第十六話:紫乃
10月、11月、12、1、2、そして3月。時間というものは、本当に気がつけばあっという間に過ぎ去っていくものだ。
…3月8日、火曜日。それが、わたしたちにとっての、タイムリミットだった。
卒業式のその前日の日は全日休講日で、ただ学校の掲示板に、一枚の紙が貼り出されるだけの日だ。それは、生徒たちの間で「死刑宣告通知書」と呼ばれているもの。
「廃棄決定者 通告
3-A 箱乃 林檎
空乃 小瓶
3-B 夢乃 透流
3-E …
・以上の計7名は、明日3月9日、◯◯街×××3-4-15に朝9時に集まること
教育委員会」
シンプルなフォーマットで書かれたその紙の前に、わたしは決然と立った。紙を見ようとしている他の生徒たちをシノが刃物を振り回して退かしているのが見えた気がしたが、見ないふりをする。
…なんであの人は、いつも物騒な手段しか取り得ないんだろうか。わたしは可能な限り目を合わせないようにしながら、掲示板のその白い紙に手を掛けた。
四隅を画鋲で留められただけのその紙は、簡単にびりびりとちぎれて、引き剥がすことができた。向こうから、縫と箱乃林檎が机と段ボールを運んでくるのが見える。よし、準備は完了だ。
机を3脚ならべて、その上に大量の冊子を積み上げる。完璧に配置し終わったあと、わたしは「廃棄決定者」の紙を粉々に破り捨てて、その上にトッピングした。生徒たちが顔を見合わせて騒いでいるが、そんなことは知らない。
あとは、ただ、わたし達の命をかけて書いた小説を、みんなが判断するだけだ。
*
わたしはそれから一人、屋上に来ていた。あの時はあんまりにも余裕がなさすぎて、景色を見ている暇がなかったけれど、改めて来てみると、屋上からの眺めはとてもいいものだった。家が、道が、人が、酷く小さく見える。それらはどうしようもなく小さくて、わたしは柵に頬杖をつきながら、神様の気分を疑似体験していた。
「おー、飛び降りんの?」
誰にも言わずにここに来たはずなのに、いつの間にかシノが当たり前のように隣に立っていた。…小説を書くことに決めてから5ヶ月弱彼とは付き合っていたが、シノという男のことは未だによく分からない。…でも、彼が最後までわたしの思いつきに付き合ってくれたのは確かだ。
「…シノは卒業したら、どうするの」
わたしは、屋上の強い風に合わせて靡く髪を耳にかけながら、そう尋ねた。シノは廃役になっていないと聞いていたけれど、彼が将来、作者の言いなりになって物語のキャラクターをちゃんとやっているということが全く想像できなかった。…こんな事を言うと怒られそうだが、わたしの中のシノのイメージは、いつまで経っても懐かない野良猫そのものだった。それか、万年反抗期。
「どうしよっかなー。…最初は俺以外のやつ、皆殺しにしようって思ってたんだけどな」
突然物騒なことを言い出した気がしたが、わたしは幻聴として軽く聞き流す。シノと会話する時は、8割聞き流さないと、こっちの価値観が狂わされるのだ。
「あーあ、小瓶に付き合ってたらもう3月なんだけど。これから人殺しにいくのも大変なんだよな」
だれも付き合えとは言ってない、…とわたしが言えなかったのは、シノが小説を書く上で大いに役立ってくれたからである。彼は意外にも多才なようで、わたしの下手くそな文法と語彙力の無さを指摘しつつ補ってくれたのだ。…だからわたしは割と彼に頭が上がらない。
「…なら、わたしがもし上手いこと作者になれたりしたら、わたしの作品に出てくれたり…、すれば、全部解決するんじゃない」
…途中で言い淀んだのは、自分の言っていることがなんだかひどく傲慢であるように感じたからだった。シノの沸点は、というか、人を殺すトリガーは恐ろしいほど簡単に引かれるので、彼がわたしをここから突き落としたりしないか不安になった。
恐る恐るシノの顔を伺うと、シノは紫色の瞳をわたしの方に向けて、「…ああ、うん。そうしよ」と軽く言った。どうやら大丈夫だったらしい。
…シノはしばらくぼんやりと、わたしと同じように屋上からの景色を眺めていたが、急にこちらを向いて、「小瓶が死んだらさ」と呟いた。何だ急に。
「…勝手にころさないで」
「まーそうだけど。…明日、小瓶が死んだらさ、俺どうしよっかな」
その仮定は、本来ならばただの仮定に過ぎないものだったが、今のわたしにとっては、酷く現実味を帯びたものだった。目を瞑って、想像する。…作戦が失敗して、もし、明日、死んだら。
「…もし明日、死ぬことになったら」
「うん」
「殺される前に殺してね」
それは、なんだかよく分からない人に殺されるよりマシだろう、と思って発した言葉だった。縫に殺してもらってもよかったけど…。わたしは、いつかのトンカチ校長撲殺未遂事件を思い返した。…ダメだ、縫の精神が心配だ。連続殺人事件とか起こされても、困る。シノならその点大丈夫そうだ。なんなら笑顔で殺してくれそう。
「えー、めんどくさいからやだよ」
シノが返したのは、どこか既視感を覚える一言だった。面倒って、なんてこと言うんだ。倫理観がどうかしている。
…シノは、それから屋上の柵から大きく身を乗り出して、小さく、「だからさ」と呟いた。それは本当に小さな声で、わたしは彼らしくないその声音に、思わずシノの方を向いてしまった。
「だからさ、俺が面倒臭くなくなるまで、生きてて」
わたしは、ずっと懐かなかった野良猫が、初めてこちらを振り向いたときと同じような錯覚を、この時覚えた。これがツンデレ…?いやツンデレにしてはデレの振り幅が小さすぎる気がする。というか、別にシノはツンではなかった気がする。シノデレ…?
シノが発した言葉があまりにも意外過ぎて、わたしの脳みそは新たな造語を作ってしまうくらい混乱していた。頭の中で必死にサイコパスと三回繰り返してから、わたしはシノの方を向いて、「わかった」と呟いた。…呟いたつもりが、混乱していたせいで、頭の中で思っていたことを、そのまま言ってしまった。
「しのでれ…?なに言ってんの小瓶」
「…あ。いやそれは、オッケーって意味だから大丈夫。全てオッケーって意味」
「…そう。ま、なんでもいいけどね」
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