第四話

 東の空が紫色のグラデーションを描くころ、湊と結月の二人は目の前の男、ケイの姿に呆気に取られていた。馬車に乗ったところで寝落ちしたはまだいいが、あまりの勢いで転ぶように転がり、でんぐり返しをしているようなポーズで眠りこけているのである。


 「す、すごいですね……」


 「頼むぜ師匠……」


 あまりの寝相に引くことすらできず、ただ凄いとしか表現できない結月に、いきなり醜態をさらす師匠に対し落胆する湊。旅の始まりは、そんな締まりのないものであった。


 「いい加減に……起きてくださいよっ!!」


 ケイを無理やり叩き起こし、馬車の手綱を握らせる。まだその目を眠そうにこすっていたが、ケイは手綱を引く。歩くほどのゆっくりとした速度で、馬車は走り出したのだった。


 馬の体力を温存するため、馬車はピースタウンを出るまではゆっくりとしか進まない。暇を持て余した湊は馬車の端に座り込み、そこで一冊のボロボロの本を読み始めた。


 「あ、あの……」


 すると、結月が話しかけてきた。仕事中に本を読んでいることを咎めるつもりだろうか。

 確かに、護衛されてるのに守っている人間が呑気に本なんか読んでいたら不安になるだろう。そう感じた湊は、顔を上げ言葉を返す。


 「大丈夫ですよ。ピースタウンの中にいる間は安全ですから」


 「い、いえっ! それより、その本……」


 確かに、結月の視線は湊の持っている本に向いていた。何か珍しいものだろうか、確かに本、というより紙は珍しいものだが。しかしピースタウンのお嬢様が珍しがるものではないはずだ。


 「本がどうかしました?」


 「昔に見た本と同じでしたから」


 「マジですか!」


 意外な返答に、思わず声を上げ返す。始まりの雨が降る前に連載されていたライトノベル。当時にしても読んでいる者にはついぞ出会わなかったが、まさかここで出会うことになるなんて。湊は露骨にテンションを上げ話し始めた。


 「面白かったですよね、これ! 頑張って手に入れたんですよー!」


 「い、いえっ。実は読んだことはなくて……」


 お父様はこういった本は読ませてくれなくて。と、結月は申し訳なさそうに言葉を続ける。

 なんだ、読者じゃないのか。と湊は露骨にテンションを下げる。確かに、お嬢様のイメージにはライトノベルはそぐわない。


 「じゃあ、どんな本を読んでたんです?」


 「えっと、色々読みましたけど例えば……」


 そこから結月が並べた単語は、どれも難しい漢字か意味の分からないカタカナばかりだった。なるほど、確かにお嬢様だ。


 「でも、あなたが読んでいるような本には少し憧れてました」


 「読みますか?」


 この巻しかありませんけど。と少々寂しそうに付け加え、本を差し出す。結月はそれを受け取りしばらくまじまじと見つめていたが、やがて本を開きながら、こちらに微笑みかけた。


 「ありがとうございます。せっかくなので、読ませてもらいますね」


 「どうぞ。六日間の移動なんて、暇ですからね」


 馬車はゆっくりとした速度で走り、まだピースタウンを抜け出すまで少々時間がありそうだ。湊は穏やかな表情で本を読む結月に、逆に自分が暇になってしまったのか話し始めた。


 「……そういえば結婚、するんですよね?」

 

 「はい、そうですよ」


 随分と淡白な返事だな、と感じる。結婚するんだから、もっと嬉しそうにはしないものか。はたまた、政略結婚なのだから嫌そうにはしないのだろうか。

 そんなことを考えていると、どうやら同年代の結月に興味が出てしまったようだ。湊は会話を続けた。


 「お相手はイケメンですか? やっぱお嬢様とくっ付くんですもんね」


 「んー、実は会ったことはないんですよね」


 写真では見たことありますが、落ち着いた感じの大人の人ですよ。と結月は補足する。政略結婚なのだし、そんなものなのだろう。結月の表情は特にそれを不思議なことだとは思っていないようだ。


 「大人なんですか。あ、あの……そのお相手って……」


 これ以上は言ってはいけない気がして、湊は言葉を詰まらせる。いくらなんでも、護衛しているお嬢様の結婚相手をロリコン扱いするのはいかがなものか。そう考えたのだ。


 「ふふっ。確かに、そういう趣味の方なのかも知れませんね」


 結月はやけにあっさりとそう言った。まるで、相手が誰であっても意に介さないかのようだ。


 「もしかして、あまり相手に興味がないんですか?」


 「そうですね。それより、私がお嫁さんとしてしっかり働けるかが心配です」


 そんなものなのだろうか。湊は結月との会話に、次第に違和感を感じ始めていた。これでは結婚というより、永遠に給料ももらえず働かされる職場に就職するみたいだ。


 「嫌じゃ、ないんですか?」


 「家の事情ですから」


 ページをめくりながら、結月は何の迷いもなくそう答えた。そういう教育を受けてきたんだろうか、そのことに何の違和感も持っていないような口調だった。

 

 湊はただの護衛屋助手、兼弟子だ。依頼人にどうこう言える立場ではない。湊も、そんなことは分かっている。

 だけど、何も言わないなんてことは湊にはできなかった。


 「……向こうで見つかるといいですね」


 「何がですか?」


 自分に飛んできた言葉が予想外だったのか、結月は本を読む目を止め湊の顔を見る。湊は結月をまっすぐに見つめ、そして答えた。


 「どうしてもしたいとか、絶対やりたくないとか。自分の意思ってやつですよ」


 余計なお世話ですけどね。湊はそう付け足してはっきりとそう言ったのだった。湊にはまるで、結月が意志を持たない人形のように感じたからだった。

 現に結月は先ほどから穏やかな笑顔を崩さない。そう教育されているのだろう。自分の意思で生きてきた湊にとって、その生き方は少しばかり哀れに見えた。


 やがて、馬車はピースタウンと外を隔てる門を越える。すると、今まで歩くような速度で走っていた馬車はそのスピードを徐々に上げはじめた。

 

 「さて湊。今回の仕事はサボるなよ?」

 

 馬の手綱を握るケイが、こちらを振り向き言う。湊は自信たっぷりに、高らかに答えた。


 「大丈夫ですよ! 何か起こらない限り、真面目に働きますから!」


 「むしろ何か起きたら真面目に働いてくれ!」


 軽口を言い合う二人も、それを優し気に見つめる結月にも。気配を消して自分たちを追跡する影の存在に気づかなかった。

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