第十三話:再会
わたしは、泣き続ける縫の顔を、ごしごしとハンカチで拭った後、ちいさな頭の上にキラキラと光るティアラを乗せた。箱乃さんとすれ違ったときに、もし縫に会ったら渡してくれと頼まれたものだ。
「ヒロインになるなら、人ころしちゃ駄目」
縫はバツが悪そうな顔をしたが、それでも頷こうとしない。
「…でも、もうこびんが廃役になるの、決まっちゃったんだよ?殺すくらいしか、もう…」
いつから縫はこんな過激派になったんだろうか。…わたしは縫から渡された「廃棄最終決定者」の紙をびりびりと破って、放り投げた。紙片は、屋上の強い風になって、どこか遠くに飛んで行く。
わたしは猫背ですっかり曲がってしまった背骨を無理矢理引き伸ばして、胸を張りながら、縫に向かって親指を立てた。使わなさすぎて死んでしまった表情筋は悲鳴を上げたが、無視して引き上げて、笑顔を作る。
「大丈夫」
「え!こびん、何か考えがあるの?…あと顔怖いよ」
正直にいうと、考えは全くなかった。ついこの間まで消極的自殺志願者だったのだ。そんな都合のいい作戦をすぐに思いつくわけがない。だが、無いといえば、また縫はトンカチを握りしめて校長の頭めがけて振り下ろしそうだったので、わたしは斜め右上をみて小さくうなずいた。
「嘘なんだね…こびん、嘘つくときいつも斜め左上みて右手で首のあたりを触るから」
わたしの拙い嘘は、3年一緒にいる友人には全く通用しないようだった。…少し居心地が悪くなって、縫のじとーっとした目線から逃れるように咳払いをする。
それから、そっとバレないようにトンカチを背に隠して、わたしは少しでも自分の言葉が縫に伝わる様に、縫の視線を正面から受け止めた。
「…嘘だけど、なんとかする。これは本当。縫はとりあえず、白雪姫、ちゃんと成功させてきて。わたしは…どうするか、考えておくから」
「もう、めんどくさがらない?」
「うん。…ちゃんとする」
わたしが頷くと、縫はやっと安心したかのように優しく笑って、今度は縫の方から、強くわたしを抱きしめてきた。体温が心地いい。縫が使っているシャンプーの香りが、髪からふわりと漂って、妙に安心する。
「…こびん、いい匂いがするね」
どうやら同じことを考えていたらしい。わたしはこの状況がなんだか可笑しくなってきて、けらけらと笑ってしまった。
…あと、わたしに残された時間は、本当に僅かしかない。自分のこと、父のこと、世界のこと、作者のこと、何もかもちっとも解決してないし、納得したわけじゃない。
でも、それでも、とにかく今は生きようと、そう決めた。…まだ案はなにも思いついてないけれど。
わたしは、縫のために生きようと、そう、決めたのだ。
*
校長に顔は見られていないとのことだったので、わたしたちは校長の意識を無理矢理奪った後、猿轡と目隠しと耳栓と手に巻いたロープを解いた。…解きながら、そのあまりの用意周到さに、隣の女装した友人のことが少し怖くなってきた。縫曰く、「僕が全部やったわけじゃないよ!」ということらしいけど。…え、二重人格?こわ…。わたしは少し震えながら、縫から3歩ほど距離を取った。…まあ、とにかくこれで、校長は自力で脱出できるだろう。がんばれ、校長。あとは知らない。
…証拠隠滅を済ませて、それから屋上の扉の前に放置していた、自分のすかすかの鞄を担ぐ。
一緒に帰ろう、と縫に言うと、縫は嬉しそうな顔で、うん、と肯いた。そのまま帰ろうとしていたところで、箱乃林檎のことを思い返して、わたしは慌てて縫を一旦教室に連れ戻した。衣装係はぷんすか怒っていたが、「ごめんね」と縫が扱い慣れた上目遣いを披露すると、すっかり許していた。…縫は意外とクラスメイトから人気があるのだ。
化粧直しをして、フリルとレースがふんだんにあしらわれた白雪姫の衣装を身につけた縫は、本当に可愛らしかった。黒い髪も、白い肌も、薄い赤の虹彩も、その全てが衣装に映えていて、童話に出てくる白雪姫なんかよりも、わたしにはずっといいものに思えた。
縫は得意げにターンして、「どう、こびん」と聞いてきたけれど、…全部正直に言ってしまうのはどうにも恥ずかしかったので、「…縫にも衣装」と返しておいた。…生きると決意したからって、捻くれ者が今日明日で急に素直になれるわけではないのだ。
*
「それで、なにがどうして人をころすっていう結論になったの」
帰り道、頃合いを見計らって、わたしは何でもないように小石を蹴飛ばしながら縫にそう尋ねた。縫はわたしのその問いに、びくりと肩を揺らしたあと、まるで犬が怒られている時みたいに目を右往左往させて、首を縮めた。
「…えっと、それは」
縫が心底言いにくそうに、そう言葉を紡いだ時だ。誰かが、わたしの背を二回ほど叩いた。なんだか既視感を感じながら後ろを振り返ると、男子生徒が四つん這いになった箱乃さんの上に乗っていた。…?…男子生徒が、四つん這いになった箱乃林檎の上に乗っていた。…視覚からの情報を脳味噌が再確認したせいで、状況を認識するのが遅れる。「げっ」と縫が隣で全く可愛くない悲鳴を上げた。え、このひとたち、なんなの?
「やあ、小瓶。元気?」
男子生徒は、ひらひらと手を振りながら、わたしにそう言って笑いかけた。わたしはすこぶる元気だったが、目の前のよく分からない状況に、曖昧に頷くことしかできない。…なんでこの人、わたしの名前しってるんだろう?こわ…。
「それで縫くん、人殺しは楽しかった?」
男子生徒が続けて放った言葉に、わたしは二度ほど耳を疑うことになった。さ、サイコパスだ。絶対、このひと、サイコパスだ。…そもそも、女子高生を馬のように乗りこなす人間に、まともな人間がいるはずがない。わたしはじりじりと後退り、必死に隣の縫にアイコンタクトを送った。ねえ!!帰ろう!!!
縫は、決死のわたしのアイコンタクトを全く意に介さず、何故か物凄く申し訳なさそうな顔で見つめ返してきた。三年一緒にいても、アイコンタクトというものは伝わらないらしい。
「シノ、…色々手伝ってくれて感謝してるけど…。僕はもう、あの方法でこびんを助けるのはやめる」
シノ、と呼ばれた男子生徒は、縫のその言葉にすっと紫色の目を細めた。…わたしは何故か、とんでも無く恐ろしいものを見てしまったかのような気がして、慌てて視線を逸らした。…こわい、帰りたい。
「ふーん、じゃ、君は小瓶が死んでもいいんだね」
「そういうわけじゃない!…方法は、これからこびんと二人で考えるけど…。こびんなら、きっとあんな方法じゃ無い、もっと真っ当な方法で、正面からこの世界のルールと戦うはずだ。…こびんがちゃんとするって言ってくれたから、僕はその言葉を信じることにする」
地面についた染みを眺めながら二人の話を聞き流していると、さすがの私でも、縫に「人をころす」という全く常識外れな方法を教えたのが、この男だということが理解できた。…脳裏に、ついさっきの嫌な映像が蘇る。トンカチを振り上げた縫と、その下にある人の頭。…もう、あんな思いは、二度とごめんだ。心臓がいくつあっても、足りやしない。
わたしは、気づけば縫と男の間に立って、強く男を睨みつけていた。先程からずっと感じていたこの男への不快さや恐ろしさは、その時にはもうすっかりと忘れ去ってしまっていた。
この男は、もしかしたら縫の友達なのかもしれない。縫の相談に乗ってあげただけなのかもしれない。…でも、そんなの関係ない。
「ぶっ」
わたしは、拳に精一杯の力を込めて、男の端正な顔を殴り飛ばした。怒っていたのだ。そして、久しぶりに怒りという感情を覚えたわたしは、怒り方をすっかり忘れてしまっていた。…つまり、口よりも先に、気がつけば体が動いていたのである。
初対面の人を殴り飛ばしてしまったという罪悪感がじわじわと背中を這い上ってきたが、わたしはそれら全てを無視した。だって怒ってたんだもん。
…縫の友達なら、縫がヒロインを目指してることを知ってるなら、人をころさせるなんてそんな恐ろしいこと、させるべきじゃない。友達なら、友達の夢の邪魔をするべきじゃない。…というようなことを殴った後に言おうとしたが、うまく言葉を整理することができずに、結局口をモゴモゴと動かすだけで終わった。…わたしは、どうしようもなくコミュニケーション障害だった。
「…ちょ、ひどいな小瓶。…俺この間から殴られてばっかりな気がするんだけど」
「うるさい。誰か知らないけど、縫にちょっかいかけないで」
わたしがそういうと、縫は「こびん!」と嬉しそうな声を上げ、反対に目の前の男は地獄に突き落とされたかのような顔をした。ちなみに箱乃さんは、乗せてあげたお礼を言われるのを、先程からずっと待っている。
「え、…と、俺と君、一回会ってるよ。ほら、下駄箱のところでさ」
顔を引きつらせながら、男子生徒は「アンケート…チュッパチャプス…」と呟いたけど、記憶上のどこを探してもそんなエピソードは出てこなかった。…少し可哀想だったので、「下駄箱の上の段の人…?」と呟くと、男はさらに絶望に染まった顔をした。…ごめん。
「…いや、…もう、いいや…。俺はシノね。紫乃。これ、下の名前だから…」
わたしはこんなに元気のない自己紹介を、今まで聞いたことがない。…いい加減可哀想になったわたしは、仕方なく、「小瓶。…空乃小瓶」と小さく名乗ってあげた。どうぞよろしく。
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