第十五話
夜。湊たちを乗せた馬車はついに長い山脈を越え、そこにあった廃墟にたどり着いたのだった。月が崩れ去った瓦礫の山や、まだかろうじて形を保っている建物を照らしている。
「あそこなら、一晩くらいはしのげそうだな」
視線の先にある丈夫そうな建物、恐らく学校だったのだろうか。それをケイが見つけると、馬車はゆっくりとそこへ向けて進み始める。
道路だった場所には大量の瓦礫が落ちており、ガラガラと音を立てて馬車が揺れる。結月は衝撃に姿勢を保てなくなり、近くに置いてあった荷物に掴まった。
「大丈夫ですか? お嬢様……」
「は、はい。何とか」
それを見た湊が、結月に声をかける。結月がそれに答え湊を見やると、流石に鍛えられているのだろう。湊は全く姿勢を崩さないでいた。
「凄いですね湊さん。この揺れなのに……湊さん?」
感心したような結月の声が、心配の色に染まる。体はまるで姿勢を崩していないが、その顔は真っ青に染まっていたのだ。こういった揺れは苦手なのだろう。
「なな、何ですか……?」
「だ、大丈夫ですか?」
大丈夫ですよと湊は返すが、明らかに大丈夫そうな声ではなかった。まるで覇気のこもっていないその声と表情は、まるで別人のようだ。
馬車は歩くのと大差ない速度でゆっくりと進んでいる。結月はケイの方を見やり口を開いた。
「あの、湊さんは馬車を降りて歩いた方が楽かもしれません……八坂さん?」
「なな、何でしょう……?」
結月の方を振り向いたケイもまた、その顔を青く染めていた。表情も、リアクションも全く同じ。結月は思わず噴き出し、そして言った。
「歩きましょう」
「いい考えですねお嬢様……っ!」
湊が馬車から飛び降り、そして少しの間を置いて馬車が止まる。結月が降りようとすると、湊が手を差し出して来た。その手を取り結月が降りると、最後にケイが降りる。そして、ゆっくりと進む馬車と共に歩き出した。
「……そういえば、盗賊たちはお嬢様が逃がしたんですか?」
捕まえてたリーダーも消えてましたけど。と付け加え湊がそう質問する。夜の風に吹かれて楽になったのだろう。その声には少し元気が戻っていた。
「はい。あのままあそこに居たら死んでしまうと思って……ダメでしたか?」
「いやいや、むしろ死人を減らしてくれて感謝してますよ! ね、師匠!」
ケイの背中を見つめ湊がそう聞くと、ケイは首だけ振り返ってうなずいた。その口元は穏やかに笑っており、結月の行動をとやかく言うつもりは毛頭ないようだ。
結月は一瞬安心したように微笑み、言葉を続ける。
「あの、ありがとうございます。お二人のおかげで、私は凄く成長できているように思います」
結月の言葉を聞き、湊は一瞬ケイの方を見やる。ケイもまた湊に温かな視線を送っており、目が合うとゆっくりと頷いた。
湊は嬉しそうに笑いながら、元気に口を開く。
「そう思ってもらえて嬉しいです!!」
よほど嬉しかったのだろうか、湊がそう大きな声で返した、その時だった。
「誰だ!!」
目前に迫っていた学校のような建物の中から、そう声が響いた。人が居たのかと驚く間もなく、ぞろぞろと数十人の人間が現れ、あっという間に囲まれてしまう。
しかし、湊たちに恐怖や警戒の感情はわかなかった。暗闇から現れたその者たちに、覚えがあったからである。
「てめぇら金目の物を……! あっ」
ナイフを持って先頭に立つ男が、思わずそう声を上げる。ケイは表情一つ変えずに、知り合いに挨拶するように言葉を発した。
「お前らじゃないか。ここが縄張りだったのか」
周りを囲んでいた者たちは、先ほど襲ってきた盗賊たちだった。そして先頭に立っている男は蛯原である。
ケイはその表情を崩さずに、無遠慮に言葉を続けた。
「そこに泊まりたい。一つ部屋を頼む」
「だ、誰が……!!」
警戒に僅かな恐怖が混ざったような表情で、蛯原はケイの要求を拒否しようとした、その時だ。
「お願いします」
その言葉を遮るように結月が頭を下げる。慌てて湊も頭を下げ、しばらく間を置いてケイも軽く一礼するように頭を下げた。
蛯原は苦しい顔で少し考えて、そして渋い顔で言った。
「……まぁ、そこのお嬢ちゃんには助けられてるしな」
馬車が校庭らしきところに停まり、湊たちはその建物……恐らくは小学校だった場所なのだろう。その教室の一つに案内されたのだった。
月が空高く昇ったころ、結月は目が覚めてしまった。周りを見ると、恩があるからと盗賊たちが用意してくれたボンベ式のガスストーブの燃料が切れている。それによって部屋の空気が冷えたせいだろうか。
結月が更に辺りを見渡すと、しかし原因であっただろうものは別にあった。
ケイが、うなされているのだ。悪夢を見ているのだろう、その額には汗が浮かんでいた。
「……起こしちゃいましたか、お嬢様」
昨日は起きなかったから大丈夫だと思ってたんですけどね。と、湊はケイの汗を優しく拭きながら少し困ったような顔で続けた。結月は一瞬言葉に詰まり、そしてしばらくの沈黙を置いてようやく言葉を絞り出す。
「お、起こしてあげなくていいんですか?」
「俺がこんなことまでしてるのがバレたら、気を使わせますよ」
だから、これでいいんです。そう湊は小さく笑いながら答える。結月は、もう何も言えなかった。
しばらく、苦しそうに呻くケイの声だけが教室を包み込んでいたが、やがて湊が迷うように口を開いた。
「……俺が、何か力になってあげられたらいいんですけど」
そう言った湊の表情は、いつもの力強い顔とは違っていた。大事な人が苦しんでいるのに、何もしてやれない。そういった子供のような、力を抜けば涙が出てしまいそうな顔だった。
結月は立ち上がり、そんな湊たちの元へゆっくりと、ケイが起きないようにそっと近づき、そしてケイの腹に手を当てる。そして撫でるように、赤ん坊をあやすようにさすり始めた。
「お嬢様……」
「湊さん。あなたは、あなたが思っている以上にこの人の支えになっていますよ」
「……そんなこと」
「あります」
否定しようとした湊の言葉を打ち消すように、何の迷いもなく。結月はそう言い切ったのだった。優しくも、強い言葉だと湊は感じる。
結月は、まっすぐに湊を見つめ言葉を紡いだ。
「絶対に、あなたはこの人の力になっています」
「……俺が、ですか?」
「そうです。大切に想ってるあなたがまっすぐ生きて、まっすぐに自分の事を想ってくれてるんです。それだけで、あなたはこの人を支えられるんですよ」
だから、自信を持ってください。これからも、こうしてこの人を支えてあげてください。そう、結月は続けた。その言葉には一点の曇りもなく、湊は目をつむり微笑むと、優しくケイの頭を撫でた。
「……ありがとうございます。お嬢様」
「いえ、少しでもあなたの役に立てたなら。私は嬉しいです」
月明かりが照らす中、二人は優しく笑顔を交わした。やがてケイの寝息は安らかなものへと変わり、そして二人も眠りにつく。
「…………俺は、こいつの家族になりたいです」
川での会話の続きを夢見ているのだろうか。静かな教室で、ケイはそう優しい声で呟いたのだった。
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