05『薄層の色』

 植木先輩がバスケをやっているところを初めて見た。

 先輩は点取り屋スコアラーというわけではなかった。チームメイトがどこにいるか、どう動くかを瞬時に判断して的確なパスを出す。シュートの本数自体はそう多くないが、打てる場面では迷わず打ち、着実に点を重ねる。チームメイトのミスは励まし、得点を決めれば張りのある声でエールを送る。

 まさしく先輩をかなめにチームが機能していた。

 素人目にもわかる、絵に描いたようなエースだった。

 これは──好きになるのも仕方がない。

 途端に、恥ずかしくなった。何がドクター・フォックス効果だ。僕が生徒会に選ばれたのは、スピーチの内容が良かったからでも、態度が堂々としていたからでもない。

 単に僕を推薦した植木先輩の人徳だ。人望の厚さだ。

 チーム一丸となって活躍する姿も、溌剌はつらつとした顔でコートに立つ姿も。

 

 眩しいとさえ、思えなかった。


 ただ、全てが遠かった。

 試合終了のブザーが響く。両チームが横一列に並んで、力強い挨拶を交わす。

 チームメイトと軽口を叩き合いながら、コートの外に出た植木先輩が、

「キヨー!」

 こちらに気付いて、手を振った。

 僕は──軽く手を上げるにとどめた。

 多分この試合を目にしていなかったら、僕はいつも通りの澄ました面で、先輩に小さく手を振り返していたのだろう。

 そう考えると、余計に恥ずかしくなった。


「悪いな。呼び出しちまって」

 僕と植木先輩は、体育館の非常口を出てすぐの短い階段に座っている。部員の様子を見る限り、まだ今日の練習は終わっていない。単なる休憩時間なのだろう。そうなると、先輩の相談というのは長い話ではないのかもしれない。もっとも、中々切り出さないところを見るに、長くなるか短くなるかは先輩次第と言ったところか。

「正直意外でした。もっといかにも攻撃型ってタイプなのかと」

 植木先輩はきょとんとした顔で、僕を見る。三秒ほど間があって、ああと頷いた。

「バスケの話か」

「ええ。──褒めてますよ?」

 僕の場合、言葉が足りない以前にあまり表情かおに出ないので、一応補足しておく。

 植木先輩は、頬を掻きながら照れたように笑った。

「理想の先輩ってヤツか?」

「それは──違いますけど」

 違うんかいっと若手芸人顔負けのツッコミを見せてくれる先輩を尻目に、僕はちょっと真面目に答える。


「理想って自分がなりたい姿じゃないですか。だったら、僕にとって先輩は違うってだけの話です。バスケやってる姿見て、すごいなって思ったのは本当ですよ。理想じゃないけど、尊敬はしてます」


 植木先輩は──またしてもきょとんとした顔で僕を見ていた。

 そんなに、わかりづらかっただろうか。僕にしては、わりとまっすぐな言葉を選んだつもりだったのだけれど。

「キヨのそういうとこ、見習わないとな」

「どういうとこです?」

「絶対言わねー。そういうのって自覚したら、返ってしにくくなるだろ」

 そう言って、植木先輩は僕から顔を背けた。

 すっきりしないけれど、頷ける意見だった。

 仕方ない。気にならないといえば嘘になるが、もとより潤滑油になればと振った雑談だ。これ以上長引かせる必要はない。大人しく植木先輩が口を開くのを待つことにする。先輩も意図を察したのだろう。多分痒くもないだろう顎を掻きながら、ええっとだな──と切り出した。

「桐宇治って、その、何が好きなんだろうな」

「はあ」

「その、好きなもの──をキヨに訊くとか流石にないよな? わかってる。ナイナイ。じゃあ、好きな色。そう! 何色が好きとか、そこらへんならどうだ?」

 植木先輩からそう尋ねられたとき、僕の胸中は呆れ半分、安堵半分だった。

 前者はそんなもの本人に直接訊くか、もしくは本人と日々接する中で彼女が扱っている小物などから推測すればいいわけで。後者は何故かというと、僕に桐宇治さんの好きなものを尋ねるなんてありえない──と先輩が言い切ってくれたからで。

 そう、ありえてはいけない。貴方から彼女へ何をあげたら喜ぶのかなんて大事なことを、他人に訊いて解決しようとしてはいけない。それは、植木先輩が頭を悩ませるべき問題だ。僕に介入の余地などない。


 ──そういう意味で言ったんですよね?


 僕の頭を過ぎったのは、彼女が指先で踊らせていたシャープペンシルと、現代文の教科書を彩るマーカー。

「ピンク色じゃないです? 明るくてビビッドなやつ」

「そうなのか。まっ、女子って大体ピンク好きだもんな」

「──勘じゃないですからね。文具とかで使ってるの割と見かけるんで」

 よく見てるなあキヨという他人事みたいな先輩の感想に、どういうわけか軽い苛立ちを覚える。どういうわけか──。それにしても、桐宇治さんの好きなものか。

 誕生日でも近いのだろうか。

 僕はそれを知らない。けれども、植木先輩はそれを知っている。

 だから──何だというのか。

「見てるというか、偶々憶えてただけです。むしろ先輩に訊かれて思い出したっていうか」

 謙遜なのかどうかもよくわからない言葉を並べる僕に対し、植木先輩はいつものように僕の両手を握って、熱い賛辞を浴びせたりは──しなかった。笑うというより、ただ頬を緩めて、


「いいや、よく他人ひとを見てるよ。キヨは」


 と言った。

 その優しげな瞳の奥を探って。

 探って、しまって──。

 僕は、慌てて立ち上がった。自分でも鼓動が乱れているのがわかった。

「キヨ?」

 どうかしたのかと尋ねてくる先輩に、先生に頼まれていた用事があるのでそろそろ──となるべく落ち着き払った口調で返答した(無論この"落ち着き払った"は僕の主観でしかない)。植木先輩の顔を直視できないまま、ぶっきらぼうな会釈だけ残して、足早にその場を去る。

 ああ、何てことだ。

 植木先輩は気付いている。

 僕の桐宇治さんに対する想いに。

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