03『眩しさを失う日』

 こうしていると、三年前までは外に出ることさえつらかった事実が自分でも信じられない。陽の光に透ける若葉を眺めている自分には、今でも違和感を覚えるくらい。


 だって──あの頃の私は、外で過ごすことさえ苦痛だったのから。


 診療所の先生が言うには、生まれつきメラニン色素というものが不足しているらしい。だから、肌は紫外線に対して免疫がないし視力も低い。眼鏡やコンタクトによる矯正も、ほぼ無意味だそうだ。

 肌については長袖を着るとか、日傘を差すとか、紫外線防止用のクリームを塗るとか、そもそも極力外出を控えるとか、それなりに手を打つ術があった。けれど、視力ばかりはどうにもならない。特に厄介なのが「眩しさ」で、普通の人は物をはっきり見るために、色素によって目に入る光の量を調整しているのだけれど──。私の眼にはそれがないから、必要以上の光が眼に入ってしまう。


 とどのつまり、天候や場所を問わず日光は私の天敵だった。


 にもかかわらず、私は中学に入ってから早朝の散歩を日課としていた。決まったコースはなかったけど、極力クラスメイトと鉢合わせになりそうなところだけは避けていた。散歩というのはどうしたって、お年寄りのイメージが付きまとう。やっとクラスでの外国人扱いが治まったのに、髪が白いことも相俟っておばあちゃん扱いされるのは御免だった。

 それでも散歩を続けていたのは、別に健康に気を遣っていたからでも、散歩道を彩る草花に興味があったからでもない。ただ引きこもっているよりは独り散歩をしている方が、同じ孤立でもいくらか絵になるような気がしたからだ。


 ──今思えば、散歩に晶たちが付き添ってくれるようになったのはいつからだろう。


 気が付いたら一緒にいて、肩を並べて歩いていた。

 晶と一緒に歌を歌ったり──もっとも流行りものに疎い私のせいで、歌は校歌だったり童謡だったり、CMソングのサビ部分だけだったりした──ヒナちゃんのスキップの練習に付き合ったり、鏡花さんの道端に生える植物に関する学識に耳を傾けながら散歩するのは、楽しかった。

 誰にも付き添いなんて頼んだ覚えはなかった。そもそも自分はそんなことを頼める身分じゃないと思っていた。皆の厚意を嬉しく思う気持もあった。

 でもそれよりもずっと──私に気を遣ってくれる皆に申し訳ないという気持ちのほうが、あの頃は勝っていた。


 だから、どうしても散歩に代わる日課が欲しかった。


 インドアといえばやっぱり読書だろう──と思いついたまでは良かったのだけれど、あいにく私は普段から本を読む娘ではなかった。我慢できないほどじゃあないけど、本の白いページは光を反射して眩しいのだ。

 試しに学校の図書室で本を借りた。どんな本が面白いのか本気でわからなかったので、適当に鏡花さんに選んでもらった。

 学校からの帰り道、鏡花さんは私の方を振り向きもせずにこう言った。


 私のような朴念仁に期待なんてしていないとは思うけれど、甘えるなら私以外の義姉妹にしてね。私そういうのは──上手じゃないから。


 その日の晩、晶とテレビを見るともなしに眺めていたとき、私は散歩を止めようと思っていることを彼女に打ち明けた。

 晶はテレビに視線を止めたまま、そっかーザンネンだなとだけ言った。


 ──それだけ?


 思わず、訊き返しそうになったあたりで、気付いてしまった。

 散歩の代わりを探しているだなんて嘘。読書を習慣として定着させる気なんてさらさらない。

 散歩を止めると言い出したのは、自分が皆に愛されているかどうかを確かめたかったから。

 私はただ、「可哀想な女の子」として、皆にかまってほしかっただけ。

 それは一番──私がそう思われたくない姿だったはずなのに。


 そのとき、私はこの家のになって初めて泣いた。


 晶はそんな私を、戸惑いながらも何も言わず、ただ抱きしめてくれた──までは良かったのだけれど、その場にやって来た鏡花さんとささめ姉さんに、その、あらぬ疑いを掛けられていた。私は泣いていたし、晶は──日頃の行いからちょっと誤解を受けやすい立場にいるので。

 事態は落ち着いた私が説明することで収拾がついたのだけれど、今思えばあれはあの二人なりに気を遣ってくれたのだろう。あの二人があり得ない解釈をすることで、結果私は涙の理由を語らずに済んだのだから。

 

 そして、私の日課は散歩に戻った。

 三日どころか一日とさえ持たなかった。

 その日、久々に一人で歩く散歩道には何とも言えない懐かしさを感じた。相変わらず出歩くにはスキンクリームが必須だったけれど、そんなこと気にならないくらい風はふわりと心地よくて、ああ、こういう風を「風光る」と言うんだろうな、なんて感慨に浸るほどだった。

 それまでずっと下り坂だった食欲がむくむくと湧いてきたので、今日のおやつは何だろう、とそのときの私は柄にもなく胸をときめかせていた。


 きっと今日食べるお菓子の味は生涯忘れないだろう、と思ったくらいに。


 忌々しいほどに照りつける太陽を、止せばいいのに睨みつける。

 ──紫外線の多い時期、日中、アップルグリーンの陽光、眼に受ける刺激。

 そこで、初めて気がついた。


 何故、私の眼は太陽を睨むことができるのだろう?


 一瞬──こことは違うどこかが見えた。

 あかい。アカイ。赤い。紅い。あかい。

 全てが──この世の全てが、赤に埋もれている。

 訳も分からぬまま目を擦って、瞬きを繰り返した。


 散歩道に、立っていた。


 その日、おやつだったブルーベリータルトの味はよくわからなかった。

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