第十八話
「改めまして、ようこそこの街へ」
射手園がそう明るく言った隣で、執事らしき男が紅茶を淹れる。初めて見る赤い茶に、湊は手を伸ばし口にする。先日七夕家で飲んだ茶よりは苦くないものの、それでも確かな苦みに顔をしかめた。
「ははっ、どうぞそこの砂糖やミルクを入れてください。きっと美味しくなりますよ」
射手園に言われたように砂糖とミルクを入れ、ティースプーンでかき混ぜ口に流し込む。すると湊が苦手とする苦みは消え、代わりにほのかな香りと甘みが、口の中を包み込んだ。
「お、美味しいです……っ!」
「よかったよかった」
ふと結月を見やると、赤いままの紅茶を平然と飲んでいた。普段から慣れているのか、その作法も随分美しいものに感じる。
「そういえば、確か結月様はご結婚なさると聞いておりますが」
「はい。三星家の方と」
「三星家ですか……それはまた」
一瞬、射手園が眉をひそめた。三星家という家には、何かよくないものでもあるのだろうか。もしかすると、お嬢様はとんでもないところに嫁に出されてしまったのではと湊は心配になり、そして射手園に問う。
「三星家って、どんな家なんですか?」
「そうですね…………三星家の当主、つまり結月様の旦那様ですが、随分と食べ物の好き嫌いが激しいそうで」
料理を作るのが、少々骨が折れるでしょうね。そう射手園は続けた。結月の方を見やると、少しだけ困ったように笑いかけてくる。
なるほど、少し大げさな反応だった気がしたが、確かに旦那の好き嫌いが激しいと苦労するかもしれない。そう、湊は納得することにした。
「なんにせよ、今日はこの街で旅の疲れを少しでも癒していってください。ホテルもありますから」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
頭を下げる結月に対し射手園は穏やかに微笑むと、今度はアルと、誰かの名前を呼んだ。少しすると、一人の男が現れる。全身を包むようなマントを着た、金髪碧眼の男が。
「紹介します。この街最強の能力者、アルです」
「……何の用だ、射手園」
俺は忙しい。と、アルと呼ばれた男は突っぱねるようにして射手園に言い放つ。しかし、射手園は何か懸命にアルを説得していた。このアルという男に、街の案内をさせるつもりだろうか。
「この人が……確かに強そうですね、湊さん」
「はい。しかもかっこいい」
湊は碧眼や灼眼に憧れを持っている。ケイの青い目や結月の赤い目も、時々羨ましいと感じるほどだった。そんな湊の、残念ながら普通の目には、目の前の男の鮮やかな青はとてもかっこよく映っているのだった。
「だから、護衛も頼みたくてね……?」
「この街で犯罪が起きたら動いてやる。そういう契約のはずだが」
腕を組み、アルが偉そうにそう言った。どうやら射手園の頼みを聞くつもりは全くないようだ。
射手園は説得を諦めたのかため息をつき、そして渋々口を開いた。
「私だって忙しいんだけど……まぁ、仕方ないか。下がって構わないよ」
「あぁ……何かあったら助けてやる」
あくまでクールに言い放ったアルは、視線を湊に映し、その瞳を睨みつける。その瞬間、湊は背筋が凍るような感覚を覚えた。
目の前に居る男が何故自分を睨んだのか、湊には全く分からない。しかしその眼光は、湊の表情を強張らせ全身から汗を噴き出させたのだ。
「な、何ですか……? アル、さん」
「湊さん……?」
アルに視線の事を問うた湊の、そのぎこちない口調に結月が心配そうに顔を覗き込む。結月から見ても、湊がかつてない程動揺していることは明らかだった。
「……気にしないでくれ。かつての苦い記憶を、思い出してしまっただけだ」
アルはそれだけ言い残し、部屋を去って行く。その迫力に、湊は緊張の糸が切れたように椅子から滑り落ちへたり込んでしまった。
「み、湊さん? 大丈夫ですか?」
「す、すいませんっ……! なんか、アルさんに睨みつけられちゃって」
「あぁ、アルがあなたに何か失礼を働いたのですね。誠に申し訳ない」
慌てて姿勢を正す湊に、射手園が謝る。彼の話によると、アルは時々昔のトラウマを思い出し人を睨みつけてしまうことがあるようだ。そのトラウマについては、射手園も知らないらしい。
「さて、気を取り直し街へ行きましょうか! 私が案内しますよ」
「あっ、いえ大丈夫ですよ。お忙しいようですし、自分たちで巡りますので」
やれやれといった具合に立ち上がる射手園を、結月が遠慮がちに制止する。それではと射手園は紙とペンを取り出し、そしてどこかの住所をメモし結月に差し出す。
「こちらがあなたたちに宿泊していただくホテルです。夜になればこちらに」
お代はこちらで既に出していますので。そう射手園は続け、湊は目を丸くして質問を投げる。
「いいんですか……!?」
「えぇ。ここまで来ていただいたのですから」
そう言ってにっこりと微笑む射手園を見て、湊は神の姿を見たような気がし、思い切り腰を直角に曲げ頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
結月も礼をし、二人は楽しそうな表情で屋敷を出ていく。その背中を優しい瞳で見つめていた射手園だったが、二人の背中が見えなくなるとその表情を切なげなものに変え呟くのだった。
「さて……二十分で次の客人が来る。その後は、急いで酒を用意しないとな」
今日で最後なんだから。と、射手園はそう言葉を続け、屋敷に戻っていった、その直後再び屋敷の扉が開き、一人のマントを着た男が飛び出していくのだった。
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