目にたまる涙をせき止められずに、頬を伝いゆっくりと流れ落ちる。それをぬぐうこともせず、湊は話し続けた。
「お嬢様。俺は、あの人の……!!」
ピースタウンを抜けたところで、湊は地面に崩れ落ちる。大粒の涙を流しながら肩を震わせる湊を、結月はただ包むように抱きしめる事しかできなかった。
一方屋敷の地下では、久しぶりに見る軍用トラックを前にしてケイは大きく目を見開いていた。迷彩色の分厚いボディが、これから起きる戦いの規模をありありと伝えている。
「……円卓部隊に戻ってきたんだな。俺は」
「勘違いするな。帰還を果たせばすぐに殺す」
アルがそう釘を刺し、ケイは分かっているさと答える。その身に軍服を身に着け、左肩には円と剣のマークが描かれたマントが纏われていた。
「ケイ。あのガキが、俺たちを裏切った理由か?」
「そうだ。何を裏切っても、何度裏切っても。湊だけは守りたいと思った」
地下倉庫にまで響いてくる土砂降りの音に耳を傾けながら、ケイが返答する。アルは一瞬横目でケイの顔を覗き見るが、すぐに視線を軍用トラックに戻し口を開くのだった。
「何度裏切っても、か……」
「お前たちは帰還するために戦争を仕掛ける。祖国に。いや、この世界全てに」
違うか? と、ケイはその体をアルに向けそう質問する。アルは黙って首を振り、そしてギラリとした眼光でケイを睨みつけた。その青い瞳の中には、紫色の炎が灯っている。
「……そうなれば
「その通りだケイ。だが、俺たちには関係のないことだろう? その頃、俺たちはここには居ない」
「……俺が守りたいものは、全部ここにある」
ケイが青い炎をたたえた瞳でアルを睨み返すと、その手のひらを向ける。青い火花が音を立てて散り、イロンシードとベルシラックが瞬時にケイの背後に現れる。
「……お前たちはガキ二人を追え、仲良く地獄に送ってやるぞ」
その命令を聞き二人は即座にその場を去る。
カツカツと足音を響かせながら去って行く二人には目もくれず、ケイとアルは睨みあっていた。
「あのガキを守ることに、それほどの価値があるのか!」
「価値じゃない! 俺は、俺はあの子を守りたいだけだ!!」
直後、巨大な爆発が地面を貫き、そしてその屋敷は青い爆炎に飲み込まれていくのだった。
「み、湊さんっ! あれ!!」
巨大な爆音が背後から響き、結月が振り返りそこを指さす。遠くに見える青い爆炎が、屋敷を包み込んでいた。間違いなく、ケイが戦っている。恐らく、湊がまるで太刀打ちできなかった最強の能力者と。
「八坂さんが! 八坂さんが戦っています!!」
「師匠……!」
爆音を聞き、爆炎をその目に焼き付け、湊は涙を流す。
あぁ、師匠はここで死ぬつもりなんだ。俺たちを守るために、あいつのところへ行ったんだ。
もう、あの人には二度と会えないんだ。
だったら、俺が今すべきことは。
かなたに見える青い炎から目をそらすようにして、湊は結月の手を引き歩き始める。三星家の治めるピースタウンへの、道を。
「ま、待ってください湊さん! 助けには――」
「行きません……! 俺じゃ、お嬢様を守れない……!!」
助けに行けば、きっと誰も助からない。師匠の思いを無駄にしてしまう。だから、せめてお嬢様だけでも送り届けるんだ。
湊は震える声で答える。もうすぐ、大切な師を喪う。あまりにも小さい湊の目の代わりに、空が涙を流しているように感じた。
「湊さん……」
「これが師匠との最後の仕事なんです……! 最後くらい、サボらないでやりきってあげないと……!! あっちで、あの人が笑えない!!」
絞り出したように声を出す。後ろで結月はどんな顔をしているのだろうか。泣いているのか、怒っているのか。
振り向けば、振り向いて青い炎を見てしまえば。今度こそ自分の感情を抑えられない。だから、湊は結月の顔を見ることができなかった。
しかし。
「湊さんっ! あなたは、あなたはそうしたいんですか!!」
逆に、結月に手を引かれ振り向かされる。その目は、とても強かった。燃えるような赤い瞳に見つめられ、湊は思わず目をそらす。そして、結月はこれまでにない程大きな声で、心の底からその言葉を放つのだった。
「助けたいのなら、助けに行けばいい!! あなたが、教えてくれたんです!!」
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