03『"異界"を往く』

 階段を上り切ると、"異界"だった。


 ──僕が以前一巫女さんから教わった話では、確か天人になる第一条件は欲を捨て去ることのはずだったんだが。どうやら記憶違いだったようだ。

 毛先の長い赤絨毯が、足音を吸い込んでゆく。一巫女さんの私室に続く薄暗い廊下は、とにかく狭い。ヒト一人がようやく通れる程度のスペースしかない。


 それは廊下の両脇に──あらゆるものがひしめき合っているせいだ。


 目に滲むような朱色の壁にはおどろおどろしい地獄絵図や幽霊の掛け軸。

 前衛的とでも言えばいいのか、カラフルな幾何学模様を描いた絵画。

 加えて武器としての機能は期待するだけ無駄とばかりに装飾過多な短剣や銃が所狭しと飾られている。

 その他にも烏天狗の面をした兜付紅具足かぶとつきべにぐそくや、スマートな西洋風甲冑。

 ギリシア神話の神々を模した石膏像の数々は、前に立つとこちらに倒れかかってきそうな威圧感がある。

 所変われば、"彼ら"もその筋の人々を虜にしたのかもしれないが、こんなところに置かれていては、ばかでかい醜悪な障害物でしかない。

 それらの間隙かんげきを埋めるようにして、絵付けのしてある木椀とか陶器花瓶とかが置かれている。

 ルイ十四世といい、ナポレオン一世といい、ハンス・スローンといい、エカチェリーナ二世といい──何でこうエラい奴らというのは、揃いも揃って美術品とやらを集めたがるんだろうか。日本の名のある武将たちも戦で勝利したあとは、美に執着したと聞くし。

 僕も権力者になればこういうものを集めたくなったりするのかね。いや、そもそも偉大になったから蒐集し始めたのではなくて、蒐集癖があったから偉大になれたのか? 後者だとしたら僕が覇権を極める日は遠そうだな。別にそんな野心とかないけど。

 しかし、何だ。ここにあるものすべてに芸術的価値があるかと訊かれれば、どうもそうではないらしい。一巫女さん曰く、これらの中には世界有数の大博物館にあってもおかしくないほど貴重なものもあれば、見かけ倒しの俗悪品まであるという。

 たとえ紛いものだとわかっていても手を染めるのが、一巫女さんという一風変わった蒐集家コレクターだ。


 つまりここは純粋なる美の殿堂ではなく、和洋中問わず高価なものから最低のガラクタまで、それこそサラダボールの如く入り混じった"異界"なのだ。


 その異界を構築する古物の管理方法にも、一巫女さんなりの拘りがあった。

 彼女はこれらの保存方法に一切の注意を払わないのだ。

 要は買ったら買いっぱなし。アフターケア皆無。視線で愛でることもほとんどなく、手に入ったらあとは完全放置プレー。

 それはここにある古物が、この階に二十はある部屋に入りきらなかったから特別そのような扱いを受けているわけじゃない。

 実際、部屋の中に詰め込まれた古物の扱いも似たようなもんだ。金属製古物は酸化して腐食、古書や布製品などの古物は虫食いやカビで著しく破損、像や陶器の類には埃こそ積もってはいないが、微小な傷から致命的なそれまで──と、まあそんな具合に経年劣化などによる対策が何一つ成されていない。

 おまけに誤って誰かが壊してしまっても、然して気に留めることも──多分ない。

 古物の管理について、初めは一巫女さんが面倒臭がっているだけだと思っていたが、よく考えずともわかるようにここには一巫女さんが一声かければ、古物の面倒を見る人間なぞいくらでもいる。


 正常な芸術鑑賞眼を持った人が見たら、憤慨した揚句卒倒しそうなこの"異界"を一巫女さんは何を思ってか──故意に作り上げているのだ。


 ふと、気になるものがあったので足を止めた。

 見覚えのない屏風だったから、僕が来ていない間に増えたコレクションの一つだろう。カビによる侵食もまだそれほど進んでいない。


 そこには、太陽にも見える真っ赤な目が、天から地を見下ろす絵が描いてあった。


 赤褐色の荒野。

 そこに立つ者達は、皆似たような酷い容貌をしていた。

 病的にこけた頬、棒のような手足、蜘蛛のように膨らんだ腹、やけに大きく見える虚ろな目──以前似たような奴を地獄絵図で見たことがある。確か「餓鬼がき」だったか。

 その五匹の餓鬼みたいな奴らは、大地に立って天を仰いでいた。

 その形相は皆一様に、苦悶に歪んでいる。

 頭上に浮かぶ巨大な目を、崇めているようには見えなかった。

 むしろ、縋るような、恨みがましい様子だ。


 五匹とも体のどこかが足りなかった。


 眼孔に眼がないもの、片耳がないもの、片腕がないもの、片足がないもの、胸にぽっかりと穴があいたもの。

 僕は──眼を細めた。

「餓鬼」「五匹」「欠損した身体」「巨大な赤い瞳」──不気味な符号の羅列に既視感デジャヴを覚えた。

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