第7話 再び屋外図書館へ
愛歌が誕生して1週間ほどが経ち、カイルが呼び出す愛歌は1歳ほどの大きさになった。愛歌の人気は高く、ユーザーからのリクエストで、着せ替えと、成長年齢速度の調整と、成長年齢を希望の歳でストップできるオプションを追加した。
カイルは愛歌の成長をチェックするために、40cmほどの高さの小型の言霊増幅装置を会社から借りて、部屋の中のある場所に保管している。
通常は特殊な透明ケースに入っているのだが、カイルが借り受けたものは、機械本体だけだ。
他の言霊と違い、愛歌は装置の幅よりも広い範囲を移動して、様々なポーズを取るので、透明なケースは無い方が、愛歌を呼び出すのには適していたからだ。
本当は一般の顧客が使用する通信機器を使って愛歌を呼び出し、チェックする方が大事なのだが、増幅装置を使うとリアリティーさが増して観察しがいがあるため、カイルは通信機器と言霊増幅装置を一日置きに使うことを決め、代わる代わる愛歌を呼び出して、成長の度合いや、話し方、話す内容の理解力などを試している。
今日もカイルが帰宅して真っ先に向かったのは、壁際にあるベッドで、その下を探って羽目板を外すと、2重になっている仕切りの一か所に、自分の手の甲をかざして個人識別番号を読み取らせ、もう一つの隠し扉を開いた。
そこから言霊増幅装置を取り出すと、カイルはベッドルームに隣接したダイニングに戻って、テーブルの上に設置する。愛歌を投影する準備を始めた時を見計らったように、ドアのベルが鳴らされ、隣の部屋に住む良平がやってきた。
この1週間は、帰宅後毎日のように、愛歌の成長を二人でチェックするので、夕食も一緒に摂るようになった。良平が持ってきた材料を洗い、慣れた手つきで、オートマティッククッカーに入れる。
料理ができるまでの間、二人はダイニングテーブルにつき、言霊増幅装置を稼働させて愛歌を呼び出した。
40cmほどの言霊増幅装置が白く発光し、かわいいワンピースを着た25cmほどの小さな愛歌が、テーブルの上をよちよち歩きでカイル方にやってきたかと思うと、よろけてぐらりと身体が傾いた。
カイルが慌てて手を出そうとすると、愛歌はストンとお尻で着地し、座ったままかわいい声で笑い出す。
ほっと、息を吐いたカイルを、良平が目を細めて笑いながら弄るのも、最近の日課になりつつあった。
「しかし、今の様子といい、このかわいいワンピースの趣味といい、カイルの新しい面を知った気がするよ」
「うるさい! 何を着せればいいか分からなかったから、キャラデザイナーにどれがお勧めか聞いたんだ。俺の趣味じゃない!」
むっとしたカイルが席を立ち、ベッドの上から写真立てを持ってきた。
良平が嫌な予感を覚えた時には、時すでに遅しで、写真立てからぼ~っと浮かび上がったのは
「良平、久しぶりだな。元気であったか? おお、かわいい
カイルと良平が、揃って大きな声で、「
最近カイルは、会社で用意した社員たちの名刺や、言霊たちを紹介した簡単なリーフレット全てに、磁気を帯びる特殊な透明インクで
ベンが逮捕された後、ブラックスワンの黒田社長が行方不明になったと警察から連絡を受けたので、新規の客を含め、念のために社員たちに接触する人間を監視する必要があり、ベンの報告を受けてからも、引き続き社員たちのIDカードに査探の文字が隠されている状態だ。
笑っている
「今のところ、不審な動きはないな。おお、そういえば、一つだけ進展があったのは、明日、良平が屋外図書館で仕事をした後、マライカと会う約束をしたことだ」
「
顔をしかめる良平を見て、愛歌がよちよちとテーブルの上を歩き、良平の両頬を小さな手で撫でようとする。
「
それまで良平と愛歌の様子を見て笑顔を見せていたカイルの顔が、良平の言葉を聞いた途端に曇った。
「俺たちは、
「な、なにを言ってるんだ。まだ僕たちは、そんなことを考えてもいないよ。僕はただ、彼女の母親を助けたくて、少し援助をしただけだ。それで、明日は彼女が直接お礼を言いたいと言ったから、図書館で待ち合わせることになったんだ」
その言葉をうのみにするカイルではない。ただの同情で、見も知らぬ女性の母親を助けようとするものかと思ったが、良平のあまりにも必死な言い訳にフンと笑っただけで、何も言わないでおいた。
ふとカイルは、外人と内人の違いを頭の中で比べていた。
外人は金銭に余裕がある無しに関わらず男女が共に暮らし、子供ができれば、育児コロニーに預けることもなく、自分たちの手で育てる。
それに対し内人は、ジェリーフィッシュ内の限られた空間に暮らすため、割り当てられる部屋は1ルームが普通だ。
財産を継がせるためと、人口が減り過ぎないように調整するため、契約結婚をして一人子供を作ることを余儀なくされる。
相手もコンピューターで選択して結婚後は同居もしない、というか、できる部屋がないので、子供も内人共同の育児ステーションに預けられる。
稼ぎが多く、何部屋もある個人宅に住むアッパークラスに生まれる以外は、それぞれ別の場所で暮らすのだ。
同じ人間なのに、こんなにもライフ形態が違うのだと考えると、改めて良平とマライカの行きつく先に希望がないことが分かり、カイルは良平の顔から目を逸らして俯いた。
「そこの
「
「僕もカイルの案に賛成だ。これ以上プライベートを暴かれちゃ堪らないよ」
「良い女子じゃのう。愛歌、ワシの嫁になるか?」
意味が分からないというように、愛歌は首を傾げて、カイルの顔を見上げるので、カイルが首を振って
「純真な赤ちゃんを口説くんじゃない。変な子に育ったらどうするんだ」
「カイルはすっかり良き父親だな。では愛歌が育ってから、カイルに娘をくれと申し込むことにしよう。では、さらばだ」
カイルが何かを言う前に、
気が付くと、にやにや笑っている良平と、相変わらず訳がわからないというように首を傾げる愛歌の視線を受けて、カイルはやれやれと肩を竦めたのだった。
翌日、ジェリーフィッシュから外に出たマイクロバスの中で、良平は今日見つけるつもりの言霊が、潜んでいそうな本のタイトルをチェックしていた。
どうしてジェリーフィッシュの外に出て、ウィルス感染の危険を冒してまで、うち捨てられた図書館にいくのかというと、紙でできた本があるからだ。
いるかいないか分からない言霊を、膨大な数の本を開いて一言一句逃さないようにチェックしながら探すのは、大変な困難を伴うが、最初にカイルと組んで図書館に向かった時と同じように、わくわくする気持ちは変わらない。
今の時代、内人のデータ保存は、強化ガラスに超短パルスのレーザーで記録される5Dデータになっている。摂氏1000度まで耐えうるし、190度の中で138億年持つといわれるほぼ永久的なデータ保存で、紙のように燃えることも、ディスクのように磁気でデータが消滅することもない。
だが、残念ながら、そこに言霊は存在しない。
そもそも、なぜ良平が言霊に行きついたかというと、それは大学生の時にまで遡る。
良平は2年飛び級をして大学生になったが、その時に言語学を専攻した。自分が純粋な日本人であることから、今は廃れつつある日本の言葉に興味を持ったからだ。
もちろん他の言葉も勉強したが、特に力を入れたのは日本語で、言葉の成り立ちだけではなく、日本文化も勉強しようと古書の万葉集を読み解いていた時に、「言霊」に関する面白い記述を見つけた。
そこには、言霊というのは古代の日本において信じられたもので、日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされたと記されていた。
言葉の中に魂があり、その力によって幸せを得るなんて、面白い発想だと思ったが、江戸期の国学にも言霊はあげられていて、良平はひょとしたら日本語の中には未知の何かが潜んでいるのかもしれないと考え始めた。
ジェリーフィッシュ内の5Dにある日本語の中に何か発見できないだろうかと思ったが、自分だけの知識ではどうしようもないことは分かっていたので、言霊のことについて生徒たちが興味を抱くような面白い記事を学校内でいくつも発表して、探知器を作れる技術者の協力を呼び掛けた。
内人の子供たちは、似たような環境の子供たちを集めた育児コロニーで育つため、良平が真面目で温厚な性格だということを知っている学生は数多くいたので、良平の言っていることがいかに不思議であっても、信憑性があるのではないかと興味を持つものが出始めた。
そして、折しも内人たちの間に起こった流行にぴたりと当て嵌まり、「言霊」は脚光を浴びて、あっと言う間に良平の名は知られて行った。
その流行というのは「回顧主義」で、世界が内人と外人に分かれることなく一つだった時代への憧憬によって生まれたものだった。
内人の生活環境上、結婚は契約で、住居も別々で、自分たちの種を残す義務を終えた両親に、顧みられる子供たちはほとんどいない。
調理や育児さえも、オートクッカーや、アンドロイドで代用できるので、愛情というものを知らず、規定に縛られた無味乾燥の生活の中、「回顧主義」が沸き起こったのは至極当然のことだったのかもしれない。
映画や歌など二十一世紀前半のものがブームになり、そしてそのブームは加速し、スピリッチュアルなものにまで及んだ。
そこに丁度、良平の言霊の記事が結びついたのだ。
良平の記事を読んで、協力を申し出たのが、3年飛び級をした天才科学者の卵、カイルだった。
言霊を感知するための機械を作ろうということになったが、まだ学生の身分で、同じ仲間から寄付を募るとしても微々たるもので、資金にはとても足りない。
そこで、二人は手っ取り早く資金を集めることを考えた。日本語を書いたお守りの販売や、言霊対戦ゲームなどを作って売り出したところ、これが大当たりをして、学生だけにとどまらず、大人までが夢中になった。
そして集まった資金で作ったのが、霊体用のエネルギー感知機だった。存在そのものは無くても、生命の波紋ともいうべき磁場を感知できるとカイルは良平に力説した。
最初は5Dデータに記録された日本語の中に、言霊を探したが見つからず、エネルギー探知器が働いていないのか、言霊は最初からいないのか判断がつかず、二人で解決策を練っていた時に、ふと良平が紙の本にいないだろうかと口にしたのがきっかけだった。
古来の日本では、自然万物の物に魂が宿ると信じられていたくらいだ。みんなが夢中になって読んだ本の中に、人を惹きつけて止まなくさせた言霊が宿っていてもおかしくはない。
それがだめなら諦めようと良平が言うと、最初はウィルス感染などを危惧して反対していたカイルも、良平の真剣さに折れ、試しにやってみようということになった。
場所は、外人の住む地域からも距離がある場所で、もう誰も利用せず廃屋のようになっている図書館だった。
防護服の上から頭と腰にライトを装着すると、錆びついた扉を何とか開けて、二人は真っ暗な図書館の中に入って行った。
本来なら明り取りのガラスが嵌っているはずだが、温暖化や氷河期の温度差などで本が傷まないよう壁で塞いでしまったらしく、光はどこからも射し込まれなかった。
降り積もったほこりが、金色のライトに照らされ、二人をからかっているようにふわりふわりと取り囲んで踊る。
きっとこの図書館に収納されたものたちは、服を着た人間は知っていても、まるで宇宙服のような仰々しいものを着て、月面を歩くかのように慎重に周囲を探る生き物を見たことがないだろう。
そんな風に、自分たちのいでだちを場違いに捉えながらも、未知の世界を探検することに高揚し、二人は本棚から本棚を渡り歩き、日本語が書かれた本を探した。
カイルは日本語が読めないので、これと思ったものを良平に見てもらい、それが日本語の本だった場合、良平が探した本と一緒にして積み上げていく。
それらの本を一ページずつめくりながら、カイルがガイガーカウンターのような形態のエネルギー探知器を当てて、何かエネルギー反応がでないか確かめるという地道な作業が続いた。
最初はすぐに見つかるのではないかと、ワクワクしていた二人だが、言霊は静けさを破った二人を警戒しているのか、なかなか姿を見せてくれない。
それとも…‥
「存在しないんだろうか?」
少し肩を落として呟いた良平に、カイルが首を振った。
「普通は、幽霊だとか、妖精だとかを信じない科学者の自分が味方についてるんだぞ、もっと自信を持った方がいい。ちなみに幽霊を見たことがある奴が言うには、実体がなくてもエネルギーを感じることができるらしい。言霊かと思ったら、幽霊だったりしてな‥・・・」
「怖いこと言わないでくれよ。こんな暗いところで、ライトの光だけを頼りに作業しているんだ。暗闇に浮かび上がりそうで怖いじゃないか」
「ハハハハ‥‥‥。みんなの前で言霊の有無を説明する時には、良平はあんなに堂々と熱く語るくせに、幽霊を怖がるなんて思いもしなかった。幽霊の存在を信じて怖がるくらいなら、言霊の存在をもっと信じてやれば、出てくるかもな」
冗談とも、本気とも取れないカイルの言葉は、良平の不安や疑念をきれいに取り払った。
「確かに、そうだな。心を疑心暗鬼で曇らせていては、言霊の息使いを感じられないのも当然だ。言葉にこもる力を生み出す魂は必ずいる。いるはずだ!」
良平は一冊ずつ一ページずつを探すのではなくて、目を閉じて、本に触れて何かを感じないだろうかと試してみた。
そして、ある一冊を取り上げた時に、指が気配を感知したのだ。
何だろう?このざわつく感じは? そう思ってカイルにその本を渡すと、カイルも良平を見習って、エネルギー探知器を使わずに、ページに指を這わせながら、次々に捲っていった。
ページと戯れるように動いていた指が止まった。カイルが眉をしかめながらある一点を凝視している。
「良平、意味は分からないが、この文字を見るとなぜか不快な気分になる。ひょっとしたらここにいるかもしれない」
良平が、どの文字だと聞くより早く、カイルがエネルギー探知器のスイッチを押し、目指す文字に近付けると、探知器の画面にエネルギーの波形が映り、うねうねと動き始めた。
「動いてる! 良平、やった。見つけたぞ。調査や資金稼ぎに費やした日々が報われたんだ!」
「ああ、やったな。嬉しいよ! でも、今日は言霊を探すためだけのつもりで来たから、言霊捕獲機を持って来ていない。残念だよ。なぁ、この本をもってかえるわけにはいかないかな?」
エネルギー探知器に表れたエネルギー反応の波形を、感慨深げに見つめる良平に向かって、カイルが残念そうに首を振りながら答えた。
「紙の本はウィルスを除去するのが難しい。持ち帰るのは無理だ。今度また来よう。ところでこれは何て書いてあるんだ? あまり気分がいい文字ではない気がするが、言霊として使えそうか?」
カイルがエネルギー探知器を外して指さした文字を見た良平は、思わず首を突き出してから、弾かれたように笑い出した。
「だめだ! この言霊は使えない。【バカ】って書いてある!」
「バカ~っ!? どうりで腹立たしい気分になると思ったよ」
「カイルは科学者のくせに、見えない気に敏感なんだな。エネルギー探知器なんて開発する必要は無かったかもしれない」
「バカ言え、数値で見せられなければ、俺たちの妄想で終わってしまって、協力者は得られない」
「バカ言え、ねぇ‥‥‥。カイルに限っては、あの文字を使えるかもしれないな」
「何をバカなことを…‥。あっ……」
カイルがバカを連発していたことに気が付き、言葉に詰まって固まったのを見て、良平の笑い声が暗かった図書館に響き渡った。
朗らかな笑い声はひっそりとした闇を緊張感から解き放っていくようで、笑いを収めた良平とカイルは、何かが変わったのを感じ取り、視線を交わしてから、周囲の本棚にそっと目をやった。
「僕の見間違いだろうか? 東の壁にある本棚の上から2段目の真ん中あたりの本が、他のと違って、ほんの少し明るい色に見えるんだ」
「良平の目は確かだ。ほんのり光って見える気がする」
二人は埃を舞い上げながら、その本棚に駆け寄って、良平がその一冊を手に取ると、カイルが言霊探知器を当てた。わずかだが反応がある。
ページをめくって探し当てれば、もっと波形が大きく振れるに違いない。
カイルと良平は空いている手でお互いの腕をしっかりと掴んで、顔を見合わせた。頷き合う二人の目にも、希望の光が浮かんでいた。
言霊の恋 マスカレード @Masquerade
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