第二十話:小瓶

 わたしは、ぐるぐる廻り続ける思考がどうしようもなく嫌になって、耳を塞いだ。どくん、どくん、と、耳の中に自分の心臓の鼓動の音が反響する。


 神様になるか、ならないか。なってみんなを救うか、救わないか。




 いつもの癖で、現実から逃げ出そうとした思考の中で、ふと頭に思い浮かんだのは、小説作りを手伝ってくれた友人のことだった。

 

 ……箱乃さんなら。もしも箱乃さんならきっと、喜んで神になるんだろうな。多分、涎を垂らしながら毎日人を救って喜んでそうだ。

 シノなら、…目の前の神様をまず刃物でぐしゃくじゃにころしてから、…うわ、ぐろ…。やめよう。彼の思考をトレースすると、どうしてもR-15は避けられない。

 友人のことを思い出していると、なんだか目の前の荒唐無稽な風景が、ひどく可笑しいものに感じてきてしまった。この前までただ無気力に高校に行っていたわたしが、一体ここでなにしてるんだろう。





 もし。もし縫ならどうするかな。ここにいるのが縫なら。……縫。ねえ。


 わたし、どうしたらいい?




 頭の中の縫は、今日も完璧にメイクをして、可愛いを作りこんでいる。そして、わたしのことをいつもの角度で見上げながら、教室でしていたくだらない話の時のように、わたしの問いにひどくシンプルな答えを返した。





「そんなの簡単だよ。君は、空乃小瓶だろ」


 空想上の縫は、何でもないことのようにただそれだけ言って、いつかわたしがしたように、親指を立ててにっこり笑った。そしてくるりと反対を向いて、もう言うことはない、というようにひらひらと手を振って、消える。


…わたしはそれを見送ってから、ゆっくりと手を両耳から話して、現実を見るために、目蓋を開いた。

……ああ、そっか。そうだね。わたしは空乃小瓶だ。









 わたしは空乃小瓶だ。からっぽで、長所も特技も趣味も何もない、無個性で平凡で画一的な存在。何も入ってなかった、そんな空の小瓶のようなわたしの中に、縫が大切なものを詰めて、蓋をして、渡してくれた。だからわたしは、自分で自分を大切にするということを知ったんだ。





 神様は、わたしを要らない人間だと言った。


 わたしはそんな風に、人を価値のあるなしで判断するのがいやでいやでしかたなくて、ここまで来た。

 そんなわたしが、神になって、価値の人を助けてあげる?それじゃ、自分で自分が一番嫌なことを肯定しているのと同然だ。






わたしは善人でも勇者でも主人公でもない。


だから、ハッピーエンドは選ばない。






「ねえ、神様。…わたしは、神にはならない。




 わたしはわたしからのこびんとして、神じゃなくて、只の一人の作者として生きる。



 それがきっと、わたしが信じるわたしの答えだもの」



 わたしがそういうと、神は少し能面の下で驚いた顔をしたような気がした。それから、すっとわたしの書いた小説のタイトルを優しくなぞって、「私は君の小説のファンだからね。君が望むならそれでいい」と言って、ぱちんと指を鳴らした。





 空間が歪む。…わたしは、わたしの物語がひと段落したことにひどく安堵しながら、目を瞑った。






 *


 世界を跨いで帰ってくると、目の前に縫の顔があった。ほんの数時間前までいた筈なのに、校長室がひどく懐かしく感じる。ああ、わたし、生きてる。


「こ゛ひ゛ん゛゛゛゛゛」

「縫、鼻水人の肩につけないで」


 縫は腹パンされた後、締め出された校長室の扉を無理矢理消火器を叩きつけてこじ開けようとしていたらしい。完全に破壊される前に、佐乃先生が慌てて開けたという。え…こわ…。


「こびん、生きてるよね、生きられるんだよね」

「うん、もう大丈夫。…廃役になった人たちも」


 帰り際にわたしの小説に出た人は死ななくていいですよね、と神を脅しておいたから大丈夫だろう。


 縫はわたしがそういうと、安心したのかまたしゃくり声を大きくさせて、わたしの肩口にぽたぽたと涙を落とした。ぎゅっと縫がしがみついてくる。わたしは縫の背中に手を回して、彼の心臓と、わたしの心臓の鼓動が体の中に優しく響く音を噛みしめた。


 生きるのって、本当に面倒だけど、それでもやっぱり、生きてるって幸せだ。



 *


「縫。……もしもの話だけど、もし神になれるとしたら、神になったほうが良かったと思う?だれも廃役にならないで、縫もシノもわたしも箱乃さんも、みんな死なないで済んで、そんなハッピーエンドになれるかもしれないとしたら。


…縫は、どっちを選ぶ?」


 いつもの帰り道を、いつものように帰りながら、わたしは縫にそう何気なく尋ねた。…別にあの選択を後悔していた訳じゃない。でも、少しだけ怖かったのだ。

 縫はわたしの突拍子もない問いに、少し首を傾げて、それからわたしをあの綺麗な薄い色彩の赤の目で真っ直ぐに見た。


「こびん。それ、こびんの話でしょ」

「…なんで分かったの」

「そんなもしも、がある訳ないから。んー、こびんが神様ね。…うん、無理じゃない?」

 わたしがあれほど悩んでやっと絞り出した答えを、縫はあっけらかんと、まるで世間話でもするかのようにそう軽く結論づけた。…ちゃんと真剣に考えてるのか心配になる。


「無理ってなに」

「だってこびんが神様になってもさ、どうせ100年くらいしたら人救うことなんか面倒になってるよ。それで、毎日ごろごろして、餃子の皮摘んでるだけ。うん、無理だね」

 

 これが、わたしのことを世界で一番信頼しているとか言っていた男の台詞だろうか。…反論しようと口を開いたが、残念なことにどこにも反論できる部分がなかったので、わたしは渋々口を閉じた。わたしは、結局どうしようもないダメ人間だった。



「こびんは勇者でも天才でも主人公でも無いんだからさ、別に、誰のことも救わなくていいんだよ。世界を救うとか、人を救うとか、そういうのは他の人に任せればいい。僕らは、僕らにできることをすれば良いんだ」



 縫の持論は、なんというか、本当に自分勝手で、妙に人間くさかった。人によっては傲慢に映るのかもしれない。綺麗でも、優しくもない答えだ。

…でもだからこそわたしは、ようやく重い荷物を下ろせたような気がする。  



「…………………りがと」

「え?なに?」

「…なんでもない。とりあえず生きて帰ってこれたし、あとで餃子の皮焼いてね、縫」


 わたしの選択は、もしかしたら間違っていたのかもしれないけど、それでもそれが、わたしの選択なのだ。なら、きっと、それでいい。


 わたしは、わたし小瓶でいいんだ。





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