リバーブレーション

 気分はオルゴールの人形。ぜんまい仕掛けの足取りで回る。


 花が降っていた。

 狭い小路こうじにひらひらと、瓦板塀かわらいたべいにうずたかく積もって、ふぞろいな丸石が縁取る溝にこぼれてゆく。

 花は、まるで落ち椿のように、いずれも咲いた形をしていた。

 はなびらは色濃く瑞々しくて──。

 この現象を指す春暁天変しゅんぎょうてんぺんという名を思えば、これらはすべて春の花なのだろう。

 天変──ヒヒイロゴケが〈時〉に宿る思念の集積に曝されることで起こり得る現象。文字通り天空に起こる変動。明確な意思やキャラクターとしての形を持たない、〈場〉を起源ルーツとしないギノーのようなもの。


 花の積もっていない箇所を探って歩く。白足袋に、深い緑の鼻緒をげた下駄。女というより女の子の脚。


 ──おんなのこ。


 今朝目を覚ましてから、ここに至るまでの記憶はない。ただ、ここが一夜街で、自分が飛揚ひよう区にいることだけは解っていた。この身に降りかかる花の雨が、自我を脅かす猛毒の雨であることも解っていた。

 風がそよぐ度、瞳に映る角度が変わる度、花はその容姿を変ずる。さながら万華鏡。でなければ、心の移ろいを見ているかのよう。

 事実、これらは人の心の断片を無作為にピースワークしたようなものだ。不特定多数の思念を綯交ぜとして、一塊としたそれだ。だからこそ──直に触れることは危うい。それは、雑多な記憶の集合をその身に受け入れるようなものだから。

 そこまで理解した上で、この降雨の中。無意識とはいえ、身を躍らせてしまったのは。


 もう消えてしまいたいという想いが、人として内に秘めたる願いがそうさせたのだろうか。


 私など私でなくなってしまえという望みが、自身をここへいざなったのだろうか。

 空を仰いだ。時の移ろいを感じさせないこのからだから、成長の止まってしまったこの躰から、身を置いている今から目を背けた。


 視界に広がるは、色とりどりの雨。


 その中で一際目を引く紅紫は、傷付いた蝶のようにてのひらへ落ちて。

 風が吹いた。

 振り返ると、来た道がなかった。

 足跡は皆──花に喰い尽くされていた。

 不安になった。

 もし、次の一歩を踏み出したら、この下にもう地面は眠っていなくて、どこまでも墜ちてゆくのではないか。

 軽く握っていた手を開く。掌に蓮華の花が隠れていた。


 無性に──握り潰したくなった。


 指の一本一本をそっと丸めてゆく。少しずつ、少しずつ。葩にかげりが差して──。

 ふわりと、足許に影がひろがった。

 黒い傘をかざす、貴方がいた。

 咎めるようで、けれど淋しげな、その眼差しに。

「するわけないじゃないですか。


 私は──うまく笑えているだろうか。


 ふうと掌の蓮華に息を吹きかける。軽やかに舞った赤紫の蝶は、けれど羽ばたくことを許されず、緋色の苔へ転じるや、崩れて墜ちた。

 同じ傘の下、貴方の隣をついて歩く。

 貴方の足が前へ出る度、花の一つひとつが逃げるように、私たちから遠ざかってゆく。

 貴方は気付いているだろうか。

 私が、あまり貴方を見ないことに。


 傷付いては──いないだろうか。


 どこか疲れたその横顔。くらい瞳に光を探して──。

 酷く、申し訳ない気持ちになった。

 おなかに手を伸ばす。

 ああ、まだ目立ちはしないけれど。

 ぬくもりを感じる。動いている。

 だから。


 生きなければ。


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