第二話

 「師匠! パン屋がありますよ!」


 「買えない金ないお前がサボるから!!」


 普段廃墟に住む湊は、ピースタウンのあらゆるものにテンションを上げ、そしてケイに襟元を引っ張られ制止されていた。

 普段は闇商人の運ぶ危険な武器や、明らかに危険な薬物を護衛する湊の目には、純粋に人を幸せにする菓子パンなどは非常にきれいに映るのだろう。

 

 「それにしても綺麗な街ですよね。パラレルワールドみたいだ……」


 楽しそうに笑っている湊の目が、少しだけ遠くを見つめる。始まりの雨が降る前の、ただ当たり前に過ごしていた日常を思い返しているのだろう。

 

 「……あぁ、そうだな」


 ケイはそれだけ言って、湊の頭を掴み乱雑に撫でた。途端に、湊は顔を赤くしてその腕を振りほどき、そしてありったけの感情を声に乗せて叫んだ。


 「なっ、何するんですか! 俺、もう十四なんですよ!!」


 「もうそんな歳か。大きくなったな」


 人前で突然頭をなでられた上に、大きくなったなとまで言われてしまう。精神的に大人と子供の境をさまよう湊には耐えられないほどの羞恥だった。

 そのため恥ずかしさにしばらくケイを睨みつけていたが、無駄を悟ったのだろう。黙ってまた歩き出す。

 

 少し歩いていると、舗装された道路などは姿を消し、代わりに大きな田畑が視界を埋め尽くす。そして奥に見える山の中腹に、大きな屋敷が姿を現した。


 「あれが……でっかいですね」


 「でっかいな。そしてかっこいい」


 侍とかが居そうだ。とほんの少しだけ上ずった声で話すケイの顔を見て、湊は嬉しそうに口を開く。

 

 「師匠、そういうの好きですもんね。よし! じゃあ競争しましょう!」


 「いや、お互いにそんなことする歳じゃ……」


 ケイが言葉を発しきる前に、湊は走って行ってしまい、もう数十メートル先でこちらに手を振っている。

 仕方のない奴だ、そう言いたげな表情で軽く笑う。そして、ケイは羽織っていたコートを肩にかけ走り出したのだった。




 「や、やっぱりでかいですね……」


 「でかいな……そして、かっこいい」


 息を切らしながらも屋敷にたどり着き、そして中に案内された二人の第一声がそれだった。

 大きな建物はもちろん、庭まで大きい。川を描くように置かれた石の庭園に、鯉が飛び跳ねる池。時折聞こえる鹿威しの音も、普段は決して感じることのない風流さを感じる。

 先ほどまでのピースタウンがパラレルワールドとするならば、さながらここは異世界のようだった。


 「それでは、ここでしばらくおくつろぎください」


 大きな和室に案内され、ここまで案内してくれた門番がその場を後にする。

 この和室もまた、二人にとってはまるで次元が違うものだ。普段見てきた部屋とはあまりに違うその雰囲気に耐えかねたのか、湊が少し気まずそうに口を開く。


 「で、でっかい花瓶ですね。あれ……」


 「生け花ってやつだろうか。流石はピースタウンの主だな」


 そう言ってケイが、出されていた茶をすする。落ち着いているようだったが、あくまではしゃがないようにしているだけなのだろう。その体はそわそわと震えるように動いていた。


 「美味いですか?」


 「……深い味だ。お前も飲め」


 それじゃあ、いただきます。と律義に一礼し、湊は湯気が立っている茶をすする。直後、湊は両手で口元を抑え顔を苦悶に歪ませた。大きくうなずくような動作でどうにか茶を飲み込み、そして一言。


 「苦っ!!」


 「はははっ、お前には早いと思ったよ」


 今まで茶を飲んだことがないわけではなかったが、ここまで苦い茶を飲んだのは初めてだった。これがいい茶だとでも言うのか、とでも言いたげな目つきで茶を睨むが、しかし茶を睨みつけても何も起こるはずもない。

 誰か水をください。そう湊がこの家の者を呼ぼうとした、その時である。


 「お待たせしました。七夕家当主、七夕信彦でございます」


 戸を開け、和服に身を包んだ中年の男が現れた。湊は慌てて苦みに耐えていた表情をキリリと切り替え、ケイの隣に座りなおした。

 

 「お待ちしておりました、護衛屋のケイと申します。そしてこちらが助手の」


 「西城湊です。よろしくお願いします」


 信彦はしばらく二人を品定めをするような目で見ていたが、やがてうんうんと頷き二人の前に座った。


 「さて、早速本題から入らせていただきます。今回あなた達には、私の娘を護衛していただきたい」


 結月。信彦がそう自分が入ってきた引き戸の方へ声をかける。すると、その奥から同じく和服に身を包んだ一人の少女が姿を現した。

 年齢は湊と同じか一つ上くらいだろうか、首元まで伸びた綺麗な黒髪に、透き通るような白い肌。そして、その中に一滴血を落としたかのような真っ赤な瞳が特徴的だった。


 アルビノ……いや、能力者か。そう湊は感じる。

 能力者の中には、稀に瞳の色が変化する者が現れるのだ。瞳が変色している能力者は総じて強い力を備えており、日菜子がカラーコンタクトで目の色を変えているのは、そうして初見の者に自分が強力な能力者であると誤認させるための方法でもあるのだろう。

 ……もっとも、カラーコンタクトはすぐにバレるのであまり意味はないが。


 「はじめまして、七夕結月です」


 「西城湊です」

 

 「……それで、このお嬢様を護衛するのですね?」


 挨拶を返す湊を尻目に、ケイは一瞬だけ結月を見やると、すぐに依頼主である信彦に視線を戻し、そう確認する。信彦は一瞬の間を置き、そして言葉を返した。


 「えぇ、その通りでございます」


 依頼の詳細は、おおむね日菜子から聞いていた通りだった。

 結月を結婚させるにあたって、その身柄や所持している貴重品を狙って襲ってくる者たちから彼女を守ってほしいと。

 ただし、今から一週間後に相手の家で式を挙げる予定のため、一週間以内に結月を辿り着かせる必要があるそうだ。

 

 「……こちらにも食糧などの準備があります。出発は早くても明日の早朝、実質的に六日間でお嬢様を運べ。と言うことですね?」


 ケイがそう確認すると、信彦は一言、お願いしますとだけ言い頭を下げた。ケイはしばらく何か考えていたようだが、僅かな沈黙ののち口を開く。


 「承りました」


 少し遠くで、鹿威しが高らかに音を立てた。

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