第十一話:不和

 わたしと縫との関係とは裏腹に、劇の準備はひどく順調に進んで行った。…あれから、縫とは一言も話していない。嫌われたのだろう。…そりゃ誰だって、心配しているのに暴言で返されたら、嫌うに決まってる。


 わたしは肺の中の空気を全部吐き出す勢いで、深くため息をついた。そんなことをしても、現状はちっとも好転しなかったけれど。



 …そもそもなんで、縫はわたしなんかをずっと心配してくれていたんだろう。こんなにどうしようもなくて卑屈でめんどくさがりな人間と、なんで一緒にいてくれたんだろう。帰りは毎日待っていてくれたし、給食に餃子の皮が出れば嫌がりながらも毎回くれた。空っぽなわたしが縫にしてあげられたことなんて、本当にこれっぽっちもなかったのに。なんで、彼はいつも、わたしと一緒にいてくれたんだろう。





「…のさん、空乃さーん。か、ら、のさーん」

「なに」

「あ、えっと、その…波乃くん、知りませんか?」


 気づけば、片手にトンカチを持ったまま考え込んでしまっていたらしい。トリップしかけていたわたしの思考を呼び戻したのは、箱乃林檎だった。丁度衣装合わせをしていたらしく、金の王冠がちょこんと頭の上に乗っている。


 わたしは数秒悩んで、波乃というのが縫の苗字であることを思い出してから、首を横に振った。



「そうですか…。これから白雪姫の衣装合わせなので、波乃くんにいて欲しかったんですが」


 箱乃林檎はため息をついた後、マントを翻して、縫探しに出掛けたようだった。わたしは補強し終わった舞台の小道具を教室の隅に置いて、鞄を手に取った。自分の仕事は終わった。帰ろう。





 *


 帰り道、摺り足で枯れ葉の上を歩きながら、わたしはまたぼんやりと縫のことを考えていた。縫はわたしなんかと違って協調性のある人間だから、人の迷惑になるようなことはしない。…箱乃林檎が縫を探していたことが、何故だか妙に気にかかった。文化祭本番の2日前という大事な時に、縫が断りもいれず、急に何処かに行くだろうか?



「箱乃林檎が探していた」ことを、縫を探すことの言い訳にして、わたしは来た道を戻り、学校へと早足で歩き始めた。どうせ残り少ない人生なのだ。唯一の友人とくらい、いい加減仲直りしたい。


 上履きに履き替えて、当てもなく縫を探す。下駄箱にはまだ縫のローファーが残っていたから、校内にいるだろう。途中、箱乃林檎とすれ違ったが、縫はまだ戻ってきていないと返された。



 図書室、家庭科室、理科室、体育館…思いついた場所は全て探したが、縫の姿はどこにもない。半ば諦めながら階段を上る。6階分の階段は、普段運動をしないわたしの太腿に大きなダメージを与えた。


 屋上には行ったことがないので知らなかったが、どうやら締め切られているようだった。落胆しながら、やけくそで扉を蹴り飛ばすと、ぎぃ、と鉄の錆びた音とともに、開いてしまった。…器物損壊、の4文字が頭に浮かんで、わたしの背中に薄く冷や汗が浮かぶ。ごめんなさい、違うんです。違わないけど。



 そっと扉をいたわりながら閉めようとした、その時だ。ぼそぼそ、とくぐもった、何か話し声のようなものが、わたしの耳に聞こえてきた。縫の声だ。わたしは吹き込む風に目を細めながら、扉を開けて屋上へと足を踏み入れた。











「っ縫!!」









 わたしはその瞬間、たぶん、人生で一番声を張り上げた、とおもう。

 目に飛び込んできた風景。は、わたしがまったく予想もしていなかったモノで、思考が、停止して、しまいそうになる。

 いや、してる場合じゃない。とにかく、縫を、とめなきゃ。







 死ぬ気で走る。振りあげられた縫の右手首を、強く掴む。縫が驚いた顔でわたしを見たのがスローモーションで見えたが、そんなことを気にしている場合じゃなかった。わたしは床に転がっている人間を、縫から少しでも離すために目一杯蹴り飛ばした。




「こ、びん…?」

 かん、かん、と、縫の右手から滑り落ちたトンカチが、ひび割れたコンクリートに落ちた。慌ててそれを拾い上げる。

 心臓がばくばくと音をたてた。急に運動したじゃない。もしも、もしも、あと一歩、おそかったら。






 縫がこのトンカチで人間の頭を潰していた。


 うぅ゛ー、とくぐもった声を上げる人を見る。猿轡に目隠しをされているのだ。…顔の半分が隠れていたが、よく見ると朝礼で話していた校長であることがわかった。



 これは、一体、何の悪夢の続きなんだろう?



 わたしはぺたりと座り込んで、縫の顔を見る。久しぶりに見た縫の顔は、クマがさらに酷くなっていて、前に見た時よりもさらにやつれていた。


 縫はへにゃり、と本当に不細工な笑みを浮かべて、泣きそうな顔で、ごめん、と呟いた。

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