『心を満たす者は』

 日傘を畳むと、すぅと息を吸い込んだ。枯れた葉っぱの匂いがした。

 学校の帰り道には、わけあって人通りの少ない並木道を選んだ。どうして人気ひとけがないのかについてはよくわからない。山が近いし、もしかしたら熊や猪でも出るのかもしれない。

 色褪せた木々の葉が、秋風に吹かれて踊っている。

 落ち葉の絨毯からは、鮮やかだった赤や黄色がすっかり抜け落ちていた。

 口許を押さえながら、小さく思い出し笑いをする。

 ──晶ってば、落ち葉に火を点けてすぐさつま芋を入れようとして鏡花さんに怒られてたっけ。ちなみに、正しい焼き芋の焼き方は一旦落ち葉を焼いて灰にして、充分に温度が下がってからさつま芋を入れるんだとか。

 まあ──私も鏡花さんに言われるまでは晶と同じ考えだったのだけれど。

 歩きながら、腕時計を見た。足を止めて、周囲に視線を走らせる。切り替えの直後に不意打ちなんて、〈彼ら〉はしてこないだろうけど、まあ念のため。

 閉じた瞼を上から下へ撫でる。

 寂しげな秋の声が遠くなった。

 眼を開いた。


 枯れ葉が──真っ赤に色付いていた。


 落ちているそれも、宙を舞うそれも、耐え忍ぶように枝に残るそれも。

 どれもみんなきらきらと、紅い星屑みたいに煌めいていた。

 命の抜けた景色に、新しい命が吹き込まれたみたいだった。

 思わず──溜息が漏れる。

 私は、髪の毛に付いていた苔を取ると耳の中に入れた。ゆっくりと眼を閉じつつ、イメージを開始。

 イメージするのは〈猫〉。

 ──うん、黒猫にしよう。

 黒い方が何だか強そうなので。

 静かでいて、煌々と輝く月のような瞳。

 撃ち出された弾丸みたいに駆けるその姿は、まさしく黒い閃光。


 研ぎ澄まされたその爪に、切り裂けない獲物なんていない。


 かっと眼を剥いた。直後、前方へと走り出す。憑依の副作用のせいで、まるで大きく波打つ地面を走っているみたい。

 ずしんと地面が揺れた。は錯覚じゃない。原因はわかってる。あの四本脚の怪物──タコゾウが前脚で思いっきり踏んづけたのだ。ついさっきまで、私が立っていた場所を。

 タコゾウは、タコみたいな丸い頭から八本の触腕あしに代わって、ゾウみたいな太い足が四本ぶら下がっている。全長はバスケットゴールよりもちょっと高いくらい。その身体は、厚ぼったい硬化した皮膚に覆われている。

 と、目の前の地面が膨らんだ。

 思った通り、そこから跳び出して来たのは、犬の顔をした獣人──モヒカンだった。身長は私とそう変わらないけど、赤いモヒカンの分、私よりちょっとだけ大きく見える。

 めくれた苔の破片が顔まで飛び散って、つい眼を細めてしまう。

 モヒカンはすでに、両手で握った西洋剣を振りかぶっている。切れ味は悪そうだけど、力一杯頭に叩き付けられれば、どのみちそれでお終い。だから、私は。

 ──前へ進んだ。

 モヒカンの懐へと跳び込んだのだ。

 モヒカンが、短い鳴き声を上げる。きっと、怯んだ私が後ろへ下がると読んでいたのだろう。その肩に、日傘の持ち手を引っ掛ける。両手で、思いっ切り引いた。モヒカンの体勢が前のめりに崩れたところで、顔面に跳び膝蹴りを叩き込む。大きく仰け反ったモヒカンの肩をさらに掴んで、すれ違い様──後ろへ引き倒した。

 私は、咄嗟に反転する。

 そこには、うつ伏せに倒れているモヒカン。

 そして、そんなモヒカンを危うく踏みそうになっているタコゾウの姿。

 タコゾウは、すんでのところで前足を止めた。

 ──狙い通り。

 その足に跳び移り、タコゾウのごわごわしたはだを駆け登る。それこそ、猫が木に登るような俊敏さで。

 頭のてっぺんに着いた。

 私の握り拳くらいはある眼が一つ付いていた。

 近付いて、日傘の先端をそこに突き刺そうとして──ギリギリのところで止めて見せた。

 瞳が──幽かに震えている。マンガに出てくる毒キノコみたいな色合いだ。

「降参してもらえませんか?」

 下にいるモヒカンにも辛うじて聞こえるくらいの声量で、そう尋ねる。

 ややあって、タコゾウとモヒカンが声を合わせて応えた。

 私は──溜息を吐いた。


『まっさか、不意打ちで勝てねぇとはな──』

 モヒカンは胡坐をかいたままそう言って、ガシガシと頭を掻いた。ヘアスタイルが乱れるのを気にする素振りがないあたり、然して自慢のそれではないのかもしれない。

 傍に落ちていた枝切れをヒヒイロゴケでコーティング。形も用途も筆と化したそれで、くたびれた甲手に正の字を書く。

 言うまでもなく──敗北の歴史だ。

 それも対大野木ココ限定。

 字のサイズが負ける度に小さくなっていくのは、決して気が小さくなっているからではない。これからも正の字を書けるようにと、充分な余白を残しているだけである。

 それを「気が小さくなっている」と言うのだと、モヒカンは知らない。

『あの嬢ちゃんも変わってるよな。自分以外の人間を襲わないと約束してくれたら、今後どんだけふっかけてきてもトドメは刺さないなんてよ。──ああ、そうだな。確かに俺たちゃ寝なくても調子が崩れるなんてこたぁねぇし、飯を食わなかったところで飢えることもねぇし、イイ女を偶々見かけて乱れる心はあっても疼く部分がねぇが、それでも心で生きてる以上刺激は必要だからな。そこんとこ踏まえた上で三下の俺らに付き合ってくれてんだろうさ。──オウ、やっぱ戦いでの昇華が一番手っ取り早いもんな。タコ助、お前昇華とか難しい言葉知ってんな』

 モヒカンは大の字に寝転んだ。

 適当な小石を掴んで、そこにヒヒイロゴケを集中させる。

『けどよ。なーんか見てて不安なんだよ、あの嬢ちゃん。目が離せないつーかよぉ。──ケッ、言われなくたって、それが連戦連敗してるヤツの台詞じゃねぇことくらいわかってらぁ。普通さ、優しさってのは余裕があって初めて出てくる感情だろ。自分のことで泡吹くくらいいっぱいいっぱいなのに、それでも誰かを助けてやろうなんてバカ、まず存在しねぇ。──何? あの嬢ちゃんがそのバカだって言いたいのかって? それが、微妙に違うんだよ。あのな、あの嬢ちゃんの誰かを助けてやろうって気持ちは、純粋に優しさだけから来てるもんじゃねぇと俺は踏んでんだよ。あいつ、優しさとか思いやりとか、そういうのより先に"自分何かどうなってもいい"って感情が来てる気がすんだよ。──ああ、こんだけ戦ってようやくわかってきたんだ。あの嬢ちゃんには一緒に戦う仲間がいる。でも、あれは仲間に頼ってる戦い方じゃねぇ。あっ、これ悪い意味で言ってんだぜ? 要は仲間が果たすべき役割の分まで自分でやろうとしてんの。自尊心の低さ故の個人プレーってヤツ。傷付くところを見たくねぇから、できるだけ仲間を矢面に立たせたくねぇのよ。──はいはい。そうですねー。それも負けっぱなしの俺に言えるようなって、何? そうじゃないって? どうしてそこまであの嬢ちゃんを気にかけてるのかって? ──ハッ、おいおい言わせんなよ恥ずかしい』

 モヒカンは上体を起こした。

 さっきまで小石だったものは、好物のスイカに変えたつもりだった。しかし、実際に出来あがったものを見ると、もはや苦々しく笑うほかなかった。

 どうも意識が話の方へ傾き過ぎていたらしい。


『まあ、心乱されたってところさ』


 がぶりと豪快に食らいつく。

 瑞々しい。

 皮は勿論、中身まで真っ白だ。

 誰かさんの──肌の色にそっくりだった。

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