02『魔都・一夜街』

 エキゾチックで官能的な香りがした。

 前者は多分この街の文化的に統一性の欠片もない景観がそう思わせるのだろう。

 とどのつまり何の根拠もない。気のせいとも言う。じゃあ、後者もただの気のせいなのかと問われればこれはそうじゃない。

 実際に催淫効果のあるこうが街のあちこちで焚かれているのだ。それも煤煙ばいえんと見紛うばかりに。ホント碌でもない街だな。


 一夜街。別名『抹消者イレイザーの街』。


 民族の数だけ多種多様な区画が存在するこの街において、妓楼ぎろうひしめくこの区画は一夜遊郭と呼ばれている。

 あちこちから呼び込みの声がかかり、ずらりと並ぶ見世みせ──飾り窓みたいなモンだ──の中では、遊女たちが流し目や微笑み、腰をくねらせおいでおいでをするなどして、妖しくも巧みに男たちの歩みを止めていく。

 普段はツンツンしている某下働きくんもいずれはあんな風に男を惑わせるようになるのかねぇ──なんて心にもないことを思いながら『橋姫はしひめ』を目指して僕は歩いていた。

 格好はグレーストライプのスーツにピンクのネクタイ。そして曇りなく磨き上げられた黒の革靴。店員に勧められたものをなんとなく買ったからセンスがいいかはわからない。

 わざわざこうしてスーツに着替えたのは仕事モードに気分を切り換えるため、そして呼び込みや街娼に捕まらないようにするためだ。

 片手に土産物はあれど今みたく小脇に無骨なクラッチバッグを抱えてちょっと足早に歩いていれば、足止めを食らうようなことはそうそうない。彼らにだってそれくらいの空気読解能力はちゃんと備わっているのだ。

 目的地の『橋姫』は、僕の友人一巫女さんが表面上楼主を務める一夜遊郭最大の妓楼だ。そこで働く遊女たちは全員ガ族で、皆無告で行く当てもなかったところを一巫女さんに拾われた。

 ──あ? 何かこういうと無茶苦茶いい人みたいだな一巫女さん。いや、僕だってあの人に拾われたようなものだし、根っからの悪人でないことは確かなんだが。いい人と言い切ってしまうには、抵抗あるなぁ。

 ああ、ちなみに最大というのはあくまで規模的な意味合いから、勝手にそう判断しただけで、この街のどの妓楼が一番繁盛してるかなんて僕は知らない。

 にしても──さっきから擦れ違っている人種は雑多だというのに、今日に限って自動人形オートマタ──人工蛋白質と無機質でできたヒトガタばかりがやけに目につく。実際、需要があるから数は増えているのだ。

 僕も過去に一度、興味本位で彼女らの"接客"を受けたことがある。確かに夜専用なだけあってテクは匠だったが、はっきり言って同じ額払うのならそこらへんで生身の街娼捕まえた方がマシだな、とは思った。

 まぁ生身よりも彼女らを良しとする男心はわからないでもない。記憶が容易に弄れる分、後腐れなさそうだし。道徳的に許されないようなプレイだって、妓楼によっちゃあできるだろう。


 ──ああ、合点がいった。


 何でこうもお人形さんに目が行くのかと思っていたが、僕が気になっているのはあの人形師の方か。

 そういえば、まだ僕が『橋姫』に間借りしていた頃、あいつがそういう用途の自動人形を作って生計を立てているという噂を聞いたことがあった。

 それを聞いて、当時の僕は少しばかりショックを受けた。

 自動人形工学関連の特許をいくつも持っているような奴がそんな職に就くわけがないと思ったから? あいつは『名家』中の『名家』出身者なのだから、もーっと輝かしい薔薇色の人生が約束されてると思ってた? それともまさか──あいつに惚れてたのか?

 多分──どれも違うな。


 単純に似合わないと思ったのだ。あの──陰鬱な年中喪服女には。


 結局、噂の真相は未だ闇の中だが──仮に事実だったとしても今はもう止めてるだろ。六人もとい五人もいるお子様たちの情操教育上にもよろしくない。

 やがて人が疎らになってきた。両脇を挟む建物の窓に明かりはない。遊郭の外れだ。

 喧騒を遠くに聞きながらなおも歩き続けると、程なくして朱色を基調とした絢爛かつ東洋風オリエンタルな館が姿を見せた。相変わらず図体ばかりでやる気のない場所に建っている。

 妓楼『橋姫』──名前の由来は確か、橋の女神サマだったか。この辺が昔河川だったなんて話は、聞いたことないんだけどなぁ。

 赤い暖簾を潜ると、深緑色の着流しに焦茶色の袴姿のあかつきいおり君が出迎えてくれた。

 ──余談だが、どこの妓楼も普通客が見えたら男は姿を見せない。色気がなくなるからだ。こういう部分でも『橋姫』は逸脱している。もっとも、ここの場合は楼主が働かないから悪いんだが。

「おや、ジョシュアさん、いらっしゃい」

 そう言って柔和に笑うこの青年は、元々暁という御家柄一巫女さんに仕え、その身を守護してきたそうだ。今では一巫女さんの身の回りの世話をしつつも、実質名ばかり楼主の一巫女さんに代わって『橋姫』を経営している。

 広い肩幅にごつい体躯、それらとつりあいを取るためか顎には気持髭も蓄えているが、男臭い粗暴さはどういうわけか微塵も感じられない。

 一巫女さんが言うには、幼少期から暁の人間は舞踊や三味線などの稽古事を叩き込まれるからそのせいだろ、とのこと。

 なるほど言われてみれば確かに、庵君からは男とも女とも付かない中性的なオーラを感じる。歌舞伎の女形でもやったら大成しそうだ。

「やあ、庵君。はいこれお土産」

「ああ、これはご丁寧にどうも。──時雨しぐれさん。これを奥に」

 庵君が、丁度通りかかったツンツン下働き君もとい時雨を呼び止め包みを渡す。

 時雨は現在十四歳。丈の短い瑠璃色の着物から覗く眩しいほどに白い腿と、ガ族特有の頭からせり出した白い獣耳が今宵も素晴らしい。舐め回したいくらいだ。

 時雨はそれと僕の顔を見比べてからわずかに眉根を寄せたが、庵君の手前露骨に不快感を示すわけにもいかず、結局僕に向かって頬をピクピクと痙攣させた。

 多分──本人としては笑顔のつもりなんだろう。あまりに哀れだったので一丁ヘン顔を試みる。あっ、吹いた。

「きっ、きっ、貴様っ!!」

「そうそう、アカシャは来てるかい?」

「アカシャさんですか? でしたらつい三十分程前にお帰りになりましたよ。入れ違いでしたね」

「ああ、間が悪いねどうも。まあ構わないさ。ところで一巫女さんはいるかな? ちょっと相談したいことがあるんだ」

「ええ、いつものように三階のお部屋に。あとで──お茶をお出ししますよ」

 僅かに間があったのは、僕の恰好と話の流れから酒宴目的でないことがわかったのだろう。いやぁ相変わらず察しがいいね。

「ああ、頼むよ。酒がないと進まないくらい込み入った話を持ってきたわけじゃないから。──で、どうしたんだ時雨は。金魚の真似かい?」

 完全に無視を食らって口をパクパクさせていた時雨にそう言うと、

「──ふんっ!」

 鼻息荒くそっぽを向かれた。

 何とも時代遅れアナクロ二ズムなリアクションである。だがそれがいい。

 そのまま立ち去って行く時雨の尻尾は行き場のない憤怒を代弁するかの如くピンっとそそり立っていた。なんかこう──手で扱きたいなアレ。

「からかうのも程々にして下さいよ、ジョシュアさん」

 眉を八の字にした庵君が苦笑混じりに言った。

「ははは、なあに時雨だっていずれは客を取るんだ。今のうちに意地の悪い客の扱いくらい心得ておいたほうがいい。いや、待てよ。時雨はああ見えて小利口だから仲居の方が向いてるんじゃないかな?」

「そうですねぇ。ただ、時雨さんは──アカシャさんに憧れているようで」

 ──何だって?

「まさか──"そっちの道"に進むつもりなのか?」

「さあ、そこまでは。それでは私はそろそろ仕事に戻りますので」

「ん、ああそうだね。悪かったよ。長々呼び止めて」

「いえいえ。では、ジョシュアさん。天人様の御機嫌を損ねぬよう努々ゆめゆめ御気を付けて」

 庵君は不敵な微笑と不穏な捨て台詞を残して、奥へと去って行った。

 天人サマの辺りは冗談にしても、機嫌を損ねるなって辺りは大真面目だろう。一巫女さんが一度怒りだしたら、被害が及ぶのは僕だけでは済まない。

 僕は二階へと続く階段を見た。


 これが、天界へと続く階段か──。


 なんとなく、ネクタイをきゅっと引き締めた。

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