第九話
「ん……お姉ちゃん……?」
「よかった、目が覚めたんですね」
少女が再び目覚めた時は、もう夕暮れ時だった。目の前には泥だらけの結月が微笑んでいる。周りを見渡すと、戦いで負ったのだろうか、頭に大きなたんこぶを作った湊が笑顔を見せる。そしてその隣には、彼女にとっては知らない男であるケイが、外を見張っていた。
少女は外の景色に目をやる。オレンジ色の太陽に照らされたその山道は、少女にとって見覚えのあるものだ。
「家まで、送ってくれるの……?」
「はい。もう少しで着きますからね」
結月が穏やかに笑いかける。その顔を目に映した少女の目には、涙が溜まっていた。それが溢れそうになるのをこらえ始めた少女の姿に、結月が戸惑う。
すると、湊が少女に歩み寄り、頭をなでた。
「優しいだろ。このお姉ちゃん」
「うん……! ありがとう……!!」
こらえきれずに、涙が溢れだす。優しい者から死んでいくこの世界では、弱者である子供はただの獲物だ。今まで、少女は多くの物を奪われ、そのたびに涙を呑んで来たのだろう。人に助けてもらったことなんて、今までなかったのだろう。
この日、結月はきっと。
生まれて初めて、人を救ったのだった。
「それで、お前名前は何ていうんだ?」
少女はしばらくの間泣き続けていたが、湊のその質問を聞き涙をふく。そして笑顔を見せると、その名前を名乗る。
「わたし、美香! お姉ちゃんは?」
「わ、私ですか? 私は結月。七夕結月です」
少女、改め美香は結月と話を始めた。彼女が食料を採っていたこと。その最中にイロンシードが人を殺すところを見てしまい、逃げたこと。追いつかれて、怖かったこと。それを、結月はただただ聞いていた。
本当に優しいお嬢様だな。湊は話を聞きながら、目を細める。そして、疲れたのか壁際に腰かけて眠り始めた。
「……よく頑張ったな。二人とも」
夢だろうか。小さな声でケイに褒められた気がした湊の寝顔は、クシャっとした笑顔であった。
そして、現在。湊たちは三人で囲炉裏の火を囲んでいた。結月が姿勢を直すたびに、ボロボロの床が音を立てる。本来であれば平野に出て野宿をするところが、むしろピースタウンより平野から遠い集落に厄介になっていたのだった。
あの後、美香をこの集落まで送り届けたはいいのだ。しかし、それとほぼ同時に空がオレンジ色に変化してしまった。今から平野に向かって進めば、危険な山の中で夜を過ごさなければならない。
山賊、野生動物、そして先ほど戦った奴らの仲間。山の中で夜を過ごすには、敵があまりに多すぎるのだ。
そこで、湊は美香に頭を下げ空き家を提供してもらった。家と言うよりもほとんど廃材の塊に近いその場所は、雨風すら防ぎきれるか怪しいほどのものだった。
ところどころ壁が抜けており、そこから風が入り非常に寒い。結月が風邪をひくわけにもいかないので、ケイが火を起こしてそれを囲んでいる。という状況だ。
「……さて、まさか目的地から一日かけて遠のく結果となるとはな」
「ほ、ホントすいません……反省は、してます」
嘘である。一見気まずそうにもじもじしている湊の表情は、美香を助けられたことで非常にすっきりしていた。
ケイはそれを見て軽く噴き出すと、そのまま笑顔で言い放つ。
「そうか。もう一発ゲンコツが欲しいか」
「誠にすいませんでしたぁっ!」
分かればいいんだと言って笑うケイと湊。しかし、結月は少し暗い表情で、うつむきながら二人に対し口を開いた。
「あ、あの。ごめんなさい。あなたたちのお仕事を邪魔しちゃって……」
一瞬、二人は結月に何を言われたのか理解できなかったのだろう。ポカンとした表情で互いを見やる。そしてすぐに言葉の意味を理解したのだろう。ケイが湊の背中を軽く叩き、湊が口を開く。
「大丈夫ですよ。お嬢様が何もしなくても、多分俺行ってましたし!」
「こいつはそういう奴ですから。あなたが申し訳なく思うことありませんよ」
湊の言葉にケイは呆れたように笑いながらも、二人はそう言って結月を慰めた。
結月は安心したような笑みを浮かべて、二人に感謝の言葉を述べる。
「……ありがとうございました。おかげで、美香ちゃんを助けられました」
「こちらこそ! お嬢様みたいな優しい人に会えて、俺嬉しいですよ!」
湊はそう言ってニッと笑った。それは心からの言葉である。
ヒーローを目指し色々な悪人や、弱者から生きるために搾取しようとする者たちと戦ってきた。
倒した敵も助けた人も、誰も彼も自分の事だけを考え生きていたのだ。時には助けた人に裏切られ物を盗まれたりもした。しかし、それは当然のことだ。
この国は、弱肉強食の世界になってしまった。人のために生きる者など、とうの昔に野垂れ死んでいる。結月が今まで生きてこられたのは、ひとえにそんな環境とは縁遠い世界で生きてきたからだろう。
それでも、結月は勇気を出し人を救おうとしたのである。どんなぬるい世界に居たとしても、その優しさは美しいものだ。
「そ、そんな大げさな……」
少し肩をすぼめて、結月は言葉を詰まらせた。照れているのだろう。その頬はほんのり赤くなっているが、湊がそんなことに気づくはずもなく、彼女を誉め続けたのだった。
「大げさなんかじゃないですよ! 俺、この仕事できてよかったです!」
褒められ慣れていないのだろうか、結月はさらに小さくなってしまう。そして、照れ笑いを浮かべながら湊にこう言ったのだ。
「……ありがとう。私もあなたと会えて嬉しいです」
今まで嬉しそうに話していた湊が一瞬驚いたような顔をし、そして顔を赤くしながら頭を掻き結月から目をそらした。湊もまた照れているのだろう。
そして、しばらく気まずい時間が流れた。お互いに何も言えない。二人とも、相手の顔を見ることすらままならなかった。
しかし、そんな気まずい時間は、突然この家に響いた音によって打ち切られる。見ると、そこでケイが眠っていた。寝落ちしてそのまま床に激突したのだ。
「お、俺たちも寝ましょうか……」
「そ、そうですね……」
少しして二人の寝息が聞こえ始めた時、目を閉じていたケイが、目を開けクスクスと声をこらえ笑ったのだった。
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