04『華やかなひととき』

 晶の隣に腰を下ろすと、不意に視界がかげった。

 頭上を日傘が覆っていた。

「──何やってるの」

「見ての通りだな」

 晶が日傘をくるくると回してみせる。特に──意味はないのだろう。彼女の視線が日傘に釘付けになっているので、なんとなくそれにならってしまう。

 素朴な白さの傘布をあしらう二重のフリルに、裏のフレーム全体を覆い隠すパーティードレスにでも使えそうなチュールレース。ユキンコほどコレが似合うやつのほうが逆に珍しいと思うぞ──と晶は言ってくれたけれど、やっぱり私みたいな子どもが差すにはキメ過ぎだとも思う。

「好きだね。日傘」

「おう、まあ、どうだろうな」

 歯切れの悪い返事とは裏腹にどこか弾んだ眼差しに、つい笑ってしまう。

 もともとこの日傘はまこ姉さんのおさがりだから、私が必要としていないときなら誰に貸しても構わない。それなのに、晶は私が日傘を差しているとやたらと中に入りたがる。


 そこに何か私への気遣いとは別の意図があることくらいは、なんとなくわかる。


 だから一度、貸そうか──と提案したことがあるのだけれど、晶は大げさにかぶりを振ったあと、捲し立てるように言った。

 何言ってんだユキンコ。私がそういうキャラじゃないことくらいわかってるだろ。ほら、いきなり頼りになるかっこいい晶お姉ちゃんのイメージ崩しちゃったりしたら、皆混乱するだろ? なに? こういう日傘こそ今しか楽しめないファッションの一つなんじゃないか? それと、その左右で袖の長さが違う柄シャツの方がよっぽど恥ずかしい? あー、物事には色々あってだな。あれだ。ケースバイケース? あと、ユキンコ。今さりげに私の服馬鹿にしただろ? んなぁっ! ちげーよ! この縫い目はねじれてんじゃなくて、ねじってんの! っていうかだれだ? そんな今しか楽しめないだの何だのテキトー抜かしたやつは? ──うん。私だな。でもほれ。実際見てみろ。いや、さっさと見ろよ恥ずかしいんだから! 私なんかが一人でこんな乙女チックなもの使ってたら──気色悪いだろ。


 とどのつまり、晶は私の存在を日傘を差す言い訳に使っている。


 ──気色悪い、か。

「──そんなこと、ないと思うけど」

「は? 何か言った?」

 びくりと身を硬くする。まさか、聞き取られるとは思っていなかったので。

「ううん、そういえば服汚れるなー、と思って」

「おいおい、今更過ぎだろ」

 笑うとも、呆れるともつかぬ声だった。

「おっ、でも言われてみりゃそうだよな。私のはともかくユキンコの着てるヤツとか白じゃん。大丈夫なのか、それ?」

「──まこ姉さんに怒られる時は二人一緒だね」

「とか言いつつ私のせいにする気満々だろユキンコ」

「──」

「いや、マジなのかよ」

 私の沈黙の意味を汲み取ったらしい。信じられない、とばかりに晶が目を見開く。もちろん本気で晶のせいにしようだなんて思ってはいない。彼女だってそれは承知の上だ。

「末恐ろしい奴だなホント」

「いいじゃない。晶だって私のこと──言い訳に使ってる」

 つい口をついた小言を、やはり耳聡く聞き取った晶は、

「はぁ?」

 と素っ頓狂な声を上げる。

 ──しまった。

「ちょっと待てよ。私がいつユキンコを言い訳に使ったって?」

「い、いつって──」

 たった今。そう言いかけて、呑み込んだ。

 それはさっきまで日傘を見つめていた、晶の弾んだ眼差しを思い出したから。

 私の不用意な発言で、晶を傷付けてしまうのは嫌だった。


 たとえ晶と言い争いになったとしても、晶の〈女の子の部分〉だけは中傷しないのが、誰が決めたわけでもない私自身のルールだった。


 そうだ。せっかくだから今、訊いてみよう。

「──ユキンコ?」

「あっ、あのね、晶」

「ん?」

「日傘。もしあったらさ、欲しい?」

 ──我ながらちょっと唐突過ぎる。晶はというときょとんとしている。無理もない。

「脈絡ねぇなオイ。いきなりどうした?」

「どうしたも何も、単なるもしもの話だよ。どう? 欲しい? 欲しくない?」

「じゃあ欲しくない」

 うっ、即答された。

「理由は二つ。まず一つ目。私には日傘が似合わない。これについてはユキンコの前でほぼ毎日証明済みだな。でもって二つ目。私の誕生日は四月じゃなくて五月だ。つまりユキンコがわざわざ大枚はたいてまで私にプレゼントする理由がないってこと」

「──大枚はたかなきゃいいってこと?」

「万引きかよオイ。万引きは窃盗だぞ? でもってそれを弱みに脅迫されて何かエロいこととかされる」

「そ、そうじゃなくて! 第一、私まだ晶にプレゼントするなんて言ってない」

「──そういう流れの話だろ?」

 ──その通りだけどさ。


 くしゃり、とややがさつに頭を撫でられる。


 目を瞑った。この感じは、結構好き。

「ま、可愛い義妹の厚意だけは受け取っとくさ」

 晶がこうしてくれるのは、決まって私が落ち込んでいるとき。そんなに私、凹んでいるように見えるのだろうか。断られたとき、ちょっと傷ついたのは確かなのだけれど。

「しっかし、何でまたチョイスが日傘なんだよ。私プラス日傘でこれがホントのキモカワイイとか、そんな一発ネタでもやらす気か? ──あれ? 想像しただけでちょっと目頭熱くなってきたんだけど。それじゃ、私とんだピエロだよ?」

「──だって、ええっと」

 不味い。これ以上の発言は、間違いなく私が自身に課したルールに反する。

「いいよ、続けな。──晶さんってば懐のデカさで有名なんだぞ?」

 ここまでされたら、言わない方が逆に悪い気がしてきた。うん、ここは思い切って言ってしまおう。

「晶、いつも楽しそうだから」

「楽しそう?」

「う、うん。私と相合傘してるときとか、その、何か楽しそうって言うか、顔赤いっていうか」

「へ、へぇー」

「酷いときなんて、何かにやにやしてるときあるし」

 だからもしかして、本当はこういう可愛い感じのやつとか、それこそ日傘とか好きなのかなぁ、と思って──なんて続けようとしたところで、

「待った」

 顔の前にずいっと掌を付き出された。

「あ~、いやぁ、その、なんでぃ」

 ──江戸っ子?

「なに? その、今までさ、そんな嬉しそうにさ、その、見えてた?」

「見えてた」

「じ、じゃあさ、にやにやとか、してたの? マジで」

 マジで。

 私は、頷いた。

 晶の目が大きく見開かれた。ほんのり赤かっただけの頬に、少しずつ明らかな紅が差していく。その色彩を恐る恐る見守っていると、ぷいっと顔を背けられた。


 ──やっぱり触れちゃあ不味かったんだろうか。


 私が謝罪の言葉を探していたところで、

「ココお姉ちゃーん!」

 名前を呼ばれた。声の主にしては思いのほか大きな声だったので、正直ちょっとびっくりした。

 女の子が二人、こちらに向かって来ている。今にも玉砂利に足を取られそうな危なっかしい駆け足に、続く悠然とした足取り。


 紙袋を胸に抱えて走っているのがヒナちゃんで、本を一冊小脇に抱えて歩いているのが鏡花さん。


 ヒナちゃんはサクランボ柄のワンピース。

 鏡花さんは黒のタートルネックに、濃い茶色のロングスカート。

 先に木陰に入ったヒナちゃんは私の前で立ち止まった。そこで慌てたように紙袋を背中に隠す。肩で小さく息をするヒナちゃんの頬は、ほんのり果実色だ。

「こんにちはヒナちゃん」

「よお」

「えへへ。こんにちはココお姉ちゃん、晶お姉ちゃん」

 ヒナちゃんが一歩退いて、礼儀正しくぺこりと一礼する。ただしその両手は背中に隠されたままだ。

 晶がにやりと笑った。

「おやおやぁ? お嬢ちゃんいいもの持ってるね。どれ、晶お姉さんに見せてごらん」

 ヒナちゃんが、丸くした目はそのままに首を傾げた。

「食べものじゃないですよ?」

「ちょっと待てぃ。私のイメージって食いしん坊キャラなのか?」

 ヒナちゃんはてへへと笑って、私をちらりと見た。助け船を求める目だった。ヒナちゃんには日頃から色々と──主に私の脆いメンタルの支えとして──お世話になっているし、何より可愛い妹の頼みだ。断る理由はない。

「晶のイメージはそんな感じだよ。ヒナちゃん、おいで」

 私はできるだけ優しく微笑んで、軽く両手を広げる。

 ヒナちゃんは紙袋を胸に抱え直した。それから、とおっ、と消え入るような掛け声とともに私の腕の中へと身を寄せてくる。ここで思い切り飛び込んでこないところが、ヒナちゃんらしい。

 とはいえ、たかが四歳児されど四歳児、いざ受け止めることを考えるとヒナちゃんがそうしなかったことに内心ほっとする。

 飴色のボブカットから、ミルクのような匂いがふわりと香る。目が合うとちんまりとした口が照れくさそうに、にへっ、と笑った。とろけるようなそれについ頬がゆるむ。


 こうしているとき、ヒナちゃんが私にやや顔の左側を見せているのは、右耳に障碍しょうがいを持っていて音を聞き取りづらいためだ。


 ヒナちゃんはもう癖になってるから、と言うけれど私には彼女がまだ小さいこともあって、その姿がより健気に見える。

「今日も仲睦まじいこと」

 続いて木陰に足を踏み入れた鏡花さんが、挨拶ではなく感想を述べた。一瞬、私とヒナちゃんのことを言っているのかと思ったけど、眼鏡の奥に佇む黒曜石みたいな瞳は、晶を見ていた。


 そこで、私はようやく晶と相合傘をしていることを思い出す。


 晶と顔を見合わせた。思っていたより、私たちの距離は近かった。

「まあ、悪くはないよな」

 不仲を主張するのもヘンなので、頷いておく。

「長年連れ添った夫婦みたいな落ち着きね」

 膝に座っているヒナちゃんが、きょとんとした顔で私と晶を交互に見た。

 その頭を晶がわしゃわしゃと撫でてから、

「羨ましいなら鏡花も入るか?」

 と冗談めかして訊いた。この場合は木陰ではなく、定員オーバーな日傘のことだろう。

「ココの膝の上には先客がいることだし、私は晶の膝の上に座ればいいのかしら?」

「応よ。それでもいいなら、どんとこい」

 鏡花さんは肩をすくめると、

「失礼」

 と言って、私の隣──日傘の外に腰を下ろした。

 そのとき初めて鏡花さんの持っている本のタイトルが目に入った。『親子で楽しむ草花遊び』──近寄りがたい印象を与えがちだけれど、鏡花さんは本当に良いお姉さんでもちろん良い妹だとも思う。

 さすがに日傘は邪魔かな、と思い晶を見ると、そう促すよりも早く晶は日傘を畳んで私に差し出してきた。それを受け取って、背もたれに使っている幹に立てかける。

「そういえば、お前ら何処にいたんだ? 家の中にはいなかったよな」

「ええ。ちょっとお花畑にお花を摘みに。ああ、隠語のほうじゃないわよ? 詳しくはヒナに聞けばわかるんじゃない」

 えっと──隠語云々はさておき、自然と私たちの視線はヒナちゃんに集まった。身をすくませるヒナちゃんは、胸に大事そうに紙袋を抱いている。当然中身はわからない。

「その袋、どうしたの?」

「え、ええっとね──」

 ヒナちゃんが話してくれるのを待つ間、私は晶に目配せした。ヒナちゃんへの対応において経験と上達が結びつかない私は、たとえ助け船を求めるようなときでなくとも、ついそんな仕草をしてしまう。

 晶の瞳から読み取った感情を言葉に変換するなら、せいぜい頑張れといった具合だ。晶がこういう目をするときは何だかんだでフォローしてくれるので、とりあえず安心する。

「これ」


 玉の入っていない鈴みたいな声と共に、紙袋から取り出されたのは花の輪っか。


 シロツメクサを編んで作った冠だった。

「へぇ。シロツメクサの冠か。懐かしいな」

「うん。晶おねえちゃんも作ったことあるの?」

「まーな。私なんかこれでなわとび作ったことあるぞ」

 なわとび──とヒナちゃんがびっくりしたような声音で復唱した。

「ほんとう?」

「ああ。出来るよなユキンコ」

 そこで話を振ってこられても、私は曖昧な笑みを返すしかない。

 今ヒナちゃんが持っている花冠だってどうやってできているかわからないのに、なわとびができるかなんてわかるわけない。けれど、いくらこれを繋げてなわとびができたとして、それってなわとびとして使えるの?

「あのね、ココお姉ちゃん」

「なあに?」

「ココお姉ちゃん、お花は好きですか?」

「──うん。好きだよ」

 これが晶相手ならまぁ嫌いじゃないかなとか答えるところだけど、さすがの私にもこれくらいの空気は読める。

「じゃあこれっ、ココおねえちゃんにあげます」

 そう言ってヒナちゃんは立ち上がると、持っている花の冠を私の頭に被せた。正しくは乗せたというべきか。冠のサイズは、私ではなく自分の頭を参考にしたらしい。

 ヒナちゃんから、

「わあっ」

 と声があがった。演技じゃなくて、本当につい心から漏れ出たようだった。

「ココお姉ちゃんおひめさまみたい──」

「お、お姫様って──」

 さすがに予想していなかった言葉に、私は頬にじんわりとした熱さを感じながら目を伏せた。

 ヒナちゃんの言ったことだとわかっていても、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 私の場合は肌が白い分、紅潮するとそれこそ熟れた林檎のようだから尚更だ。

「本当。シロツメクサの冠によって、より一層儚げになったわ。まるで白昼夢のよう」

「おお。シロツメクサがここまで似合うやつもそうそういないだろうな。こりゃあ今年のベストシロツメニストは頂きだな!」

 二人の褒めているのかいないのか、よくわからない意見は聞こえなかったことにする。

「──ありがとう。ヒナちゃん」

 私は僅かなためらいのあと、ヒナちゃんの頭を撫でる。ヒヨコのようなふわふわとした手触り。身内とはいえ、他人の髪を触るのは中々どうして緊張する。手汗とか大丈夫かな?

 そんな私のぎこちない手つきでも、ヒナちゃんは目を細めて受け入れてくれる。

 そっと手を離すと、えへへ、とはにかんだ笑顔を見せた。それだけで救われた気持ちになる。

 ふと地面に置かれた紙袋に視線を落とすと、シロツメクサが一輪顔を覗かせていた。ヒナちゃんが繋ぎ忘れたのだろうか。


 手に取って、少しだけいいことを思い付いた。


「ヒナちゃん」

「なあに?」

「ここ。もう一回座って」

 私がぽんぽんと膝を叩くと、ヒナちゃんは頷いてその上に横を向いて座った。身体ごと左側を向けた私の声を聞き取りやすい体勢だ。

「じっとしててね」

 私は持っていたシロツメクサを、髪飾りのつもりでヒナちゃんの頭に挿した。

「ほら。これでヒナちゃんもお姫様」

「ヒナが──おひめさま?」

「そう。私と同じ。──お揃いだね」

 私は、ヒナちゃんに笑いかけた。

 もちろんヒナちゃんが頭を動かしたりしたら髪飾りもどきは落っこちるわけだけど、そこは私が押さえていればいいことだし、どのみちごっこ遊びなんだからこんなもので充分だろう、とお返しに花の冠を作ってやることすらできない自分に言い聞かせる。

 ヒナちゃんはどことなくぼうっとした表情で、

「おそろい──」

 と呟いている。

 この娘の中ではお姫様よりも、私とお揃いの方が上位なんだろうか。まあ少なくとも不機嫌には見えないのでほっとしていると、不意にヒナちゃんが激しくかぶりを振った。


 髪飾りもどきはあっけなく、一輪のシロツメクサに戻った。


「だ、ダメだよ。ココお姉ちゃん!」

 ヒナちゃんには珍しい語気の強さに、私もそうだけど何より当の本人が、言った後で目を点にしていた。

 ここまではっきりとヒナちゃんに拒絶されたのは、多分これが初めてだった。

「えっと、──何が駄目なの?」

 ヒナちゃんははっとして地面に落ちたシロツメクサを拾った。

 俯いてそのシロツメクサを両手で握ると、上目遣いにこちらを見てくる。その目にはうっすらと涙が滲んでいた。

「ごめんなさい」

「うっ、ううん。私のほうこそごめんね。その、気に入らなかった?」

 ヒナちゃんは慌てたように強く頭を振った。

「ちっ、ちがうの! そんなことないの! だって──だって、おひめさまは」

「お姫様?」

 ヒナちゃんは顔を上げて、小さく頷いた。


「おひめさまは──独りじゃなきゃダメなんだもん」


 春風が吹きつけた。

 私たちの頭上で、若葉が一斉にざわついた。

 ふと鳥居の方に目を向けると、まこ姉さんがこちらに向かって手を振っていた。

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