第十九話

 「んー! 美味しいですね!」


 今まで聞いたこともないような明るい声で、結月がケーキを頬張り湊に言った。現在、二人はケーキ屋のテラス席で結月が頼んだそれなりに大きなホールケーキを分けて食べているのである。

 しかし、湊は中々ケーキにフォークを刺すことができないでいた。代金を出したのが結月であるため、遠慮しているのである。

 

 「ん? 食べないんですか湊さん?」


 「えっ、いや俺は……」


 結構ですとも言えず、湊は視線をケーキから離すことができなかった。ケーキを見たのはいつぶりだろうか。記憶から忘れ去られたその甘い匂いが、失われていた甘美で幸せな味を想像させる。目を離すことなど、できなかった。


 「食べましょうよ! ほら、遠慮しないで!」


 「……それじゃ、一口だけ」


 遠慮がちにフォークを突き刺し、ケーキを口に運ぶ。十四歳の少年に、この甘いケーキを一口で我慢することなどできはしなかった。女の子に奢ってもらっているという事実が少々プライドを傷つけるが、しかし目の前のケーキの味に決して勝てはしない。


 「美味い……!」


 「ですよねっ!!」


 精神に余裕ができたのか、湊は結月の顔を見る。心から幸せそうにケーキを食べていたが、やがて湊の視線に気づいたのか不思議そうに湊と目を合わせてくる。

 今までの様子からは想像もつかないような表情に、湊は思わず顔をそむけてしまうのだった。


 「どうしました?」


 「い、いえ! なんでも……」


 顔を赤らめて目をそらす湊を結月はしばらくの間不思議そうに見つめていたが、しかしまたケーキを食べ始める。

 チラリと結月を横目で見つつ、湊もまたケーキを頬張りながら言葉を発した。


 「お、お嬢様はこういう甘いものとか好きなんですか?」


 「えぇ、小さいころから大好きですよ!」


 満面の笑みで答える結月。普段は穏やかに微笑むくらいしかしないというのに、今の結月は急にとても子供らしく、愛らしい。知らなかった結月の一面を見ることができて嬉しい反面、湊は少し困惑していた。

 恥ずかしくてその顔を直視できなくなってしまっているのだ。


 「ん? どうかしましたか? 少し顔が赤いように思えますが」


 「えっ!?」


 ずいと、結月がこちらを覗き込んでくる。湊は思わず椅子を倒し立ち上がってしまい、そして返す言葉を探す。しかし、一向に見つかる気配はなかった。


 「ふふっ、なんだか今日の湊さんはいつもと違いますね」


 「うぅ……! お、お嬢様だって」


 言いたいように言われてしまった湊が、ようやく絞り出した言葉がそれだった。

 結月は一瞬何を言っているのか分からないといった表情をするが、すぐに我に返ったのだろう。爆弾でも爆発したかのように、一瞬で顔を耳まで赤く染める。


 「あ、あの……! ごめんなさい、お恥ずかしいところを」


 「い、いえ! その、あのですね……?」


 肩をすぼめて小さくなりながら謝る結月に対し、湊は急に罪悪感に打ちひしがれていた。

 せっかく楽しくケーキを食べていたのに、自分のくだらない気恥しさのせいでこんな空気にしてしまった。自分も、ケーキを食べている結月を見て悪い気はしていなかったというのに。いや、むしろ。


 「ご、ごめんなさいお嬢様! その、何というか……!」


 「なんですか……?」


 顔を赤くしながら梅干を口に含んだかのような表情で、湊は必死に言葉を絞り出そうとしている。その必死さが伝わったのか、結月もその言葉を聞こうと湊の顔を見やるのだった。

 

 「あのですね! お嬢様っ……!!」


 覚悟を決め、湊はカッと目を見開き真っ赤な顔で叫ぶように結月に伝える。


 「お嬢様が可愛かったからっ!! だから、そのっ……!」


 そこまで言ったはいいが、そこで恥ずかしさが勇気に勝ってしまったのだろう。湊は次の言葉を発することができず黙りこくってしまう。

 結月も恥ずかしさに耐えられないのか、湊から目を背けもじもじとせわしなく動くだけとなった。二人を、しばらくの間気まずい沈黙が包む。


 「み、湊さんっ……!」


 先に口を開いたのは結月だった。湊が顔を上げ、ぎこちない動きで結月の方を見やる。結月は赤い顔を両手でパタパタと扇ぎながら言葉を続けた。


 「そ、その……ありがとうございます。ケーキ……一緒に食べましょうか」


 そう言って、結月は小さくなりながらもケーキに手を付ける。湊もそれに倣い、まだ赤い顔でケーキをつつき始めた、その時だった。


 突然、ケーキ屋から車道をはさんだ向かい側の住宅街で、爆音が響いたのだ。人々がパニックを起こし逃げ惑うその場所に湊が視線を移すと、燃え盛る家の中から一人の男が現れる。その目は白目をむき、その口からは絶えずよだれが垂れていた。明らかに正気では、ない。


 「暴走能力者……!?」


 能力に目覚めた者の中には、その力を制御できず暴走する者も居る。そうなってしまった場合、基本的には死ぬまで止まることはない。

 結月を守るようにして立ち上がった湊だったがその姿を目にした途端、その顔をみるみるうちに青く染め上げ、息を乱し体を震わせる。


 「み、湊さん……?」


 あまりの動揺に、結月が心配そうに声をかける。しかし湊が返事を返すことはなく、ただただ震えているだけだった。


 やがて暴走する能力者は爪を悪魔のように伸ばし、逃げ惑う人々を襲い始めた。変幻自在に伸ばした爪で逃げようとする者を転ばせ、そのまま爪でじっくりといたぶるように体の表面を切り裂く。しかし、それでも湊は動かなかった。


 「湊さんっ! 大丈夫ですか!?」


 「あっ、あ、はい……!」


 結月に体をゆすられ、湊はようやく我に返る。そしてペットボトルを取り出し水銃士キッドを生成し、そのまま撃ち抜こうと狙いを定めた次の瞬間。


 一瞬で湊の視界に飛び込んできたマントを着た男の飛び蹴りが、暴走する能力者の左横腹を、貫いた。腹にぽっかりと穴をあけたその能力者が、呻きながらうずくまる。


 能力者の腹を綺麗に貫いたその男は綺麗に一回転し着地すると、こちらを振り向く。金色の髪が風に揺れ、青い瞳が湊の目を捉えた。


 「あ、アルさん!?」

 

 「暴走能力者が現れると、射手園が言ったのでな」


 アルはそのまま、血を流し苦しそうにうずくまっている男の首にかかと落としを食らわせる。すると、うずくまっていた男の体はギロチンにでもかけられたかのように真っ二つに切り裂かれてしまうのだった。

 慌てて湊は砂獣タウロスを後ろに生成し、それを結月の視界から外す。


 アルは一瞬驚いたような顔をし、すぐにその表情を少しだけ申し訳なさそうなものに変えると、頭を下げた。


 「……失礼。迅速に倒すことを優先するあまり、そちらのお嬢様の事を考えていなかった」


 しかし、死人が出なくてよかった。そう続けたアルは被害に遭った住民を助け起こすと、どこか道を案内した。病院の場所を教えているのだろう。

 やがて住民たちが元の落ち着きを取り戻すと、アルは湊に向かってこう頼んだ。


 「悪いが、その砂で遺体を隠してやれ。気分を害す者もいる」


 「は、はいっ!」


 湊が急いで砂で遺体を隠すと、アルは湊に近づいてその肩に手を触れ、そして言葉を発した。


 「ありがとう……俺はこれで」


 ある男に、会わなければいけない。そう続け、アルはどこかへ歩いて去って行く。その背中に、結月が声をかけた。


 「あ、アルさんっ」


 「……何か用か」


 アルは振り向き、結月と目を合わせる。湊ですらも動揺するほどの眼光に一瞬怯んだが、結月はすぐにその表情を穏やかな笑顔に変えると、アルに頭を下げる。


 「あの、ありがとうございました」


 アルは一瞬、何を言われているのか分からないといった表情をしていたが、すぐに意味を理解したのだろう。先ほどまで進んでいた方向を向き直り、そして立ち去りながら背中越しに答えるのだった。


 「俺の仕事だ。気にすることはない」


 今度こそ立ち去って行った最強の男の背中を、湊はただ見送った。

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