『妖怪考察』

 鏡花さんは義姉妹一の読書家で、吃驚びっくりするほど日常生活に必要のない知識を持っていた。

 特に妖怪に関する知識が豊富で、話の内容は大抵難しかったけど、聞いていて決してつまらなくはなかった。だって、妖怪の話をしているときの鏡花さんは、いつもよりずっと眼が生き生きしていたから。

 きっかけが玲一兄さんにあるとはいえ、鏡花さん自身妖怪というモノに強く惹かれているのだろう。普段あまり感情を面に出さない義妹のそういう一面を見るのが、私は好きだった。

 私たちの〈会話〉は、大抵いつも私の問いかけから始まる。それに鏡花さんが答えることで〈会話〉は進む。

 そして今日、私は訊いた。まこ姉さんが度々口にする〈お化け〉とは何なのか、と。

 ──で、今はその回答待ち。私はベッドサイドに腰掛け、鏡花さんから貰ったつぶつぶ苺ポッキーをかじりながら、彼女の背中を眺めている。

 鏡花さんは、本当に確認できているのかなと疑いたくなるような速さで、ファイル──お手製の妖怪事典のページを捲っている。

「──あったわ」

 鏡花さんの気持弾んだ声が聞こえた。振り向いた表情にも達成感のようなものが見える。

「あったって──」

「まこの言っていた〈お化け〉の資料よ」

 当然でしょう、とばかりに幽かに鼻で笑う鏡花さん。

 正直、きょとんとしてしまった。

 ──あれって、まこ姉さんの作り話じゃなかったんだ。

「実在するんだ──あの〈お化け〉」

「実在、という言い方をすると語弊があるかもしれないけど──まあ、いるわ。おさきという〈お化け〉がね」

「ふぅん。──それで? おさきは分類すると何になるの?」

 私の言葉を聞いた途端、鏡花さんが眼をむいた。

「どうしたの?」

「意外だわ。あの話憶えていたのね」

「うん、憶えてはいた、けど──」

 ダメだったのと言って、私は小首を傾げる。

「別に。意外だと思っただけよ」

 鏡花さんが意味深に微笑んだ。それから顎に拳を当てて、考え込むように唸った。

 鏡花さん曰く、お化け──いわゆる化け物は大きく三つに分けられる。一つは幽霊、一つは変化へんげ、一つは妖怪。

 簡単に言うと、幽霊は死者から抜け出た魂が、あの世に逝くことなくこの世に残って漂うもの。

 変化は人間以外の生物、主に動物が魔力によってその姿を変え人間を騙すようになるもの。

 そして妖怪は得体の知れない力を持った正体不明の異様──つまり幽霊と変化、そのどちらにも属さず、属せないもの。

 私はてっきり妖怪は生まれたときから妖怪なのだ、と思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。たとえば妖怪と聞いたとき一番イメージされすいだろう鬼は、仏教的には二通り──最初から鬼だったものと鬼になる人がいるという。ちなみに鬼になる人は、理由こそよくわからないけど決まって女性だ。

「おさきというのはね、分類するのが困難なのよ」

「そうなの?」

 ええ、と鏡花さんが頷いた。

「一応は変化の類だとされているけれど、おさきは狐や狸のように実在する動物なのかどうかがはっきりしないから。過去におさきを捕獲した、と言う人がいるにはいるけれど──真相は不明のまま。捕まえられたおさきはイタチのような姿だったそうね」

 鏡花さんはこめかみに触れたまま、なおも続ける。

「そもそも妖怪と変化の区別自体、凄く曖昧なところがあるのよ。付喪神つくもがみなんかが良い例。ほら、器具が百年たつと霊魂が宿って化けるというアレのことよ。〈誕生〉の経緯から考えて変化に分類できそうなものだけど、動物が姿形を変えるのとは違い、付喪神の場合は全く異なる存在に〈生まれ直す〉わけだから。そういう意味では妖怪と呼ぶほうが正しいのかもしれない、という具合にね」

 そこで、鏡花さんは控え目に咳払いをした。

「さて、話はおさきに戻るけれど、おさきは人ではなく家屋に憑くのよ。人間には不可視の状態で家に棲み付くのね。そして食卓で食器を叩くだとか、そういうマナーの悪いことをすると食事を嗅ぎ付けて出てくるの。ただご飯と言ってもおさきはご飯のミしか食べないわ。人間みたいにカラごと食べるなんて真似はしない」

「ミと、カラ?」

「ミは命、カラはからだといったところかしら。前者は目に見えないもので、後者は目に見えるもの。ここで言うミは漢字で書くなら魂魄の『魂』とも書けるし、幽霊の『霊』とも書ける。日本の伝統的な考え方では、食事の本来の目的はミをとることとされていた。私たちはその目的達成のために、カラも一緒に食べているに過ぎない。けれど、おさきは違うわ。おさきは食べ物のミだけを食べることができるの。もちろんカラ──私たちの目に〈食べ物〉として映るそれには何の変化も起きていないから、私たちは目の前にあるそれが、抜け殻だとは気が付かない」

「──カラを食べたらどうなるの?」

「別にどうにも。ただ栄養にはならないわ。カラだけならね」

 言って、鏡花さんはポッキーをかじった。

 どこか引っかかる物言いだった。

「とどのつまりおさきの役割は、伝統的な食事作法の崩壊の警告なのよ。人間よ、他の生命からミをもらいながら生きている感覚を忘れるな──とね」

 役割はそれだけじゃないわ、と鏡花さんは続ける。

「例えばとある村で、Aさんの家は豊かになっていくのに対し、Bさんの家は貧しくなっていく。何かしら明確な理由があるならまだしも、同じことをしているのに貧富の差が拡大するのはやはり気に食わない。ここでAさんとBさんだけの問題として片付かないのが、村という共同体の特徴ね。ギクシャクしたものが一つあるだけで、村全体の空気が悪くなってしまう。そうなると、村人はこう考えるの。貧富の差を生んでいる犯人はおさきだ。だからおさき祓いの儀式をしよう、とね」

「ふぅん──うん? あれ、何かおかしくない?」

「何が」

「おさきが貧富の差を引き起こした犯人だってこと。おさきの能力はミを食べることなんでしょ? ミを食べられたところで、食べ物そのものがなくなるわけじゃないんだし。貧富の差とかとは関係ないと思うんだけど──」

「──鋭い」

 鏡花さんがにやりと微笑んだ。どうやら私の質問は、想定の範囲内だったみたいだ。

「貧富の差を引き起こしているのはおさきの能力ではなく嗜好にあるの」

「──嗜好?」

「秤が好きなのよ、おさきは。だから秤を見かけるとついつい乗ってしまうの。──ああ、これだけじゃ何のことかよくわからないわよね。かつて、村に生糸や薬草やらを買いに来ていた仲買業者は、天秤を使ってそれらの重さを計測していたの。さて、ここでその天秤におさきが乗ったと仮定しましょう。そうすると何が起こるかしら──ちなみに天秤に乗っている間も、当然おさきの姿は不可視のままよ」

 ふむ、秤に乗るのが好きで、けれど姿は見えない。

 ──ああ、そっか。

「計算がおかしくなるんだ」

「そういうこと」

「ええっと、でもそれだとさ。どちらか一方がどうなる、とは限らないんじゃあ──」

 鏡花さんが、眉をひそめた。

 ──うん、今のは流石に自分でもわかる。言葉が足りなかったんだ。

「だからさ、秤って二つあるでしょ? そのうちのどっちにおさきが乗るかはわからないんだから、それで貧富の差を生むっていうのは、ちょっと無理があるんじゃないかなというか」

「──ああ、そういうこと。その点なら抜かりはないわ。おさきは一度荷の方に乗る癖が付くとずっとそちらに乗り続けるし、逆に錘の方に乗る癖がつくとずっとそちらに乗り続ける。その日の気分でどちらに乗るかを変えたりはしないのよ。結果、一方の家はきちんと裕福になるし、もう一方はきちんと貧乏になる」

 き、きちんと──ね。

「以上のことから、おさきはもう一つの役割を担っていることが言えるわね」

「──濡れ衣を着せられる役?」

「ストレートな表現ね」

 まあその通りなのだけれど、と何故かちょっと意地悪そうに笑う鏡花さん。

「だって、得体が知れないならともかく、これ得体が知れた不幸じゃない」

 何もないとこで転んだとか、道に迷ったとか、そういうのをお化けのせいにするのならまだ可愛げがあると思う。

 でも、こういうのはどうなんだろう。昔の人は昔の人で、真剣だったんだろうけど。

 鏡花さんがくつくつと笑った。拗ねた子どもを見るような眼をしていた。

「そうね。その通り。でもね、ココ。今も昔も変わらず、スケープゴートは社会の安定を守るために必要なもの。やり場のない負の感情をぶつける対象は、悲しいけれど用意しておくに越したことはないのよ。ただ人外の存在に濡れ衣を着せる場合、まず人間の目に視える形が必要になってくる。目に見えない、形のないものに衣は着せられない。そんなあやふやなものに、負の感情を抱くのは誰だって困難だからね。だから、昔の人々はその無形の共通概念に名を与えた。名を与え、その姿形を語り、絵画に描き、夢に見た。それが──」

 鏡花さんはそこで言葉を切った。私にその先を促していることは、すぐにわかった。


「──お化け、ってことだよね?」


 途端、あちこちから人が囁くような声が聞こえ出した。

 ぎょっとするが、視点をあっちに合わせた覚えはない。

 ──私のよく知る〈彼ら〉の声なのだろうか。

「ビンゴ」

 鏡花さんがびしっと私を指した。ただし指ではなくポッキーで。

「何だか、そう考えるとちょっと気の毒だね」

「むしろそこは人間の機転を褒めるべきところだわ。さっきの話を例に上げるなら、結局のところおさきを生み出したのは、住民同士のトラブルを何とかしてやろうという民族社会の〈思いやり〉だもの。体験者の個人的な欲望だけでは、化け物を想像することはできない。体験者の身に起きた現象が何であれ、社会がその現象を化け物の仕業として認めなければ、それはただの錯覚よ」

 思いやり、か。

 少なくともこの場では便利な言葉だなぁ、って思う。

 社会にとって必要なのは事実じゃなくて、体験者が納得できる答えなんだ。

 さて、こういう話で盛り上がり出すと決まって私の周囲は騒々しくなる。怖い話をしていると〈本物〉が引き寄せられるって、ホントだったんだ。

 いや、引き寄せられている、というのは少し違う気がする。〈彼ら〉は常にどこにでもいる。どこにでもいることができる──だから最初から、ここにいたのだ。ここにいて、ここで人間たちが自分たちの噂話を始めた。だからそれを聞いて、反応しているに過ぎないのだろう。

「見えないコトを見えるモノにする──ってことかぁ」

「見えないコトを見えるモノに、か。巧いわね。例えば?」

「うーん。節分、とかそんな感じだよね」

「節分?」

 あ、何か期待されてるような気がする。どうしよう。気が引けるけど言いだした手前、続けるしかない。

「──節分で豆をまくでしょ? でも、あれってどれくらいの量を、どれくらいの範囲にまけばいいのか、いまひとつわからないじゃない。『鬼は外、福は内』とは言うけど、私たちの目にはどっちも見えてないんだから。何より見えない相手じゃ、いまひとつ盛り上がりに欠けちゃう。でも、鬼の役を演じる人がいると全然違う。まく方はぶつける相手がいるだけで盛り上がれるし、最後に鬼の役を演じていた人が外に出てくれれば、それで『鬼は外』っていう目的は達成になる。見えないコトを見えるモノにするってこういうこと──でしょ?」

 鏡花さんは何も言わない。ただ、驚いたように眼を丸くして、固まっている。

「あの、鏡花さん?」

「──ココって偶に信じられない程、頭が回るわよね」

 馬鹿にされたわけじゃないと思うけど、素直に喜んでいい感じでもなかった。

「ご褒美にあげるわ」

 そう言って差し出されたポッキーを素直に受け取る。何のご褒美だろう? いまひとつわからない。ただもらったのは一本だから、私がしたのはその程度の働きだったのだろう。

 ──うん。別にいじけているわけじゃない。

 鏡花さんの手許を見やると、すでにポッキーは一箱空になっていた。

 えっ、いつの間に?


 ──カラ?


「そうね。私がその例で思いつくとしたら──」

「ごめん、鏡花さん。話の腰を折っちゃうんだけど、後回しにすると忘れそうだから今訊いていい?」

「ええ。構わないけど、何かしら?」

「えっと、さっきの話に戻るんだけど。鏡花さん、カラだけ食べても栄養にはならないって言ったよね。でも、そのあとでカラだけ、っていう言葉をやたら強調してた気がする。気のせいかもしれないけど、何か理由があるの?」

 鏡花さんの片眉が上がった。同時に彼女の唇がゆっくりと弧を描く。どこか不敵な形の笑み。意外なところを指摘したのだろうか、それとも初めから誘っていたのだろうか。

 再びあの声が聞こえだした。

 あっちからも。

 こっちからも。

 そっちからも。

 それは──そうだろう。〈彼ら〉はいつだってどこにでもいる。その声はどんどん大きくなっていき、何かを私に、あるいは私と鏡花さんに警告しているようにも思える。けれどきっと──もう遅い。

「ココ。カラだけを食べたとき。私はどうなるって言った?」

「どうなるって。どうにもならないんでしょう?」

「正解。でもねココ。貴女はこう考えているんじゃない? ミのない食べ物とカラはイコールにあるって」

 どこが違うのかわからなかった。ミは魂と書くことができる、と鏡花さんは言っていた。魂とはすなわち命のこと。だからミのない食べ物は人に例えるなら──死体だ。ミのない人とカラの人。そこに違いがあるとは思えない。

「簡単な話よ。例えばココ。水の入っていない瓶と空の瓶。これはイコールかしら」

 まるでなぞなぞだ、と思いつつ私は少しの間考える。ややあってかぶりを振った。

「イコール、じゃない。空の瓶は何も入っていないけど、水の入っていない瓶は水が入っていないだけ。ジュースや牛乳が中に入っていたとしても、それは水の入っていない瓶だよ。──あ」

 そこまで言って、ようやくわかった。

 ミのない食べ物とカラは、一緒じゃない。

 じゃあ、ミのない人とカラの人も、一緒じゃない?

 でも、そうだとしたら何が。

 背後から浴びせられる声がさらに大きくなっていく。

 これは──違う。近づいている?


「何が──ミのない食べ物には入ってるって言うの?」


 魂の抜けたその隙間には──何が。

「最初から入っているのではないわ。放っておけばやがて入るのよ。さぞや、入りやすいことでしょうね。中は伽藍洞なのだから」

 鏡花さんが愉快そうに、くすくすと笑った。

 何にそこまで駆られているのか。だから何が、と私は半ば焦ったふうに続きを促してしまう。

 と、耳たぶに誰かの息が吹きかかった──ように思えた。

 凄まじく、おぞましいほどに近かった。


「それはもう──よからぬものが」


 それは鏡花さんが発した言葉だったのか。

 それとも私の近くにいる〈彼ら〉の発した言葉だったのか。

 判別はつかないけど、それきり〈彼ら〉の声は水を打ったように静まった。

 なんてね、と冗談めかしたふうに言って、鏡花さんは私から視線を外した。

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