第二十二話

 「……それにしても、随分傷が付いたな」


 「男の勲章ですからね!」

 

 湯船につかりながら、ケイが湊の体のあちこちに付いた無数の傷を見て顔をしかめる。一方で湊は誇らしげに胸を張るのだった。今まで湊が勝手に戦い勝手に付いた、無数の傷を。


 「全く、その傷が報われたことが何回あるんだよ」


 「そうですね……四回、いや五回か……?」


 呆れた口調の質問に対し、傷が付いた時のエピソードを一つ一つ思い出すようにしてなぞり、湊は指を折りながら数える。しかし思い出せなかったのか、しばらくすると数えるのをやめケイに笑顔を見せた。


 「分かりません!」


 「本当に懲りない奴だな」


 ケイが目を細めそう言うと、湊はいたずらが見つかった子供のように頭をかく。そして師を見つめ、どこか嬉しそうに笑うのだった。


 「懲りませんよ、やりたくてやってるんですし」


 「……湊」


 湊の言葉を聞いたケイは、どこか懐かしむような、昔を思い出すような表情でその顔を見つめる。

 湊は笑顔のままで、ケイの言葉を待っている。一瞬ケイが目をつむり、そして続く言葉を発するのだった。


 「お嬢様のことは、頼んだぞ」


 「えっ? 何言ってんですか師匠。師匠も一緒に守るんですよ」


 笑顔のままで答える湊の顔を見て、ケイが切なげに笑う。理由はわからないけど、師匠が目の前から居なくなってしまうかも知れない。そんな悲しい不安に駆られた湊は、ケイの腕を強引に引っ張り不安を打ち消すように声を発した。


 「ほ、ほら師匠! 背中流しますよ!」


 「何言ってるんだ、さっき体は洗っただろう?」


 「いいからいいからっ!!」


 腕を引き、ケイを湯船から引きずり出す。そして洗い場に無理やり座らせると、湊はタオルに石鹸をつけケイの背中を思い切りこすった。砕かれた肋骨が痛みを全身に伝え、ケイは思わず顔をしかめ苦しそうにうめく。


 「し、師匠……?」


 「ん? どうした湊」


 しかし湊が心配そうに声をかけると、ケイはすぐにその声と態度を元に戻してしまうのだった。

 今までも、ずっとそうだった。ケイは肝心なことはいつも言わない。夜に、悪夢にうなされていることもそうだ。


 やっぱり、俺が頼りないからなのかな……

 湊は、もうその気持ちを抑えることができなかった。


 「やっぱり、俺じゃ師匠の力にはなれないですか……?」


 「湊……」


 その声に思わずケイが振り向く。そこに居た湊は、無力感と悲しみに肩を震わせていた。今にも泣いてしまいそうだったその顔を見て、ケイもまた目を伏せ、何か言おうと必死に言葉を探すように視線をあちこちに向ける。

 

 「……湊、お前は俺の」


 「師匠……!」


 湊に、ようやく絞り出そうとしたケイの言葉は聞こえていなかったのだろう。今にも泣きだしそうなのを必死にこらえ、消え入りそうな声でケイの言葉を打ち消してしまう。そして目に貯めた涙を隠し精一杯の笑顔をケイに向け、必死に喉を震わせ言葉を紡いだ。


 「俺、いつか強くなりますから。いつか、いつか……!」


 そこまで言って、もうあふれる涙を堪えられなくなったのだろう。湊は浴場から走り去って行ってしまう。それを悲しい視線で見つめていたケイだったが、湊が居なくなると同時に抑え込んでいた肋骨の痛みが全身を駆け巡り、その場に倒れてしまうのだった。


 「湊……! 湊……!!」


 弟子を追おうと体を動かすが、隠していた痛みが一気に押し寄せ、ケイは湊を追いかけることができなかった。


 「すまない……! 湊……!! 俺はお前を……!!」


 その声が震えていたのは、きっと痛みのせいだけではなかったのだろう。静かな浴場に、ケイの独り言が響いた。




 「何の用だ、射手園」


 一方、射手園家の屋敷ではアルが射手園に呼び出されていた。アルの目の前に立つ未来を見通す男は、やはりどこか悟ったような表情でテーブルを挟むソファに腰掛けるのだった。


 「どうぞ座ってくれ、アル」


 「では、遠慮なく失礼する」


 アルがソファに座ったのを見ると、射手園は指を鳴らし執事を呼び、そしてワインをグラスに注がせる。アルは久方ぶりに見たのだろう赤い液体をしばらく眺めていたが、それが自分に出されたものだと察すると射手園に視線を向けた。


 「どうした? 急に、俺にこんなものを」


 「普段の感謝を伝えたくてね」


 嘘をつけ。と、アルは即座にばっさりと射手園の言葉を否定する。射手園はほんの少しだけ眉を上げると、すぐに表情を元に戻し言葉を発した。


 「流石だな、アル。思ったよりずっと早く見抜かれてしまったよ」


 「それで、何の用だ」


 クールに、眉一つ動かさずにそう言ったアルを見て、射手園はワインを一口飲む。そしてその表情をキリリと締めると、目の前の男に対しこう言い放ったのだった。


 「作戦の実行は今日なんだろう? アル。いや……アーサー」


 「……予知していたか。やはり」


 アルがそう言い終わったと同時に、二人の軍服を着た男がドアを蹴破るようにして侵入し射手園を囲む。イロンシードとベルシラックである。

 そしてアルは立ち上がり、ナイフの刃を射手園に向けこう言った。


 「その通りだ。射手園」


 そして、俺たちは帰還を果たす。そうアルは続け、そして冷たく残虐な猛禽類のような目で射手園を見つめる。

 一方、射手園はあくまで落ち着いた表情を崩さずにワインを口に含み、そしてアルに対し問う。


 「……君たちは、何者だ?」


 私の力では過去までは予知できない。そう続けた射手園の首元に、ベルシラックのナイフが当てられる。刃が僅かに肌を傷つけ、赤い血がゆっくりと流れ落ちた。ベルシラックは薄ら笑いを浮かべながら、言葉を発する。


 「面倒だなぁお前。隊長、こいつ殺しましょうよ」


 「黙れベルシラック。殺されたいのか」


 アルがそう言ってベルシラックを睨みつける。一瞬にしてベルシラックの薄ら笑いが消えうせ、その額に汗が一筋流れ、そしてナイフを首から離す。

 テーブルに置かれたワイングラスを手に取り、アルは窓まで歩いてカーテンを開き外の世界を覗き見る。暗雲が月を覆い隠そうとうごめいている、不気味な夜空を。

 

 「……いいだろう射手園、教えてやる。俺たちが何者なのか」


 吹き付けたガラスが窓を叩く。もうじき、雨が降るのだろう。

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