第一話

 「おーっす。居るかー?」


 朝日が昇る頃、事務所のドアを聞きなれた声が叩く。いつも依頼を仲介してくる桜井さくらい日菜子ひなこのものだろう。

 今日は最後までサボらずに依頼をこなせるかなぁ。などと呑気なことを考えながら、湊は古びたドアを開く。金属がこすれ合う少し不快な音とともに現れたのは、やはり日菜子であった。


 「……相変わらず、ケバい奴だな」


 「うるせぇよっ。舐められたら殺される世界だぜ?」


 男のような口調で話す日菜子の髪の毛は雑に赤く染められ、目には虎のような曇った黄色のカラーコンタクトを入れていた。耳には派手な金色のピアスが付けられ、腰に巻かれたベルトには血で少しさび付いたナイフが二本、収められている。


 「まぁ入れよ。茶も何もねぇけど」


 「あぁ邪魔するぜ。今日は起きてんだろうな? ケイの奴」


 「……まぁゆっくりしていけよ」


 それが答えだ。どうか察してくれと言わんばかりに湊は半笑いでそう日菜子に返した。そこそこ長い付き合いだ。察してくれたのだろう、日菜子はそれ以上何も言わず、ブツブツと文句を言いながら部屋に入っていった。


 「待ってろ、水いれてやるよ」


 湊はそう言うと、ペットボトルの中に入った水を樹皮でできた円錐状のろ過機で浄化し、そしてコップに注ぎ日菜子に出す。


 「……浄水機と電気くらい買えよ。貧乏人じゃあるまいし」


 「うるせぇ、貧乏人なんだよ」


 文句を言う日菜子を、湊はそう笑いながら一蹴する。本来、護衛屋はもう少し豪華な暮らしをできるはずである。治安のいいピースタウンに住み、電気とガスを使う生活くらいは余裕でできる。日菜子の言う通り、護衛屋は貧乏人ではないのだ。


 「あー……なるほど違約金か」


 「なっ!?」


 図星を突かれ、湊は目を見開く。そう、依頼を完璧にこなしたとしても湊が途中で勝手に抜け出すせいで契約違反とされ、報酬が大幅に減らされてしまうのだ。

 時には全く報酬をもらえない時もある。むしろ、それ目当てでここを選ぶ者すら居るほどだった。


 「お前も懲りろよ。あの寝坊助だって苦労してんだぜ?」


 「う、うるせーっ!」


 「……うるせーのはお前だよ。せっかくいい夢見てたのに」


 湊の声に、隣にある寝室から声が返ってきた。しばらくすると、引き戸を開け一人の男が現れる。寝ぐせだらけの髪に、ボロボロの寝巻。一見すると世捨て人のようにすら思えてしまうが、その目だけは綺麗な青色をしている。本人曰く、生まれつきらしい。


 この男が、湊の師匠である八坂ケイである。


 「いい夢見てんじゃねーよ! 今日は朝から依頼するって言ってたろ!?」


 文句を言いながらも水が出されるのを待っていたのだろう、大人しく座っていた日菜子が立ち上がって怒鳴る。いつものパターンである。


 「あー、そうだったか。昨日の時点で言っとけよ湊! 俺、朝弱いんだから」


 「言いましたよ!? 叩き起こしもしましたねぇ!」


 そうか、悪かったな。と、ケイはあっさり自分の非を認め、ペットボトルの水をたらいに入れ顔を洗い始める。バチャバチャと水が跳ねる音が不快なのか、日菜子は少し顔をしかめると、本題に入った。


 「……それで、依頼の話だ。今回お前らには七夕家のお嬢様、七夕結月を守ってもらう」

 

 「マジかよ。七夕家っつったらこの辺のトップだろ?」


 湊は窓から、外の景色に目をやる。元はマンションだったここからは、近くのピースタウンがよく見える。その街を取り仕切る大農園の主、それが七夕家だ。


 「つってもたかが農民だけどな。金と飯だけじゃ、治安の維持には限度があんだよ。だから」


 「あの街の警備員になれと? だとするならお断りだな」


 顔を洗ったケイがタオルで顔を拭きながら、日菜子の言葉を遮った。ピースタウンに住む富裕層をよく思っている人間は居ない。当然である。


 「そうじゃねぇよ。七夕家は娘をエサに、三星家といい関係になって守ってもらおうって腹なのさ」


 「三星家って?」


 湊が聞きなれない言葉に疑問符を浮かべると、日菜子は心底呆れたのか鬱陶しそうに髪をバリバリとかきむしり、そしてケイの方を見やる。ケイが視線に気づくと、日菜子は湊を顎で指した。


 「あぁ、説明しろと。いいか湊、三星家はこの国で一番の金持ちだ。ピースタウンの中に鉄鉱山を持ってる」


 なるほど、そういうことか。と、湊は手をポンと叩いた。つまり娘を結婚させる代わりに鉄の強い武器を手に入れて、町の警備を強化しようと。

 そして、その過程でこの護衛屋を雇う理由は一つ。湊は日菜子を指さし嬉しそうに口を開いた。


 「つまり、俺たちはその娘さんを守ればいいわけだ!」


 「そういうこと。やっと分かったか」


 そうと分かれば話は早いと、湊は隣の部屋に移り、そして仕事着のコートを羽織る。裾に青い炎のような模様が描かれた、ボロボロの赤いロングコート。

 そして腰にほどけば数十メートルはあろうかという、まとめられた針金を刀のようにさし、パンパンに膨れ上がった大きなボディバッグを背負い、最後にコートのポケットに水が入ったペットボトルを入れた。

 これで、準備は完了である。


 「よし、早速依頼主の元へ行きましょう師匠!」


 「まったく元気なやつだな。今度はサボるなよ?」


 いつの間にか髪も整え着替えていたケイとそうかけあうと、湊は外に飛び出していく。ケイはやれやれと言ったように笑い、それに付いていこうとする。


 「待て、ケイ」


 日菜子が、出て行こうとするケイを呼び止める。歩みを止め、振り返ったケイが見た日菜子の表情は、先ほどまでの緩んだものではなかった。


 「……気を付けろ。今回は稼げるが、ヤバいかも知れねぇ」


 ケイの目が一瞬、驚いたように見開く。しかしすぐにいつもの調子を取り戻し、そして軽く笑ってみせた。


 「……ブルーフレアは負けないさ」


 バサッと音を立ててコートをはためかせ、ケイは湊と共に事務所を後にした。

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