第二十五話

 「……そろそろか」


 夜、湊が眠りについた頃。ケイは布団から起き上がった。痛むあばらを抑えながら、カーテンを開ける。暗雲が月をほとんどすべて覆い隠していた。厚い雲が月以外の全てを覆い、星が見えない。


 「明日は、雨だろうな」


 「……どうしたんですか? 八坂さん」


 突然背後から聞こえてきたその声に、ケイは振り向く。常夜灯の僅かな光が、そこに居る結月の真剣な表情を照らしていた。


 「……お嬢様」


 「何でしょうか、八坂さん」


 こちらに呼びかけるその声色は、いつものようなものではなかった。大きな悲しみを背負っているような、そんな声。


 「湊を、頼みます。俺の大事な……家族、なんです。俺にとっては」


 「八坂さん……?」


 決意するような、そして悟ったようなその声に、結月はかける言葉を見つけることができないのだろう。しばし目を泳がせ何か言葉を出そうとしていると、ドアをノックする音が部屋に響く。


 「ん、んぅ……? こんな時間に、誰だろ……」


 その音で起きたのか、まだ夢見心地な湊が目をこすりながらドアに向かう。ケイが惜しむような、そして寂しそうに目を伏せたのを見て、思わず結月は叫んだ。


 「あ、開けちゃダメです湊さん!」


 「え……?」


 湊がその声に驚いて結月の方を振り向いた瞬間。

 大きく重い音を立て、ドアが湊を目掛け飛んできた。蹴破られたのだろうか、飛んできたとしか表現できない圧倒的な速度で襲い掛かる鉄の塊に、湊は対応できず下敷きにされてしまう。


 「湊さんっ!」


 「迎えに来たぞ、ケイ」


 痛みに呻く湊を治癒しようと結月はそこに駆け寄るが、ドアの先に居た冷たいその眼光を受けて動けなくなってしまう。そこに居た男は、昼間に彼女たちを暴走能力者から助けてくれた、この街最強の能力者。アルであった。

 昼間と違う点は、アルが軍服を着ていることだ。左肩にかけられたマントには、円と剣のマーク。結月も、そして倒れている湊も目を見開いた。


 「……アーサー」


 「行こう、三星家を制圧し鉄を手に入れる。そして、移動手段と武器を手に入れ俺たちは帰る」


 「ま、待てよ……! 師匠を、迎えに来ただって……!?」


 鉄の扉を押しのけ、湊が立ち上がる。頭を打ったのだろう、こめかみからは血が噴き出し、そして足元は笑っていた。しかし、その目は威嚇するような強い視線でアルを睨みつけている。


 「威勢がいいなケイの助手。だがケイは俺のものだ、返してもらうぞ」


 「何言って……!?」


 「……湊」


 たしなめるようなケイの声がして、湊はそちらを振り向く。そこに居たケイは、湊が今まで見たこともないような表情をしていた。今にも泣いてしまいそうな、弱弱しい表情。


 「し、師匠……?」


 「お別れだ……俺は、自分の意思でアーサーの仲間になることにしたんだ」


 嘘だ。湊は反射的にそう呟いていた。

 実際に、それは本心だった。あの軍服を着ている以上、間違いなくこの男は敵のはずだ。現に何度も何度も襲ってきている。そんな奴らと、師匠が自分の意思で仲間になる訳がない。


 「嘘じゃない。だから湊、お前とはここでお別れだ」


 「嘘だ……師匠、嘘ですよ……そんなの……!」


 必死に首を横に振りケイの言葉を否定しようとする湊だったが、しかし今までケイと一緒だった湊だからこそ、ケイの言葉が真実だと察してしまう。そして、ケイがそのことで苦しんでいることも。


 「……じゃあな、湊。今まで楽しかった」


 「ま、待ってください八坂さん!」


 呼び止めようとする結月の言葉を無視し、ケイはゆっくりとアルの元へ歩み寄っていく。必死に止めようとする結月、悲しそうに歩いていくケイ、どこか満足げにケイを待つアル。ケイが湊の立っているところを通り過ぎた時、湊の感情はついに爆発した。


 「うおぉぉぉぉぉおおおおおおっ!!」


 どうしていつも相談してくれない。どうしていつも一人で抱える。どうしていつも、頼ってくれない。自分じゃ、力不足だから? 

 だったら、ここで師匠を守ってやる。ここで、頼れる弟子になってやる。


 激情のままに、湊はアルに殴り掛かった。


 「……威勢だけだな、ケイの助手」


 そんな力では誰も守れやしない。眉をひそめそう続けたアルの横っ面に、確かに湊の拳は直撃したはずだった。しかし、そこでその拳は完全に止まったのだ。


 「絶対推力ゴッドスラスト……全ての推進力を操る力だ。無限の抵抗が全ての攻撃を完全に無効化し、無限の慣性が全てを貫く。俺には勝てない」


 「うるさいっ! 今お前に勝てなきゃ、師匠を助けられねぇんだよ!!」


 何度も何度も殴り掛かるが、しかしアルに全くダメージを与えることができない。やがてアルは冷ややかな表情で、湊の腹に一発の蹴りを食らわせた。その瞬間、湊の体が大きく後ろに吹き飛ぶ。


 「が、あぁぁぁぁぁっ……!!」


 「み、湊さんっ!」


 慌てて湊の腹に手を当て治癒する結月だったが、その感触は異常なものだった。

 べっとりとした血の感触とそして、ブヨブヨとした……内臓の感触。ただの蹴りで、文字通り湊の腹に風穴が開けられていたのだ。


 「湊さん……!」


 次に何か言いかけて、結月は口を結ぶ。湊は治癒されたとはいえ痛む腹を抑えながら立ち上がり、そしてクローゼットに走りリュックを取り出す。


 「砂獣タウロス!」


 血走った目で、湊が砂の獣を生成する。外では、雨が降り始めていた。

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