06『ビビッドピンク/オレンジイエロー』

 二人との接触を避けるのは、そんなに難しいことではなかった。

 桐宇治さんは別のクラスだし、思えば二人だけでまともに喋ったのは、あの日──植木先輩をどうして好きになったのか訊いたのが最後だった。

 先輩とは生徒会の仕事で会うが、何も二人きりで顔を突き合わせるわけでもない。そもそも、三年生は進路相談で生徒会に顔を出すこと自体が少なくなっており、業務は基本二年生が取り仕切っていた。


 秋口の頃、学生ボランティアとして市内のゴミ拾いに参加することになった。本来生徒会とは無縁のイベントだったのだが、どうやら市内の各校から一定数の参加者を募る形式だったらしく、一定数に満たなかったウチの高校からは、数合わせとして生徒会でも下っ端の僕が駆り出される運びとなった。ただ、驚いたのはその中に植木先輩もいたことだ。

「いいんですか。部活とか受験勉強とか」

 何気なく問いかける声が、妙に刺々しく聞こえていやになる。

「息抜きだよ息抜き。それよりキヨ、こうやって話すの久々なんだしさ」

「はい」

「近況報告会しないか?」

 植木先輩と喋りながら、市内を練り歩く。

 何もこんな時期にやらなくていいだろうに──と思ったが、夏なら夏で同じ感想を抱いていただろうなとも思い、結局頭の中で愚痴るのを止める。まあ、肌寒い方が清涼飲料水の暴飲代が浮くので良しとしよう。

 列の後ろ辺りにいると、前にいる人たちが先にゴミを拾ってしまうので、正直あまりやることがない。こんな頭数を揃える必要なんてあったのかと疑問に思った矢先、ローカルのテレビ局がカメラを回す姿が目に入って、なるほど合点がいった。


 植木先輩と話すのは、久しぶりだった。


 他ならぬ僕自身が先輩との交流を極力控えていたこともあったし、先輩は先輩で何かを感じ取っていたのか、用事もなしに絡んでくることは少なくなっていたから。

 ただ、思いのほか普通に会話ができたのは、自分でも意外だった。外気の冷たさで良い具合に気が散っていたおかげだろうか。

 もっと好意的に解釈すれば、あの程度の食い違いで一言も口を利かなくなるほど、僕ら二人の関係は薄っぺらいものではなかったとも言える。そもそも、僕が一方的に食い違ったと決めつけて、勝手に落ち込んでいるだけなのだが。


 植木先輩は、もうすぐ卒業する。


 なら、桐宇治さんとの関係はどうするつもりなのだろう。どう考えたって要らないお世話なのだけれど、やはり遠距離恋愛として続けるつもりなのか。息を軽く口から吸って、それとなく尋ねてみようか悩んでいると、

「キヨは卒業したらどうするんだ? 何かやりたい勉強とかあるのか」

「え?」

 思わず、声が出た。

 まさか尋ねられる側になるとは、思ってもいなかった。

「心理学とかは興味ありますけど」

「ああ、キヨって話聴くの上手いもんな。イイんじゃないか? カウンセラー」

「別に聴くのが上手いからってカウンセラーになれるわけでは──」

 僕は、そこで言葉を切った。顎に手を添えて、つい考え込んでしまう。

「どーしたよ?」

「いえ、聴き上手だからってカウンセラーになれるわけじゃないですけど、まず間違いなく第一条件ではあるだろうなと思いまして」

 だろーと言って、植木先輩はちょっと得意げに笑う。先輩の白い歯を久々に見た気がした。こうなると、もしや先輩も卒業後の進路について質問してほしいということなのだろうか。それとも──単に訊いてみただけか。

 結局、気になっていることは訊けないまま、当たり障りのない近況報告をし合ううちに活動は終了。各参加者にペットボトルのお茶が配られ、現地解散となったとき、僕はようやく意を決した。

「植木先輩。一つだけ訊きたいんですけど」

「どうした?」

「──順調ですか」

 あえて主語は省いた。それだけで、植木先輩なら察しがつくと思ったから。嘘。気持ちを何とか奮い立たせて、ようやっと絞り出せた言葉が、それだけだった。

 植木先輩がペットボトルから口を離した。そして、あの日向けた眼差しと寸分たがわぬそれで僕を射抜いて、


「ありがとな色々」


 とだけ言った。すれ違いざま、ポンポンと二回僕の肩を叩いた。

 謝罪ではなく、感謝の言葉で良かったと思った。

                ※

 鈍いオレンジの夕陽に照らされる中、校門の柱を背にして立つ桐宇治さんを見かけた。自転車通学であれば、気付かなかったふりをして横を颯爽と通り抜けることもできたのだけれど。

 歩きじゃそうもいかない。だから、これは不可抗力だ。

 僕は、桐宇治さんに近付いた。頭の中をしばし自分から距離を置いていた同級生の異性に対して行うべき無難な挨拶ランキングトップ一〇がぐるぐる回っている。クソ、いつまで経っても一〇位が発表されやしない。

「やっほー。キヨモリ」

 結局、桐宇治さんから声をかけられた。

 ビビッドピンクのイヤホンを着けている。多分──それがそうなのだろうと思った。いや、本当にそうなのか? バイト禁止で手持ちが少ないからって、誕生日ならもっと良いものを贈るのではないか。落ち着け。そもそも誕生日だったかどうかも確証がないだろ。どうかしてる。ああ、そうか。彼氏からの贈り物って、そういうものじゃないのか。付き合っている相手がくれるのであれば、それだけで嬉しいのか。


 たとえば──僕だったら。


「どしたの、キヨモリ? 急に耳つねって。自傷行為?」

「というより体罰ですかね」

 雑念を払いたくて。

 桐宇治さんは、全く理解不能とでも言いたげに眉をしかめた。それはそうだろう。立場が違えば、きっと僕だって似たような顔をする。

「忘れてください。すみません。ただ、善くない考えが浮かんだので、痛みで追いやっただけです」

「あー、何かわかるかも」

「──マジで言ってます?」

 つい、眉根を寄せてしまう。まさか同意を得られるとは思っていなかった。

 ちょっと引いてんじゃねーと言って、桐宇治さんは僕にローキックを当てるフリをする。

 痛みで、追いやっただなんて──。

 嘘だった。


 本当は、まだおりみたいに溜まって。ちっとも掃き切れていない。


「何か話すの久しぶりだねー。やっぱ忙しいんだ。生徒会」

「そうですね。思ってたよりは」

 意外と、これまで通り話せている。それはそうだ。別に何か嫌悪するようなことがあって距離を置いたわけではない。桐宇治さんからすれば、僕が生徒会で忙しいから最近姿を見せないのだろう、と。その程度の認識でしかなかったはずだ。

 会話が途切れがちになる。そろそろ、植木先輩がやって来るのではないだろうか。どちらか一人と顔を合わせる分にはいいが、三人はどうも重苦しいものがある。

 適当に言い訳して、さっさと帰路に着こう。そう思った矢先だった。

「もうすぐさ。三年生卒業だね」

 まさか、桐宇治さんからそれを切り出してくるとは思っていなかった。

 片や三年生で片や一年生。植木先輩は、桐宇治さんとの関係をどうするつもりなのだろう。どうするつもりで、交際を始めたのだろう。

 僕は、植木先輩が卒業したらどこに行くのかさえ知らない。桐宇治さんは知っているのだろうか。当然、知っているだろう。でなければ、それはおかしい。

 先輩とのことさ──と桐宇治さんは訥々とつとつと語り始める。

「私は離れていても続けたいなって、付き合ってたいなって思ってる。先輩は──どうなのかな」


 ──付き合っていたい。


 いざ、桐宇治さんの口から聞くと、お腹の辺りに重くじわじわくるものがあった。まるでボディブローを喰らった気分だった。

「それは、僕に言ってもどうにもなりませんよ」

 突き放すつもりなんて微塵もない、これ以上ないくらいの本音だった。

 そういうのは、もっと親しい同性の友だちに言うべきだ。桐宇治さんなら、相談相手の一人や二人いるだろう。それとも、誰でもいいから聞いてほしいくらいに参ってしまっているのか。

「そういうのは、二人が相談して決めるものであって、僕は間には入れないので」

 俯いて、苦笑いを貼りつけた僕の脳裏に浮かぶのは。

 並んだ二人の背中。僕が好きだった景色だ。


 その立ち位置で、僕は満たされていたはずだ。


 徐に顔を上げて、瞳に映った桐宇治さんは。

 目を、みはっていた。

 僕の言葉に傷付いたのだろうか。仕方がない。僕にはそうとしか答えようがない。

「知らないんだ」

 その一言は、驚くほど小さかった。もしかしたら、唇をその形に動かしただけではないかと疑うほどに。けれど、確かに僕の耳に届いて。確かに心のどこかを抉っていった。

 知らないって、何を?


「そっか。キヨモリもこっちなんだ。そーなんだ」


 ──こっち?

「ゴメン。またね、キヨモリ」

 桐宇治さんはイヤホンを乱暴に外すと、携帯ごとカバンに突っ込んだ。中でぐちゃぐちゃに絡まってしまうだろうなと思った。誰か待ってたんじゃないんですか──と引き止める言葉は、出てこなかった。

 どこで間違えたのだろう。

 いや、そもそも正解はあったのか。仮に正解があったとして、その選択肢は僕の手の中にあったのか。僕が手に取ることを許されていたのは、最初から誤った選択肢の方だけだったのではないか。

 僕は、ふとあの日のことを思い出す。


 ──ありがとな、色々と。


 植木先輩は、順調ですかという僕の問いかけにそう答えた。

 あれは、肯定だったのか。そもそも。

 二人の関係は今も順調に続いていると、そういう解釈で良かったのだろうか。

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